天穹の彼女
第五話 紙一重 後編:崩壊
著 : spica
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レイはその瞬間確信した。彼女の中の何かが壊れたことを。少し前の出会いの日のように、血迷ってしまったのか、あるいは……
「ごめん、なさい…」
どうして謝るんだ、とは言えなかった。その眼に宿った甘い琥珀から、涙が零れ落ちた時。たった一雫のそれが、ヨゾラの光を、純粋で美しい魂を、すべて奪い去って土に滲んだ。
「ねえ、ほら───死んで?」
きっとヨゾラは、天穹(おおぞら)と繋がっているのだろう。え、とバニラが声を漏らした時には、もう彼女はレイの背後まで回り込んでいた。それこそ、天が操り糸を思い切り引いたかのような速さで。
「っ何立ち尽くしてんだン゛のヘタレェ!!」
悪が弱点とは思えないほどの暴言を吐き散らしながら、ビターがレイを蹴った。それとほぼ同時にヨゾラが、殴るようにシャドーボールを放つ。すかさずイリジェがマゴのみを拾い、レイに分けた。
「あっ、りがとう、二人とも」
ヨゾラの追撃にワイドフォースで応戦しながら、ビターは振り返る。
「な暇あったら早く復帰しろは、や、く!お前のせいでイかれたんじゃねぇの?!」
ヨゾラを傷つけているつもりは微塵も無い。だがもし自分のせいだったらと、少しばかり寒気が走る。
「さすがにそんなことは無い!だよね、レイ!…おれは何したらいい?」
「僕は指示厨じゃねぇよイリジェに聞け!!……って戦ってんのかよっ」
「今言ったシジチュウというのは私か?」
「あ゛ーさぁせんさぁせん!!嘘だよ冗談!!助かってますよいつも!!!!」
この非常事態に、わちゃわちゃとコントを繰り広げながら応戦する面々。広がるサイコフィールド、ルミナコリジョンで下げられる特防。ビターが前線で地盤を固め、イリジェが誰も近付かないようフィールドの気配を消す。さらにバニラは、隠れ場所をとっしんで次々と暴いていく。焦りと少々のネタから繰り広げられる戦い。互いの技の強みをふんだんに引き出し、争いながら高め合っているようだった。
「おーい、乗り遅れっぞ!体力が異常だ、三人じゃ多分無理だから来い!」
はっと目を覚ましレイは、激戦地へと飛び込む。狂った様に、怒る様に、それでいて抗う様に……何者かが乗り移ったかの如く荒ぶる彼女の瞳に光はない。四方八方から飛んでくるシャドーボールは重い影の至極色を戦場に落とし、聖なる月を宿したムーンフォースすらもどす黒く変色してやまない。おかしい。絶対に何かがおかしい。疑いか確信か分からぬ感情を整理しつつもレイは、それを口にすることができなかった。
「──か、はっ」
「ビターっ!?」
けふ、裏返った声で空気を吐く焦茶と真白の段々の縁飾(フリル)。己を弾き飛ばそうと変わらず荒ぶるヨゾラを双つの藍玉で睨み、土にめり込むほどの強さで無理矢理地面を踏んでビターは立ち上がる。
「クッソ、デケぇの喰らっちまった。……ちょっと下がる、こんな奴の生き血見たくねぇだろ?」
半ばバニラに引き摺られながら、ビターが場外へと向かう。その間も彼女の暴走は止まらない。しかし、少しばかりか表情に疲れの色が乗ってきた。ここを耐えればあとは、と思ったところでレイは気付いた。
「───待ってっ、仕留めるなんて出来ないのにどうやって止めるの?」
黙り込む一同。ずざぁあぁぁっという砂埃の雑音が主役を冠したその瞬間駆けたのは、大人しい森とは真逆の衝撃。
「……たし、かにって危ないビター!!」
殺意のない此方にも容赦なく、考える隙を潰すように振りかかる露草色の腕。バニラはビターを庇うのに必死、イリジェは呟きの最適解を求めることだけにその小さな身体を使っている。つまり、自由に動けるのはレイだけになってしまったのだ。
「ヨゾラ、ほら、起きてよっ、ヨゾラ…」
そこに憎しみなどなかった。憐れみと悲しみとで涙が零れそうだが、ここで折れてはいられなかった。もういっそ、夢だったらいいのに。幻だったらいいのに。崩壊など嘘だったと、惑わされているのは僕だけだと言ってくれたらいいのに───
「……、い?」
────レイ?
そう聞こえてしまった。もう駄目だった。そこまで何とか続けられていた攻撃を、レイは止めずにはいられなかった。ヨゾラは、さっきよりも少しだけ澄んだ妖の力を、此方に向けて溜め込んでいる。しかし、そのペースは明らかに落ちた。
「レイ!解けたぞ!思い出した、君は確かあの技を持っていたよな」
高らかに言い放つイリジェ。“あの技”───その言葉が降りかかった瞬間、思考がじりじりと歪んでひとつの言葉に成り変わる。レイは息を呑み、イリジェの方を振り返って頷いた。そして腕の刀を伸ばす。いつもと違うのは、その刀に鋭さがないことだ。
レイは跳び上がった。もう少しでムーンフォースを放ちそうなヨゾラの首から肩にかけて、刃は極限まで軟く。片腕に宿す属性は“普”。威力の出ない側を、心の中謝りながら彼女へ───
すとんっ。
ほぼ打撃に等しいその斬撃が終わった時、柔らかい風と溶け合うような弱々しさでヨゾラはゆるりと倒れた。そう。止まったのだ、暴走が。
ほっと息をつくレイ。しかし、次の瞬間新たな凶変が一同を襲った。
「…まずいぞ、早く回復しないと長くはもたない!」
……また暴走したらどうするの?
そんな邪な呟きが、脳に響く。慌てて手当にかかるイリジェとは真逆の思いを、どうして抱いてしまったのだろうか。駄目だ。こんな僕じゃあ助けるどころか、居るだけで毒になってしまう!
……救うんだ。どうにかして!
無理くり思考を振り払い、ヨゾラの手を取って、使うのはテレポート。幻怪の泉の真逆に位置する、黄金色のベラカスの化身が司る“聖・再祈湖(さいきこ)”へ……
「…無理、だ」
できない。飛べない。張り裂けそうな空気と心臓。バニラが誰かに呼ばれて、走っていくのが横目に見える。イリジェが自分に気を遣って、テレポートしやすいようフィールドの力を再び高めるのも見える。でも、幾らやっても、できなかった。
四つの技に入っていないとは言え、超を宿すポケモンが素でテレポートを使えないなど、ほとんどあり得ない。なのに飛べないのは、手ががたがたと震えているせい。だらだらと流れる汗がきらきらと煌めいて、レイをさらに急かす。早く、まぐれでもいいから、早く、再祈湖へ…っ。
「……あーあ、見えちまったよ。もう間に合わないな。…」
ビターの一言で、一気に陰るフィールド。いつの間にか増えていた煌めきは、レイの瞳から溢れた熱い結晶。
「じゃ、あ、それって…」
「まだ終わってないっつーの!ちゃんと聞けよな、もう…」
怒鳴るように吐き捨てるビター。ふん、とわざとらしく鼻を鳴らして彼女は、沈黙の中レイに背を向けて振り返る。
「──乗れ」
「えっと、……ん?」
「だーかーら!……乗れ。僕なら間に合う」
大きな傷をぎりぎりと堪えながら、爽やかな笑顔でビターは言った。
草の香りがした。ひゅうひゅうと、夜風が吹き付けるのも感じた。
上半身が微かに痛んだ。ゆっくりと目を開けると、もう空は艶めく夜の顔をしていた。
「あっ、起きた!」
眼前で幸福の大輪を咲かせたのは、レイだった。闇を貫くような光を宿したその眼に真っ直ぐ見つめられて、ふわふわとした心の器が軋んだ。
「え、ぇと……私、は…」
「お、ま、え、さぁ!!」
空気が裂けそうなほどの大音量でビターが叫ぶ。四六時中何かしらに怒り散らかしている彼女だが、今回に至ってはその矛先は完全にヨゾラに向いていた。
「んだよもう、こんな短期間で何回心配させるつもりなんだよ?!?!お陰でレイにカッコつけてお前等乗せる羽目になったんだよ、つけ込まれるの上手すぎか?!……あ、いや、記憶がねぇのは知ってる、けど」
「えっと…じゃあ、キリキザンに襲われたのは覚えてる?」
ヨゾラは頷く。そして、流星の如くフィールドに飛び込む紺青の双刀を思い出す。キリキザンに引けを取らない輝きと切れ味のそれが、今は色褪せ、傷の数々と共存していることに気が付いた。
思わず辺りを見回すと、ビターの羽に近い繊細ながらしっかりとした胴や、バニラの力強い真白の脚、イリジェの大量の知識がごろごろと詰まった頭の、額の辺りなどにも傷がいっていた。そして、いたはずの幻怪の泉とはほぼ真逆の、聖・再祈湖のほとりに座っていることにも気付いた。月の白銀と黄金のエネルギーが混じり合い、長カテドラルにも引けを取らない輝きを生み出している。
その瞬間、穏やかに咲いていた花が突然散ったかのように、施錠された記憶が引き戻された。
「ぁ…あぁ、ああ……っ」
感情を覆い隠していた、薄い一枚の紙。それを短針で突き破って裂き、幻を注ぎ込んで惑わせ崩壊させた何かが、一気に脳内に溢れかえった。
「大丈夫だ、落ち着け。荒れた所なら信用できるポケモン達が極秘で復旧しているし、皆元気だ。死なないのは私達にとっては当然かもしれないが、少なくとも生命存続に支障をきたす怪我はない。君は少し危なかったが、ビターが全速力で運んだお陰でこうして、ベラカス神の加護で助かった。だからもう気にすることはないよ」
優しく諭すように、イリジェが一つ一つ事の経緯を説明する。バニラがうんうんと頷いているが、ビターは疲れ果てたのか、星々の下もう眠りかけている。その更に奥では、レイが両手を擦りながらちらちらと、ヨゾラの表情を伺っている。
「あ、りがとう…でも、ごめんなさい。ビターの言った通りよね。つけ込まれるのが上手すぎるなんて、王にあってはならないのに。……そう、王に」
いいんだよ、バニラがふわりと笑う。この森に彼等だけの異色が五匹固まっていても、少しも変わらず、わいわいと喋りながら段々と巣に帰っていくポケモン達。普段誰も立ち入らないような泉の周辺で起きた事なのだから、殆どが知らなくて当然だ。
そう。きっと無かった。無かったことなのだ、幻惑も、崩壊も。見えた気がした影も、聞こえた気がした声も、きっと誰でもなかったのだ。いつだって私は、裏表のない善良なポケモンだから。
振り切れなかった。そう簡単に思い込めるほど、彼女の思考は狭くなかった。これから先永遠に落ちないであろう、じゅっと焼けるような黒い感情の跡。それが滲んで、薄く広がって、濁り曇った思い。
ああ、私は彼等に、助けられてばかりだ。
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【アトガキ】
…どうも、二ヶ月半ぶりです。遅い!!!
どうやらヨゾちゃんが曇ってしまったようですね。ベラカス神は異色の概念、実在するかは不明です。名前はリフレクシヴ。
もう五ヶ月ほど連載していますが、ようやく第一章が終了しました。それにしても、今ノベルでやることとやりたいことが多すぎまして。
●やること
・キノコ13さんリクエストの番外編を書く。この次ですよ!←clear!
・『極寒丁冷堂』に投稿した「人外会談」の後編を出し、更にもう一話←1/2clear!
・『極寒丁冷堂』表紙イラスト制作
●やりたいこと
・第二章の表紙イラスト構成、小説もできるだけ書き進める
・『極寒丁冷堂』番外編(第零話-第九話)
いや多い!!ただでさえちまちま書いて既製品を修正しての私が春休みでこれだけ書く?!という感じなのですが、とりあえず一番放置してしまっている後編からいきたいと思います。なるべく更新頻度は上げたいと思いますので、応援よろしくお願いします!
2024.2.28 21:18:19 公開
2024.3.23 12:17:55 修正
■ コメント (3)
※ 色の付いたコメントは、作者自身によるものです。
24.3.1 19:17 - spica (kirarin) |
続きです。 あとマコエの伝承、これも重要そうな要素ですね。 マコエの色違いたちは永遠の命を持つので受け入れてね、とか理不尽だな!結局、五匹はこれに従うしかないのか、抗う方法があるのか。気になるぞー! そしてじゃすみん的に特に気になるキャラクターはビターさん!優雅な見た目と裏腹にちょっと荒い口調と冷たい態度。しかしながら不器用でも頑張ってるのがすごい伝わってくる、良いキャラしてます。クエスパトラのイメージから少し外してあって、中々見かけないタイプの味付けだと思います。美味しいです。(?) そして主人公であるヨゾラちゃんとレイ! ヨゾラちゃんは幸せになれ…色々解決して兎に角幸せになれ…と願うばかりです。葛藤が生々しい! レイも自信の無さが気になるです。物語を通して、自信をつけられると良いなあ…。頑張れ!じゃすみんが応援してるぞ! 長文失礼いたしました!これからも頑張って下さいです! 24.3.1 17:14 - じゃすみん (jasjas) |
更新来てるー!わーい!と言うことで、過去分も改めて読み直して全体を通しての感想を書きますじゃすみんです! まず冒頭で平和な情景を読者に示した上で、ヨゾラちゃんの回想に入るって流れが上手い!マコエに住んでるけど異質な感じの、ヨゾラちゃんの状況が暗喩されてる感があります。次に戦闘描写。一話でも五話でも割とバトルしてますが、描写がうめぇです。バトルの勢いを殺さず、かつ丁寧に描写してる…。特に最新話の、暴走ヨゾラちゃんとの戦闘。ヨゾラちゃんの異常さ、仲間たちの仲の良さと焦燥感を感じます!そして心情描写!複雑なヨゾラちゃんの内面が緻密に表されてて、読んでるだけで胸がきゅってなるし…うげー!ってなります(伝われー!) 内容の感想ですが、まずヨゾラちゃんの不安定さが目を引きますね。過去に自分だけ生き残って、仲間の死の間際に自分に対する負の感情を見るって…超辛いじゃん。それを見てヨゾラちゃんが絶望して、相反する想いを持って苦しむのも辛い。ヨゾラちゃんの内面が複雑過ぎる…。この葛藤、どうキリをつけるか気になります!とりあえず、誰かヨゾラちゃんのカウンセリングしてあげて!という気持ちです。 24.3.1 17:12 - じゃすみん (jasjas) |
回想うまいですか!やったーー!!!!
いきなりすぎかなーと少し心配だったんですが、しっかり落とし込めていたようでよかったです…!このお話はキャラの濃さと辛さが売りみたいなところありますので(※過言)よかったです〜!私視点では運びが完結してるせいで感覚が狂いがちなんですが、つっっら。何これ。(筆者の感想じゃない)
さて、これからのお話は休む間がありません。第五章の序盤にちょっと入るかな…?くらいなんですが、基本辛いですね。キャラ全員が憎めないせいで余計抉られる感じになるかも…?ですが、ヨゾちゃんはもちろん、メインキャラ中心に救いますので!これからも応援よろしくお願いします!!
【最後に三つ予言】
●ビターさんももちろん、メインキャラは全員過去話でます。
●一番過去が軽いのはレイ。
●一番発狂案件は…三章かな?二章もだいぶきついけど。