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生あるものの生きる世界

著編者 : 森羅

番外編 想い出五重奏[オモイデクインテット]

著 : 森羅

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sideユウト

・・・・・・どこのジャングルだ、ここは。

うっそうと茂った森、いや“湿原”。足元はどっぷりと泥沼に浸かり、異様に重たいズボンはしっかりと水気を吸っている。頭上には背の低い木々。手が届く距離に枝葉が広がり太い蔦がそれに絡み付いて視界は悪い。人の気配は当然なく、妙に湿気った空気はどうにも気持ち悪かった。

「ジャングルじゃないよ。ここがシンオウ地方だっていうなら多分ノモセの湿原だね。サファリパークの中かなあ」

泥をはね上げながらからからと笑うケイ。・・・あぁ、さいで。シンオウ地方にはこんな泥沼訂正、湿原まであるのか。知らなかった。だが、オレが知りたいのはそこではない。田植えができそうな泥から足を引き抜きながらオレはへらへら笑うケイに尋ねる。

「オレはここがどこかよりもどうしてここにいるかの方が知りたいんだが」
「そうだね、ゆーと。でも、それはぼくも知りたいよ。アヤちゃんもいないみたいだし」

にっこり笑いかけられても困る。要はこいつも何がどうなってこんなところにいる羽目になっているのか見当がつかないと言うわけだ。オレとケイがあちらとこちらの『生の世界』を行き来するようになってから基本的に堺(かい)と“しろ”、“くろ”はアヤの近くにオレ達を落としてくれているはずなのだが、この近くにアヤがいる気配はない。人がいる気配がないのだから当然ない。無意識にため息が出る。しぎゃあ、という鳴き声と共に鳥の羽ばたきが聞こえた。オレは何か“しろ”と“くろ”の気に障るようなことをしただろうか。いやその他でも何かこんな状況に陥る羽目になるような所業をしてしまっただろうか。記憶を逆手繰り、つい言葉が漏れた。

「昨日、消費期限切れの牛乳使ったのが悪かったか」
「そんなの飲んだの?お腹壊すよ?」
「飲んでない。使ったんだ」

一応訂正を入れる。まぁ、胃の中に入ったと言う意味では同じことなのだろうが。いや今は昨日の牛乳のことなどどうでもいい。それくらいでここにいる理由はできない。多分。ずぼっ、という音と同時にケイが背中から泥の中にひっくり返る。足を引き抜こうとして失敗したらしい。いや、抜こうとした片足は抜けたのだからある意味では成功に入・・・全身泥まみれで頬にまで泥が飛んでいるケイを上から下まで見てから考え直した。これは何か違う。こいつは本当に高校生か?行動がいちいち幼すぎる。実は小学生だろ。ケイの片足は未だ泥の中。ケイは仰向けで寝ころびながら呆れ顔のオレに向かって笑う。

「ねぇ、ゆーと」
「なんだ?沈む前に自力で起きてくれ」
「そう言わずに手伝ってよー」

呑気で情けない声が助けを求める。時間が経てば経つほど自分の重みで沈んでいく泥。つまり対処は早い方が良い。はぁ、と溜息を一つ。オレの足もまた泥の中に沈みかけているがまだ動ける。と言っても泥の上では踏ん張りがきかないし、自分が沈んでしまう・・・見捨てようか。

「見捨てないでね」

へらりと笑うケイの目は笑ってない。お前が悪いんだろうと思いつつ周りを見回すと良く見ればどこもかしこも泥沼と言うわけじゃないらしい。草の生い茂ったそこから先は普通の地面に見える。そう見えるだけで実は、とかいう罠は心底要らないがもしものことがあると困るので足先で突くようにしてゆっくり踏んでいく。大丈夫そうだ。やっと地に足がついた感覚に安堵と疲労感を覚えつつ、ケイを泥の中から引きずり出した。うぇえ、どろどろだあと呟きながら皮膚についた泥を手短な木の幹にこすり付けながら、ケイは話しかけてくる。

「アヤちゃん近くにいないみたいだねー。燐も凪も透(ゆき)もいないし、この状況で野生のポケモンに襲われたら怖いね」
「全くだ」

即答するオレにケイは何か妙な笑みを浮かべていた。少し、困ったような。

「ねぇ、ゆーと」
「何だ?」

へらへらへらへら笑うケイ。訝るオレに向かってケイはそのままの笑顔で続きを言う。泥沼のおかげか比較的冷えた風が湿原を渡った。

「堺が応えてくれない」
「は?」
「堺が何も言わなくなっちゃった」

たっぷり二秒の沈黙。それからがりがりがりと側頭を三回掻く。言い換えるとケイの言葉の意味を理解するのにそれだけの時間がかかった。オレはあまり堺と面識はないのだが、堺がケイに理由もなく応えないことは多分無いはずだ。ケイは堺の望みを叶え、堺はケイの望みを聞き入れたのだから。ためしにと“しろ”“くろ”も呼んでみるがやはりというか何も言わない。尤も“しろ”はそう呼ばれるのを嫌うので応えないだけかもしれないが。いやそれでも“くろ”が何も言わなければ“しろ”も多分同じだろう。
この場所がどこかわからない。なぜここにいるのかも良くわからない。町の方角も知らない。夜月やアヤたちもいない。さらに“しろ”たちも黙りきりだ。あまり好ましくない状況を指折りで数える。まだ何かあったかなと思ったが現実逃避は現状を変えてはくれない。

「ゆーとってさ、一回お祓いしてもらった方が良いかもよ?」

へらっ、と笑うケイ。オレは本日三度目の溜息を吐き捨てる。真上にある太陽の日差しが葉の隙間から漏れて眩しい。

『お祓い』な。

それで祓える疫病神ならとっくに祓ってもらっている。

sideケイヤ

出来る限り湿地じゃない草地を歩くぼくら。ゲームの主人公はどれだけ泥沼にはまっても平気だけどぼくは全然平気じゃない。もちろん、ゆーとも全然平気じゃない。ぼくの腕や足や服についた泥は日に当たってパリパリに乾いて行った。指で擦るとそれは灰色の砂に変わって落ちていく。左横には湿原。正面にはゆーとの背中。どちらが前を歩くかのじゃんけんでゆーとが負けた結果だ。前後ろを決めた理由は二つ、一つは単純に歩ける場所が狭いという事実。もう一つがこの足場だ。見た目草が生えていて硬い地面のように見える場所でも実際は踏みつけると泥の塊のこともある。そんな場所で並んで歩けば下手すると二人が二人とも泥沼にはまってしまう。でも前後になればとりあえず後ろの人は安全だ。・・・勿論、前の人は犠牲になるけど。ぼくはそっと視線だけを動かしてゆーとの足元を見る。長ズボンで、さらにぼくみたいに泥の中に転んでないゆーとは当然ぼくほど泥に汚れていない。それでもジーパンは被害甚大で膝のあたりまで泥が飛んでいた。尤もこれだけで済んでいるのはゆーとの方が運動神経がいいというのもあるはず。前にならなくて本当に良かった。ぼくが前に行ったらもっと悲惨なことになってるだろう。いや確実になってる。そんなことを考えていると前を歩くゆーとが止まる。ぼくも足を止めてまたぬかるみかとゆーとの前を覗き込んだ。けどそこには何もない。普通に歩けそうだ。

「どうしたの。ゆーと」
「気のせいじゃなかったら何か聞こえる」
「え。ほんと!?」

やっと人里に下りることができたのかもしれないと期待を膨らませて耳を澄ませるぼく。けどしばらくじっとしていて聞こえたのはぼくが期待していたのとは大分違うものだった。

「・・・なんか、幼いと言うか、『助けて』的な言葉に聞こえるんだけど」
「あぁ、そうだな」

ぼんやり答えるゆーと。感動も失望もそこにはない。それだけ答えてまたざくざくと歩き出してしまう。じっと成り行きを見守るぼくを無視して数歩進んだゆーとはぼくの背丈ほどに伸びた葦だかなんだかの草をごそっと無造作に手でかき分ける。

「ぅえっ、ぐ・・・?」

聞こえたのはゆーとのものでもぼくのものでもない第三者の――もっと細かく言うなら小さな女の子の声。後姿でもゆーとが顔を不機嫌そうにしかめているとわかる。ぼくは駆け寄り、割り込むようにしてその子を見た。
歳は多分6つか7つくらい。ストレートと言えばストレートだけど決してさらさらした感じのない黒髪は髪の量が足りなかったのか小さなハーフハーフになっている。今はしゃがんでぼくらを見上げているけど立ち上がったとしても120センチにも満たないだろう小さな体躯。涼しそうな水色のワンピースには所々白色のレースが躍っていた。・・・もっともぼくらと同じようにその子の服も泥まみれなんだけど。そして、奇妙によじられた上半身は、自分の体の後ろに何かを隠そうとしているようだ。その証明にその子の影になっている部分で何かが動いている気もする。

「なっ、によ。だれよっ、あんたたち」

拙い言葉で精一杯強がるその目はちょっぴり涙目。

「「・・・」」

その子の問いかけには答えず、ぼく(とゆーと)はじっと無言でその子を見ていた。・・・なんだろう、この既視感。ふいにゲームの『まよいのどうくつ』イベントが頭をよぎる。いや、でもそ違う。この既視感はゲームから来てるんじゃない。

「なあ」

どこか虚ろな目でゆーとがぼくを呼ぶ。大きな男の人が怖いのか、警戒心全開のその子はキッとこちらを睨み付けていた。そんなことを気にもかけずゆーとはその子から視線を外し、ぐるりと踵を返した。その子がこちらを見つめて動かないのを確認してからぼくもゆーとに倣う。

「・・・どうなってるのか、お前なら説明できるよな?」

いや、ゆーと。ゆーとこそわかってるでしょ?そう言いかけてやめた。ぼそりとそう言ったゆーとの目はどこか焦点が合っていない。どうやら必死で現実逃避に徹しているみたいだ。放っておくのが優しさかと少し悩んで、でもぼくは現実を突きつける。どうせ現実からは逃げられないんだから下手に優しくしても仕方がない。ぼくはゆーとを見上げながらできる限り真面目な顔をして言った。

「ゆーと、そろそろ現実に帰ってきてよ」
「むしろオレはそろそろ現実に帰りたい」
「残念ながら今はこれが現実で、夢じゃないよ」
「・・・どうなってんだ」

肩をがっくりと落としながらゆーとは誰に言うでもなくそう呟く。その目は焦点が戻ってきた代わりに生気がない。ぼくとゆーとはどちらともなく後ろを、その強気な“ブルーグレーの目でこちらを精一杯睨んでいる女の子”を振り返る。それからまたどちらともなく振り向いていた首を戻して。

「・・・アヤだろ、あれ」

ゆーとが現実逃避をしたくなるのもわからなくはない。そう、あれは十中八九、99%、紛れもなくアヤちゃんだ。ただし、幼いころの。つまり、どうもこうもこれはぼくの方が経験の多い・・・

「要は過去に来ちゃたんじゃない?」

諦めたようにその名前を吐き出すゆーとに努めて笑顔でぼくはそう答えた。

sideユウト

あぁそうですか、ここは『過去』ですか・・・そう素直に現状を認めれてしまう自分が悲しい。がっくりと肩を落とすオレを慰めるようにケイがぽんぽんと背中を叩いた。風とは別に湿原がざわつきはじめる。

「でもさ、なんでここに来たんだろ。だって、ほら、二つの世界のひずみ、穴は一応塞いだんでしょ?“かみさま”が」
「そのはずなんだが・・・」

それでもオレが生きているのだから何とも言えない。あいつらは万能ではないのだ。誰かの吐息の様な生暖かい風が気にぶら下がった蔦を揺らして流れていく。・・・生暖かい?

「ねえ、あたしは、だれって、きいたんだけど」

背後から声。あぁそうだ、忘れてはいなかったが放置してたな。振り向いて真後ろに来ていたその子供・・・『アヤ』を見る。大きく見開かれた不機嫌極まりないブルーグレーの目につい顔が引きつる。小さかろうが、幼かろうが中身に根本的変化はないだろう。むしろこの頃の方が善悪の判断が曖昧で真紅、いや『英雄』依存が強いはずだ。つまりタチが悪い。さらに年齢を考えると“この時代”に来て1、2年経つか経たないかの『アヤ』ということになる。つかこいつ。

「何してんだ、こんなところで・・・」

つい本音が漏れる。そして両手に抱えている黒色の塊はムウマか?ぴくりとも動いていないようだが。こっちを睨み付ける『アヤ』はオレの言い方か聞き方かそれとも他の何かかがお気に召さなかったらしくさっきまで泣きべそをかいていたのはどこへやらふんっ、と鼻を鳴らした。

「きいたのはあたし、よ」

・・・・・・。無性に腹が立つんだが、殴っても良いだろうか。
だがその前に仲介と言わんばかりに間に入ってくるのはケイ。

「そうだね、ごめんね。でもぼくら、今ちょっと困ってるんだ。道がわかるなら教えてほしいなって」

いつものようにいつものごとくケイは『アヤ』に向かってへらりと笑う。可愛いなあ、という呟きも微かに聞こえた。こいつの場合本当にそう思っているから洒落にならない。もっともまだそういう感情を受け取る皿は『アヤ』にないらしくそれはある意味で幸運だろう。逆にその言葉を“子供扱い”と受け止めた(いや子供なんだが)『アヤ』は頼りない言葉で懸命に言葉を紡いでいる。泥の上に生えた葦の草原はヒトの手が入っていないことを証明するかのように高く風に揺れた。

「あっ、あたしがしってるわけないでしょ!!あたしがしりたいくらいよ!!」
「あ、やっぱり?さっき泣いてたもんね。やっぱり迷子かあ」
「なによ!あんたたち、なのりな、なのりなさいよ!!」

顔を真っ赤に上気させて反撃する『アヤ』。だがケイに対してそれは反撃といって良いのかと聞かれれば答えは当然否。所詮相手は7歳児。見た目大体12歳児、中身16歳“児”との差は歴然としている。オレはケイが『アヤ』で遊ぶのを遠目に眺めながらため息を漏らした。
ちなみにオレの感想としてはコンパクトになっている分扱いやすそうだということと、その分アヤより融通が利かなそうだということだ。・・・なんだ、どっちもどっちじゃないか。やっぱりタチが悪い。未来の疫病神は過去でもやはり疫病神なのか。苦笑しつつそこまで考えた時点である言葉が引っかかる。『過去』と、『未来』?『現在』は今この一瞬だ。オレにとってこの時間軸は『過去』であり『現在』でもある。そして目の前には『アヤ』。真紅と会う前の、“願いの叶っていない”『アヤ』だ。この時点でオレの頭は最悪の事態を叩き出していた。

――オレが真紅だと『アヤ』に知られればどうなる?

それは“オレからすれば”完璧な時間的矛盾だが、『願い』自体は当たり前のように適応されるだろう。間違ってなどいない。オレが真紅であることにかわりはない。そして“かみさま”は時間や世界なども歯牙にもかけない。オレが真紅だと今、『アヤ』に知られれば『アヤ』の願いは叶う。叶ってしまう。それが一体何を意味するのか。つまり。
無意識に背筋が伸びる。ぴりっとした緊張感がオレだけを襲う。だから、気が付くのが遅れた。

《ぐるるるぅうう》
「・・・・・・げ」

低いうなり声と共に生暖かい風がまた吹く。さっきは『アヤ』のせいで勘違いしていた。違う、これは人肌のものではない。もっと早く気付くべきだった。『いつものこと』じゃないか。異変に気が付いた『アヤ』がスピカと思われるそれを護るように抱きしめる。ケイはこちらに目をやり叫びかけた。

「ゆっ」
「黙れ!余計なことを言うな!考えればわかるだろ!?そいつのこと頼んだ、後で探す!」

言葉を被せるようにして早めにケイの口を塞ぐ。早口にそれだけ捲し立てオレはぐるりと体を回した。さっきまでの思考を支配していた『最悪の事態の想定』を頭の隅にぶち込み、脊髄反射の許すままに行動する。スタートダッシュの体勢をとる余裕も、降りる旗を待つ余裕もない。今までのオレと『しんく』両方の記憶から導き出される答えはたった一つ。“逃げろ”だ。
野生のポケモンから必死の逃走劇を繰り広げながらオレは思う。

・・・やっぱり『アヤ』でもアヤ(あいつ)は厄病神だ・・・!

あー、泣きたい。

sideケイヤ

ゆーとのただならぬ鬼気迫る様子に口を塞いだ。敵意剥き出しのポケモンたちがものすごい勢いゆーとの後を追う。わぁ、ゆーとすごい。ある種の圧巻と感動と憐れみを覚えつつぼくはゆーとの背中を見送った。ぼくはこちらと向こうを行き来できるようになるまで実質上一度もゆーととシンオウを旅してない。だからコレを知ったのはつい最近だ。多分、ポケモンたちは自然にゆーとを、いやもっと言うなら血のにおいを染みつかせた『しんく』を敵と見なして排除しようとしているんだろう。と言うよりドラピオンとかもゆーとを追いかけてたけど彼らの毒を受けたら普通に死なない?・・・ま、ゆーとなら大丈夫か!無根拠の思考はそれでも妙な確信となってぼくを襲う。それはまあ大丈夫だろうという傍観者的思考。けれどぼくはそれに抗わなかった。ひらひらと笑顔でゆーとの走り去った方向に手を振り、ぽかんと状況を飲みこめていない『アヤちゃん』に向かって笑いかける。ゆーとに今頼まれたのはゆーとを追うことじゃない。『アヤちゃん』だ。そして、余計なことをしゃべらないこと。余計な事とはつまり“『しんく』であるゆーとの存在を『アヤちゃん』に知られてはいけない”ということ。ぼくに名前を呼ばせないようにしていたことと『アヤちゃん』の存在を合わせて考えればすぐに答えは弾き出せる。そうだ、確かにもし『アヤちゃん』に知られてしまえばタイムパラドクスが起こってしまう。そしてそれは『コトブキユウト』という存在の消滅、消失にも直結してしまうのだ。細心の注意を払って、ぼくは『アヤちゃん』に話しかけた。

「大丈夫だよ。多分。あのお兄ちゃんのことは気にしないで」
「きょうだい、なの?」
「ん?」

たどたどしい『アヤちゃん』の言葉にぼくはあぁと思い直す。言い方が悪かったらしい。ぼくは兄弟としての“お兄ちゃん”のつもりはなかったんだけど。でも、この際その方が都合がよさそうだ。ぼくはへらりと笑って嘘を吐いた。

「ん、まあそんな感じかな」

あながち嘘ではないような嘘なような。付き合いの長さ上間違ってない気もしなくはない。笑顔を向けるぼくに『アヤちゃん』は首を傾げてからキツイ一言。

「・・・あんまり、にてない」
「・・・そういう兄弟もいるよ」

これには苦笑いするしかない。
あどけない様子の『アヤちゃん』につい顔を綻ばせながらもぼくは考える。アヤちゃんはぼくらにこんな話はしたことがなかった。だから、きっとアヤちゃんは『アヤちゃん』に出会ったぼくらのことを忘れている。つまり、ぼくらは『アヤちゃん』の記憶に極力残ってはいけない。でも6、7歳、つまり小学校1年、2年の思い出で16になった今も覚えているものなんて強烈に印象に残ったいくつかの事象くらいだ。余計なことをしなければきっと大丈夫。・・・多分、きっと。ぼくが物思いに耽っていたからだろう、気が付くと『アヤちゃん』がむぅと唇を尖らせてぼくを見ていた。

「どうしたの。てかあんた、だれなのよ。いいかげんこたえなさいよ」
「んー?・・・名前なんてさしたる意味を持たないよ。ぼくはただの通りすがりだからね。ここはサファリパークの中?君の出身はノモセ?お兄ちゃんが送ってあげるよ」
「さふぁりぱあくは、まだできてない。だって、らいねんだよって、おかあさんが」

その時点で『アヤちゃん』と視線を合わせてへらっと笑うぼくを『アヤちゃん』はじぃ、と睨む。まるでぼくを品定めするかのような視線に信用されてないなあと肩をすくませた。ま、それくらいの方がこの場合は良いんだろう。・・・ちょっと寂しい気がしなくもないけど。
と。突然『アヤちゃん』の腕でじっとうずくまっていた黒紫の塊が動いた。『アヤちゃん』はそれにぼくを睨むことなど一瞬でやめて腕の中のそれを押さえつける。

「だめ!うごいちゃだめ!!」

ただならぬ様子にぼくはやっと異変を感じた。かぴかぴに乾いた泥のついた手を無遠慮に黒紫のそれに伸ばす。『アヤちゃん』は必死で拒んでいたけれど最後はぼくに抵抗することを諦めてくれた。きっとスピカだろうそのムウマに触る。ぼくは医者じゃないし獣医でもない。でも、さっき動いてからまた動かなくなったそれは明らかに何かおかしい。

「・・・どうしたの、このムウマ」

スピカ、と言わないように気を付けた。
けどそれよりも今は。

「・・・・・・」

ムウマを抱きしめて何も言わず俯く『アヤちゃん』にぼくは焦りと共に周りを見回した。

ゆーと、深紅、助けて。

sideユウト

【うん、僕と別れて1年くらいだと思うなあ】

手ごろな木の幹にもたれて座る。じっとりと汗ばんだ服の着心地は最悪で、呑気で感慨深そうな真紅の声にオレは脱力した。ケイとアヤの『願望』は『しんく』だ。それゆえオレは消えず、『しんく』も消えない。“くろ”と“しろ”と話したあたり、いや正確にはアカギを壊れた『生の世界』(ケイは『やぶれたせかい』と呼んでいたが)のあたりからだろうか、『しんく』は自己主張を始めた。勿論、本来自分の存在を代償としているはずの『しんく』があまり長く表に出ることはない。それは無駄に世界を揺らさない意味も含めて。・・・“かみさま”たちが『オレ』の存在を赦したからと言って世界からの影響が完全になくなったわけではないのだ。それは一種の無条件反応にも近いものなのだから。限りなく零に近くとも無意味に無闇に自分を『異物』だとひけらかすのは得策ではない。そして個人的な話、オレはそんなことに興味が無い。だがそれでも(ある程度の自重はあるものの)頭の中では時折『しんく』が五月蠅いことがある。

【五月蠅いってひどいなあ。ま、否定はしないけど。・・・ん、とりあえず、僕のことはばれない方が良い。君の、そして僕らの存在にかかわるよ】

言われるまでもなく明白じゃないか。そう肩をすくませた。真紅がまあそうだね、と笑う。

【と言ってもどうして僕達はこんなところに来てるのかな。ギラティナの黒耀(こくよう)はこういう遊びを好まないだろうし、アルセウスの白闇(はくあ)もさすがにこんなことはしないだろうし】

不思議そうにそう言う真紅にそれでもオレは答えを持たない。知りたいのはこちらもだ。はぁ、と溜息をつきつつオレは周りを見回す。周りには大小さまざまなポケモン。敵意は、ない。あったら困る。オレは猛毒を受けて平気でいられるわけでも、本気で襲い掛かられて生きていられるわけでもないのだ。安堵と共にぐったりと全身の力が抜け切る。疲れた。毎度毎度のことながら疲れた。

【でもこれで森を抜けられるだろう?アヤ達とも合流できる】

あーそうだな。そうだ探しにかねぇと。
これ以上座っていたら立ち上がれなくなりそうだ。ぽん、と膝小僧を叩いて一息に立ち上がる。周りのポケモンたちがざわめくようにオレから離れ、オレはそれに少し笑う。

「了承もなくお前らの住処に入ってきて悪かったな。ここを出るから、湿原を抜けるのを手伝って欲しい」

真上を仰ぐと木の隙間から太陽の光が豪奢に捨てられていた。

sideケイヤ

ムウマ、もといスピカを腕に抱いてできるだけ動かさないようにするぼく。野生であるはずのムウマには本来あるはずの抵抗がない。どうすればいいのかなんてぼくにはさっぱりわからない。と言うよりどうしてこんなところにムウマが?

「ねえ、この子、どうしたの?」

最低限の情報を集めようといつもの笑みを引っ込めてぼくは『アヤちゃん』に話しかける。ぼくの表情の変化に気が付いたのか『アヤちゃん』はゆっくり話してくれる。ポケモンの歩く音が聞こえる。泥を泳ぐ音がする。ゆーとがいない今、見つかるのは危ない。

「いきなり、ね、でてきたの。ふらふらって。でもここはあぶないから」

噛み砕かれ過ぎた説明を無理やり飲みこんでぼくは確認を取るように話す。つまり。

「この子は突然ノモセに出てきたってこと?それで、ここに入っちゃったのを危ないからってア・・・君は追いかけてきたの?」

こくりと縦に振られる首。無鉄砲なところは昔からみたいだ。そして行動理由が“あぶないから”というのも『アヤちゃん』らしくアヤちゃんらしい。ぼくは無意識に笑っていた。そしてそんなぼくを見上げる『アヤちゃん』の頭をぽんぽんと軽く叩く。

「了解。じゃあ、この子の命は必ず助けないとね」
「たすけれるの!?」

期待と不安が混ざった『アヤちゃん』のブルーグレーの目。ぼくはそれにできる限り優しく笑う。
ぼくが今、ここにいる意味。それが何となくわかった気がした。それは勿論、思い上がりかもしれないし単なる偶然かもしれない。その思い込みはゆーとと違って何度か過去を渡ったからなのかもしれない。それでもぼくはそう思わずにはいられない。偶然でもなんでも、今、この瞬間にぼくらにはできることがあるんだから。
それに。

「突然って言ってたけど、つまりこの辺りにムウマはいないんだね?」
「むうまっていうの?うん、みたことない。・・・ねえ、それよりほんとうに、たすけれるのっ!?」
「努力するよ。ゆ、・・・あのお兄ちゃんが帰ってくればきっとなんとかなる」

ゲームとは違うから一応の確認だったんだけど、やっぱりノモセにムウマはいないみたいだ。となると考えられる可能性は一つ。ぼくの脳裏に鮮やかに蘇るのは金色の毛並を持ったキュウコンの姿。彼女は一時的に破れてしまった世界の穴に落ち込んでしまったポケモンだ。ゆーとの話曰く、『おくりびやま』や『ロストタワー』など境界線が曖昧で破れやすい部分というのは昔からあったらしい。“しろ”からそう聞いたと後でぼくに教えてくれた。ムウマもきっとその類だろう。
だとすると、

「責任はぼくらにもあるみたいだしね」

『アヤちゃん』に聞こえないようにぼそりと呟く。無遠慮に草を踏み荒らして近づいてくる足音にぼくはほぅ、と安堵にも似た息を吐いた。

sideユウト

「待ってた」

ケイはその言葉を皮切りにオレにムウマを渡しながら口早に言葉を続けた。ぐったりとしたスピカに渋面を造らざるを得ない。確かに責任がないとも言えず、だがオレは医者ではない。オレはケイを見ながら尋ねる。『アヤ』は低い身長でオレたちを見上げているが、あまり話の内容は聞こえてはいないだろう。どんな些細な情報もできるだけ『アヤ』に与えてはいけない。

「どうしろってんだ」
「薬とか作れない?」
「無茶言うな。オレを何だと思ってるんだ」

ケイはその問いには答えず、代わりにオレを・・・いや、深紅を見る。オレはそれにケイから視線を逸らした。深紅は何も言わない。
確かに深紅は燐を治療した。薬も煎じた。ケイはそのことをオレと深紅に言いたいのだろう。だがあくまであれは自分用であり、外傷用であり、さらに言うなら燐ならともかく実体のない“ゴースト”に対して有効かなど知らない。オレも深紅も万能などではないのだ。そんなオレにケイはばつの悪そうな顔で謝る。

「ごめん、二人に頼り過ぎた。ぼく、無茶言った」
「いや」

オレは深紅ではない。だがそう主張することがオレには出来ない。ケイもアヤも時々、無意識なのだろうが、そういう目をする。オレを通して『しんく』を見る。それが悪いことであるとオレは言わない。むしろそれは正しいのだから。それは多分、オレがここに生きている限り、存在する限り負うべきものなのだろう。“ここにいること”を選んだ後悔の一つとして。

「ゆーと。ゆーとと同一視するつもりはないよ」
「知ってる」

尤も、そう思う自分がただただ馬鹿なだけなのかもしれないが。
先程とは打って変わって真剣なケイの言葉に苦笑した。とりあえず今はそんなことを言ってる場合ではない。スピカ、いやムウマのことだ。

「・・・早めにノモセのポケモンセンターに連れて行った方が良いとは思う、思うんだが・・・これ、外傷がないぞ?」
「ゴーストタイプに外傷なんてできるの?」

ケイの素朴な疑問に返す言葉がない。正直、知らない。スピカはどうだったかなと思い出すが、残念ながらスピカに触れた記憶がない。アヤが腕に抱いていたのを見たことあるし、今現在オレが触れているので触れることはできるのだろうが、こいつに心拍や体温といった類のものがあるのか?オレの視線は自然に下の『アヤ』に降りる。ケイの話だけでは少し足りない。こいつしか事実を知らないのだ。屈んで『アヤ』と視線を合わせた。

「なあ、教えてくれ。こいつは野生だ。なのにお前、どうやってこいつを捕まえたんだ?」

オレの声にびくりと怯える『アヤ』。脅かしているつもりはないのだが・・・。言い方が悪いのかもしれない。だが、『アヤ』はやはりアヤだ。負けてはいけないと思っているのか真っ直ぐにこちらを見て答えた。

「きに、げきとつしたの」
「木に?」

こくこくと首肯。

「それから、おちたの。それから、うごかなくなって。それから、たすけなきゃって」

文法的にものすごくわかりづらいがとりあえず木に激突して落ちたらしい。場面を想像しながら思う。激突・・・するのか?ゴーストタイプが?ヨスガで会ったゲンガーは見事な壁抜けをしていたが。いや、でも触れられるのだから激突しなくもないのか?

「どっちかって言うと自分の意志で透過したり、具現化してる感じかなあ」
「あー。それが近いか」
「とか・・・ぐけ・・・?」

隣でケイが言う言葉を反復しようとして失敗する『アヤ』。7歳児には難しかろう。きょとんとした『アヤ』の様子に気が付いたケイはぱたぱたと手を上下に振りながらごめんごめんと笑っていた。だが、『アヤ』の言う通り、それだけだとすればそこまで焦らなくても良いのかもしれない。要はよっぽど打ち所が悪くない限り気を失ってるだけだ。と言っても先程暴れたというのなら気を失っているふりをしているだけかもしれないが。まぁ、とりあえず精密検査は受けた方が良いだろう。どのみちこの湿原は抜けなければならない。

「とりあえず、大丈夫なんじゃないか?まあ、ちゃんと診てもらった方が良いだろうが」

オレの言葉に『アヤ』の頭を撫でていたケイがむ、と顔をしかめる。ケイの顔に飛んでいた泥が乾いて灰色の絵の具のようだ。

「でもさ。身体的に問題なくても精神的に、てことは?だって、木に激突なんてありえないでしょ。それでなくても突然ここに放り出されたんだろうし」

何の話をしてるのかわからないと言わんばかりの『アヤ』はオレとケイを交互に見比べるだけ。ケイの推測は確かに正しい。いきなり違う場所に連れてこられたらパニックに陥るに決まっている。その反動として木に激突してもおかしくはな・・・

「お、わっ。暴れんな!」

離せと言わんばかりに暴れるムウマ。身体がバランスを崩しかける。反射的にムウマを抑えてしまうがよくよく考えればそれこそがこいつの恐怖なのかもしれない。こちらが何を考えているのか、こいつにはわからないのだから。

「とりあえず、落ち着けっ。お前に危害を加えたりしねぇから」

言っても聞こえているのやらいないのやら。“シャドーボール”等の技を撃ち込まれればこちらの身が危ないがこの状態ではそれもあり得る。死にもの狂い、と言っても差し支えがないほど暴れるムウマに、身勝手は百も承知だがそろそろ腹が立ってきた。

オレやケイはともかく『アヤ』はわざわざ危険を冒してまでこいつを追ってきたのだ。

「落ち着けって、言ってんだろ・・・」

びくり、とムウマがこちらを見た。

sideムウマ

びくり、と体をすくませる。
真上から聞こえるその太い声はストレートな怒りを示していた。目を見開くアタシに、そのニンゲンは言う。一言一言、やけにゆっくりと。今度は怒りを込めずに。

「お前に危害は加えない。約束する。ここはお前にとっても安全じゃねえんだ。わかってるだろ?」

安全じゃないことくらいはわかるわ。わかっている。けれども、ニンゲンの方が危ないでしょう?よっぽど危ないでしょう?本当は何を考えているの?本能が危険信号を発している。警戒心剥き出しなのが伝わったのかどうなのか、そのニンゲンは肩をすくめた。

「危害を加えるつもりならもうやってる。違うか?」

それでもニンゲンは騙すでしょう?ニンゲンの腕の中でそれを思うのもどうかと思ったけれどそれは本心だった。身体が震える。怖い怖い怖い怖い怖い。どこかもわからないところで、怖い。日の光が怖い。ニンゲンたちが怖い。出来る限り身を縮めて、それでもまだ怖い。はあ、という呆れたような溜息が上から聞こえる。それもまた、怖い。

「オレやこいつのことは良い。だが、そいつのことは少しくらい信じてやれよ。自分が一番危ないのにわざわざこんなところにまで追いかけてきたんだろ」

あくまで淡々と言葉を続ける声を身を固くして聞いているとひょい、と体が浮いて視界がぐるりと移動する。目の前には小さなニンゲン。青色の目は今までアタシが見たことのない種類の色をしていた。

「だいじょうぶ?」

幼い声は、アナタこそと聞きたくなるほど弱弱しい。けれど泥を被ったその姿はそれでもアタシの心配をしていた。

「だいじょうぶ?」

繰り返される言葉。もう一人のニンゲンに背中を押され、おずおずと伸ばされたその小さな手にアタシは収まった。抵抗はしなかった。と言うよりもできなかった。
あまりにも弱くて幼いその手は少しでも動けばすぐに壊れてしまいそうだったから。

この腕に自分は抱かれていた。
こんなに小さな手に、護られていた。

じめじめっとした暗がり。それが毎日続いていて、何も疑問を覚えなかった。それが当たり前で、当然で、永遠だった。それなのにいきなり目の前に現れたのは眩しすぎるほど眩しい日の光。良く知る場所は一体どこに行ってしまったのか、自分はどこに来てしまったのか、訳も分からないままただただ怖くて。
少しでも暗い所へと森に逃げ込んで。湿気った空気は自分が住んでいたところとよく似ていたけれどそこは安全でもなんでもなくて。俗にいうところのパニック。アタシはそれに陥っていた。

「あぶないから、そっちはあぶないから」

たどたどしく、幼い声がアタシを引き留めたのを覚えている。けれどその声に耳を傾ける余裕がその時のアタシにあるはずがなかった。自分を守ることに、精一杯で。ごつん、という音と共に意識がぷっつりと切れて。次に目を覚ましたのは、小さな両腕の中だった。

「だいじょうぶだよ、だいじょうぶだよ。あたしが、まもるの」

何が一体大丈夫なのか、疑問を感じるほどに震えた声が自分に言い聞かせるようにそう言っていた。
時折たすけて、たすけてと呟きながら、だいじょうぶだよを繰り返していた。自分が一番大丈夫じゃないくせに、だいじょうぶだよと強がっていた。身を守る手段など何も持たないでしょうに、まもってあげるからとアタシを抱きしめた。・・・その言葉に偽りがあったとアタシは言えるの?

「だいじょうぶだよ」

暖かい手が、またその強がりの言葉を繰り返す。冷たく暖かい闇の中で暮らしてきたアタシにとってその温もりは“たいよう”にも似ていたの。
抱いていてあげてね、と彼女の背中を押したニンゲンがそう笑って立ち上がる。ぬっ、と影ができたことを考えるともう一人も立ち上がったらしい。アタシはただただ小さな腕の中で身を委ねていた。抵抗するつもりなんてとっくに消えてしまっていた。

「じゃあ、ノモセまで一気に下りるぞ」

ただただ小さくか弱いその手がアタシを支えてくれている感触だけを感じていた。

sideケイヤ

ノモセまではあっという間に下ってしまった。
そこはもうゆーとの恩恵にあずかったとしか言いようがないだろう。時々聞こえてくるポケモンの鳴き声を頼りにゆーとは勝手知ったると言わんばかりの足取りで町までたどり着いたのだから。町の屋根が見えた時にぼくを襲ったとてつもない疲労感はもう表現のしようがない。張りつめていた神経が切れて、もう少しで安堵感と共にへたりこむところだった。ま、それでもなんとかポケモンセンターのロビーまで最後の力を振り絞って歩き切り、ムウマを預け、やっと一息。ちなみにムウマは抵抗しなかった。パンパンに張れた足を右手でぽんぽんとしながらロビーに備え付けられた薄紫色のソファーに周囲を憚らず脱力する。そう言えば背中から泥を浴びてることをすっかり忘れていた。それでもぼくに立ち上がる元気はもうない。

「あー疲れたああっ!」
「もう少しでいいから羞恥心を持って行動してくれないか?」
「ぐあーぁ?」

首を動かすのも面倒だと思いながらさっさと釘を刺した声の主、ゆーとを見る。立ったままで腕組みをしているゆーとは完全に呆れ顔だ。いやー、だってさあ、疲れたんだもん。ぼくは逆にゆーとに聞く。

「疲れてないの?」
「疲れた」

なら休めばいいのに。その思いが伝わったのか伝わってないのかゆーとはちょいちょいと人差し指でカウンターの方を指差す。あーぅーと間延びした声を上げながら重たい身体を動かしてぼくはゆーとの指差した方向に目をやる。身体を横に動かしたからかそのまま横向きに倒れてしまうけど気にしない。起き上がる元気がない。

「ぅあぁー」
「いちいち奇声をあげるな」
「うにゃぁ」

あ、駄目。もうぼく日本語忘れそう。と言うより寝そう。けど、横倒しのまま見る横向きの景色に小さなそれが映った。

「・・・『アヤちゃん』?」
「ムウマのこと、待ってるんだと」
「・・・」

起き上がる。疲れ果てた脳ががくんと揺れて悲鳴を上げるけどそれでもせめて寝転ぶのはやめる。ぼくの行動にゆーとは呆れたように溜息をついた。・・・今日、何度目なんだろう?
真っ直ぐになった視界に映る『アヤちゃん』はふらふらと揺れを繰り返す。当然だ。ぼくでさえこの状態なんだから。あの小さな体じゃ極限状態に違いない。大丈夫かな、と見ているうちにぐらり、と大きく『アヤちゃん』が揺れた。

「あ」

ぼくが声を上げるのと『アヤちゃん』が倒れるのはほとんど同時だったと思う。力が抜けたようにずるずるずると倒れ込んだ『アヤちゃん』にゆーとが歩み寄る。ごめん、ぼくはもう動けない。
ぺしぺしと軽く頬を叩くこと数回。ゆーとは駄目だこりゃと首を振ってぼくを呼んだ。動きたくないと叫ぶ体に鞭打ってふらふらと歩くぼく。

「寝ちゃったの?」
「あぁ、爆睡。緊張の糸が切れたんだろ」

それはぼくもです。そう言いたかったけどさすがに言えない。

「そこのソファーまで運んでやってくれ」
「ゆーとがしたらいーじゃぁん」

ぼくも疲れてる。うん。疲れてる。いやそりゃゆーともだろうけどさ。ぼくの言葉にゆーとは変な笑いで首を振る。・・・どうしても嫌らしい。と言ってもぼくも運べるかどうかは微妙だ。なんせぼくもHPが尽きていて、脳がきちんと機能していない。どうしても『アヤちゃん』を抱っこしたくないらしいゆーとが『アヤちゃん』を揺り起した。それもどうなの、と思ったけど今にも眠ってしまいそうな『アヤちゃん』の手を引いてソファーに座らせる。座ってすぐにうつらうつら舟を漕ぎ始めてその十数秒後に可愛い寝息が聞こえ始めた。ぼくはそれにへにゃん、と笑う。

「・・・無茶はやめて欲しいんだけどなあ」
「あれえ?」

ゆーととは違う意味で聞き覚えのある声に、ぼくは彼を見た。
愛しそうな目でふわりと笑う彼は人差し指で口を押えながらしっ、と呟く。ぼくは彼に向かって悪戯っぽく笑った。

「いいの?そんなことしちゃって」
「少しくらい、目をつぶってくれるだろうと思うんだけど」

口元を綻ばせて笑うその表情は本来なら見れない貴重品だ。その手がそっと伸びて『アヤちゃん』の頭をかすかに撫でる。

「良く、頑張ったね」

夢を見ているのか、『アヤちゃん』の寝顔は笑っているようだった。

sideムウマ

医薬品の匂いが鼻を突く。それでも我慢して我慢してやっと解放してもらった。
ふわふわと浮いて、ソファーの上で寝息を立てているその子を見付けて。

《ねえ》

きっとその子には鳴き声にしか聞こえないだろうけれどアタシは声をかけた。アタシの声に全身どろどろのその子は目を擦りながら半目を開ける。しばらく寝ぼけ眼でぼーっとこちらを見たかと思えば、その子は飛び上がるように目を開けた。

「げんきになったの!?」

こくりと頷くアタシ。それに対してまるで自分のことのように喜ぶ。
歓声を上げるように、徐々に泣き出すように。

「よかったよぉ」

ぴーぴーと泣きながらそう繰り返すその子は、迎えに来た女性の姿に今度こそ張りつめていた神経が切れたのか泣き崩れて寝ってしまう。満足そうな顔で眠るそのあどけない顔に、つい顔が緩んだ。

sideユウト

「何?あんたたちどうしたの?その泥」
《どーしたんだ?》
「五月蠅い、ほっとけ、寝かせろ」

ナナカマド博士研究所。当然オレにとって『現在』の、だ。開口一番、アヤの不思議そうな声に一気に足の力が抜けてきた。これもそれもお前のせいだよ、とはさすがに言えない。夜月も寄ってくるが残念ながら相手にしている余裕がない。ふらふらと揺れる視界の端でケイがぱったりと来客用であろうソファーに倒れ込んだ。燐たちが驚いて駆け寄るが、お前、それ、泥・・・。声にしようとしてもう言葉が出てこなかった。疲れた、眠い。夜月の声が遠くで聞こえる。

「何してきたの?どうしたの?足元、泥まみれじゃない!」
「五月蠅い。頭に響くだろ・・・」

朦朧とする意識の中で椅子を引いて崩れるように座り込んだ。木製のそれは机に伏せるとひんやりと冷たい。あー生き返る。疑問符を頭にいくつか浮かべながらアヤがオレの角を挟んで真横に座る。その隣には当然のようにスピカの姿。
・・・・・・。

「なあ」
「何よ?てかあたしが先に聞いたんだけど」

おぉ、既視感。
だがそれに感動を覚えている暇はない。オレはよく考えずにしゃべっていた。ケイはもう寝ているのだろう、ソファーに寝転がって身動き一つしない。

「・・・スピカと、どう知り合った?」
「はあ?」
《え?》

突然の疑問に訳が分からないと言わんばかりの声が二つ聞こえる。

「・・・いや、いい。それよりお前、透過と具現化って意味わかるか?」
「あんた、大丈夫?病院行く?」

そのアヤの返答にオレはぱたぱたと手を振り、大丈夫だと意思表示。いや、まあ、聞くだけ無駄だ。逆にこいつがオレたちのことを覚えている方が怖い。スピカはもしかしたら、と思ったがどうやらその可能性も薄そうだ。まぁ、それで良い。それが正しい。重たい瞼が徐々に閉じていく。スピカの姿もアヤの姿も、寝ているはずのケイの姿も、その傍にいるであろう燐の姿ももうまともに見えてはいない。

「とりあえず、寝るから。起さないでくれ。切実に」

呂律が回っていたのか確証はないがそれを最後に目を閉じる。真っ暗な視界の中でかすかに聞こえたのは思い出すようなアヤの声。

「スピカと?・・・ノモセの湿原よ。サファリパークができる前。男の人が、兄弟だって言ってたような気がするけど、その人たちが町まで連れて帰ってくれたのよ」
《そうよね。アヤったら、昔から無茶ばっかりよね》

耳がきちんと機能していたのかわからないので、最後に聞こえたアヤとスピカのやりとりが夢か現実かはオレにはわからない。だがそれにオレは満足した。

さぁ、寝よう。

足をよじ登ってきたらしい夜月がいつの間にか膝の上で丸くなっていた。

***
本編完結したのにどうして完結状態にしなかったと言いますとこういうわけで。
はい、番外編でございます。いろいろ突っ込んだ結果こうなりました(突っ込みどころ満載)。
後日談というやつですね。でも(人気投票一票も入らなかった哀れな)アヤとスピカの出会いの過去編とかもやってみたかったので……。ポケモンの登場が少ない気もしなくはないのですが、楽しんでいただければこれ幸いにございます。あとは「あとがき」を書こうと思っているのですが、できる限り早急に仕上げたいと思っております(滝汗
それでは、ここまでお読みいただき有難うございます。
どうぞあともう少しだけお付き合い下さいませ。

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2012.9.13  15:06:10    公開
2012.9.14  11:28:07    修正


■  コメント (7)

※ 色の付いたコメントは、作者自身によるものです。

コメント有難うございます、トイプードルさん!!
お久しぶりですね。いえいえ、コメントの返事は僕が「コメント有難うございますぅうううう!!(土下座)」って言っているだけですので、気がつかなくても、お返事して頂かなくても全く構わないのですよー。 謝られることなんて全くありませんよ! むしろ僕がお礼を言わなければならないくらいです!! どうぞ気になさらないでくださいね。パソコン出来るお時間も決まっているのに、わざわざお返事にお時間を割いて下さり、有難うございます!!
中学二年生! お若い!! いいですねえ、勉強頑張ってくださいね! なろうさんのところの小説、面白いですよね(*´ω`)
番外編の方にもコメントくださっているようで、本当にありがとうございます。
それでは、失礼を。

15.4.26  10:41  -  森羅  (tokeisou)

 お久しぶりです。トイプードルです。
 今日の今日まで、お返事を書いてくださったのに全然知らなくて、のほほんと小説家になろうで、小説を読んでたした。これはもう言い訳なのですが、実は私中学2年生で、1日のパソコンをする時間が決まっていて…本当に、ごめんなさい。
 さっそく、番外編を読んで見たいと思います。

15.4.23  20:57  -  トイプードル  (ゲスト)

コメント有難うございます! トイプードルさん!!
初めまして。改めて、森羅と申します。

10回ですか! それはすごいです……! とても嬉しいです、冥利に尽きると言うやつですよ(*´▽`) 本当にありがとうございますね!! 
ゆーとの暴走シーンが気に入っていただけましたか、それは有難うございます!! この物語のキモにもなるシーンも多かったですので気に入っていただけて何よりです。
続編ですが、申し訳ありません。シリアスではない番外編はいくつか短編集の方にありますが、それ以上の予定はありません……。お言葉はとてもありがたいのですが、本当にすみません。ありがとうございます。

それではコメント本当に有難うございました!
(同じコメントを2度なさっておられるようですので、まとめてお返事することをお許し下さい)

15.2.25  22:32  -  森羅  (tokeisou)

 私この作品が大好きで10回ぐらい読み直しています!!
 特に好きな場面は、ゆーとが暴走する所です。
 できたら続編を書いてほしいです。

15.2.25  19:26  -  トイプードル  (ゲスト)

 私この作品が大好きで10回ぐらい読み直しています!!
 特に好きな場面は、ゆーとが暴走する所です。
 できたら続編を書いてほしいです。

15.2.25  19:23  -  トイプードル  (ゲスト)

コメント有難うございます!!千助さん!!
初めまして。改めて森羅と申します。

番外編ですっとんできてくださった方は千助さんだけですねww有難うございますm(__)m
あまりにエピローグの副題が長かったために番外編が空気で気づいてくださるだろうかと正直不安になっていたのですが気づいてくださったようで……!!(感涙
面白かったと言っていただければ何よりですっ!ヤミナベのような番外編だったのでそういってくださればほっとします。ユウトとケイヤの掛け合いが好きだと言っていただき有難うございます!!僕もこの二人の掛け合いを書くのはとても楽しいです。アヤとの掛け合いとは別のつうかあっぽさが少しでも掛け合いの中に盛り込めて入れればよいのですが……。
生あるの物語を大好きと言ってくださってどうも有難うございますっっ><一応作者として名乗らせていただいている身としてはそれ以上の褒め言葉は御座いませんッ!

それでは、コメント有難うございました!
失礼を。

12.9.15  00:07  -  森羅  (tokeisou)

はじめまして!!千助っていいます。
番外編が出たと知ってすっ飛んできましたwww
とてもおもしろかったです!!ユウト君とケイヤ君の掛け合いが好きですw
生あるものの生きる世界、大好きです(*´∇`*)

12.9.14  00:55  -  不明(削除済)  (1031fish)

 
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