
生あるものの生きる世界
186.sideユウト×ケイヤ×アヤ ただいま[モノガタリノハジマリ]
著 : 森羅
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sideクレセリア・ダークライ
《きゃはははっ!やっぱり勝手よねえぇ。“かみさま”なんてぇ。ほぅら結局、誰も彼も身勝手にしか生きられないのよぅ。勿論、あちしもあんたもね。そうでしょぉ?きゃはははっ!!》
《・・・》
すまし顔で青空を映す泉の上でクレセリアはその身を揺らした。その隣でダークライは黙っている。泉に映る空が青だと言うのなら、上を見上げるまでもない。水に映るそれは嘘ではなく真なのだから。『選択』の結果どうなったかなど、“かみさま”たちが何を選んだかなど彼らには容易に想像がついた。狂気じみた金切り声を空色の瞳はただ眺める。何かを訴えるように、尋ねるように、何の感情も映していないかのように。だがそれに三日月は答えない。ただ笑い声を反芻させるだけだ。
《ねえぇ、ダークライ?そうでしょぉ?でしょぉ?きゃはははっ!!ほぅらやっぱりぃ、あちしの言うとおりだったでしょぉ?だってあちしたち、そう『期待』してた!今、あちしたちの行動が無駄じゃなかったって、“選んでよかった”ってそう思ってる!!違ぅ?そう思ってるのはあちしだけぇ?》
からからと笑い続けるクレセリアがとろけるような顔でダークライを見る。だがそれに彼は何も答えない。クレセリアの方を見ながらも、まるで彼女を通して何か違うものを見ているようだ。そんなダークライに対してクレセリアはむぅと頬を膨らませて体を揺らす。淡い白色を帯びた羽が数枚、泉の上で舟となった。
《・・・まぁあちしと話したくないならいいけどねえぇ。じゃあぁ、あちし行くからぁ》
波紋がなくなってから、クレセリアはそう言う。心ここに非ずといった風だったダークライはその言葉にやっとクレセリアそのヒトを見た。うつろだった瞳がその色彩を取り戻す。
《何処へ》
短く、簡潔に問う空色の瞳に藤色の瞳が微かな驚愕を示す。そして、それから笑った。
風が吹く。それでも水面は揺れず、二匹の姿といくつかの淡白色の舟を映すだけ。
《どこへって、どこかへよぅ。ぶらぶらぁっとねっ!だって、あちしたちの『期待』は当たったんだもん。ならあちしも、あちしも願っていいんでしょぉ?》
今にも泣きだしそうに。強がるように。確信が欲しいのだとそう繰り返し、取り縋る様に。
そんな感情を内包させて――もっとも彼女が己のそれに気が付いているかどうかは知るところではないのだが――笑いながら首を傾げるクレセリアに彼は答えた。
《願うも何も、主はいつも自由で縛られてなどいない》
真っ直ぐに答えられたダークライの言葉にクレセリアはしばし面食らった。目を丸くして固まるクレセリアにしかし彼は何の反応も示さない。そんな沈黙は時間にすればたったの数秒。
《・・・そうよねえぇ。そのとおりだったわぁ。きゃははははっ!!じゃあねん》
唐突にまたも笑い始めたクレセリアに今度はダークライが驚く。彼は自分が発した言葉に深い意味など込めていなかった。耳障りな笑い声をあたりに反響させながら、遠ざかっていくクレセリア。光を浴びて煌めく粒子がその軌跡を示していた。
sideアカギ
あの、常識など何も通用しない、『やぶれたせかい』から戻って数日後。彼、アカギは行くあても見当たらず足の向うまま気が付けばここにたどり着いていた。いや、行きたいという気持ちがあったからこそ自分の足はここに向かったのだから行く当てがないというのはおかしいのかもしれない。多分、無意識に目指していたのだろう。自分がまだこの世界の何かに期待していることに気が付いたアカギは失笑を漏らした。
ざく、ざく、と草を踏む。好き放題荒れ放題に伸びた草。それをかき分けるのは思った以上に面倒な作業だった。細く伸びた邪魔な木をクロバットの翼が切り裂く。ふぅ、と一息ついて彼は『それ』を見上げる。古びてひび割れた壁には蔦が絡みついており、人が住まなくなって久しいことはよく考えずともわかる。森の中にぽつんと一軒離れて建つその幽霊屋敷は『もりのようかん』、いつしかそう呼ばれていた。
「・・・」
ここに、あると言うのか。シンオウ地方のチャンピオンの言葉は“わからなくはないがそんなはずはない”ものだった。
『森の洋館の、テレビの中で。彼はあなたを待っているわ』
森の洋館はギンガ団が利用していたマグマ団の一部がアジト扱いしていたらしいが、アカギ自身がここに来たことは一度もなかった。だが、幽霊屋敷だなんだと騒がれているその洋館は森の薄暗さも合わさってか確かに見れば見るだけ不気味である。躊躇いなくドアを引くとギィイィと耳障りな音を立ててドアが開いた。薄暗く、中の様子はよく見えない。埃っぽいその建物にアカギは顔をしかめそれでも足を踏み入れた。むあっとした熱気が襲い、埃が皮膚にまとわりつく。コツコツコツ、という足音は腐った絨毯の上を歩けば消すことができた。階段を上っていく。かび臭く、静寂が支配する洋館。時折、笑い声やすすり泣きのようなものが聞こえるがほぼすべてそれはゴーストポケモンの仕業であろう。幽霊などという非科学的なものをアカギは信じていない。単調に、まるで機械のように歩を進めるアカギ。頭の中はいまだ整理がつかず、ぐるぐるとあの場所での出来事が永遠と繰り返されていた。
―――私は、私は負けたのだ。
そう、負けた。力でへし折られたのではなく、もっと根本的な部分で。もし負けたと言う言葉に語弊があるのなら、信じていた未来を壊されてしまったのだ。それは幸せをもたらさないと、言い訳を作って繰り返しているだけだと知らしめさせられてしまった。自分がちっぽけな存在だと、自分が不完全だと嘲っていた人間と何も変わらない感情を持っているのだとそう気づいてしまったから。
この世界に自分は怯えていると、自分にだけ都合のいい理屈を探していたと、世界に背を向け逃げることしかできない弱者なのだと、そう知ってしまったから。
そう、気づかされてしまったから。
脳裏に浮かぶのは自分と似て非なる少年。
自分にそのことを突き付け、お前と同じだと強がるように笑った子供。そして彼は自分を守るための盾を失ったアカギに対し、とどめを指すのではなくただこの世界に突き落とした。全てが救われる優しい世界も完全な世界も残念ながら無いのだと、そう言い残して。
―――だが、だがそれでも。それでも。
あの子供が自分と似ているのに自分と同じようにならなかった理由。あの子供は、彼は一人にならなかったということ。独りになろうとしたとき、止めてくれる誰かがいたということ。世界が優しくなかろうともそれは救いだろう。それは途方もなく羨ましく、切なく、眩しかった。そしてそれは同時に自分に『それ』がないことを思い知らせた。ぎしりと胸のあたりの軋む音が聞こえる。自分がそう望んだ結果とは言え、感情などもう捨てたとそういっていたはずのアカギは今、どうしようもない寂しさと空虚さを感じていることを認めざるを得ない。これは、これはどうすれば埋まるのだろう?その瞬間、自分が空虚を埋めたいと思っていることに気が付いたアカギは苦笑を漏らした。誰かにいて欲しいと思うなど、その感情を思い出すなど何年ぶりのことなのだろう。閉じ込めていた感情は思っていた以上に切なく優しく、罪悪感と共に自分の中に満ちて行った。・・・何も当てがないわけではない。だからこそアカギは“今ここにいる”のだ。
シロナの、シンオウチャンピオンの言葉はアカギの仕舞い込んでいた記憶を呼び起こした。だが、アカギにとってそれは“あり得るはずのない”ことのはずなのだ。“友達”は自分に愛想を尽かしてどこかに行ってしまったのだから。ギシギシと腐り始めた床が自分の胸と同じように軋む。なんとなしに開けた扉の先には蜘蛛の巣と埃で飾られたおもちゃが床に転がっていた。
―――おとうさん、おかあさん。ぼくのおもちゃは?
無残に転がるおもちゃに触発されてか、記憶の中で小さなころのアカギが子供独特の声で両親に尋ねる。彼の思考は過去へと遡っていた。自分はなぜ思い通りになる、優しい世界を欲したのかとそのきっかけを記憶の中に捜していた。一人が寂しかったからと言うならばなぜ自分は独りだったのだろうと、その答えを探していた。
両親は、その頃の自分にとって世界の全てのようなその存在達は、自分に期待した。その期待に応えようと、頑張れば頑張るだけ人は自分を奇異の目で見る。彼らは『アカギ』という子供ではなく『ナギサの天才』として自分を見た。アカギが、年齢相応の感情を持った少年だと、そう見てはくれなかった。違うよ、同じだよと手を伸ばしたのに、それは記憶の中であっさりとふり払われてしまう。
お前はどこか違うと。
行き場のなくなった手と自分。重たすぎる重圧。
誰も助けてなどくれなかった。誰もわかってはくれなかった。
誰も周りにはいない、寂しいとそう言っているのに!
おもちゃは捨てられてしまって。年端もいかない子供は『子供』でいることを許されなくて。
独りでいたがったのではない。それでも、結果として自分は独りだった。その自分を慰めようとして、気丈な自分を作ろうとして、“寂しい”はいつの間にか歪曲してしまった。
唯一の“友達”さえも、いつの間にかいなくなってしまっていた。
誰とも目線が合わなくて、独りぼっちで。
ただただそれが恐ろしくて、小さく膝を抱えていた。
だからアカギは破壊を選んだ。貴様達とは違うのだと、だから目線が合わないのだと。その結末が今の自分だった。だが、『やぶれたせかい』で、彼は満たされることはなかった。これは違うとそう首を振った。これがお前の望みの末路なのだと、そう聞いても納得ができなかった。これは何かの間違いだと。もっと素晴らしく優しい世界ができるはずだったのだと。だが、だが、本当に何もかも間違えなければ、ギラティナという邪魔が入らなければ、自分はそんな世界を作れただろうか?
―――『昔々、あるところに一人の男がおりました』。
いや、だが。それなら昔話の刀匠はどうなのだ。彼は成功したのか?自らの持つ怒りを昇華することができたのか?・・・『怒り』?・・・彼が感じた拒絶感を自分は怒りだと思った。自分を認めないことに対する憤りだと。それゆえ剣を作ったのだと。アカギが世界の均衡を壊したように。だが、今考えればその刀匠は本当にそう思っていたのだろうか?彼は本当に剣を作ったことを後悔しなかったのだろうか?昔話の刀匠に、大切なものはなかったのだろうか?なぜなら。
―――唯一の“友達”を失った私は、その時確かに寂しいと、そう感じたのだ。
大切なものを失うのは辛い。それを自分は知っていた。感情は捨てたと言って、そのことは見ないふりをしていたけれど。それに対して感情を揺るがせないことが、寂しいことを寂しいと思わないことが強さだと思っていたけれど。どこに行ったのと、“友達”を失ったあの時自分は確かに泣いたのだから。
『アカギはさびしすぎるよ。感情を履き違えている。不安なんでしょ?誰も自分を理解しない、って。だから他人に感じる感情は嫌悪だ、って』
カンナギで聞き流した、年齢不相応の幼さを持つ少年の言葉がアカギの頭のどこか隅っこに引っかかっていたらしい。・・・自分は、刀匠は、そう。きっと、寂しかった。感情を履き違えた。歩を進める。一歩歩くごとに天井から砂の混じった埃が降り注ぐがアカギはそんな些細なことに気を留めない。廊下にはずらりと等しい間隔で部屋が並ぶ。扉が壊れてしまっているものも多いが、その中で彼はまたおもむろに扉を開いた。目に入るのは砂嵐を映し出す古びたテレビ。ザザザッ、ザーザザザッと雨にも似た音を吐き出すそれにアカギはゆっくりと近づく。
―――やり直すことはできるのだろうか?私はこの寂しさを、空虚さを、
幼いころの唯一の友人は、大切な“友達”は、芝刈り機のモーターから飛び出してきた。悪戯好きそうな顔で笑いながらじっと幼い頃の自分を見てきて。だから、自分も見つめ返した。彼は自分のおもちゃと同様にいつの間にかいなくなってしまっていたけれど。どれだけ探しても見つけることができなくて、嫌われてしまったのだろうと幼い自分は泣いた。
だから、シロナに聞いたときも半信半疑だったのだ。そんなはずはないと。・・・だが、実際はここに確かに彼はいる。
本当にずっと、自分を待ってくれていたのだろうか?
「ロトム」
――『モーターとロトム。なんだかわかるでしょ?』
アカギの声は歓喜と興奮と恐怖で震えていた。そして、その声にテレビの中の生き物はアカギの記憶と同じ声で応え、テレビの中から飛び出してくる。プラズマをまとったオレンジ色のフォルムに悪戯っぽいその目。何も変わってはいなかった。生き物の行動さえもあの時と同じものだった。
自分をじっと見つめて、それで。
『さぁ、帰ろうか。この後どうするかは君が決めればいい。もう一度抗うなら、抗えばいい』。
―――この空虚さを今度こそ間違えずに、埋めることができるだろうか。
『さぁ、そろそろ戯れ遊びを終わらせようぜ』。
アカギに向かって、笑った。
―――『であいはとつぜんだったよ』。
sideシロナ
すぅ、と息を吸い込んでから二秒間息を止めた。それから、ふっと止めていた息を吐き出し方の力を抜く。シンオウリーグの最深部。自分からすれば見慣れた部屋にシロナは安堵感と程良い緊張感を得る。カタカタと腰で鳴る6つのボールと自分はこれから来るはずであろう挑戦者を今か今かと待ち構えていた。
シロナが『おくりのいずみ』にたどり着いたときにはもうすでに空の色は元通りになっていた。後の調査でアカギは行方知れず、ギンガ団自体はまだあるもののもう少しまともな組織として機能し始めたらしい。特にユウト、そしてケイヤ、アヤの安否について、シロナはちょうど数日前にナナカマド博士の研究所にてナナカマドとアヤに話を聞いたが、アヤはその時少し怒っていたように思う。その怒り方がいなくなってしまった人への怒り方ではなかったので、また近いうちに尋ねてみようとシロナはそう思っていた。
そしてもちろん。シロナ自身も理事に散々怒られたが結果オーライということもあり実質的なお咎めはほとんどないといっても良い。むっすりと不服顔の理事を横目にオーバ率いる四天王がそろって親指を立ててサムズアップしてくれたことはここでは余談だろう。留守をしっかり守ってくれたということは確かである。
そして、今日。シロナがここにいる理由。それを語るのに多くの言葉は必要なかろう。四天王が4人とも倒されて自分のもとに挑戦者がやってきたから、ただそれだけである。シロナの真正面の扉がスライドして現れるのは少年の姿。その目映るのはこれからの勝負に対する緊張1割、自分の状況に対する興奮3割、残り6割は楽しみで仕方がないという感情だろうか。なんにせよ、ワクワクを隠し切れないきらきらした目に、とことん負けず嫌いの強い視線が備わっている。そんな冒険好きの少年にシロナは微笑んだ。金色をした細く長い髪が耳あてと踊る。
「はじめまして。あたしはシロナ。さてと!ここに来た目的は一つよね。ポケモンリーグのチャンピオンとして、きみと戦います!」
とても楽しい時間が、始まりそうだった。
sideミズキ(アクア団)
縁の広い帽子が、潮風に攫われそうになって慌てて抑えた。ボォオオー、と船の汽笛が空に響く。遠ざかっていく雲を突くような山を持つ地方にミズキは微笑んだ。
「とても、とても、楽しかったわ」
くすくすくすくすと、上品にそれでいて楽しそうに笑いながら、甲板の上で過ぎ去っていくその地方を愛おしそうな目で見る彼女は、遠巻きに見れば一枚の絵のような光景だろう。海からの潮風はしつこく彼女のスカートと白い帽子にまとわりつく。特に、帽子にはご執心らしく、今にも飛んで行ってしまいそうだ。だが、ミズキはそんなことを気にも留めていない。帽子を手で押さえてはいるが、それは一種に条件反射の結果のようなものだろう。その証明として彼女の視線はもっと遠くを見ている。
青空を行くキャモメ達が船に近づき低く飛ぶ。船の無事を祈るように、別れを告げるように、この地を離れる者を名残惜しむように。深い青色をした海は凪。微かな潮騒が響く。荒れた航海にはならないはずだ。
「次は、どこへ行こうかしら?」
くすくすくすくす、彼女の笑みは留まることを知らない。楽しそうに、愛おしそうに。片手で帽子を相変わらず押さえながら、もう片方の手で彼女は肩から下げたポシェットの中を漁る。磯の匂いがつん、と彼女の鼻を突いた。ポシェットの中から出てくるのは、小さなディスク。これまでのシンオウでの“記録”、そのすべてだ。ミズキはそれを手の中で遊ばせながら、考え込むように眺めて・・・・・・鞄の中に仕舞い込んだ。ふふっ、と先程とは少し違う含み笑いが漏れる。それは思い出し笑いにも近かった。
「楽しかったわね。あぁ言うのもたまにはいいわ」
シンオウでの出来事を思い出しながら、彼女は無意識に手すりへと両手を伸ばす。そして潮風はその瞬間を見逃さなかった。あ、とミズキが声を出すか否か、風を受けた白い帽子が広い縁を羽代わりに海へと飛んで行ってしまう。ミズキの行く先ではなく、それはシンオウ地方に向かって。
ミズキはその様子を少し目を大きく開いて見つめて、そして笑った。
「あらあら、仕方がないわね」
くるりと一回転。ワンピースのひだがふわりと風に揺れる。
彼女はもう、その遠ざかって小さくなっていくシンオウ地方を振り返りはしなかった。
sideケイヤ
「んんー!」
ぐいぃいーと伸び。見上げると背の高いビルの隙間から青色の空が見えた。7月に入って心なしか太陽の輝きが増した気がする。夏本番はこれからだと言わんばかりの日差しは確実にぼくの気持ちを萎えさせていく。ぼくはインドア派で、しかも暑さも寒さも嫌いなんだけどなぁ。これから訪れる蒸し暑い夏のことを思うとぼくは少しだけぞっとした。どうか熱中症にかかりませんように。・・・シンオウ地方は涼しいだろうなあ、夏。そんなことを思って立ち止まっていると何やってるんだと言わんばかりの呆れた声がぼくの耳を抜けて行く。
「立ち止まってないで歩けよ」
「夏を憂いてたんだよ。暑いんだもん」
「何を言っても夏は来るんだが」
「まぁそうなんだけどさー。ぼくはゆーとと違ってか弱いからね」
溜息をつくようにゆーとは息を吐き出して、ぼくに背を向けて歩き出す。ノリが悪いなあとぼくは呟き、それを追いかけて並んだ。舗装されたアスファルトの照り返しがつらい。
身体的に何の問題もなく、というか健康体そのもののゆーとの退院はあれから2日後だった。無事高校生活に生還したゆーとは少しの間皆(もちろんぼくも含めて)のていのいい玩具にされていた・・・と言ってもほとんど反応を示さないゆーとを相手にしていても楽しくないからすぐにそれは収まったけれど。ただ陸上部の顧問がかなりご立腹だったらしく、ゆーとは理不尽だ不可抗力だと随分嘆いていた。ちなみに出席日数は多分足りるとのこと。・・・で。今、ぼくらが何をしているかと言うと。
「珍しいね、ゆーとが遊びに行こうなんて」
「遊びに行くとは言ってないぞ」
すたすたといつの間にかぼくの斜め前を歩くゆーとにぼくは苦笑する。何か変わってるかと思ってはみたけど、実際は何も変わってない。
ゆーともぼくもお互い『あの話』は全くしていない。ゆーとはあのことなんて、『生の世界』『死の世界』のことなんてさっぱり忘れてしまったんだろうか、それとも夢だと思っているんだろうか。忘れてしまっていると言うなら、それはゆーとにとって幸せなことなのかな、それとも不幸なことなのかなあ?ぎゅっと肺を押さえつけられるような痛みがぼくを襲う。全て吐き出してしまいたいと、ゆーとに問い詰めたいと、忘れているなら全てもう一度教えたいとそんな衝動がこのことを考えるたびにぼくを襲う。そんなことつゆ知らず歩き続けるゆーとの背中を眺めながらぼくは肩をすくめて声をかけた。
「まぁね、期末前だもんね。図書館でも行く?というかぼく何も持ってきてないんだけど」
声が震えたりしないように、湧き上がった衝動が溢れたりしないように、最大限に注意を払って。
「・・・まぁ、良いんじゃないか?多分」
スポーツバックを肩にかけたゆーとは一瞬振り返ってほぼ手ぶら状態のぼくを一瞥、また前へと向き直る。その振り返る一瞬、ゆーとはまぁいいやと言う顔をした。今絶対した!ぼくはそんなゆーとに猛烈に抗議する。
「今、ぼくのことどうでもいいって思った!?」
「少し思った」
悪びれる様子もなくあっさり答えるゆーとにぼくはむくれるけどゆーとは振り返りもしない。アスファルトの熱で遠く先の信号機のあたりに陽炎が揺らいでいた。暑い、と服の襟の部分をぱたぱたとやるぼく。ゆーとは見る限り平気みたいだ。いや、勿論暑いんだろうけど。横断歩道を渡って、歩いていくゆーと。どこに行くのか全く説明してもらってないんだけどこの様子じゃ河川敷?まぁ、陽炎が揺らぐほどのアスファルトを眺めているよりはずっと涼しい光景だ。
「河川敷に行くの?」
聞いてみるぼくだけど、帰ってくるのは生返事。どーなの、と繰り返してもまともな返事が返ってこない。黙っているほどのことでもないと思うんだけどなあ、河川敷じゃないとしたらどこだろう?場所が違うのかと考えを巡らせているうちに到着したのはやっぱり河川敷。緑色の雑草が好き放題に伸びていて、風に揺れている。緑があるせいか、心なしか涼しい気がしなくもない。・・・あくまで心理的に。
「やっぱり河川敷じゃん」
「そーだな」
最初に聞いたときに素直にそうだと言えばよかったでしょ、と言うニュアンスの声にもやっぱり帰ってくるのは眠そうで適当な言葉。ゆーとらしいと言えばそうなのかもしれないけど振り回される身にもなってほしい。・・・とか思ってたらいつの間にかゆーとは土手を下りて行っていた。いつの間に、と慌てながら急いでそれを追いかける。足元は凹凸がばらばらで、一歩間違えれば足をひねって転び落ちそうな石の階段。ゆーととの差はどんどん開いていく。足元とゆーとの背中を見比べながら、ぼくはその様子を深紅と重ねていた。やっぱりゆーとはゆーとで深紅だと。そうだ、深紅もハクタイの森でぼくをひたすらに置いて行ったんだった。ぼくはその背中をずっと追いかけていたんだった。そういえば、それを言うなら川の色も。青空を映す川、流れていく雲を映す川、階段を下りながら見る一級河川はきらきらと煌めきながら空を映す。空色の川、それは深紅とポケモンの骨を流したあの日に見たものと同じ光景だ。燐と綺麗だねと言い合ったその光景だ。
川のすぐ傍に来てやっとゆーとが止まる。手すりの向こう太陽の光を反射させて輝く水面に目を細めながらぼくはゆーとに並んだ。
「ゆーと、降りるなら降りるって言ってよ!」
「あぁ、そりゃすまん」
頬を膨らませて怒るぼくにゆーとは苦笑で謝る。なんだか誠意が籠ってないけどまぁ、いいや。河川敷の雑草を突切って来たからか足元がむずむずする。なんだかまだ触感が残っているようでぼくは前かがみになって太もものあたりを手で払った。思い込みなんだろうけど、そうすることで猫じゃらしで撫でられるような感覚が消える。ほっとしたぼくが体勢を戻しかけた瞬間、
「悪いな、ケイ」
「・・・・・・ぅえ?」
ゆーとの声が聞こえて、ぼくの体がバランスを崩す。背中に手の感触がゆっくりと脳に知覚される。
何が起こったのか、わからなかった。
「ゆっ!?」
押された!?
あったはずの手すりはなぜか目の前にない。あるのはたたただ風に震える水面だ。浅い場所だからか、底が見えて、水の上を雲が流れていく。目に映るのは強烈なまでに青色の、・・・空の、穴。視界の端っこに映る上空(そら)と、河川に映った空。二つの空に挟まれて、ぼくの世界が時間を止める。空を飛んでいるようだと考える間もなく、本来のスピードを取り戻した時間にぶつかる、という思考がぼくに目を閉じさせた。真っ暗になった視界の代わりに閉じることができない耳から聞こえるのはどばしゃん、という情けない着水音。
予想していた衝撃は、なかった。
sideユウト
「お、うまくいったな」
手すりからケイの落ちた場所を見ながらそう呟く。波紋はすでに残っていない。あとで相当文句を言われるかもしれないが、まぁ勘弁してもらおう。
ケイがいなくなったことで、世界と言う名の空間が時を止める。時間を止めた世界についほお、と感嘆のような声が漏れるがこれは確かに壮観だ。水面の細波が崩れることなくその場に残っている。風にしなった木の枝がそのまま固まっている。空の雲が形を崩すことなく青色に張り付いている。現実味をどこまでも追及した非現実。これはまるである種の絵、まるである種の造形物だ。
「すごいな」
《感動している場合か?ひどいことをするものだ》
足元から聞こえてくる声を聞き流し、オレは手すりに足をかけた。
「よっと。・・・まぁ、そう言うな。“くろ”」
《・・・それは、違うのではないか?》
神妙な口調に、肩の力が抜ける。まさかそういう反応が来るとは思わなかった。
「呼びやすいんだよ、こっちの方が」
《ならば最初からそう『名づけ』れば良かったろうに》
「そう言うな」
軽口をたたきながら、弾みをつけて手すりの上に座り込む。人に見られれば投身自殺志願者に見えるだろうが、心配しなくても誰も見ない。完全な無風状態と静寂。それはオレに『やぶれたせかい』や『もどりのどうくつ』を連想させるが、あそこと今この景色では決定的に違う部分がある。あれは全てが死んでいた。生きている生き物なんてなかった。だが、ここは全てが“死んで”いるのに、何も“死んでいない”。表現としては保存された、というのが一番正しいかもしれない。だが、これは。
「・・・なんだかなあ」
《やはり身勝手だと、そう思うか?》
「まあな」
オレの答えにオレの影から声が笑う。さも愉快そうなそれにさすがに文句も言いたくなった。ぎしぎしと、錆の浮いた手すりが啼く。
「笑うところか?」
《いいや。だが、笑ってならぬ道理はあるまい》
押し殺すような笑いは止まらない。オレはぐるりと世界を見渡して肩をすくめる。溜息が小さな風を創った。
《利己的と言うならその通り。自己満足と言うのならその通り。身勝手と言うならその通り。だがそれが嬉しくてたまらない。愛しくてたまらない。汝よ。これは我々の選択、我々の答え。汝のせいではない。身勝手だと知っていて選んだのは我々なのだから。だから汝は気に病む必要はない。我々は自らそう望んだのだ。傷ついても良いと、身勝手でも良いと。自ら小さく蹲っていることをやめたのだ》
深く落ち着いた、それでいて胸のつっかえが下りて清々しそうな声。それについ苦笑が漏れる。手すりがまた軋んで啼く。切り絵の様な青空がそれでも自然の濃淡を主張していた。背後から風が吹いてくる。ゆらりと影が揺らぐ。今のこの状況では生まれないはずのそれらが世界に生まれたのは、誰のせいかなど決まっていた。
「なら、お前もオレと同罪か」
《そうなるのだろうな》
オレも選ぶ権利などないはずなのに、選び続けた。
権利など何も与えられてなどいないのに、足掻いた。
正しい答えではないと知っているのに、オレは利己的で身勝手なそれを願った。
“かみさま”たちと、同じように。
他人にその答えを依存するなら、“望まれたから”。
自分にその答えを依存するなら、“死にたくなかったから”。
お前さえいなければとそう言われても仕方がないほどのことをきっとオレはしているのだろう。
あまりにも自己中心的な考えで塗りつぶされた、吐き気のする答えにきっと未来、後悔するだろう。いや、もう後悔しているのかもしれないが。ゆらりと影が細波立つ。翼に見えなくもない漆黒のそれが巨大な影を作った。
《利己的と言うならその通り。自己満足と言うならその通り。身勝手と言うならその通り。だがそれは、汝がどちらを選んでもそうなのだ。我がどちらを選んでも同じように。何もしなければ誰も護れず、何かをすれば誰かを傷つけるように。後悔は必ず訪れる。それは、当然のことなのだ。そうであろう?ユウト》
身体の割に小さく、穏やかなその真紅の瞳を見上げる。あの時とは少し色の違う、もっと生き物めいた青空を背景に、理性を留めたその目は不器用に笑った。
《ならば、せめて今この時を愉しまねばなるまい?》
「あぁ、そうだな。『黒耀』」
力を抜くように曖昧に笑って、手すりから手を離す。
これ以上の問答は不要だろう。こいつにも、黒耀にもわかっているはずだ。そして傷つくことをわかっていて選んでいる。
そしてオレも同じなのだから何も言う必要がない。
座った体勢からだとあまり勢いはつかないが、それでもできるだけ遠くへ。
飛び込んだ。
sideアヤ
「スピカー!見てこれ」
時刻はちょうどお昼前。森の匂いをまとった風が頬を撫でる。湖上を渡ってきたのか皮膚に触れるそれはひやっと冷たかった。少しちくちくする草の上に座り込んで、あたしは斜め上のスピカを呼ぶ。なあにと首をかしげるスピカにあたしは読んでいた新聞の一面を見せた。
「ほら、これこれ。ナナカマド博士が貸してくれたんだけど、ハンサムさん、プルート捕まえたみたい」
《あら、あの人やっと役に立ったのね》
記事を見たスピカの口からまず飛び出してきたのは本人が聞いたら嘆きそうな身もふたもない台詞。あたしはそれに笑うしかない。ざああ、と風が木の葉を揺らす。顔を上げて辺りを見ると湖に波紋が生まれていた。
「アカギは相変わらず行方不明みたいだけどギンガ団は少しはまっとうな組織になったらしいし、よかったわよね」
《あとはユウト君とケイヤ君が戻ってくれば大団円なのにね》
「・・・」
スピカはきっとそれを何気なく言ったんだろうけど、あたしはそれに押し黙るしかない。この前シロナがやってきた時は強がって見せたけど、今は焦燥感で頭がいっぱいだ。保証などどこにもないから。それは時間が経てば経つほど膨らんでいく。勿論、『やりのはしら』の時点ですでに“帰ってこないかもしれない”ことはわかっていたことだ。それでも待つと言ったのはあたしたちだ。そうわかっている。わかっているんだけど。せめて安否だけでもわかればいいのに。
スピカはまずった、と思ったのか話題をくるりと変えてくれる。その気遣いに申し訳ないと思いながらあたしはそれを適当な相槌を繰り返しながら聞き流していた。
《・・・でね。その時夜月君がね・・・》
博士には一応全部話した。今はナナカマド博士の所にお世話になりながら、実家にもちょくちょく帰っている日々。平穏と言えば平穏で、当たり前と言えば当たり前で、だらけきっていると言えばそうなる毎日。あれは長い夢を見ていただけではないかとそう思い始めるくらい、今の状況は確実にあたしを蝕んでいた。そう、つまり今の状況が当たり前になりすぎているせいで『やりのはしら』のこととかがリアリティを失くし始めているのだ。だらだらと過ぎていく日常はそれでも記憶を重ねて行ってしまう。まあ、それでも“こんなところ”に日がな一日来ているのはそれでもあたしが、あたしたちが待っているからなんだろうけど。
風がまた湖上を走る。ここはシンジ湖のほとり。ぽつんと浮き出た石室はいまだ浮き出たままだ。視界の端には夜月と紅蓮が体毛を風になびかせ昼寝をしている。緑羽はその傍で何かを食べていた。燐や透の姿も木陰に見える。凪はきっと水の中だろう。
「・・・やっぱり文句言ってやらなきゃね」
《だからね・・・・・・アヤ?》
手の中の新聞をぐしゃっと握りしめてあたしは呟く。それにスピカがあたしの顔を覗き込んだ。あたしはスピカに向かって笑う。強く、脆く、悪戯っぽく、精一杯虚勢じみたそれで。
「あいつらよ。帰ってきたら、皆で一発ずつ殴ってやらないと。そう思わない?だって、こぉーんなに面倒くさいポケモンをあたしに押し付けてどっか行ってるのよ?夜月とか燐とか皆ずっと待ってるのに!!」
最後の方はテンションに任せて声のボリュームが上がっていたらしい。湖畔に反響する声。燐と透が何事かと言わんばかりの目でこちらを見る。そしてあたしの声にスピカはええそうね、と言いながらどこか悲しそうに笑った。今にも壊れてしまいそうだと、それは虚勢でしょうとそう訴えるような目だった。そんなスピカの目をあたしは無視してくるりと立ち上がる。そろそろお腹が空いてきた。お昼ご飯を食べに一旦研究所に戻ろう。そう思ったあたしは皆に声をかける。
だって、だってスピカ。
あたしにはあいつが、あいつらがどうなったのかわからないんだもん。
信じるしかないと言うのは簡単だけど、不安を消すことなんてできないもん。
強がりを繰り返していないと、不安に呑み込まれそうだから。
大丈夫、もうこれくらいで壊れたり崩れたりはしないから。
だから、少しくらい強がったっていいでしょ?
「紅蓮、早く起きて起きて」
のっそりと眠たそうな目を開けて立ち上がる紅蓮。紅蓮を枕にしていた夜月は紅蓮が立ち上がったことによって頭を地面に打ち付ける。悲鳴とも鳴き声ともつかない声を無視してくわあと欠伸をする紅蓮を恨めしそうに見ながら夜月が前屈をした。彼らはあたしの言うことなんてちっとも聞きはしないけど、とりあえず帰るなら全員連れて帰らないとあとで色々と面倒なことになる。他人に見咎められても面倒だし、ご飯の用意がばらばらになるのも面倒。・・・あぁ、本当に面倒なんだから。
「ほら、燐。・・・透、何とか言ってよ・・・」
声掛けしても特に頑固に動かないのは燐。あと少しだけを繰り返す燐は放っておいたら四六時中そこで固まっている。健気と言えばそうなんだけど、あたしとしてはいつか倒れてしまいそうで気が気じゃない。もう一度燐、と呼ぼうとして、先に燐がぴくりとその耳を動かした。細い赤目を見開いて、燐は立ち上がる。視線は真っ直ぐ湖に。
「燐・・・?」
返事はない。あたしは燐に視線を合わせるようにして燐が眺めているその方向に目をやる。でも視界には風で波紋が生まれる以外はしんと静まり返った湖がそこにあるだけ。一体何が?
《否。静寂は音を生む。音が静寂を生むように》
「ザウラク?」
唐突なザウラクの否定につい、上を見上げるあたし。でもそこに姿はない。そしてそれ以上何も言わないザウラクにあたしはとりあえず素直に耳を澄ませてみる。・・・音?音?風の音、波の音、木の葉の擦れる音、それから?
ごぶっ、という気泡の音はさっきまでそこにはなかったはずの音。
あたしが声を上げるよりも早く燐が鋭い声で鳴いた。弾かれたようにそれに反応するのは凪。水しぶきが高く上がって、凪の姿が水の中に消える。“それ”を水面に押し上げるように上がってきた凪が水中にいたのはたったの数秒だろう。けど数秒をやけに長く感じた。太陽の日差しをやけに強く感じた。
「ぶはああっ!何するのゆーと!!・・・ってあれ。・・・凪?」
酸素を手に入れた瞬間、水を吐きむせ返りながら声を張り上げる“それ”。あっけにとられたあたしは、目の前の光景に釘付けでそれ以上動くことさえままならない。・・・え?・・・・・・え?
固まるあたしたちに気づいた“それ”はぐるりと辺りを見回して困ったように小首をかしげる。凪に捕まったまま。
「・・・あれえ・・・?いつの間に・・・?あ、凪ありがとうね。また溺れるところだったよ」
不思議そうにしながら、それでもすぐ状況に対応できてしまうのは恐ろしい。あたしはまだ状況を消化できていないのに。“それ”は、いや彼は当然のように凪に笑い、あたしたちの方を見てまたへにゃっと笑う。
「あんた、ケイヤ・・・」
ぽたぽたと髪の毛から水滴を落としながら、いつものようにどこか気弱にも見えるその笑みで。
その名前は勝手にあたしの口からこぼれ出ていた。
「やあ、久しぶり。燐、透。それからアヤちゃん」
おかえりなさい、多分そう、燐が鳴いた。
side燐(キュウコン)
「ただいま」
そういつものようにへらりと笑う彼を見て涙が出そうになりました。自分でも知らないうちに。
ぽたぽたとケイの髪の毛から滴る水滴に、ケイが小さなくしゃみを漏らしました。
「ちゃんと、約束守ったでしょ?」
遅くなっちゃったけど、と困ったように笑うケイに凪と透がその通りだと言わんばかりに笑います。嬉しそうに楽しそうにおかえりと。そう笑いました。そしてわたしも。
《えぇ。おかえりなさい》
何を言うか少し迷って、けれどやはりまず初めに言うのはこれだと思って。
きちんと守ってもらえた約束に、その笑顔のぬくもりに、わたしは目を細めて笑っていました。
「うん、ただいま」
sideユウト
「なんでもっと早く帰ってこなかったのよ!!どれだけ人を心配させたと思ってんの!!?」
「なんでもっと早く教えてくれなかったの!!気を使ってたこっちが馬鹿みたいじゃん!!」
予想はしていたがなぜこうもオレばかりが責められねばならないのか。心配してくれとも気を使ってくれともオレは頼んでないぞ?ケイとアヤの両方に責められ、仰け反りながらもため息を吐く。するとその行動がまたお気に召さないらしく、二人が二人ともぎゃんぎゃんと噛みついてきた。・・・いや訂正。夜月達もいた。わかったわかったと言ってオレはとりあえず全員を静かにさせる。お前ら五月蠅い。勢いよく肩に飛び乗ってきた夜月を適当にあしらいながらオレはひらひらと手を振った。
「とりあえず、ケイはそれ乾かせ。説明するから」
久方ぶりのシンオウ地方。この喧騒を懐かしく感じるのは贅沢なことなのだろうか?
オレは、苦笑した。
sideスピカ
おかえりなさい。おかえりなさい。
そう四方八方から飛び交う声に、アタシは思わず笑いが込み上げてきた。
アタシは、いいえアタシたちはアヤから離れたりしなかったけれど、もしアタシが夜月君たちと同じ状況なら同じようにおかえりなさいと笑うでしょうね。そう言いながらじゃれ付くでしょうね。
おかえり。
アヤから微かに洩れたその言葉にアタシはそっと笑みを浮かべた。
sideケイヤ
円形に座るぼくら。ふかふかとした土はアスファルトの様な強烈な熱を帯びていない。ちょうどいい暖かさだ。
「くっ、ちゅん!」
燐と紅蓮の両方に温めてもらいながらぼくはくしゃみを漏らす。夏直前とはいえ、さすがに寒さで体が震えた。暖房代わりに寄り添ってくれる燐の尻尾を抱きながらぼくはゆーとをじいっと見る。突き落とされた恨みは忘れていない。というかゆーとは濡れてないんだけど・・・これはなんか不平等だ!
《大丈夫ですか?》
「文句は後で堺とゆーとにたっぷり言うから大丈夫」
燐の尻尾一本をクッション代わりにもふもふしながらぼくは燐に笑った。燐はそれにつられるように笑って、ゆーとが擦りつく緑羽をあやしながら謝っただろと愚痴をこぼす。それくらいでぼくが許すと思ってるの?甘いね、ゆーと。
「で?結局あんた、どうなってるわけ?」
ざわあ、と草を薙ぐ音が耳に心地よく流れていく。
本題と言わんばかりに口を開いたのはぼくの左隣にいるアヤちゃん。肩の所に浮かぶスピカはくすくすと笑いながらどこか楽しそうだ。その質問にぼくもゆーとを見る。そう、それはぼくも一番に知りたい。というか聞きたいのはそれだけだ。片膝を立てて腕を置くゆーとはどこか歯切れの悪そうな顔をして、面倒くさそうな目をする。けれどぼくらが引かなかったからだろう、すぐに肩をすくめて話し始めた。気のせいかもしれないけど少しだけ、照れたように。小恥ずかしそうに。そっぽを向きながら。
「望んで願ったのはお前らだろうに」
ゆーとの肩の上で夜月がそっとゆーとにすりついた。
side夜月(ブラッキー)
えへへー。
ぐりぐりと頭を擦り付けてみる。邪魔、と一刀両断されたけど。
だってさだってさ、ユウト久しぶりなんだしさちょっとくらいいーじゃん!
『我儘』なんだから仕方がねーじゃん!・・・なぁなぁこれって夢じゃねーよな?俺が都合よく見てる夢じゃねーよな?ユウトがここに本当にいるんだよな?本物なんだよな?
「夜月、暑苦しい」
あ、本物だ。ユウトだ、間違いなく。
俺はその言葉を聞きながらもその言葉を無視。
《だって、ユウトが帰ってきてくれたし。いーじゃん》
えへへへーと笑う俺にユウトがいつもみたいに溜息を吐き出した。
・・・お帰りっ!
sideユウト
『管理者』との、いや“しろ”との『契約』に非常に微妙な沈黙が下りた。
言っておくがオレが悪いのではない。全てあの黒幕が悪い。
非常にあっけなく、ほんとうにそれで良いのかと聞きたくなるほどあっけなくあいつは答えをひねり出した。
生きていて良い、と。
二つの世界のバランスは君達が行き来すればいいんじゃない、と。
とんでもない隠し玉だと、そうケイが苦笑する。
なんだか全てが馬鹿馬鹿しくなると、そうアヤが呆気にとられている。
何か言いたそうにスピカが苦笑し、燐がどうでもよさげに片耳を動かす。
そしてその解釈はほぼ十割方正しいだろう。
話を聞く限りでは。
ちなみにオレも、最初はそう思った。
結局オレたちは“かみさま”に振り回されているだけじゃないかと。
都合の良い駒なのではないかと。だが、それもあいつは笑って一蹴した。
全てが思い通りに動かせるなら自分は全てを救ったと。
全てが都合の良い遊戯なら最高の結末と最悪の結末を用意して遊んだと。
だから、それを言うなら自分も結局は誰かの駒なのだろうと。
だから、それは“かみさま(自分たち)”の思い通りではなく、全てがオレたちの選択の結果なのだと。
そうあまりにも綺麗に笑うから、今にも泣き出しそうに笑うから、次の言葉を継げなくなった。確かに結果だけを聞けば今までのことが全て馬鹿馬鹿しく感じるだろう。つまりこれは“しろ”から直接聞いてこそ、の話なのだ。それをこいつらに伝えようとするのは非常に厄介で小恥ずかしいのでやめておくが。とりあえず結果だけ理解してもらえればそれで良いだろう。すると、黙りこくっていた夜月がなぁなぁと呼び、オレは真横に目をやる。肩が重たい。
《でもさ、結局さ、ユウトここにいて良んだよな?生きてて良いんだよな。だよな?じゃあ良かったじゃん。それ以上はいらねーもん》
「・・・まぁそうだな」
にへっ、と嬉しそうに笑う夜月に力が抜けた。夜月の言葉は単純だが正鵠を射ているのだが・・・そう単刀直入に言われると聞いているこっちが恥ずかしい。夜月の言葉の聞こえないケイとアヤは間抜けた顔をするが、スピカは何かにやにやと嬉しそうだ。そんなスピカに内心で毒づいているとアヤが声を上げた。
「じゃあ、まあ・・・あんたが無事に生き残れたことはいいわ。でもじゃあどーしてもっと早く来れなかったのよ!」
「あぁそれは」
「時間がずれてたから、でしょ?ゆーと」
アヤの疑問に答えようとして、答えたのはケイの方。全員の注目がケイへと移動する。燐の尾を一本クッションのように抱きしめながらへへーと得意げに笑うケイにオレは頷いた。
そうか、そういえば。オレは向こうの世界に戻るまで時間のずれに気が付かなかったが、確かにこちらとあちらとを行き来したケイは一番にそのずれに気が付くだろう。突風のような風が水を揺らして森の中で消えて行った。こちらの太陽は向こうの世界ほど灼熱ではない。
「ぼくと燐が一緒にいたのはせいぜい2週間ほどだもん。でも同じ時間をゆーととアヤちゃんが過ごしたならあまりにもペースが速すぎる。で、向こうとこちらの時間を合わせたと言うなら多少のずれはあるかもしれないけど今は7月。こっちもあっちも同じ7月だ。ま、結局的にゆーとが何日こっちの世界にいたのかぼくは知らないけど、それでも今、お互いの世界で時間軸が間違っていないと言うならゆーとは時間を遡ってこっちの世界に来てた。そうでしょ?」
ぱらぱらと拍手を送る。そーなのか、と不思議そうに聞く夜月にはその通りだと答えた。事故にあって始めてここに来たのは向こうの、オレにとっての『生の世界』で交通事故を起こした時間よりも過去に当たる。つまりオレはある意味で二重に時間を過ごしていることになる。まあ『死者』に時間の流れは関係ないのだが。
「ま、ぼくも似たような体験してるしね。深紅と会ったのは過去だし、真紅と会ったのも過去だし。“ぼくらが同じ時間軸上に二人いる”っていうタイムパラドクスを起こさないためにゆーととぼくは今の今までここには戻らなかった。戻れなかった。これでいいかな。アヤちゃん」
《わたしは約束を守っていただけたならそれでいいです》
「うん、ただいま。燐」
答えたのはなぜか燐。へらへらと燐とケイの間だけ周囲と空気が違う。一秒考えて無視することに決めた。まぁ、アヤも納得できたようなのでそれは結構。アヤもまたケイと燐は華麗に無視してオレに次を聞く。スピカがその隣で身体を揺らして踊っている。その後ろで湖の水が光を乱反射させていた。
「じゃあ、ある程度はこっちにいれるのね?」
「まぁそうなる。こっちでは時間の経過は加算されないけどな。加算されたら成長が2倍になるから」
些細な、いやむしろ本当に効果があるのかどうかは気休め程度なのかもしれないのは承知だが、一応“しろ”が提示した条件はバランスを保つためにこうやって二つの生の世界を行き来することだ。だからこちらに居れる時間と言うのは限られてくる。まあ尤も、長くいてもその分向こうにいれば問題はなさそうな気がするのだが。傾きかけたらこちらへあちらへ。意味があるかどうかは微妙なところだと言うことぐらい容易に予測できるが、“しろ”はそれでいいと言った。それで良いのだと、そうすがすがしそうに笑った。そこまでされていいや違うだろうと言うのも気が引けたのであぁそうかと答えたのを覚えている。
“しろ”も“くろ”も不器用だ。まぁオレも。
「『しんく』は?」
ケイの言葉にあぁそうだったと思い出す。つか、そんなこと明白じゃないのか?
「いるぞ。つか、願った本人だろうが」
「じゃあ行くわよ!」
オレの話を聞いていたのかいなかったのか唐突に立ち上がって腰に手を当て強気で言うアヤ。ケイと燐が驚いてアヤを見上げる。オレは呆れ顔。お前はいきなり何を言い出すつもりだ。
「早く立ってよ!折角帰ってきたんだから付き合って。まだ行ってない町があるのよ」
ニッ、と逆光で笑うそれはどこぞのブラッキーが何かをねだるときのそれとよく似ている。渋面を作るオレに対して、ケイと夜月達は諸手を上げた。
「行くー!!勿論行く!ゆーとも行くよね?」
「ほら、あんたの鞄とコート。ちゃんと取っておいてあげたんだからね」
《行くっ!なぁなぁ、ユウト、行こうぜー。なぁなぁなぁってばあー》
ねぇねぇ、なぁなぁと揺さぶられそれでも無視する。投げ捨てられた鞄の紐とコートが頭にぶつかった。聞きたくない聞きたくない。確かに帰っては来たが、頼むからもう少しだけでもいいからそっとしておいて欲しい。疫病神が一人増えてるじゃないか。勘弁してくれ。
黙りこくるオレ。それをいつの間に移動したのか紅蓮が遠巻きに楽しそうな目で眺める。・・・いや助けろよ。風が木の葉を揺らして木漏れ日を作っていた。・・・あー、はいはい、わあったよ、わかりましたよ。
「わかった、わかったから」
まぁ、オレも“しろ”と“くろ”のことは言えないのだろうが。
夜月が飛び降りて、オレは重たい腰を上げる。アヤとスピカが元気よく先頭を行き、ケイと燐がその少し後ろに並ぶ。オレはため息を一つ吐き出した。ぐいぐいと紅蓮に背中を押されるがまま歩かされる。緑羽はすでにボールの中。斜め前を行く夜月がにやけた顔でこちらを見上げた。
少しくらいゆっくりさせろよと肩をすくめる。見上げた空が憎らしいほどに晴れている。あー。まぁ、仕方がない。こいつらの願いに付き合うとしよう。
「ゆーとおぉ。早くー!」
事故にあったその時『非日常』だったそれは、今当たり前のように『日常』と化している。
だがそうなることを願ったのは、そうなることを選んだのは、オレたち自身なのだから。
勿論これが永遠に続くなどとは思ってもいない。それでも。
「行けばいいんだろ、行けば。それで、どこに行くんだよ・・・」
「うっ、どこでもいいでしょどこでも!」
「うん、みんなで行くならどこでもいーよ。だから早く行こうっ!!」
絶望して、それでも何かに期待して、望んで、進み続けるんだろう。
生あるものの生きる世界で。
2012.8.23 23:38:32 公開
2012.8.23 23:50:50 修正
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