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生あるものの生きる世界

著編者 : 森羅

183.sideユウト×ケイヤ×アヤ 空虚な玉座[“カミサマ”]

著 : 森羅

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空っぽな、形だけの、自分を縛りつけるだけの玉座など欲しくなかった。
それはたった一つだけの我儘のはずで。

一度だけの“ないものねだり”だったはずだったのに。


sideユウト

吸い込んだ息を長く吐き出して、その場に座り込む。ひやりとした地面の感触が心地良い。これで正しかったのかどうか、そんなことわからない。後はアカギ次第だ。ちょん、と“お座り”した夜月と目線が合って、その足元には二つボールが転がっている。誰も何も言わないので、世界はこれが正しいと言わんばかりに静まり返っていた。衣擦れの音さえ無い世界。静寂はやたらと鈍足に時間を盗む.
それがひどく居心地が良かった。だが、その居心地の良い世界を一番初めに壊したのは自分自身.
一息に立ち上がって、赤と白のそれを見る。

「紅蓮、緑羽。どこからこの世界に入っていたんだ?」
《えっと、えっ、とねっ》
《聞いてどうするんですな?》

素直に言いかける緑羽の声を紅蓮鋭いそれが遮った。赤と白が横一文字に割れて、朱色の巨体がその姿を現す。心なしかオレを睨んでいるようにも見えなくない。一緒に帰ろ、帰るんでしょ、と言う緑羽の言葉は聞こえなかったことにした。オレは自分を見下ろす紅蓮に対して肩をすくませ答える。聞いてどうするか、そんなもの決まっている。

「決まってるだろ。お前らを元の場所に帰すんだよ」
《ゃ・・・・・・やだやだゃだやだゃだああぁ!!一緒に帰ろっ!ゆ、っと、いっしょ、一緒帰ろっ!!》

今度は緑羽がそう喚いて自分からボールを飛び出す。塩辛い雫を振りまきながら緑羽は帰るんでしょ、一緒帰ろと繰り返した。青空が背景に映り込む。だが、それには答えず、相変わらず自分を見下ろす紅蓮を見上げた。

「紅蓮」
《紅蓮も緑羽も俺が連れて行くから》

オレが続きを言う前に夜月の声が凛、と不思議と良く場に通った。緑羽が一瞬泣き止み、夜月を凝視する。どうして、どうしてと言葉拙く首を下げて夜月に言い寄る緑羽の頭をオレは撫でた。ぱっ、と今度は緑羽の視線がオレに移る。紅蓮はオレと夜月の両方をじっと見ていた。

《ユウト、お前戻ってくるよな?》

夜月が視線を真っ直ぐ寄越しながら鋭く詰問する。視線だけを緑羽から外してオレは夜月を見て苦笑しながら頷いた。戻ると言うと語弊があるんだがな、と思いながら。夜月の深紅の目がやけにはっきり目を焼いた。

「あぁ、後で行く。・・・今回は、だが」
《ユウト殿!?》

オレの言葉に、なら今はいーや許してやるよ、と表情を和らげた夜月はともかく低く唸る紅蓮はまず間違いなく怒っている。だが、オレはそれに向かって笑った。手は相変わらず緑羽の頭の上。

「どうなるかなんて断言できない、そうだろ。だから、絶対の約束なんてオレはしない。ただ『白い方』とも会わなきゃならないことだけは確かだから、“今は”断言できるだけだ。紅蓮、緑羽、夜月と一緒に帰っていてくれ。すぐ、行くから」

紅蓮と緑羽の両方を見比べながらそう言い切ると双方を沈黙が支配した。緑羽から手を離す。しばし俯いた紅蓮が顔を上げて声を取り戻した。

《帰ってくると、約束しましたな?》
「今は、な」
《帰ってくると、約束しましたな?》
「紅蓮」

やけに強い紅蓮の口調はオレに誓約を命じている。だが、残念ながらオレはそれに断言などできないのだ。未来などまだ誰もわからない。“絶対”などどこにも無い。紅蓮が欲しいのであろう“確かなもの”などオレには何一つない。名前を呼ぶと紅蓮は吼えるように口を開き、そのままたっぷり一秒固まった。そして開いた口は何も音を発することなくゆっくり閉じられ、紅蓮は目を逸らすように顔をそむける。そして結局、申し訳程度の音量で声がやっと聞こえた。

《怖く、無いんですかな・・・?》
「怖いっていうんじゃないか、こう言うのを」

あっさり言い放つオレに紅蓮がまたその顔を上げた。今度は怒りではなく、怯え。はぁ、と溜息をついてからオレは二歩で紅蓮の傍にまでたどり着く。そのふさふさの首回りをぐしゃぐしゃとかき回した。突然の事態に呆ける紅蓮にオレは言う。

「諦めるならもっと早く諦めてたよ。やっぱり消えたくねぇし、死にたくない。だから、あまり期待せず待ってろ」

ぐるりと上半身を後ろに回し、今度はそのまま緑羽と夜月を見る。

「緑羽もわかったか?夜月、頼んだ」
《すっ、すっぐ!すぐ帰る?》
「多分、すぐ終わると思うがよくわからんな」
《すっぐ、だかっ!だからね!!すぐっ、すぐ帰る、るんだよ!!》

緑羽も紅蓮と同じように何度も確認を繰り返す。先が見えないから、確かなものが欲しいと言う。一番前が見えないのはオレ自身なのに。そう思って内心で苦笑した。だが、まぁ。こいつらの所に行こうとして歩けば迷うことはきっと、ない。
じゃあ、俺は行くぞと夜月が背中を向けそれに従う様に紅蓮と緑羽がそれぞれ時折振り返りながら遠ざかっていく。転がっていた空のボールは紅蓮が回収していったのでこちらの世界に余計なものは残らないはずだ。夜月達の姿が完全に消えるのを見届け、それでもしばらくそちらを見ていた。それからオレは息を吐き出し、ぐるりと視線を真後ろへ戻す。

「さて、初めましてで良いのか、黒い神?」

真紅の願いを叶えた死を司るそいつをオレは、見上げた。

sideギラティナ

我さえいなければ、とどれほど己を憎んだか。
自らを傷つけんばかりに泣き崩れる『生』を見て、己さえ生まれなければとどれほど思ったか。
死を迎える生き物たちの『死』をあれはひたすらに悲しんでいた。
だから、時間と空間に懇願した。
我を閉じ込めてくれ、と。命が永遠に消えぬように。
二つの生の世界を命が巡るように。そのためにもう一つ『死』のための世界を創ってくれ、と。
『あれ』を憐れんだのではない。我は。

我はそうすることで己を慰めたかったのだ。


「さて、初めましてで良いのか、黒い神?」

彼の者の声を我は沈黙を持って答えた。答えぬ我に彼はくるりと、体ごとこちらを向く。
ただ、ただ静かに我は問うた。

《我を恨むか、それとも憎むか》

恨んで当然。
憎んで当然。
なぜなら、我もまた恨み、憎んだのだから。
我がこの世に生まれてしまったことを、『生』を傷つけたことを心の底から憎んだのだから。
だが、返ってきたのは肩透かしを食らうような言葉。

「さあな。お前はどうして欲しい?」
《ぬ・・・》

拍子抜けし、困惑する我に対して赤と黒のどちらにも染まれない色をした彼の瞳が不敵に笑った。そしてあっけんからんと、さも当然のように彼は言葉を続ける。

「アカギと同じように、か?そんなこと何にもならないと知っているのに?何より、お前はオレを苦しめたかった訳じゃないじゃないか。ただ願いを叶えてやりたかっただけ。そうだろう?」

我を見上げる彼の言葉に我は何も言えなくなってしまった。紫の混ざった色の大地を目線が右往左往するだけ。確かに。確かにその通りだ。我は願いを叶えてやりたかっただけ。無力な己に飽いてしまっていたから。
それは小さな願い事だった。
それは細やかな祈りだった。

『ねぇ。君は悲しいと思わない?だってさ、独りなんだよ。・・・・・・・独りで、指一本動かす事ができない』

あれの言葉が耳の奥で反芻した。
あぁ、その通りだ。それが悲しかった。それが嫌だった。それが悔しかった。
だから。

黒い黒い世界で。
暗い暗い死の墓場で。
ボロ屑のような彼はあまりにも悲痛に泣いていたから。
その様があまりにも哀れで、救ってやりたくて、愛しくて。
気が付けば我は彼に向かって叫んでいたのだ。

自ら絡み付けた枷を引き千切って。
血反吐を吐くように。
我は確かに叫んだのだ。

叶えてやる、と。

だが、それがこれだけの代償を支払わせた。これだけ多くの犠牲を生んだ。
汝はそれを割り切れるのか?仕方がないと、そう言えるのか?

想いは全て言葉にならず、しかしただひたすら目線だけで問いかけた。
汝は我を許すのか、と。

「・・・『管理者』が真紅の記憶を見せてくれた。だからお前のことも少しだけ知ってる」

我の心を知ってか知らずか、彼はぽつりと続きを話す。それは良く響く声。
我はただ真紅の瞳で彼を見ていた。静寂を保ち、傷つけないように見下ろしていた。

「真紅の望みを叶えた時、言ってただろ。『願いは聞き入れられた。汝の望んだままに。汝はその代償を払わねばならぬ』。『代償は、汝自身。汝の罪の重さを知ると良い』。ここだけ聞くと、お前はかなり真紅を突き放してるようだが、実際は違う。この言葉には続きがあるからだ」

淡々と語る言葉は仕舞い込んでいた記憶を呼び戻す。
あぁ。あぁ、彼とは確かに話をした。彼の命が尽きるそのわずかばかりの時間、闇色のあの場所で。
幾何の年月がたったのかは覚えておらぬが今でもはっきりとあの時のことは覚えている。
だが、なぜ彼にそんなことを言ったのかは今思い返してもよくわからない。
ただ、我は彼が気に入ったのだろう。傍にいて欲しいと、ただ話を聞いて欲しいと、そう思う程に。
それはひどく懐かしい記憶。戯言を、気紛れの愚痴を我は彼に聞いてもらったのだ。
彼は憐れそうに我を見ながら、ひどく優しい顔をして我の話を聞いてくれたのだ。

《『たった一人、たった一匹、たったそれだけの命に対して我等に何ができると思う?我等には何もできぬ、水に落ちそうな獣の子の手を引いてやることさえできぬ。どれだけ望んだか!!どれだけ願ったか!!救ってやりたいと!手を貸してやりたいと!だが、いくら願おうと声は届かなかった!誰も赦しをくれはしなかったのだ!!』》

ゆっくりとかつての言葉を反復すると、それは溶け込むように世界に沈んでいった。そしてそれを聞いた目の前の彼は微かに口元を緩め、笑う。それを見下ろす我は己がひどく穏やかな、泣き出しそうな目をしていることに気が付いた。懐かしく暖かい記憶の中の彼はそう言った我に向かって、憐れむように微笑む。微笑みながら言う。僕の望みをきいてくれてよかったの、と。本当にありがとう、と。代償を払うと、それは罪だと、そう脅したのに。己が傷つくと、誰かを傷つけると、そう知っていたくせに。優しい微笑みであれは礼ばかり言っていた。無力な我を恨まなかった。君はそれだけの願いで良いのかと、繰り返し聞いていた。・・・あぁ、そうか。成程。汝はあれと同じなのだったな。優しいあれと同じなのだな。記憶と重ねながら彼を見やる。
汝よ、それが我の問いへの答えなのか。

「そこまで言ってたやつを恨むのは、なかなか難しいと思うんだが」

何とも言い難い苦笑を浮かべながら、彼は我を見上げてそう言う。
その笑みはあの時、あの場所で彼が浮かべたのとは少し違うが似た笑み。憐れめいてはおらず苦笑であることが違い、けれどその表情が似ていた。似ているのは世界を恨んでなどいない、我等を憎んでなどいない、その表情だった。
念を押すように、その答えで本当に良いのかと確認するように、我は意地の悪い質問をする。

《・・・汝はそう答えるのか。それさえ世界の謀略かもしれぬとは思わぬのか》
「そうかもしれないな。だが、それ以外は思えないんだ。謀略でも策略でも構わない。それの寄せ集めがオレなんだから」

相も変わらず彼は苦笑いのままだった。どうしようもないと、仕方がないと。
だが、それは諦めの笑いであっても嘆きのそれではない。開き直ったような、そんな不敵な苦笑い。この答えが例え策略であってもその答えは己のものだと、そう言い切って見せている。

だから我は頷いた。
そうか、と。ならば良い、と。
それは優しいものの答えで、恨むことのできない哀しいものの答え。自然と我は微笑していた。
暖かい何かが空っぽの体に満たされて、申し訳なさと無力さとが同じ量の空虚を創る。優しさと苦しさが同時に胸を締め付けた。我の瞳は、存在さえ世界に拒絶される彼を憐れんでいたのかもしれない。だが、強い言葉が静寂なる死者の世界に落ちて波紋を生んだ。

「憐れむ必要なんてないさ。寧ろ、お前だって同じだろう?お前は無力だと言ったじゃないか。自分は無力だと。何もできないのだとそう言ったじゃないか」

ぬ?と我は渋面を作る。にっ、と不敵に、悪戯っ子のように、そして虚勢を張るように笑う彼に対して我もまた釣られるように笑った。くしゃりと顔を歪ませて噛みしめるように嗤う互いの声がしばらく世界に反響する。
あぁ、そうだったな。汝を憐れむ必要などなかった。そうとも、我だって同じくらい無力なのだから。

同じくらい、憐れで惨めな“かみさま”なのだから。

「『叶えさせてくれ』、か。“神様”はそんなに詰まらないんだな」

一通り嗤ってから、彼は詰まらなさそうにそう呟いた。
その言葉に対して我は首肯する。あぁ詰まらぬ、と。

《あぁ、詰まらぬ。強大な力を持つゆえに誰かを傷つけることを恐れ、“神”であるゆえに誰かに固執もできなかった。結局できたのは空虚な玉座に座っていることだけよ。見下ろし、見守り、しかし何もせぬ、居ても居なくても同じ、名前すらない無力で詰まらぬ虚偽の王になっていただけよ》

誰かを幸せにしようとすれば、それは誰かを不幸にした。
誰かを護ろうとすれば、それは誰かを傷つけた。
限りなく平等に、皆を幸せにすることなどできなかった。
限りなく等しく、皆を護ることなどできなかった。

優しいだけの無邪気な夢はやはり夢でしかなかったのだ。

だから、ただじっと見ていることしかしなかった。
それがどれほど下らぬことか己でよく知っていると言うに。
それは『誰か』すらも護れぬと、そうわかっていと言うのに。
現状を救ってくれるものなどいないと、そう知っていたと言うのに。

我の言葉に呆れたように彼は肩をすくめる。そしてふと思い立ったように彼はぽつりと呟いた。
無風の世界、無音の世界、命無き壊れた世界。この世界はまだ元の『生の世界』である『死の世界』に戻っていない。混沌色の闇が、原初の空間が、下でうねっていた。生きているものは、我だけ。声を発するのは彼だけ。そんな彼は我に向かって微かに笑いかけた。嘲笑うように、道化の笑みのように。

「“愚か者の神様”。無力だと、何もできないのだと言うなら、オレのこともどうしようもないか」

乾いたような諦めを含んだ嘲笑。
それは彼自身を嗤っているのだろうか。我を嗤っているのだろうか。はたまたその両方か。

偶然にも創られ、生まれてしまった存在。
生と死に否定され、時間と空間に肯定された存在。
責任の一端は違うことなく我にもある。

我等の勝手な願いが、彼を創ってしまったのだから。

だが、それでも我はまだ彼に対する答えを持たない。
ただ一度だけ“神”を外れた我は、しかしまだその座に居座っているのだから。
答えぬ我に彼は溜息を吐き出し、言葉を続けた。

「・・・アカギを呑み込んだのは世界を護る為か?」

唐突な疑問に、しかし首肯する。
その通りだと。

『この世界が崩れていくのを見ているだけのつもり?』

あれに言われた言葉が、小さく胸に刺さっていたのだ。
無力な己が馬鹿馬鹿しくて、嘲った。だからそれはせめての抵抗だった。
・・・あれは我を笑うだろうか。真紅の願いを叶えた時、一度だけと言ったくせに、と。傲慢で仕方ないねぇとそう言って笑うだろうか。
きれいにきれいに笑うだろうか。

《我はもう飽いたのだ。詰まらぬ虚偽の“神”に、誰も救えぬ愚者(おろかもの)に》

首肯の後、ぽつりと我の生み出した音は風になった。
ほう、と相槌が目線の先から聞こえて、彼は聞き手に回っている。

飽いたのだ。
哀しいことをただ嘆くだけの刹那に。
悔しいことを慟哭するだけの世界に。
我は己が創った己の世界に飽いてしまったのだ。
だから――。

《皆々救うことができればと、そう思っていた。だが、そう上手く世界は回らぬ。皆、望みも願いも違うのだから》
「あぁ、そうだな」

無邪気に夢見た優しいだけの夢幻を、埃を取って抱きしめた。
綺麗な世界は幻想だったと、涙しながらそれを砕いた。
“かみさま”にはなれなかった。

――だから我は願ったのだ。
赦されないはずの願いを。
あまりにも傲慢で、あまりにも勝手な願いを。
全てのものを救おうとして、全てのものを護ろうとして、それゆえ叶わなかった願いを。

一度目は黒い世界に来た、あの可哀想な『真紅』。
血だらけで傷だらけで、それでも泣いて笑っていたあれに戦慄した。
なぜ泣くのかと、泣かないでくれと。
なぜ笑うのかと、笑わないでくれと。

生など一瞬だというのに、その一瞬の間にその小さな手では抱えきれないほどの何かを背負っていた。
その強さが眩しくて、その儚さが愛しくて。
『誰か』に固執することなど本来“神”はしてはならないのだろうが。

一度だけと言い訳して、我は彼の願いを聞き届けた。
それは自己満足以外の何物でもなく、終わりではなく始まりだった。

一度だけと、言い訳したはずであったのに。
あぁ、まだ願うのか。あぁ、まだ欲するのか。
“一度だけの願い事”を、一体何度使うのか。
傷つくと知っているだろうに。我はその傷の痛みに陶酔するのか。
それでも欲しいと思ってしまった。

“かみさま”はもう十分だった。

だから、アカギを呑み込んだ。
二度目の、我儘。
それはあの者を不幸にすると知っていたと言うのに。
何かと何かを秤にかけるなど赦されないと言うのに。
我は、我は。

頭の中で乱雑な記憶が流れて遠のき、唐突な思惑が浮かんでは消えた。
沈黙が生まれ、それから何も言わなくなった我に向かって彼は再び笑いかける。

「良いんじゃないか?飽きてしまったなら、やめてしまえ」

ひどく明快に。
それは世界を震わせた。

茫然とすると言うのはああ言うことをいうのだろうか。
時間が止まった気がして、空間が歪んで崩れた気がした。体の中に入っていった言葉を消化して、やっと我は笑うことができた。壊れたように、狂ったように。涙が零れて闇の中に呑み込まれていった。

《汝よ》

答えをやろう。
汝が問うた、問いへの答えを。問いかけとして返してやろう。
問いかけとして返すから、汝は答えを選ぶと良い。
ただ一度だけ“神”を外れた我は、しかしまだその座に居座っている。
だから。

《どうしようもない、と言えば汝はいかがする?『汝と言う存在』は我にはどうしようもできないと、我がそう言えば汝はどうするのだ?》

彼を見下ろし、彼の答えを見守る。
愛しいものを見守る目は、きっとこれだと思いながら。
真紅ならば何と答えるかと思いながら。
暫く考えた彼は、そうだなと獰猛な種類の笑みを浮かべ、言い切る。

「なら、神様の座から引きずり降ろしてやるよ」

我は笑った。
あぁ、そうしてくれと。
この下らない玉座など壊してしまってくれと。

それこそが願いだと。

哀れで優しいこのヒトの子が、我は愛おしくて仕方がなかった。

sideザウラク(ディアルガ)

其れはまどろみの中で見た泡沫の夢。
決して叶わず、手の届かぬ蜃気楼。

吾は時の海を渡る風、時の海を動かす波。
ただ、それだけであれば良かったのに。

吾もまた、海を渡る一介の舟であるなどと、知りたくはなかったのに。
否、知ってはならなかったのに。

知ってしまえば、港の灯台の光を探してしまうと分かっていたから。
水に飢えた砂漠の探究者のように、
出口を求め暗闇を彷徨う咎人のように、
星導を、陸の灯を、探そうとするのは分かっていたから。

そう、
吾も救えぬ他者だけでなく自分さえ見て見ぬふりをしたのだ。海の魚は天には届かぬと。
全ての始まりであるあれが、『生』が傷ついたのを吾は知っていたから。
壊れそうなほど泣いていたのを吾は見ていたから。
慰めの言葉など見つかるはずもなかった。ただ吾自身もああなることを恐れ、吾の鎖で吾を縛った。それで良かった。風であり波である吾に、其の感情は不要だったのだから。誰かが叫びをあげ、嘆き、喜び、そのどれも知らないふりをすることができたから。

なのに。

其れの声は、ひどく良く聞こえた。
だから、つい。

つい、尋ねてしまったのだ。どうしたのかと。

震えた。
声が震えた。
体が震えた。
時間が震えた。
心臓が震えた。

その震えが恐怖だったのか高揚だったのかは今でもわからない。
あぁ、あの時吾は優しく声をかけることができたのだろうか?

ただ、其の感情は強烈に吾を浸食した。小さな泡沫の夢が、その時弾けた。夢の中でしか手に入らなかった蜃気楼を手の中に掴んだ。
たった一度で良いからと、たった一度だけだと、そう自分に言い訳をして。

盗人がそっと他者の家から黄金を持ち出すように。
足跡のない新雪に、そっと足跡を刻むように。

其れは罪悪感と高揚感とがない交ぜになった奇妙な感動。
嬉しくて、涙が零れるほど嬉しくて愛しくて、でも寂しくて、悲しくて辛くて、背徳感で満たされていた。

傷つくことは分かっていた。『生』はそうやって傷ついたのだから。否、それでも良かった。『生』が傷つきながら、泣きながら、それでも愛しているのだとそう言っていた意味がわかった気がした。

短い短いまどろみの中、ほんのわずか見た夢。

吾は、吾は。

ずっと“かみさま”になりたかった。
ずっと“ぽけもん”になりたかった。

「ザウラクの望みはあたしの願いを叶えさせてくれ、だった。・・・ねぇ、ザウラク。ザウラクは、本当は何が欲しかったの?」
《吾は》

目下に小さな舟がいる。吾の加護を受けた小さな舟。其れは黒髪を持つ吾が愛しんだ小さなヒトの子。其の小さな舟が風に聞く。何が望みだと。本来ならば逆であるはずなのに。風が舟に問うはずなのだ、どこへ行くのかと。だが、吾は吾自身も舟であることを知ってしまっている。吾の小さな舟は吾の灯台になることも知ってしまっている。蒼い瞳が吾の答えを待っている。小さな優しい温もりが其れの寄りかかる部分から全身に広がっていく。

《吾、は》

吾の愛しんだ舟に吾は先程ごく自然に尋ねてしまった。今度はどこの海で灯りを探すのかと、どこの岸辺で星を読むのかと。たった一度だけだったはずの我儘は、たった一度で終わらなかった。たった一度だけで、満足するからとそう、言い聞かせていたのに。

吾はまだ望んでいる。
もっともっと強欲で、もっともっと輝く刹那を。

あぁ、此れは呪いか。
呪いだと言うのならば、何という優しい呪いか。何という残酷な呪いか。
傷つくことを知っていて、それでもなお望むことを止めないなどと。傷口さえ愛しいなどと。これは呪いだ。吾は笑った。壊れてしまいそうなくらい笑った。泣き出しそうなくらい笑った。否、泣いていた。
後に傷つくのは自分だと知っていた。それでも。

傷つかない刹那より、愛しい刹那が欲しかった。
傷つかない永遠より、疼く傷を抱えた永遠の方がましだった。
ただ、この一瞬が欲しいだけ。

「ザウラク」

強い意志を表す其の蒼い瞳が吾を呼ぶ。
そうとも。吾は其れが何よりも欲しかった!

《今一度。今一度、風の名を呼んでくれ》

きょとん、としてから其れは笑う。とてもとてもきれいな笑い顔だった。
愛しい愛しい笑みだった。

「舟の輝く星、あたしの導き星。あたしが貴方に名前を付けた。だから、貴方はザウラク」

気取った言い方に照れるように其れはもう一度笑った。
吾もそれに笑い返し、言葉も返す。

《応。時の司の塔の灯》

誰も救えぬ“神”ならば、吾は“ポケモン”になりたかった。

《吾の愛しき、契約者》

吾の選択にアヤは、笑ってくれた。

side堺(パルキア)

生あるものは空間。
時の流れも世界も空間の中にあり、
それらの交わりは即ち、空間の交わり。
だが、それらを司るはずのおれはどうしてどの空間とも交わることができなかったのだろう?

・・・わかっている。自ら関わらないようにしていたからだと。

欲しいものが、あった。
手に入らないことを知っていて、それでも夢想し続けた幼い夢が、ずっとどこかで燻っていた。

それが許されない夢であることなど、おれは遠い昔から知っていた。
いや、そう言い聞かせて叶えようとはしていなかった。

『生』と呼ばれるあれをずっと見ていて、その『生』の選んだ結末をおれは知っていたから。
疵(きず)を創り、治療しようとしないばかりか自分でその疵を抉り、赤い血が流れていくのを痛い痛いと泣いていた。

ごめんなさいと、ごめんなさいと、そうずっと謝っていた。
許してください、許してくださいと、そう何かに向かって繰り返していた。
見ていられない光景だった。

おれもいつかはこうなってしまうのかと、その時はひたすらに恐怖を覚えた。だから自分を戒めた。夢想し続けた夢を、意識の下にそうっと押し潰した。そうやって考えないようにしていた。

それでもずっと羨ましかった。
傷ついても愛おしいと笑った『生』が。

それでもずっと悔しかった。
何もできない『空間』、自分自身が。

夢を見ては目覚め、また眠っては未練がましく夢を見た。小さな小さな押し潰したはずのその夢を。
あの時、あの一瞬、あの場所で。押し潰して、見ないようにしていたはずの、それでも燻っていた無垢な夢がフラッシュバックを起こしたのだ。

一度だけでいい。一度だけ。一度だけ。
無我夢中でそう言い聞かせた。おれはあの時一体誰に許しを乞うたのだろう?
血まみれの、息も絶え絶えとしたヒトの子の耳にそうっと囁いた。

その望みがそのヒトの子自身を傷つけるとわかっていても。
おれ自身をあの時の『生』のように傷つけると知っていても。
その小さな小さな望みを、叶えてやりたかった。
おれのささやかな悪あがきだったのだ。

誰もを救える、何でも願いを叶えられる“かみさま”。

それがおれの幼い願いだったのだから。

「ねぇ、堺(かい)。望みは何?ぼくが、叶えてあげるよ」

おれを見上げる彼は雪の上に寝転びどこまでも強く笑う。
傷ついただろうに。おれが望みを叶えたから、おれの願いを聞き届けたから。
なのにどうしてそれほど強くおれに向かって笑えるのか。恨んでくれても良いほどなのに。彼からすれば永遠にも近い時間を過ごしているおれの方がまるで子供のようだった。

「堺。もっと貪欲でいいんだよ」

風に紛れて、聞こえてきた微かな、しかしはっきりとした声は憂いを含んでいた。雲の上のこの場所を通り抜けた声は空間を渡って消えて行く。真っ白な雪の上に寝転がったままおれを見上げるその顔は、どうすればいいのかわからず当惑するおれの表情を面白がるようにへらりとしていて。それでも身動き一つせず、おれの答えを待っていた。

おれは。おれの願いは。

今、おれの視界に入る空間がおれと繋がっている。それが途方もなく嬉しかった。それは空間を切り取ってしまいたいほど。護ってやりたいと、そう確かに思った。

全てを救うことなど不可能だったのだ。
誰かを救うことさえできなかったのだから。
傷つけて、代償を支払わせて無理やり釣り合わせた彼の望み。
大昔の幼い夢の、神という名の玉座は思った以上に無力で、寧ろ檻のようだった。だから、それならばいっそ。

《おれは、おれはな》
「うん」

笑顔を浮かべたまま彼は次の言葉を急かすように相槌を打った。
自分が望みを叶えた彼が、大好きだった。
自分の願いを叶えてくれた彼が、大好きだった。
神としておれは身勝手だろう。何という贔屓なのだろう。
だから。だからおれは。

《おれは、唯のポケモンになりたいんだ》
「うん、いいよ。叶えてあげる」

その言葉がわかっていたかのように頷く彼に笑みが再び咲き誇る。
自分の問いに対して望む答えを提示してくれる、頭のよく回るケイヤが、おれは好きなのだ。
一等の笑顔を浮かべて彼は天空に手を伸ばした。それはおれに向かって差し伸べられた手。
それは小さくても、確かにおれを救ってくれる。触れたら折れてしまいそうな細腕にそっと自分の手を触れさせた。

「君はぼくに名前を教えてくれた。約束しよう、堺。君は強大な力を持っているだけの唯のポケモン。だから」

いつかおれは後悔するだろう。
この選択に、塞げぬ傷を抱えるだろう。
それでも。

「だから、“かみさま”になんかならなくていいんだよ」

それは二つの空間が繋がった瞬間。
とてもとても暖かくて、切なくて。

溢れて零れ落ちた透明な雫さえも、優しかった。

side???

君達のせいじゃないんだよ。
ボクの傷はね、ボクのせいだから。
だから、自分を責めないで欲しかったんだ。

自分をにくまないで。
自分をうらまないで。
ボクのことは憎んでくれても恨んでくれても構わないから。

ごめんね、でも愛しているんだ。

時間も空間も、死も。

生あるものたちも。

ボクは大好きなんだよ。

****
こんばんは、もしくはこんにちは。またはおはようございます。
この183、通称“かみさま”サイド(今名づけた)ですが、主に幕間の部分がクロスしています。
「願いを叶えられない者達」「遠い昔に見た夢は」そして「それは裁きと祝福で」、です。
それでは、失礼しました。

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2012.3.24  12:17:13    公開
2012.3.29  03:07:04    修正


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