生あるものの生きる世界
181.sideユウト 探し物[ナクシタモノ]
著 : 森羅
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sideアヤ
マーズとジュピターを黒い穴が呑み込んだ、その一分後。
ろくな道具がない中、とりあえずあたしはスピカとレグルスの毒の治療を。そしてケイヤはその間、じっとその穴を見ていた。そしてふと思い立ったようにケイヤはパルキアの方へ向き直り、燐を伴って彼の方へと歩いていく。そしてパルキアの真ん前まで来たケイヤはパルキアの体に手を触れた。
声が聞こえる。それは背中しか見えない位置にいるあたしでもケイヤが笑っているとわかる声。
「ありがとう、堺(かい)」
《ぐるぅ》
紫のラインが入った、薄紫色の『神様』はひどく優しい目でケイヤを見下ろしていた。ケイヤもそれを見上げて笑い、ふらついたのか雪の中に倒れ込む。でもしばらくしても立ち上がる様子がない。
「ケイヤ・・・?」
燐がそれを見下ろしているから大丈夫だろうと思いつつも不安になったあたしはケイヤに近づいてその顔を覗き込む。そしたら、顔を見られたくないと言わんばかりに右腕がケイヤの目を覆った。ひゅぅう、と風が走る。いまさらだけど、雨に濡れた服に風が通って凍えそう。ケイヤはとりあえず大丈夫そうだから、あたしはあたしで蒼色をした時間の、あたしの願いを叶えてくれたその『神様』の元へ歩み寄る。
「ごめん、なさい。大丈夫?ザウラク」
《言ったであろう?小さき舟。吾は風だと、吾は波だと。なら、吾を傷つけることができるものは風を捕える事のできるものだけだ。鎖に風は繋げまい?小さき舟よ、其こそ・・・》
「あたしは大丈夫。・・・ありがと」
久しぶりに聞いたザウラクの声はやっぱりどこか深みがある優しい声。懐かしいそれは包み込むような、そんな聞く人を安心させる声をしていた。そして喩え話も相変わらず。とりあえず大丈夫だと言いたいみたいなので、大丈夫なんだと思う。
ザウラクとパルキア、堺と。どちらも優しすぎて壊れてしまいそうなくらい優しい神様で、哀しすぎて壊れてしまいそうなくらい哀しい神様。あたしもいつの間にかケイヤを倣うようにその手をザウラクの巨大な足に触れさせていた。そうしていないと、ザウラクが崩れて消えてしまいそうで。
彼らは強大が故に脆くて壊れてしまいそうだった。
優しすぎるから、傷ついて壊れてしまいそうだった。
二匹の哀しくて、優しい目があたしたちを見下ろしていた。ごめんなさいと、そう謝るようにあたしたちを見つめていた。でも、彼らの優しさが、彼らの祈りが、罪になんてなるはずない。だからザウラクも堺も謝る必要なんてない。悲鳴を上げるように、自分を縛る鎖から逃れるためもがくように、ただ願っただけなんだから。あたしたちと何も変わらず、あたしたちと何も違わず、ただ祈っただけなんだから。
「・・・アヤちゃん」
「え?」
ケイヤの声が静かに響いた。相変わらず雪の中に寝転がって、顔を横断する右腕も動く様子がない。けど口だけは確かに動いていた。
「聞かせて。ぼくの、知らない話。アヤちゃんと・・・・・・アヤちゃんとゆーとの冒険譚」
堺が愛おしそうな眼差しでケイヤを見守る。燐は付き添うようにその場に座り動かない。ザウラクの方を見ると白に近い青空を背景にザウラクは話を促すような目をあたしに向けた。
確かに時間はある。あとはもうあたしたちには待つことしかできないんだから。ふっ、と場の冷気が弱くなった。少し暖かくなったその気候はザウラクと堺が調整してくれたようで、その行動は彼らも聞きたいのだとそう言わんばかり。ケイヤに一体どういう思惑があってそんなことを言ったのかわからない。でも。・・・聞いて欲しい、と思った。あたしがスピカたちと駆け抜けて見てきたものを。賑やかに、愉快に、傷つきながら、迷いながら、それでも歩いてきた道のりを。
「・・・いいわよ」
ザウラクに、こんなにも幸福だったのだと、こんなにも幸せなのだと、そう知ってほしかった。
sideユウト
テンガン山の現状はひどく途中半端なところで途切れた。アルフェッカがメタモンを倒せたのかどうかさえ定かではない。どちらが勝ったのか負けたのかなんて確かにどうでも良いことなのだが、それでもこれはあんまりだ。まぁ、文句を言う元気があるわけでもないのだが。ただ、『管理者』が何をしたいのか、オレに何をさせたいのか余計に訳が分からなくなっただけ。『管理者』からの答えは当然なく、オレはため息ともつかない息を吐き出す。ただそれだけの事がひどく馬鹿馬鹿しい。なぁ、ただこれだけの、“息を吐く”なんて一秒未満の出来事さえオレは赦されないんだろう?じゃあ一体何なら赦されるんだ?生きることも死ぬことも赦さないというのなら、一体どうしろとそう言うんだ?
答えは無い。世界のどこにもなく、誰も持っていない。
【無様もここまで来ると滑稽だよな】
何もない空間とも呼べないこの場所にそれは遠くまで響いた。わざわざ声を出してみて顔を歪める。何に、と聞かれれば現状に、と答えるしかない。いい加減しつこいとは思うのだが、相変わらず目線は『管理者』が見せる記憶を辿っていた。もうすでにこの状況は自分でも滑稽と思えるほどになってきたらしい。生きたいと記憶に取り縋って、死ぬのが正しいだろうと嘲笑う。同時にその二つを繰り返す自分に対していい加減飽きれば良いのに、とどこか他人事のようにも思えてきた。
だいたいオレを消したいのならさっさと消して欲しい。殺しに来るならもう抗わないさ。都合良く創ったと言うのなら都合良く消せばいい。都合良く記憶の修正でもすれば良い。都合良く『しんく』だけの存在でも創れば良い。なのにどうしてここまで引き延ばすんだ、何も感じないくらい早く殺してくれれば良いのに。こうやって何か可能性があるように見せかけて、そのたびに突き落として。一体オレに何がしたい?都合良く創ったモノにこれ以上何を望むんだ。これ以上どう壊したいんだ。今度は車じゃなくて、自殺をしなきゃならないのかよ?いや、死ぬことさえできないのか。
言葉、映像、現実、現状。考えなくても良いのに、考える権利など無いのに考えてしまう自分に苦笑いさえ出ない。考えるほど苦しくなるだけなのだから早く消えてしまいたいというのに。・・・・・これじゃまるで生殺しじゃないか。殺したいくせに殺せず、死にたいのに死ねず、じゃあ生かしてくれるのかと思えばそれもせず。生かしたいくせに死ねと言い、殺したいくせに生かし続けるなんざ、悪趣味にもほどが・・・・・・。・・・?記憶の中でアヤが泣く、ケイが笑う。テンガン山でのあれは事故だ。
ふと、違和感が降ってきた。そうだ、なぜ世界はさっさとオレを排除しない?願いはある意味では叶ったし、元々オレがいなくてもその望みに支障は出ない。なのになぜオレに“生きたい”と思わせ続けて、“死にたい”と思わせるのを繰り返させるんだ。“生きなきゃならない”と“死ななきゃならない”を押し付けるんだ。そんなこと何の意味も持たないだろうに。オレが生きようと思おうが思わまいが世界には関係ない。なのになぜ?まさか、どうすればいいのかわからないのはオレだけじゃないのか?
まさか『世界』でさえもどうすればいいのか考えあぐねているのか?
それはひどく都合の良い考えだった。馬鹿の一つ覚えのように“生きたい”と泣き叫んでいた自分がぴたりと泣き止むのがわかる。勝手な解釈だと嘲笑って自己を護ろうとする自分がわかる。ぼんやりと目から入ってくるそれでは“よづき”が死に深紅が慟哭していた。だが、そう。よくよく考えればそれはその通りなのだ。『世界』は生死だけで成り立っているわけでも時空だけで成り立っているわけでもない。その4つの要素が関係しあって一つの『世界』として成り立っている。時間と空間はオレを、『しんく』を繋ぎ止めねばならず、生と死は『しんく』の存在を消してしまいたい。この綱引きのような状態で世界が『オレ』を生かすことも殺すこともできないのは当然だろう。・・・オレは『しんく』ではないが、存在する限りある意味では『しんく』なのだから。
確実にオレは今、ひどい顔をしているのだろう。呆けているのか、死人のような顔をしているのか、笑っているのか、嗤っているのか、疲れ果てているのか、その全てなのかわからないが。墓を掘る真紅、掘り起こされた土の匂いが腐臭と混ざる。生々しく目に映るそれらをそんなひどい顔をしながら眺め続ける。
・・・馬鹿馬鹿しい。
言い捨てるようにそう思う。
馬鹿馬鹿しい。どうせ何も変わりはしない。結末を選ぶ権利なんてない。そんなこと赦されていない、存在さえ認められていないくせに。『期待』なんてするなよ、しないでくれよ。それは苦しいだけだから、辛いだけだから。傷つくだけだから。無様な自分が期待し続ける自分にそう言い聞かせる。呪詛のようにもう何も考えるなと、考えないのが正しいのだとそう諭す。それでも嫌だと首を振る。生きていたいとそう縋る。何も悪いことなんてしていないと。ただ、当然のように生きたいとそう思っただけなのだと。それの何が悪いんだと。・・・もうやめてくれっ。体が悲鳴を上げる。抗っても悲鳴を上げて泣き喚いても馬鹿のように笑っていても凄むように嗤っても。
誰も救ってなどくれないのだから。
しん、と刹那、静寂が落ちてきた。
はぁ、っはぁ、としゃくりあげながら肩で息をする。ただそれだけのことがとんでもなく苦しかった。不快感が喉をあがってきて、血管の束を皮膚を引きちぎって掻き毟りたかった。マサゴでナナカマドのじいさんが話す、カンナギでシロナさんが誇らしげに胸を張る。その光景に全部壊したくなる。苦しくて、悔しくて、羨ましくて。前かがみに蹲って頭を抱えた。
・・・どうして!どうして!!なんでだよ、どうしてだよ!どうしてオレには、オレには何もないんだよ!?意識さえされないようなことが、ただ呼吸をするということが、考えるということが、存在するということが、赦されないんだよ!?誰もが疑うまでもなく持っているのに!!なんで、誰もが当然のように持ってるんだよ!!?当たり前のように与えられてるんだよ!?
吠える獣のように口を開き、全てから目を逸らすように固く目をつぶった。それでも涙は一滴さえ流れない、一言も悲鳴のそれは聞こえない。掠れたような吐息が、やっと耳に届くだけ。真紅のような涙は流れず、深紅のような血を吐く悲鳴は上げられない。・・・あぁ、そうさ。不自然に不器用に口元をゆがめる。オレはそれだけさえできないんだ。嘲笑う。ただ嗤う。それしかできない。いや、それすらもできない。何も望めないんだよ、なのに何を願えと言うんだ。何を願えば良いんだ、何に望めば良いんだ。世界にか?神たちにか?誰も何もできないのに?本来こうして考えることもできず、誰も何もできないのに、何に期待すれば。
『君さ、抗うならもっときちんと抗いなよ。諦めるならもっと潔く諦めなよ。ねぇ、君は一体何を『期待』しているの?』
何、に。
ぽつんと、『管理者』の声が一つの記憶から落ちてきた。それを聞いたのはつい先程の事だと言うのに記憶を流し見ていたせいか遠く昔のことのようだ。だが、それはどうでもいい。オレは顔を上げてそれを凝視する。期待。期待、『期待』?・・・オレは一体何に『期待』している?
『ねえぇ?・・・あちしは、あんたを殺し損ねたのよぅ?じゃあ、じゃあ次は『期待』するしかないじゃなぁい!!あがいてあがいてたとえ結末がやっぱり世界の、神様の筋書き通りでしかなかったとしても・・・神様の人形に“もしかしたら”って何か期待したくなるじゃなぁいっ!』
別の記憶の中でクレセリアが、そう間延びした声を上げる。オレはただ間の抜けた顔で今度はそちらに視線を注いだ。クレセリアは続ける、“もしかしたら”を期待したくなったのだと。だからオレも『期待』した。クレセリアの言う“もしかしたら”があるかもしれないと。『何か』があるかもしれないと。だが、戻った世界は壊れていた。クレセリアにも断っておいたが自分と『生の世界』を秤にかけても答えは明白で、それでも生きていたいと『狭間の世界』に逃げ込んで。何かに期待して、それを嘲笑って、それでもまた何かに対して期待を繰り返して。一周した思考がその時点ではじめへと戻った。
・・・あぁ、そうか。
点と点が、記憶と思考が唐突に繋がった。オレはただただ笑うだけ。・・・・・・あぁ、そうだよ。期待してるんだ。オレはずっと期待していたんだ。『世界』に、いや『誰か』に。『何か』に。
笑う、嗤う。頭のネジがどこかに飛んで行ったらしく、それは止まらなかった。とんでもなく間抜けだ。途方もなく無様で、独り善がりも甚だしい。それは座り込んで動かない子供のように。自分は何もできないのだと、考えることもできない存在に一体何ができるのかと、その言葉を盾にとって。
オレはずっと『何か』に期待し続けていたんだ。
何かが掴めそうだった。何かを思い出しそうだった。焦燥感に駆られながら、記憶に目を走らせる。記憶の中で紅蓮が怯える、シリウスが項垂れる、スピカが呆ける。・・・あぁ。全く、馬鹿にも程がある。オレはこいつらに何を言った?後はお前次第だと、オレは何もしてやれないと、お前に正しい答えはこれだと言えないと。・・・そっくりそのまま、その偉そうに言った答えを自分に返してやるよ。創り物で本物ではない、偽りだらけの存在だがそれでも“オレは知ってる”じゃないか。
精神論ばかり?解決策を誰も教えてくれないだと?好き勝手言ってあいつらに何ができるんだ、だと?『管理者』に向かって喚いた言葉を自嘲しながら思い返す。・・・そりゃそうだ。忘れていた。自分で言った言葉なのに忘れていた。誰も正しい答えなんざ持ってない。間違っていると罵る権利は誰にもない。オレはそのことを知っていたじゃないか。尋ねても尋ねても『管理者』が答えなかったのは答えなかったんじゃない、答えられなかっただけだ。ケイもアヤも同じこと。何もできないからこそ、何も正しい答えではないからこそ“勝手なこと”を、生きてくれと、そう“勝手なこと”を言うしかなく、それがあいつらの“答え”。オレは自分を見下ろしため息をつく。偉そうにアヤや紅蓮たちに言ったくせに今のオレは、少なくとも今『オレ』だと思っているものは、自分以外に答えを求めて、自分以外に期待して、他人に責任ばかり求めている。言ってることとやってることが違うじゃないか、道化め。
次に目線の先に映るのは緑羽。ズイで生まれた緑の翼の主はマサゴの海辺で泣き叫ぶ。怖いと、怖いのだと。ごめんなさいと。置いていかないでくれと。寒くて痛いと。生きていてごめんなさいと。そう謝るから。そう世界中に謝るから、
だからここにいさせてくださいと。
磯のにおいがする、潮騒が聞こえる。あぁ、馬鹿だよなぁ。オレは本当に馬鹿だ。緑羽はまるでオレじゃないか。オレは緑羽と同じように駄々をこねて泣き喚いていたのか。クレセリアに泣いていると言われたのはこういうわけらしい。ずっとこうやって泣いていたのか。また口を吊り上げる。この時、オレは何を言った?泣く緑羽に何を言ったんだろう。最後の言葉は覚えている。だが、その少し前の答えは記憶の中のオレが口走ってくれた。
『他の選択肢を見ないうちに選択肢を自分で消すような真似はするな』
・・・傑作じゃないか。あまりに的を射た言葉に苦笑いしか浮かばない。
結末は一つしかないと、ならそれだけを示せと、他の選択肢など選べないと、そう言ったのは逃げ惑っていたオレなのだから。他の選択肢を自分で消したのはオレ自身だ。何もできないのだからと、そんな権利はないのだからと下らない言い訳を言って。全くもって緑羽に顔向けできない。
全てが偽りの創り物で、思考も、感情も、何も信じられず、どれが自分なのかわからず、どれも自分ではなかったから。全て偽物だと目を逸らして、何も信じられず、いつの間にかあまりに多くのことを置いてきてしまっていたらしい。元から『コトブキユウト』は『偽物』で本物の部分などないのに。それなのにオレは『本物のコトブキユウト』ばかり探していた。幻想ばかり追っていた。偽りだと思う、それこそが全て『オレ』なのに。どっと力が抜けて、それでも微かに笑う。つまり、だ。
つまり『オレ』は『コトブキユウト』を見失いすぎていたのだろう。
ゆっくり右手を握りしめた。少しずつ、呼吸する。赦されないのに考えて、権利はないのに死にたくないと怯えて、とんでもなく情けないのにそれでも。まだ、生きている。
夜月が、ミオで喚いている。もういいと、もういいと。嫌だと、これ以上傷つかなくても良いじゃないかと。『しんく』ではなく『オレ』に対してそう言う。『ユウト』とそう、名前を呼ぶ。オレは軽くため息をついた。・・・『管理、
『私は、私は・・・。私は誰も救えません、“かみさま”なんかじゃありません』
『・・・わずかばかり昔話に興じぬか、嘆きを抱くヒトの子よ。我は、我等はな、この世で一番無力な生き物なのだ』
・・・・・・は?
何か、違うものがそこに混じっていた。
『無力なのです。無知だったのです。ごめんなさい、ごめんなさい―――』
それは、深紅が聞いた白の声。深紅の望みを叶えた声。
『たった一人、たった一匹、たったそれだけの命に対して我等に何ができると思う?我等には何もできぬ、水に落ちそうな獣の子の手を引いてやることさえできぬ』
それは、真紅が聞いた黒の声。真紅の願いを叶えた声。
『私はただ、寂しいと思っただけでした。誰かにいてほしいと、そう願っただけでした。幸せを願っただけでした』
『どれだけ望んだか!!どれだけ願ったか!!救ってやりたいと!手を貸してやりたいと!だが、いくら願おうと声は届かなかった!誰も赦しをくれはしなかったのだ!!』
深紅も真紅もその話を聞いているのが見える。壊れてしまった体を動かさずただじっと。オレも聞いていた。・・・こんな話は知らない。見ていないし聞いてない。
『私は。・・・私は“かみさま”になりたかった!』
「ねぇ」
続きの言葉は『管理者』の声に打ち消され、先程までたゆたっていた記憶は消え去った。
「探し物、見つかった・・・?」
『管理者』が尋ねた後には水を打ったような静けさがその場に広がる。『管理者』の様子がおかしいのは一目するまでもなく瞭然だが、それは。
泣いてるのか?『管理者』の質問には答えず、オレは問う。答えはすぐに返ってきた。
「ヤだな、泣いてなんかいないよ。ボクを誰だと思ってるの?」
【誰なんだよ?】
「・・・君こそ、誰なの?」
奇妙な言葉のやり取り。だがオレは『管理者』は『管理者』、としか知らないのだ。微かに震えた声がそれに返答する。
「そーだよ・・・?ボクは『管理者』。それ以上でも、それ以下でもないよ?」
【なら、なんで泣いてるんだよ】
「泣いてなんか、いないって。何、君、おかしくなっちゃったの?」
おかしくなったのはお前の方だ。流暢な言葉は切れ切れになり、感情を押し込めたようなそれは本心を隠そうと必死だ。だが、ぽたぽたと塩辛いそれは降ってくる。やっぱり泣いてるじゃねぇか。
「泣いて、ないよ・・・。君でしょ?ずっと泣いていたのは」
・・・あぁ、ずっと泣いてたらしいな。クレセリアにも言われた、惨めったらしく泣いていると。
渋面を作って肩をすくませ上を見上げた。
「・・・ふふっ、あの子は率直だね。ところで。ところでもう一度聞くけど、探し物は見つかった?」
今こいつの顔を見たらきっと泣き笑いなのだろう。ひぅっ、と言う息をのみ込む音が聞こえた。だが少しずつ、いつもの調子が戻ってきている。先程の『しんく』たちの記憶は気になったが『管理者』への答えには苦笑で答えた。
「あれ、何。見つかってなかった?」
【いや、自分が何を探してたのかも正直わからん。大体、『オレ』は不要物なんだろう?何一つオレには与えられていないじゃないか】
皮肉るようにオレは笑う。だが、オレには確かに何一つ与えられていない。あえて言うなら虚偽くらいだ。だが、それでも笑う。残念ながらそれこそがオレなのだから。『管理者』はその様子に言葉を変えてきた。
「・・・んー、じゃあ言い方を変えよう。何が見つかったの?」
あえて言うなら。
「あえて言うなら?」
答えようとして、だがそれを言葉にする前に『管理者』は自分の言葉を続ける。
「それからさっきも聞いたけど、君は誰?」
その声には微かな期待が含まれていた。二つの質問、それでもその両方に答える。
どちらの答えも、コトブキユウトなのだから。
死にたくて、生きていたかった。
生きなきゃならなくて、死ななきゃならなかった。
わからなかった。
自分が何なのかわからなかった。自分がどうしたいのかわからなかった。どうすべきなのかもわからなかった。そんなこと考える必要さえ無いと、そう言われた。それなのに、世界は答えを示してはくれなかった。生殺しの状態で、何がわからないのかもわからず記憶を追って。これが本当に探したかったものなのかわからないが、記憶の中で探し当てることができたものは自分自身だった。見失ってわからなくなっていた偽物こそが本物の自分、それと。
はあ、と軽く息を吐き出した。『管理者』は黙っている。
【創り物の偽物の存在、それがオレ。オレなんて存在しないのだから。感情も意思も記憶も全部偽りか虚偽だ。オレなんて人間は、コトブキユウトなんて人間は存在しないはずだった。だが、それでもオレはユウトなんだよ。残念ながらな】
何もできない、考えられない、存在さえ認められない。だから考えることを放棄した。自分であることを放棄した。そうしたら自分がわからなくなってしまった。偽物ばかりだと。・・・それが全て自分だというのに。
「それで、君はどうするんだい?『コトブキユウト』君」
面白そうに、可笑しそうに、茶目っ気を含んだ声がオレに尋ねる。何をこいつは思っているのだろう?『管理者』の想いも考えもわからない。だが、こいつが記憶を見せてくれなければオレは未だに座り込んで永遠に来ない『何か』を待っていただろう。他にも気にかかることはいくつかあったが、それよりも先に質問に答える。記憶の中で探し当てたのは自分と、それから。クレセリアの言葉を思い出し、そのまま当てはめながら。
【どうも『偽物を本物と願う者がいる限り抗い続けなきゃならない』らしくてな。そんな可愛いもんじゃないんだが、とりあえず期待に応えてくるよ】
「・・・二つの世界が壊れるよ?いいの?」
『管理者』の返答に驚愕が混じる。あぁ。だが、それでも。オレはただただ笑った。
【・・・そうだな。その通りだ。だが、まだ結末は見えていないんだろう?】
「何も赦されないくせに?それでも君は抗うの?そんなこと赦されるの?」
『管理者』が言うそれはオレが繰り返してきた言葉。自傷する言葉で、振りかざしていた盾の言葉。
その言葉は無敵で、オレに全てを諦めさせた言葉だった。だが、オレは言っただろう?
【なぁ、『管理者』。そう言うが、じゃあなぜオレを消さないんだ。望みも願いも叶ったじゃないか。それでも消せず、生かし続けて拒絶し続けて。世界もオレを持て余してる。そうだろう?なら、ここでぐずってるよりはよっぽどましな選択じゃないか。赦されなくても良い。だが、ここにいても何も変わらないんだろう。違うか?】
偽物を本物と、オレを『オレ』だとそう言う馬鹿がいる限り、そいつらはオレが諦めようとしても諦めさせてくれず、結局そいつらにオレは振り回される羽目になるのだと。消極的で結構。だが、オレはそう言っただろう?
それに。今度はクレセリアではなく自分の言葉をなぞりながら。記憶を辿って振り返るとオレは自分でも恥ずかしいような放言ばかり口走っていた。
【それに、『言った言葉には責任を取らないといけない』だろ。他人には散々自分でどうにかしろと言っておいて、いざ自分は、じゃ情けない】
「いまさらだね、ユウト君。ま、君はどっちにしろ情けないよ。さっきまでのこと忘れたの?」
オレの答えに対して響くのはやたらと明るいいつもの声。目を瞑っているだけだと、目を開けなきゃ世界は一生君には見えないと、それじゃ何も変わらないと、そうはっきりと言い切った時の声とは違う。
「そっか。おっけー、了解。そう君が言うならボクはもう何も言わないよ。ボクは『管理者』、見守るのがボクのお仕事」
その割にはやたら助言してくれなかったか?『管理者』の台詞にオレは失笑する。だが、それに対する返答はなかった。代わりに木霊するのは落ち着いていて、幸せそうで、だが憂いを含んだそれ。
「記憶の中でさ、皆、君の名前を呼んでくれただろう?・・・名前はね、ユウト君。呼ばれるためにあるんだって。深紅がそう言ってたよ」
つい、顔を伏せた。
・・・本当に何でもかんでもよく知っている。確かそれはミオの図書館でケイに向かって深紅が言った言葉だったはずだ。
「うん、そうだね。何でも知ってるよ。何でも知ってるけど何もできないんだよね、ボクって」
それは不自然なほど明るく、快活に。
疑問を声にしようとしてもそれは音にならなかった。
「じゃあね。いってらっしゃい、ユウト君。幸福を、祈ってるよ」
何をすることもできない、赦されない。わかってる。存在すべきではないと。
だが。・・・『管理者』が記憶を見せてくれなかったら多分オレは気が付かなかっただろう。
偽物を本物だと望む馬鹿が、どうにもいるらしい、と。
side???
全てが見渡せて、けれど何も手に入らない場所。
ここは、そういうところ。
しぃんと静かになってしまったこの場所で、ボクはひとり物思いにふける。
『抗う』を『振り回される』だなんて。クレセリアの言葉を超訳しすぎだよ。ユウト君。
ボクは笑いをかみ殺しながら、それでもひとしきり笑った。
・・・・・・・・・・・・。
すごく、すごく、泣いていた。あの子と同じくらい泣いていた。
あの子よりもっと不器用に。悲鳴さえ上げられなくて、泣くことさえできなくて、それでも崩れそうなくらい泣いていた。
「『私は。・・・私は“かみさま”になりたかった!』・・・・・・なりたかったのに」
一つの記憶をボクはそのまま言葉にする。
空気を震わせて。ここにいると、自分の存在を示すように。
本当は抱きしめてあげたかった。大丈夫だよって、護ってあげるよって。
でもね、でもね。
ボクにはそんなこと、できないんだ。空っぽのそれをボクは見下ろす。
それから世界に窓を創った。二つの生の世界を覗く、窓を。
「ボクは、信じてるよ。ミライを」
ほんの少し前、ギラティナに向かって言った言葉を今度は。
今度は誰に向かって言っているんだろう?
くすくすと笑いが漏れた。
誰にかな、ケイヤ君に?アヤちゃんに?ユウト君に?世界中の者たちに?
でもね、確かにボクは信じてるんだよ。幸福な未来を。
ずっとずっと、永遠のような時間の中で。
2012.2.27 21:52:32 公開
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