短編企画「続」
青年
著 : 不明(削除済)
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東に行こうと思った。
私がわけを尋ねたとき、長い沈黙を破って青年がやっと絞り出した言葉はそれであった。
船員たちが海の上を漂流している青年を見つけたのは、私の船がジョウト大陸の港を出てからしばらく経った後であった。貿易船というのもあり、私の船は種類も様々な荷物とともに南へ向かって進路を巡らせている。
辺りは四方が青青とした海で、天気はすこぶるよろしく、波は凪。空と海面の間に一直線に伸びた水平線を、テッポウオとマンタインの群が飛び交っている。絶好の航海日和だ。私は軽くなった気分のまま目的の進路へとゆっくり舵を取っていた。
すると一人の監視係が、二時の方向に何かを見つけたと大声で船員たちに叫んだ。彼らは甲板に靴音を響かせて二時の方向に注目する。監視係は望遠鏡を取り出して、その物体をもっと詳しく見ていたのだが、しばらくすると私たちの肉眼でもその姿をとらえることができるようになった。真っ青な体に、岩のような堅い甲羅をのせた物体。
ラプラスだ。私がその姿を認めたと当時に、監視係がその名を大声で叫んだ。しかし奇妙なのはここからだ。ラプラスは、なんと私たちの船の方へ徐々に近づいてくるではないか。ラプラスは本来小さな群れをなし、人間の前には滅多に姿を現さないポケモンだ。人間が、己の私利私欲のために自分たちを脅かす存在だと言うことを、彼らは十分に知っているからだ。
氷の上を滑るかのようにゆっくりと近づいてきた一匹のラプラス。船員たちはその様子をただポカンと口を開けて眺めていた。船員として働いてまだ日の浅い多くの者たちは、ラプラスを見ること自体が初めてだ。しかしさらに驚いたことに、そのラプラスの甲羅の上に何かがのっかっているのが見えた。
人だ。人が甲羅の上でぐったりと倒れている。……と、船員の一人が叫ぶ。すると、わらわらと数人の船乗りが慌てて救命用のボートを降ろしにかかった。
ラプラスとの距離はもう船一隻の横幅分もない。そして、ボートを降ろし終えた時にラプラスは私の船の目の前にいた。船員が甲羅の上で気を失っているらしい人間をかつぎ上げ、ボートに乗せる。蒼白の顔色をした青年だった。
ラプラスは、その様子を見届けるとすぐに旋回して船から遠ざかった。終始穏やかな表情だった。少なくとも、私にはそういう風に見えた。
その姿を初めて見た多くの船員は、興奮の色濃くラプラスを引き留めようと叫んでいた。中には、人間を助けてくれたことに対する感謝を叫ぶ者や、捕まえてお得意先に売ったら大金になるとはしゃぐ者もいた。私は、前者には大いにうなずき、後者には厳しくたしなめた。
ラプラスが水平線の先に消えていなくなると、青年が甲板へ運び込まれた。漂流者だろうか、全身がずぶ濡れで四肢がやけに細く、その姿は今にも命のともし火が絶えてしまいそうで大いに不安を煽った。
私は彼を船室へつれていくように言い、私は持ち場を他に任せて同じく船室へ向かった。
船乗りの一人が青年を船室のベッドへ寝かせる。彼は青年の体が冷たいと言った。私はうなずく。海に漂流していたのならそれも当然だろう。私は船乗りに温かい飲み物を持ってくるように指示した。
船乗りが船室から出ていくと同時に、青年はうっすらと目を覚ました。体を震わせながらおびえたような目を四方八方に向けていて、挙動不審さが目立った。私は青年に、ここは安全だということと、ラプラスに乗ってきたことをまず説明した。しかし彼はおびえていて、私の説明が耳に入っているかは微妙なところだった。
私は青年に、一体なぜ海に漂流しているのかを尋ねてみた。しかし、彼が拒絶に近い反応を見せていたので詳しく聞くことは途中であきらめた。そこでちょうど船乗りが温かい飲み物を持って再び船室へ現れたので、私はそれを受け取って青年へ差し出した。船室のベッドでずぶ濡れの体を震わせながら、青年は私が差し出した温かい飲み物をゆっくりと口に含む。私はそんな彼に今日のところは横になるように促した。幾らかの間海を漂流していたと見える彼から今そのわけを聞こうとしても、答えられるほどの体力を持っていないだろうと判断したからだ。
青年は、私たちが船室を去ろうとしていることを認めると、やけに安堵した表情になった。私はその顔を見届けて船室の扉を閉める。と、そこで初めて、彼は消え入りそうなかすれた声でこう言ったのだ。
東に行こうと思った。
翌朝も天気は快調で、海面も穏やかであった。しかし、私の船はとても穏やかとは言いがたい雰囲気に包まれていた。甲板の上に数多くの船員が舵をとる私の眼下に群がっている。なぜこんなことになっているかは明確である。あの青年のことについてだ。
船員たちはあの青年を、船に災いをもたらす存在だと訴えた。今すぐに降ろすべきだ、と。そう訴える根拠は確かに存在した。人間嫌いで有名なラプラスが私たちの船の前に、しかも一匹で現れたということだ。船乗りの間では、ラプラスは群れで見ると幸運なのだが、単体で見かけると災いが起きると言われている。一匹のラプラスは、群れを人間に殺された恨みを船に乗せてくると信じられているからだ。
そんな災いを運ぶラプラスが連れてきた青年も、人間ではありますまい。船員たちはそう言うのだ。私は反論に窮した。まだ青年から漂流の訳を聞いていないからだ。いや、聞いたことには聞いたのだが、「東へ行こうと思った」などという言葉も予言めいているように聞こえて、とてもではないが船員たちを納得させられるようなものではないと思った。
だが、船員たちは漂流の理由を話さないことについても、やはり彼が人間ではないからだと言い初めた。私はどうにかその場は、まだ青年は者を言う体力が戻ってきていないこと。そして、この船の船員も多少なりとも後ろめたい事情を抱えた者が多く乗っている、だから青年が漂流のわけを言わなくとも、こちらから問いただす権利はないということを高々に叫んでおいた。船員諸君、彼がこの船に害をなさぬかぎり、せめて元気になるまでは見守っておこうではないか、と。
とりわけ後者の説得は、船員たちへの効果が抜群であった。幾人かは未だに文句を言っていたものの、三々五々持ち場へと散らばっていったのだった。
船室を訪れると、青年は昨日より少し体力を取り戻した様子であった。未だに顔は蒼白で、体温もふつうの人間のそれより低かったが、命に別状はないというのが船医の見解であった。だが、彼は未だに誰とも言葉を交わそうとはしない。それは相手が私であろうと変わらず、青年の名前すらも未だにわからなかった。
私は、昨日去り際に聞いた東へ行く云々について問いかけてみた。青年はなぜ東へ行きたがっているのだろうか。東というと、ここから東は果てなく海が広がっているだけで、まだ人が住めるような島も大陸も発見されていない未開の地。過去に東へ行って戻ってきた者は皆無だ。そんなところに行く者などは、自殺願望者ぐらいなものだ。いや、しかし彼が自殺願望者ならばいくらか納得がいくところもあるような気もするが……。
私がそこまで説明すると(もちろん自殺願望者云々は省いた)、青年は長い間沈黙を貫き通していたが、やがてかすれた声でこう言った。
無くしたものを、探しに。
彼はそこまで言うと、これ以上は何も言うまい、という風に口を閉ざした。実際、無くしたものとはなにか、とか漂流していたのはなぜか、という私の質問にはいっさい答えなかった。
次の日の天気は、航海にはよろしくなかった。この海域では珍しい濃霧が漂っていて、視界が完全にふさがれている。この霧は早く抜けなければならないのだが、船を進めようにも羅針盤が狂って進路がわからない。これには一等航海士もお手上げで、船は立ち往生していた。間違って座礁でもしたら大変なので、私も迂闊に舵を切れないでいる。
やはり、というのだろうか。船員たちはこぞって私のところへ抗議に訪れた。あの青年はやはり災いなのだ。この船を、沈没させようとしている、と。私は不意に頭に血が上った。同じ人間の命を助けたというのに、タイミング悪く濃霧になったことを青年のせいにするのか。しかし、心のどこかでは私も恐怖していた。もしかしたら、というのもある。たかが迷信、されど迷信。火のないところに煙が立たないように、迷信が作られるからには、本当に青年も過去に船へ災いをもたらした者と同じ類なのではないかという疑いを払拭できずにいた。
と、その時、不意に後ろから人影が現れた。
青年だった。彼は確かな足取りで舵を持つ私の隣に立った。そして、静かにその腕を上げ、一点……十一時の方向を指さしたのだ。
まさか、こちらに船を向けろとでも言いたいのだろうか。濃霧を抜けるためには……。私が問いかけると青年はこくりとうなずいた。相変わらず言葉は発しないものの、その頷きや確固たるもので、今の彼には、その言葉を信じてみようと思わせる不思議な魅力が備わっていた。
私は覚悟を決めて、進路を十一時の方向へ向けるように指示を出した。もちろん反対された。一等航海士でもわからない進路を、たかが漂流していたところを拾われた青二才の言う方に向けようと言うのか、と。
私は一喝した。どうせ立ち往生していても飢え死にするだけなのだ。この船に乗ったからは黙って私に従ってほしい。
船員たちは、渋々、といった様子で持ち場に戻った。中には、船長も災いにとりつかれて正常ではなくなってしまったのだろうか、という声も聞こえた。
だが、どうだろうか。船を青年の言う方向に走らせてから十分もかからないうちに、濃霧は跡形もなく晴れ渡り、快晴の空の下でホエルコとホエルオーの群が私たちを迎えてくれたではないか。
身長が船と同等の巨大なポケモン。彼らが遠くまで、何頭、何十頭と回遊している。時折彼らは潮を吹き、辺りに小さな虹を作り上げた。まだ幼いホエルコも見よう見まねで母親たちのように潮を噴き、それは船員たちの笑いも誘った。
空の蒼、海の青、ホエルオーの群れ、彼らの作り出した虹のアーチ、そして、その中をくぐり抜ける私たちの船。この壮観には多くの持ち場からどよめきがあがった。こんなものが、しかも船のすぐそばで見られようとは何という幸運なのだろうか。
この幸運は、間違いなく青年がもたらしてくれたものだ。私は彼に感謝の意を述べた。そしてその日から、青年のことを忌み嫌うものは誰一人としていなくなった。
その夜、私は青年へ感謝の意を述べるために彼を船長室へ招き入れた。
私は青年に懇ろにお礼をし、できるだけ気さくに話しかけられるように努力した。相変わらず彼はだんまりであったが、その表情はいくらか穏やかなように思えた。
しかし、私が青年を呼んだのはただ礼を述べるためではなかった。私は彼を、壁に立てかけられたとある写真の前に招き寄せる。それは、色あせて四隅が劣化しているものの、私が大事に額縁に納めている写真であった。真ん中が若かりし頃の私。そして、私を囲む船員たちは全員が全員、泣く子も黙るような恐ろしく不衛生な格好をしていた。
私の船はかつて、海賊船であった。各地の秘宝を盗み出し、他人の家宝を奪い去り、目的のためには少々目に余ることもたくさんしてきた。しかしあるとき、嵐で多くの仲間の命を失ったのを機に、海賊から足を洗い、まっとうな貿易船として働くことを決心した。これは天罰なのだと思ったからだ。手を汚した報いは、必ず何らかの形で自らに返ってくるのだと。
貿易船に転向してからというもの、商売はそれなり軌道に乗っていて、再び船員たちを雇う余裕もできてきた。そこで私は、私と同じように過去に犯罪へ手を染め、どこにも拾ってもらえない無職の者たちを船乗りとして雇うことにした。噂を聞きつけて集まってきた者たちは、前科があるものの皆気骨があり、気のいい者たちばかりとなった。そういうこともあり、この船で船乗りたちはお互いの素性を暴いたりすることは禁則となっている。
なので、と私は青年を振り返った。君も、もし漂流していた理由を話したくないのであれば、話さなくてもいい。この船はホウエン大陸まで行くので、そこまでゆっくりしてほしい。私は彼にそう言った。
青年は顔を伏せていた。私は彼が今までの話を聞いていたのかどうか心配になったが、ふと彼は顔を上げ、私の机の上に置かれている水晶を指さして、言った。
あれはどこで?
虚を突かれた私は、とっさにものを言うことができなかった。一拍遅れて私は、あれは昔の海賊仲間から譲り受けたものだ、といった。一見透明のように見えるが、その透明度が高すぎるのか、すんだ青色をしている不思議な水晶だった。これを譲ってくれた仲間の説明曰くかなり価値の高いものだそうで、絶対に売り飛ばさずに持っていてほしいと言っていた。なので、今でもこうやってここに保管しているのだ。
青年は、まるで誘われるようにその水晶へと歩を移した。そして、静かな声でこう言う。
触っても、いいだろうか。
そう言う彼の口調は穏やかで静かであったが、その気迫たるや有無を言わせぬものが含まれていた。私はどもりながらも彼にかまわないと言った。
青年は、まるで赤子を抱くような手つきで、手のひらにその水晶を納めた。その蒼白な顔は今まで見たことがないぐらい穏やかな表情に満ちていて、それと同時に何かを懐かしむような安心感に包まれているようだった。そして、ほとんど聞き取ることができないような声で確かに彼はこう言った。
やっと見つけた、友よ。
次の日。私が船長室で目を覚ますと、あの青年の姿はどこにもなかった。そして、あの水晶もまた跡形もなくどこかへ消え去ってしまっていたようで、私は慌てて甲板へでて、その先頭の手すりを掴みながら海を見渡した。
すると、船からだいぶ離れた海面に、何かが高速で遠ざかっていくのが見えた。もうすでに私の肉眼では、その姿が点ぐらいしか見えなかった。だが、あれは人間の姿などではなく、海のような青い体と純白の白い羽を広げ、海面を切り裂くように高速で飛ぶ“何か”であった。時折その“何か”からからきらきらと光が見えるのは、“何か”が持ってる水晶が、光に反射しているからなのだろうか。
あれは人間ではない。だが、私は確信していた。
確かにあれは青年なのだ、と。
青年とあの水晶があの後どうなったかはいまだにわからず仕舞いだが、果ても何もないと思われていた東の海に、とある美しい島が発見されるのはそう遠くない話だ。
2013.3.6 15:59:05 公開
2013.3.11 14:03:28 修正
■ コメント (2)
※ 色の付いたコメントは、作者自身によるものです。
13.3.11 14:07 - 不明(削除済) (monokaki) |
はじめまして、moonさん。 本企画へのご参加、誠にありがとうございます。主催を務めさせていただいております森羅と申します。 感想会も設ける予定ですので、良ければ是非ご参加くださいませ。 さて。本来ならばここで感想コメントと行きたいところなのですが、申し訳ありません。実は別件のご連絡のためにコメント欄をお借りしました(ポケメは受け取り拒否なさっているようですのでこちらで失礼いたします)。 本企画、共通一文から始めるものであることはご了解なさってくださっていると思うのですが、申し訳ありません。moonさんはその共通一文が微妙にこちらが提示したものと異なります。東「へ」行こうと思った、のではなく東「に」行こうと思った、なのです。それくらいレベルのことなのですが、一応そこがミソの企画ですので、直していただければ幸いかと存じます。 申し訳ございませんがよろしくお願いいたします。 失礼を。 13.3.7 18:01 - 森羅 (tokeisou) |
すいません、企画の趣旨をしっかり読んでおかなかった今回のことは自分の不手際です。大変失礼なことをして申し訳ございません。そして、コメントをくださった日から日にちが空いてしまったこともすいませんでした。
指摘部分は直しておきましたのでご安心ください。今後はこういうことが無いように十分に気を付けようと深く反省します。
では失礼します。