短編企画「続」
可愛くねえ女
著 : 不明(削除済)
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東に行こうと思った。
唐突にってわけでもない。前から行きたいとは思っていた。それに、そんなに遠い場所でもない。なのに、何故今まで行かなかったかって言ったら……なんでだろう……?
上空の飛行機雲を見つめて思案する。
多分、オレにはまだ行く覚悟がなかったんだ。時間がないと言い訳して、逃げていた。あいつに会うのが怖かった。
オレは、行くと決めた瞬間に家を出た。ぐずぐずしていると決心が揺らぐ気がしたから。気合を入れるため、お気に入りのサングラスをかけ、愛用のタバコをくわえる。煙をふーっと空へ吐いて、歩き出した。すぐ消える煙が、なんだか寂しかった。何かの店のショーウィンドーに映った自分の顔を見たとき、不意にオレがかけたサングラスを見て、露骨に嫌な顔をしたあいつの顔が思い浮かんだ。
『なあに、それ。カッコつけてるつもりなの?』
いつも文句を言う奴だった。
『はっきり言って、そのサングラス、全然似合ってないわ。ナンセンスよ』
何処で覚えたのかも知らない、ナンセンスなんて言葉をよく使っていた。
あいつとは、出会いからして、散々だった。旅に出ようと思って、ポケモン研究所に最初のポケモンをもらいに行ったあの日。
余談だけど、オレは生まれつき、顔がいかつい。目が特に怖いと言われる。人に会えば、たいてい泣いて謝られるか喧嘩を売られた。もちろん、それはポケモンも例外ではないらしく、初心者用の最初の三匹は皆、オレを怖がって、『誰が行くの?』『僕、嫌だよぉ』なんて話して、ビクビクしていた。オレはなんだか申し訳ないのと、腹立たしいのとでポケモン無しで旅に出ようと出口へ歩き出した。そのときだった。
『何、アンタ。ポケモン無しで行くつもり? バカじゃないの?』
振り向くと、あいつがいた。すました顔で、興味深いと言うような目で、オレを見ていた。
『あの子たちが行かないなら、アタシがついていってあげようか』
積み上げられたダンボール箱の上に足を組んで座るあいつ。発する言葉は、オレを見下したようだった。
「……別にいらない。お前だって、オレが怖いだろ……?」
半分、自嘲気味に言った。もう半分は諦めていた。
『怖い? アンタが?』
ちょっと怒ったようにそう言って、あいつはオレにつかつかと詰め寄った。オレは思わず少し後ずさりした。
『アンタの何処が怖いのよ?』
「え、だって……」
『アタシは怖くなんかないわ』
あいつは、まっすぐオレのことを見た。オレは誰かとちゃんと目を合わせたのは久しぶりで、なんだか嬉しかった。それに、あいつは、怖くないって……。
「え……本当に怖くないのか?」
『しつこいわね。近づいただけで逃げるような奴の、何処に怖がる必要があるのよ』
小馬鹿にされたようで、カチンときた。
「べ、別に逃げたわけじゃ……!」
必死に弁解をしようとしたら、あいつはそんなオレの心を見透かしたように、
『……ふぅ〜ん、そう』
とだけ言った。
オレは完全に負けたと思った。
風が心地良くオレの隣を駆けた。空が高い。昨日降った雨の水滴が、光を反射して草木を輝かせていた。そして、東へと向かうオレの足を優しく濡らす。
あいつと旅に出てからは、後悔の連続だった。バトルでは、すぐに口答えをして、オレの言うことなんて聞かなかった。一緒に歩けば、つんとして一言も喋らないこともあった。なんでオレについてきたのか聞いてみたことがある。そしたら、あいつはニヤリと笑って。
『暇つぶし』
「はあ?!」
『だから、アタシ、あの研究所の中で面白いことがなーんにもないのが嫌になったの。だから、アンタについてきただけよ』
「じゃあ、もう帰ればいいだろ。オレについてきたって、面白いことなんてねえよ」
あいつはクスクスと笑って言った。
『さあ? まだわからないじゃない』
とことん、性格の悪い女だった。
また、ぱらぱらと雨が降り出した。だけど、小雨程度。傘をさすほどのものじゃない。まあ、傘を持っていないだけだが。けどまあ、逆に濡れて行くのもいいかもしれないと思った。
ふと、足元に花が咲いているのが見えた。屈んで、じっとみつめる。桃色で、小さくて、綺麗な花だった。摘んで行こうかと手を伸ばす。が、やっぱりやめた。花だって、懸命に生きて咲いてるんだ。オレの都合でその命を奪っていいはずがない。オレがこんなことを言うたび、あいつは笑っていた。
『顔に似合わずメルヘンなのね』
「うるさいな。顔に似合わず、は余計だ」
『あら、それじゃメルヘンは認めるんだ』
オレはもう何も喋らなかった。あいつに、口で勝てる気がしなかった。
『てかアンタ、いい加減にトレーナーとバトルしたら? いつまで野生のポケモンで満足してる気?』
痛いところを突かれた。言われたとおり、オレは旅に出てから野生のポケモンとしか戦っていなかった。
『負けるのが嫌なの?』
「そうじゃ……ない……」
口が上手く開かずに、歯切れの悪い言葉しか出なかった。
『……アンタ、自分の顔を怖がられるのが怖いんだ?』
驚いて、あいつを見た。図星だった。あいつの目は暗い紫水晶(アメジスト)の色だった。
『何よ、その顔。わからないとでも思った?』
そう、あいつはいつだって、オレのことをよくわかっていた。見ていないふりをして、一番近くで見ていた。
ある日のこと。道を歩いていたら、二人組の女の子たちとすれ違った。彼女たちは、すれ違う前まで普通だった。なのに。
「ねえ、今の人見た?!」
「見た見た! めっちゃ顔怖かったぁ〜」
本人たちは小声のつもりなんだろうが、悪口っていうのは不思議なもので遠くまでよく聞こえる。
まして、言われてるほうには、気にしていなくても聞こえてしまうものなんだ。
オレはそれ以上聞いていたくなくて、足早に逃げようとした。
だけど、あいつは立ち止まった。
「おい、早く行くぞ」
『なんで?』
「なんでって……」
オレはちらりと振り返る。さっきの女の子たちはまだ近くにいた。
「あの子たちから離れたいんだよ……!!」
オレは出来るだけ小声でそう言った。あいつもそう言えば、すぐ動いてくれると思った。
だが、あいつは、いきなりぱっと駆け出し、女の子たちを追いかけた。
あっと手を伸ばしたときには、遅かった。
『ちょっと、そこのブス二人組! 待ちなさいよ!!』
女の子たちが振り返る。
オレは、どうしていいかわからなくて、頭を抱えた。一瞬他人のフリをしようかとも思った。
「何、こいつ」
女の子たちは、ブスと言われたのが癇に障ったのか、むっとした表情であいつを見た。それから、持ち主であるオレを睨む。オレはその目に少し怯んだが、あいつは臆することなく前に踏み出した。せせら笑って彼女たちに言う。
『そうやって怒るってことは、アタシが言ったこと、本当だって自分で認めてるからでしょ?』
「はあ?!」
オレは騒ぎが大きくなる前に止めようと、あいつの手を引っ張る。
「ほら! もう行くぞ!! すみません、こいつ……」
『なんでアンタが謝ってんのよ?! それに、なんでアンタが小声で話さなきゃいけないわけ?!! バッカじゃないの?!!』
どんなに力を込めて引っ張っても、びくともしなかった。あいつは、さっき彼女たちが睨んだのより、ずっと怖い目で二人を睨んだ。二人の顔に恐怖が走ったのが見えた。
『どんな人だってポケモンだって、心ってもんがあるのよ!! アンタたちが言った言葉で傷つく奴だっているのよ!!』
女の子たちは、ポケモンにこんなことを言われると思わなかったのか、それとも怖かったのか、何も言えなかった。
「もう、いいから……」
『何がいいのよ?!!』
あいつは今度はオレを睨みつけた。
「……もういいよ……」
『だから……! 何が……!!!』
突然、あいつの目から大粒の涙が零れた。
それを見て、オレは思わず、あいつを力いっぱい抱きしめた。
『何……するのよ……!!!』
こんなこと初めてだった。オレのために誰かが怒ってくれた。泣いてくれた。胸の奥がくすぐったくて、悪口を言われて悲しかったはずなのに、そんなことは全部忘れてしまった。胸に言葉が詰まって、なんて言っていいのかわからない。ただ、顔が緩むのを止められなかった。
『な、なんで笑ってんのよ!! アタシ、怒ってるのよ……!!!』
あいつを選んで後悔したことが何度かあった。
けど、あいつを選んでよかったって思ったことが数えきれないほどあった。
世界一可愛くねえ女だけど、世界一優しい女だった。
やっと、目的の場所に着く。高い塔。中は薄暗くて、何処かもの悲しい。
あいつとの思い出を思い返しながら、ゆっくりと階段を登る。
そういえば、初めてサングラスをかけたあの時ときもそうだった。
「そんなに何度もナンセンスって言うことないだろ!」
『だって、似合ってないんだもの』
しれっとして答えるあいつ。
「お前、少しはお世辞とか人を思いやるとか学べよな……」
『お世辞で似合ってるって言われて嬉しいわけ?』
「……出来れば、本心がいいです」
あいつは、わざとらしいほど深く深くため息を吐いた。
『アンタ、バカなの? そのサングラス、本当は何のためよ』
とぼけようと思って目をそらせた。だけど、あいつの尋問からは逃げられなかった。
『その目を隠すためなんでしょ?』
オレは黙っていた。白を切ろうかと思ったけど、言葉が出てこなかった。
『アンタっていっつもそうよね。どうして、他の人のためにアンタが遠慮しなきゃいけないのよ』
「……誰もがお前みたいに自分に正直に生きられるわけじゃねえよ……」
何も聞こえなくたった。恐る恐るあいつを見ると、ひどく傷ついた顔をしていた。
「ご、ごめ……!」
『謝らないでよ……。アンタの言う通りよ』
オレたちの間に暗くて重い空気が流れた。沈黙がしばらく続いた。空は晴れていて、風はなくて、気持ちの良い日だったのに、オレたちはまるで、土砂降りの中にいるみたいだった。
『だけど……』
やっとあいつが口を開いた。オレはすぐにはあいつが喋ったってことが理解出来なくて、聞き返した。
「え?」
あいつは深呼吸をして言う。
『だけどね、アタシはアンタの目が好きよ。たとえ、誰に何を言われても。だから、隠すのなんて……悔しくて仕方ないわ……』
好き……? この目が……?
驚いて、何も言えないオレにあいつは続ける。
『きっといるわ。アタシ以外にも、アンタのことをわかってくれる人が。だから……』
あいつは、いつも通りの意地悪な笑顔で言った。
『そんなもの、すぐ外せるようになりなさいね!』
階段を上りきり、あいつの前に立つ。タバコを踏み消し、どかりと座り込んだ。
「来るのが遅くなって、悪かったな……」
あいつは、何も言わない。
「別に来たくなかったわけじゃねえよ。……いや、ごめん。正直来るのが怖かったんだ……」
あいつは、何も言わない。
「花すら持ってこないなんて、ナンセンスってか?相変わらず、可愛くねえな」
あいつは、何も言わない。
「……なあ、頼むから……。何か言ってくれよ……」
オレは冷たい石に手を置き、懇願した。
今なら、何回でもナンセンスって言ってもいいから。バカじゃないの?って見下していいから。
涙が溢れた。止められない。
「……ううっ…………。う…………」
あいつがいない世界に、どうして生きられようか?
胸が苦しくて、どうにかなりそうだ。
あの笑顔も涙も、もう何処にもないのだ。
痛い。痛い。心が張り裂けそうなくらい痛い。あいつが言った通りだ。誰だって心を持ってる。だけど、今はいらないよ。こんなに痛いなら、いらないよ……!!!
「お前に……会いたい……!!」
そのためには、オレがあいつの元へ行くしかない……。
手に持ったナイフを静かにみつめる。
どうか、もう一度……。あいつに……!!
リンゴーン……。……リンゴーン……。
はっとして顔を上げた。上で誰かが鳴らす鐘の音が聞こえる……。
悲しい音色……。だけど、暖かい音色……。
音が、空気に波紋を広げるように響いた。オレの周りで反響して、じわりと心の中に染み込む……。
カラン……。
ナイフが手から滑り落ちた。拾えなかった。
オレは泣いた。ただただ泣いた。ずっと、ずっと泣いた。
人間とはこんなに泣けるものなのかと驚くほどに泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて。
オレは、自分の手を見つめた。さっきまで、ナイフを持っていた手を。自分で自分を傷つけようとした手を。
なんで気づかなかったんだろう。ここには、あいつとの思い出が、記憶が、感情があるんだ……。
泣き続けるオレの頭を、誰かがふわりと撫でたような感覚がした。そして、聞こえた幻聴。
『まだ、死ぬんじゃないわよ』
見回しても、誰もいない。
……まだ、死ねない……。
オレは確信した。
オレは出会わなくてはならない……。オレはオレなんだって、わかってくれる人と。
それが、オレの使命だ……。
自分に言い聞かせるように、言葉を何度も反芻(はんすう)させる。
それが、オレの使命……。
片手を目に当てて、そっとサングラスを外した。そして、目の前の冷たい石の前に置く。鼻水をずずっとすすった。
「お前のほうが似合ったかもしれないな」
無理に作った笑顔でそう言った。
ここはタワーオブヘブン。
死と生を知る場所。
2013.3.4 22:00:29 公開
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