短編企画「続」
鎮魂唄
著 : 不明(削除済)
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東に行こうと思った。
理由など、旅人にいるのだろうか
「さすらう」それだけで十分だろう。
私は、旅先で得た僅かな金と賃金で旅をすることが好きだ。そして、旅行先で感じたことを下手ながら詩にすることも好きだ。歩き、感じ、作る。至って単調な生活リズムであるが、私はそれで満足で、欲求を満たすことは簡単にできた。飽きることもなかった。その証拠に、ここ12年ぐらいは続けている。
今回も、そんな私の欲求を満たす素敵な旅をするつもりで、自分が東日だと思う方向に行くため、宿をあとにした。
しかし、私がいくら歩こうと、目に見えるのは壮大かつ漠然とした大砂海。ただそれだけだった。
どこまでも続く殺風景の砂道を歩きながら、私は嘆息をついた。
時折人影のようなものが見えて胸を躍らせたりするのだが、よく目を凝らすとそれはサボテンの化物だったり、人型の岩石だったりして、心を砕かれる。
日中は焦げるように熱く、夜中が凍えるように寒かった。
水もなく、食料ももちろんない。自ら持参したリンゴも数日したら腐ってダメになるだろう。
ただ歩く日々を、3日間も続けた。
4日目の朝だった。
体を起こし、眠気眼をこすりながら、延び放題の長髪についた砂を払う。
寝起き早々しきりになる腹をつばを飲み込むことでなんとか宥めながら、私は歩き始めた。
実を言うと、昨日から私は異常なほど腹がなるようになっていた。そして、そんな折に必ず蜃気楼が現れた。皮肉にも、見えるものは昼下がりの繁盛している居酒屋や、私の好物であるパインが売られている果物屋ばかりだった。まるで、蜃気楼に悪戯心という感情が備わっているかのようだ。
追おうとすれば決まって消え、諦めると腹が鳴り、待ってましたと現れる。蜃気楼の悪戯にしてもいささか腹が立ってきた。
どれだけ歩いたか、どれだけ時間を要したかわからないが、気づけば夜になっていた。
私は倒れこむ。
凍えるような空に、金剛石を散りばめたように広がる星星。それらの中央、空の上に浮かぶ満月は、今の私を虫を見るような憐れみの目で私を見ているように見える。
――ああ、美しき地球の宇(そら)に私のような汚物はいらないと申すのか。
こう考えると、月だけでなく、星星や、私を取り巻く寒気までもが、私をせせら笑っているように見える。まるで、私がゴミだとでも言いたげに。
私は自然に侮蔑されたような感覚を覚え、独り宙を、薄笑いを浮かべる月を睥睨する。
――私は負けぬ。必ずや、必ずや――
こう思うと、いくらか気が楽になった。
翌日、快晴。
昨夜の強い志を軽く打ち砕かれてしまいそうになるほど、暑熱と飢餓の二重の苦難は耐え難いものだった。
しかし、そこはなんとか自分を強く持ち、励ますことで挫折だけは免れた。
それにしても、太陽というものはひどい物質だとつくづく思う。自らが放つ悪熱射で下界にすむ生物が苦しみ、弱り、倒れゆく姿を見て爆笑するのだから。そして、満足すると西の空へさぞご満悦な笑顔を輝かせながら帰っていく。
何故、神はこのような無慈悲なものを創ったのだろうか。
何故、神はこの太陽の支配地に私を導いたのだろうか。
私は、悪いことなどしてもいないのに――
月に続き、私は太陽にも神にも立腹した。
熱で極限まで温められた体からは、もう雑巾のように絞っても水分は出てこないだろう。
夜、昨日と同じように宙をきっと睨みながら、私は眠りに落ちた。
六日目の朝。
目を開く。
ああ、今日も快晴か……
嫌気混じりのため息をついたあと、立ち上がろうと上体を起こそうとした。しかし
――おかしい
筋肉が石のように動かない。辛うじて腕と首だけは自由に動かせるのだが、だからなんだという話だ。
瞬時に私は悟った。何かを諦めた。呆然と宙を見上げた。
空では相変わらず、太陽は気分に任せ高笑いしていた。
当然、そんな態度に私は憤慨し、すぐに顔を背けた。しかし、左頬が地熱でじいんと燃えるように熱くなり、咄嗟に首を右に浮かせる。だが、そんなに首の筋肉を酷使できる訳など到底なく、結局はあの太陽と顔を合わせることとなった。しかし、すぐに嫌になって――
私は目をつむった。
何も見えない。
だが、これでいい。
いい気持ちになった。
太陽も、顔さえ見なければ、案外暖かくて良いものだ。
ふと、昔のことを思い出した。
あれは、初めて旅行をした時だった。森の中、いきなり道に迷い、途方に暮れていたところを偶然近くを通りかかった農夫に拾われたのだった。あの時の安堵は一生忘れることはない。
あれは、自分を「さすらいの――」と名乗り始めた頃だった。湖の中央で小舟が転覆し、生来からのカナヅチだった私は、ただ青に沈んでいくばかりだった。そんなところ、優しい池の主のカイリューが私を助け、湖畔に運んでくれたのだった。あの時の感謝は一生忘れないだろう。
あれは、私が詩を作るようになった頃だった。私の詩を街中で読み上げたところ、皆に罵笑され、罵詈雑言を浴びたのだった。そのまま、悔しさと怒りに身を任せ立っていた。あの時の屈辱は一生忘れないだろう。
思い出。
私の思い出。
30年の思い出。
良い思い出。
悪い思い出。
大切な思い出。
今にでも忘れていまいたい思い出。
嬉しい思い出。
悲しい思い出。
どれも、今になってはかけがえのない素晴らしい思い出。すなわち、自分が大好きな「感じる」ことだった。
追憶の後、私はまぶたを開いた。左手には高笑いする太陽。右手には冷笑する月。前方を見ても、憎む球体が存在しない。私は、この時間に安らぎを感じた。同時に、灼熱地獄と冷寒地獄のあいだにこのような天国を与えてくれた神様に少しばかりの感謝を覚えた。
――神よ
その時だった。
突然、空いっぱいに蜃気楼が現れたのだ。いや、おかしい。空に蜃気楼など現れるはずがない。
不可思議な光景を、私は呆としながら見守った。
それは、楽園だった。
空中に浮遊した、黄緑の大地。その上に、赤ん坊くらいの年だろうか、羽を生やした子供がラッパを吹いたり、弓矢を棒のように振り回しながら無邪気に戯れている。また、大地のあちらこちらから清水の湖が湧き出ていて、それを囲うように、色取り取りの花が咲き乱れている。どこからか、大鐘の澄んだ音色が聞こえてくる――
私は、しばらくの間感慨に浸っていた。
どこかで見聞したような光景だったが、今はあえて思い出さなかった。
もう少しでまた憎らしいが登ってくるので、今日のところは寝ることにした。
七日目……ではないだろう。
夜もそろそろふけるのではないだろうか、という際(きわ)に私は偶然目を覚ました。夜空には相も変わらずたくさんの星が瞬いている。しかし、一昨日とは違って、星を冷淡にあしらうことは出来なかった。
何故だか、あの星たちが夕方みたあどけない赤ん坊に見えて……
私も、今の状態から脱し、あの赤ん坊のように自由に飛び回りたい。いま、切に思った。
しかし、私のような神を憎んだ罪深い愚者は、何度せがもうが、祈ろうが、許しを乞おうが、あの楽園へ行くことは不可能だろう。
逆に、神に嘲笑された挙句、地獄におはじきのように飛ばされ落とされてしまうだろう。
一体私は何のために生きていたのだろう――ふと思った。
私は、今まで幾度となく人に助けられてきた。だが、逆にその恩返しをしたことは一度もなかったことに気づいた。
森にあった農夫にだって、飯こそ頂いたものの、代わりに何かをする、ということはしようとも思わなかった。私を助けたカイリューにだって、お礼一つ言わずに逃げてしまった。
――いっそ、私を殺せば良かったのだ。カイリュー。
私は、農夫に生かされてのうのうと育っていく畜牛のように、親の執拗な愛を受けて幸せに育っているつもりでいる子供のように、ただ他人に育てられていただけなのだ。
思案の末、私は己の我儘に育ってきただけだったということに気づかされた。
私は、暁の宙を仰いだ。
明るみ始めた東方には、既に超光を放ちながら半円が薄ら顔を出していた。普通なら、心中で独自に毒ついていた光景だが、今の私にはそんな資格などなかった。
最期、七日目になる前に私は詩を一つ書き残そうと思う。私の記念すべき遺作だ。だから、この詩に私のすべてを込めようと思う。
私の人生を
私の愚かさを
私の過ちを
私の遺志を
すべてを書き終えた後、私は重い腕を落とした。
最後の宙をみる。
――ああ、今日もいい空だ。
罪で重くなったまぶたを静かに閉じた。
何も、思い残すことは無かった。
これが、この地に伝わるお話の一つでございます。
この街では教科書にも導入されているお話であり、私もよく塾で朗読させられたものです。
そんなくだらない話はさて置き。
この話、続きが諸説ございます。
偶然通りかかった遠い国の高僧が拾い、あまりにも素晴らしいとそのまま家宝にして、末代まで大切にした、という喜ばしい説もあれば、王族がご発見されるなりくだらないと燃やしてしまった、という悲しい説までありますし、旅人が焚き火の火加減が良くないと燃料に使ってしまった、という奇説までございます。しかし、果たしてどれが事実なのか、そもそもその事実など存在するのか、詩の内容でさえ、どこのだれも存じないのです。
2013.3.2 23:45:18 公開
2013.3.20 00:33:38 修正
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