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未設定3938
優しさと、悲しさと。――タブンネの女の子
著 : 風見鶏
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悲哀な旋律が流れる中で、一人の少女がカウンターの席に座って泣いていた。
マスターが慣れた所作でコーヒーを用意していく間にも、少女が泣き止む気配はなかった。
肩の下まである後ろ髪をカウンターにこぼして、前髪はカチューシャで止めている。少女はカチューシャを取ってカウンターに置くと、コーヒーを一口飲んだ。
アコースティックギターの単音がすすり泣く声と調和して、いつも以上に悲しみの色が強い。
マスターは少女が泣き止むのを待っていた。
ギター奏者も泣き止むまで楽譜のない音楽を奏で続ける。
やがて泣き止んだ少女は、目にどこか悲しげな灯火を宿して語り始めるのだった。
◇ ◇ ◇
ここはシッポウシティのポケモンセンター。この辺のポケモントレーナーなら一日に一度は必ず訪れる場所。私は大してポケモンバトルが巧いわけでもないから、ここに来る理由はポケモンの回復じゃないことの方が多い。たぶんポケモンセンターは一番人の往来が激しいところだ。寂しがり屋の私が話し相手を見つけるために選んだ場所、それがポケモンセンターであり、ポケモンの体力が満タンなのに通い続ける理由だ。
私はポケモンの世界をびっくりさせるほどの、とてつもない秘密を知っている。裏技と言っていいかもしれない。きっと、一番最初に見つけたのは私。そこは譲らない。
でも秘密ってものは大体どんなものでも、知ってしまって良いことはないのだ。秘密は秘密のままじゃなくてはいけない。寂しがり屋の私がそんな秘密を知ってしまったら、取るべき手段はただ一つ。気を引くために秘密を秘密じゃなくてしてしまう、それしかない。けれど、このことが人生史上最悪の出来事の始まりだったのだ。そして、その頃の私は、まだ何も分かってはいなかった――。
ポケモンセンターの自動ドアが開いて、カウボーイみたいな格好をした男の人が入ってくる。確か彼の名前はモリトさんで、ポケモンレンジャーをしている。手持ちのポケモンはハーデリアだ。
モリトさんは私に気づくと手を挙げて笑顔を作った。モンスターボールを片手で転がしている。私もいつもどおりの笑顔で声をかける。
「モリトさん、お疲れさま。今日もヤグルマの森ですか?」
「もちろんだとも。ポケモンレンジャーたる者、強くなくてはいけないからね。今日も修行、明日も修行だ!」
わははは、大げさに笑ってボールを預けに行く。こんなとき、私はすごく嬉しい気持ちになるのだ。モリトさんの修行というのは大半が私のおかげ、つまり、私の秘密のおかげだから。ちょっとした優越感すら感じてしまう。だからそのへんにいくらでも居そうな女の子である私は、今日も明日もきっと明後日も、初めて会うトレーナーさんに秘密を教えていく。普通の女の子と違うのは、そんな秘密を握っているところ。私と誰かを繋ぎとめるものは、話せばみんなを幸せな気分にしてくれるたった一つの秘密だけなのだ。
ハーデリアの回復を終えたモリトさんが、来たときよりも心なしか元気になってポケモンセンターを出て行く。それと入れ違いに女の子がやってきた。顔の横ではムシャーナが浮いている。初めて見た。
私は人当たりの良い可愛げな女の子を装って声をかける。
「ねえねえ、トレーナーさん。とっておきの秘密があるんだけど、聞いていかない?」
ブロンドのボブカットに緑色のベレー帽みたいな帽子を被った女の子。袖の狭い服は白く、その上からオレン色のノースリーブニットを着て、ふんわりとした白いワンピースを流している。シッポウシティのおしゃれというものは、飾らないおしゃれだ。この女の子の格好は派手すぎないし、かといってシッポウファッションみたいに地味すぎてもいない。無難なおしゃれで、元のかわいさも相まって私なんかよりずっとかわいい。
女の子は緑の帽子に触れて、くりくりとした目を瞬かせた。
「秘密? 気になる。教えて!」
見た目以上に元気な女の子だ。私は誰にでもそうするように、たっぷり含み笑いでもったいぶってから答える。
「そうだねぇ、じゃあ、名前教えてくれないかな? それがとっておきの秘密を教えてあげる条件だよ」
「そんなことでいいの? あたしの名前はね、ベルだよ。えっと……、これで教えてくれるんだよね?」
うん、私は元気に頷く。さあ、秘密のお披露目だ。
「あのね、タブンネってポケモン知ってる? 歩いているときに草むらが揺れていたら入ってみて。オススメはヤグルマの森。見つけたらポケモンを強くするチャンスなの。たっくさん経験値が貰えるんだよ! なんだか優しいポケモンよね!」
こうして秘密の共有者がまた一人増えた。ベルと名乗った女の子は、初めて知ったよ、と嬉しそうにポケモンセンターを後にする。去り際に名前を聞いてきたけれど、ちょっと不思議っ子を装ってみたくて、『タブンネの女の子』ってことで通すことにした。自動ドアが閉まって、私は達成感に満ち溢れている。
この時の私はすごくいいことをした気分だった。
いつもと同じように、些細な幸せの後には優しげな夜が来て、自分の部屋に戻って、充足感に包まれた私は笑顔のままベッドへ飛び込む。
シッポウシティには家具デザイナーさんが居て、私の部屋もオーダーメイドの家具でいっぱいだった。どれもこれもすごくかわいい。ファッションセンスはないけれど、自分の周りを飾るのは好きなのだ。それは秘密を色んな人に教えて喜んでもらうのと似てる。私の喜びは周りの喜びだった。だからずっと私は良いと思ったことを疑いもせずにやってきたのだ。
今日もいいことをした。窓の外ではまんまるのお月様が浮かんでいる。悪いことは何一つないはずだった――。
一夜明けて、私はいつもどおりポケモンセンターに行く。そして、相も変わらず私の秘密の共有者を待つのだ。ヤグルマの森から出てきた修行者たちは、みんな一人残らずタブンネを倒してポケモンセンターにやってくる。タブンネを倒した人たちは誰もが笑顔で幸せそうだったし、手持ちのポケモンもレベルアップしていて嬉しそうだ。そんな様子を見て私も幸せになる。何も間違っていないはず――。
ポケモンセンターの自動ドアが開いた。私はこの時から何か嫌な予感はしていたのだ。顔を真っ青にしたモリトさんが駆け込んできて、私の前で膝に手をつき、荒くなった息を整える。額に汗を浮かべて、いつもの溌剌とした印象は欠片もなかった。
私は昨日みたいに笑顔を作れず、ただ黙ることしかできない。落ち着いたモリトさんが口を開いたとき、私の手のひらにも汗が滲んでいた。
「……大変だ。ヤグルマの森が大変なことになってる」
私の声は喉の奥でつっかえて出てこようとしなかった。モリトさんは黙ってる私を見て話を続ける。
「タブンネ狩りをしていたトレーナーたちが、みんなやられてる。あのタブンネにだ。タブンネの群れがトレーナーたちを襲ってる。おれはすぐに逃げてきたから大丈夫だったが、他のやつらがどうなっているかは分からない。それくらい恐ろしい光景だった……」
そこまで話してもらっても、私は声を出すことができなかった。汗が額を伝って頬を流れ顎から落ちる。私は間違っていないはずだった。なのに、どうしてこんなことに――。
私の幸せの方程式はもはや解を導き出せなくなっていた。
モリトさんの話は続く。
「森が生きているように、タブンネだってポケモンで、ちゃんと生きていたんだ。いくら幸福を与えるポケモンだからと言っても、トレーナーたちはここまでひどい仕打ちをした。そりゃあ怒るに違いないさ」
「――どうして」
不意に声が喉を通過して音になった。
「どうして、こんなことに。私は何も間違っていなかったはずなのに」
たまらずに私は走り出していた。頬に流れる汗と涙が勢いで宙に飛ぶ。ポケモンセンターの自動ドアをこじ開け、私は思いがけない光景に絶句した。自然と足も止まる。
辺り一面は暗緑色の森。背の高い木が立ち並んで、膝より高い位置まで草むらが伸びている。見覚えのある光景だった。
向こうの草むらでうごめく気配。私が秘密を発見したあの日、好奇心に駆られて覗いてみると、そこにはモモン色の柔肌をしたポケモンがいたのだ。それがタブンネ。
捕まえようとして弱らせていたけれど、思わず倒してしまい、経験値がその辺のポケモンなんかよりも断然多く入ってくることに気づいた。
草むらの揺れがゆっくり近づいてくる。あの日と違うのはそんな不可思議な現象だけ。場所もにおいも風の冷たさも全てが同じだった。まるであの日に戻ってきたみたいに。
私は後ずさった。
すると後ろの草むらも揺れ始める。右も。左も。森全体が揺れる音に支配される。
もう涙すら出なかった。
草むらの揺れが止まる。揺れていた場所から、ひょっこりとタブンネが顔を出す。一匹や二匹じゃない。数匹、いや、数十匹のタブンネが私を糾弾するように見つめている。
私にはタブンネの表情がとてつもなく恐ろしいものに見えた。体の底から恐怖や焦りが沸いてきて、私の身体を支配していく。最後には私の幸福が覆されて、なんとも言えない悲しさだけが残った。
タブンネが私を円状に取り囲んで距離を詰めてくる。
思考が色んなものを処理しきれずに暴走し出した。
そして、私の世界は暗転する――。
◇ ◇ ◇
少女はもう泣いていなかった。悲しげな旋律が空間に溶け込んで、やがて演奏は終わる。
それからね――。少女は語りだす。
次に目を覚ましたときには、自分の部屋の中にいて、なぜか夜だったこと。
夢だったのかと思う。けれどあんな鮮明な夢があるだろうか。翌日、ポケモンセンターに行ってみる。ヤグルマの森でタブンネを倒していたトレーナーたちと出会い、みんなが同じような経験をしていたと知る。不意に周りにいたはずのトレーナーが消え、ただ独り自分だけが世界に取り残されたような感覚を覚えたという。
「それは不思議な現象ですね……。職業柄、色んな人の話を聞きますが、こんな話を聞いたのは初めてです」
マスターが微笑みながらそう言うのを、ギター奏者もまた微笑んで眺めている。少女はそんな光景に違和感を覚えるが、正直なところどうだっていい。この場所はお互いに深入りすることをしない場所。音楽のように不可視で、寄り添ったかと思えばすぐに夢のように消えていく。そういう関係が生まれる場所だった。
「マスター、もう一杯ください。あ、砂糖もいっぱいください。今の洒落じゃないですからね、一杯にいっぱいとか、勘違いしないでくださいよ!」
おもしろいですね、マスターは呟いた。
シュガーポットと一緒にコーヒーを差し出す。少女は受け取って砂糖をかなり多めに入れた。
「もう苦いのなんてやだ……。甘くなればいい。甘くなればいい」
コーヒーカップを手にしていたマスターの動きが止まる。
「時には、苦いものも必要だとは思いませんか?」
奏者が静かに弦を弾き始め、バックサウンドにしてマスターが話を続ける。
「苦さを体験しなければ、甘さを経験した時にそれが甘いということに気づかないでしょう? 同じように悲しさを知らなければ優しさを知ることもない。あなたは孤独という悲しさを知っていたから、他人に幸福を与えるという優しさを覚えたのではないですか? そう、まるであなた自身があのタブンネのように」
コーヒーカップを口につけていた少女は手を止めた。瞬きを数度して、目を細める。それから一気にコーヒーを飲み干して、静かにカウンターに置く。
「私、やっぱり間違ってなかったよね! ちょっとやり方が違ったかもしれないけど、やろうとしてたことは間違ってない! ありがとう、マスター!」
少女は語り始める前とは打って変わって清々しい表情をしていた。笑顔が弾け、涙で赤くなった目にも希望の光が灯っていた。
これから少女がどうなっていくかはマスターにも奏者にも誰にも分かることではない。
けれどマスターは祈るのだ。彼女の行く末に美しい旋律が流れるように――。
2011.3.1 00:28:21 公開
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