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著編者 : 風見鶏

運命の観覧車

著 : 風見鶏

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 丁寧な動作でマスターがカウンターにコーヒーカップを置く。
 目の前に座った女の子が、弾ける笑顔でお礼を言った。快活な印象を受ける女の子だ。
 今回の語り部はどうやらこの女の子らしい。
 コーヒーを一口飲んで、女の子は嬉しそうに語り出すのであった。


 ◇ ◇ ◇


 一目見た瞬間、私は王子様が現れたんだと思った。赤い帽子を被ったオオカミヘアの男の子。肩から腰まで斜めに下がったバッグをかけている。そう、いかにもポケモントレーナーって感じの――。

 私は独りでライモンシティの遊園地に来ていた。嫌なことがあったわけでもないし、逆に嬉しいことがあったわけでもない。遠くからでもその存在がはっきりと確認できる観覧車を見たとき、私はどうしてだか乗ってみたいと思ったのだ。あんな高いところからイッシュ地方を眺めることができたら、それはもう鳥ポケモンになったような気分を楽しめるかもしれない。それだけで私の心は躍った。
 そして、いざ遊園地に入ってはみたものの、観覧車に乗り込んでいくのはカップルばかりだ。独り寂しく乗り込んでいくような人は当然いない。
 モンスターボール型のカプセルがゆっくりと回っている。係の人がカップルを笑顔で誘導している。観覧車が夢の舞踏会に運んでくれるシンデレラの馬車みたいに見えて、私には係員の招き入れる手がとても遠いものであるように思えた。
 私みたいに、独りで観覧車に乗ろうと思っている人はいないだろうか。この際、男の子でも女の子でもいい。幼稚園児だっておじいさんだって気にしない。誰でもいいから来てはくれないだろうか。
 そんな小さな希望を胸に、私は観覧車の入口を背にして立っているところだったのだ。時間は否応なしに過ぎていって、あっさりと日は沈んでいこうとする。そこへ来たのが彼だった。
 本当にたった独りで観覧車の方に向かってくる。どうしたものだろう、ここで声をかけるべきだろうか。悩んでいる間にも彼は独りで観覧車に乗ろうとする。
「ま、待って!」
 私は思わず呼び止めていた。
 男の子がきょとんとした表情で振り返る。目の高さはおんなじくらい。ちょっとだけ男の子の方が高いかもしれない。焦る私を小突くみたいに心臓はどくどく跳ねる。その高鳴りは念願の観覧車に乗れるからだろうか、それとも――。
「どうしたの? 何か用?」
 たまご形のくりくりした目がぱちぱちと動いた。
 呼び止めてしまった。こうなったらもうどうにでもなれ、だ。
「さあ目が合ったね! 目が合ったらポケモンバトルをしなきゃいけないんだよ!」
 ポケモントレーナー同士における暗黙の了解。でもなんとなくずれているような気もする。呼び止めて、振り返ったところで目が合ったら、とかなんとか、なんだか卑怯だ。その証拠に男の子はたまご形の目を余計に真ん丸くして、新種のポケモンでも見るかのように言葉を失っている。
 たまらなくなって私は言葉を続ける。
「え、えっと、もし私がバトルに勝ったら、一緒に観覧車に乗ってほしいの!」
「え?」
 男の子も思わず声を上げる。
「それで、君が勝ったら一緒に観覧車に乗ってあげてもいいよ!」
「ん、つまり、観覧車に乗りたいの? 人違いじゃない?」
 うわあ。すごく怪しまれている。ここは自己紹介をして親睦を深める作戦でいこう。
「人違いじゃないよ! き、君の名前は?」
 焦りすぎてすごくおかしな人みたいだ。自己紹介をするつもりが、逆に名前を聞いてしまってるし、人違いじゃないって言った直後に名前を聞いている。こんなはずじゃないのに!
 男の子は慣れてきたのか笑顔を作って答える。
「トウヤ。おれの名前だよ。きみは――」
「トウヤね! さあポケモンバトルの始まりよ! わたし、強いんだから!」
 こうしてハチャメチャな成り行きで、私と王子様のポケモンバトルは始まって、観覧車が一周するよりも早く決着は着いてしまった。
 私が出したゴチムはそもそもバトル用に育てていたポケモンではなかったし、トレーナーである私自身もバトルの経験なんてそんなにないのだ。見るからに旅人といった風貌のトウヤには負けて当然だったかもしれない。
 けれど――これで私の念願であった観覧車に乗れる!
 橙色の絵の具が溶けたような空をかきまわすように、モンスターボール型の個室を引っ提げた観覧車がゆっくりと回っている。私は黙ってトウヤの手を取った。ちょっとだけびくっと肩が跳ねる。私の手はしっとりと汗で濡れていた。そんなことも気にせずに、強く手を握ると、負けずに強く握り返してくる感触があった。
 私たちは夕日を背負った観覧車に向かって歩いていく。まるでチャンピオンロードの関門をくぐるみたいに緊張していた。係員はどこかぎこちない、たった今できたカップルを見て、少しも嫌な表情を見せずに、シンデレラの馬車へと私たちを招く。そして二人だけの世界――私たちの夢の舞踏会に運んでくれるのだ。
 観覧車に乗り込んだ私たちは、お見合いをする人たちみたいにかっちかちだった。トウヤの方を見ると緊張しているのか、すごく真剣な表情をしていた。私は思わず吹き出してしまう。それに気づいてトウヤも笑った。遠くでは夕日が沈んでいく。トウヤの笑顔は夕日色だった。
「そういえば、君の名前は? まだ聞いてないんだけど……」
 言われて気づく。そういえば私は、トウヤの名前だけ聞いてさっさとポケモンバトルを始めてしまったような気がする。よっぽど焦っていたらしい。
「私の名前はミハルだよ。かわいいでしょ?」
 かわいい、トウヤはそう素直に答えた。代わりに私は恥ずかしくなって黙ってしまう。なんか今日の私はいろんなことがおかしい。これも全部観覧車に乗れたことに対する興奮と、あとは――いいや、よく考えて私は内心で首を振る。
 ついさっき会ったばかりの少年。一目惚れなんてフィクションの世界だ。きっと観覧車に乗れることのドキドキと混ざって勘違いしているに違いない。私は感情を表に出さないように気をつけて、窓から見える景色に目を移す。
 街は橙色に染まっている。いつも見ていた街とは違う、夕日の燐光が踊り、街を綺麗に染め上げていく刹那の舞踏会。見える景色はすごく神秘的で、私の思い出にしっかりと刻まれる。そして隣には、トウヤがいる。会ったばかりだけれど、なぜかずっと前から知っている人のようだ。
 観覧車の高度は次第に高くなっていく。その時、観覧車がちょっと揺れた。
 景色を見てみると、相当高いところまで上がっているように思う。私はこのときになって初めて、自分が高所恐怖症であることを知った。怖くなってきて私は全身を硬直させて俯いてしまう。
「大丈夫? 顔が青いけど」
 トウヤが気を遣って声をかけてくれる。私から誘ったのに、情けない。
「……大丈夫。たぶん」
 まだまだ観覧車は上に昇っていく。どうやらしばらく下がってくれそうにはない。夢の舞踏会がどんどん形を変えていく。大きな風が吹きつけて、観覧車はちょっとだけ揺れた。気づくと手が震えている。
「震えてるけど、本当に大丈夫?」
 甘い雰囲気なんてあったものじゃない。台無しだった。
 でも私は、ここでちょっとした意地悪を思いつくのだ。
 少しくらいそういう雰囲気になってもいいじゃないか。そんなことを期待して。
「大丈夫じゃないかも。ちょっと、怖いかな」
 私はトウヤの反応を窺った。どうすればいいのか分からずに焦っている姿は、ちょっと可愛くも見えた。わざと縮こまって、弱い女の子を演じてみる。ちょっとした恐怖と、恥ずかしさと、情けなさ、色んな感情が私の中で渦を巻いていた。きっと同じように、トウヤの中でも色んな感情が渦巻いているに違いない。時間の流れがひどくゆっくりに感じた。
「怖いよ。ねぇ、もうちょっとこっちに寄ってほしい、かな」
 トウヤは焦った表情を隠せなくなっている。さすがに言い過ぎだったかなと思うけれど、私は今日の出会いを単なる偶然で終わらせたくなかったのだ。一目惚れ――そんなポケルスみたいに珍しい現象を信じてみるのも悪くないかもしれない。
 言葉はなかった。むしろ言葉なんていらなかった。トウヤが寄り添ってくる。それで十分。
 私の頬は朱色に染まっていると思う。けれど沈んでいく夕日はちゃんとそれを隠してくれた。だから不思議と恥ずかしさなんてなかった。
 止まっていた時間は、静かに動き出す。シンデレラの魔法は解けようとしていた――。

 あっという間に時は流れ、観覧車は一周した。
 十二時の鐘は鳴らない。ガラスの靴だってない。
 私たちは気恥ずかしい空気の中、互いにありがとうとか、ごめんとか、よく分からない別れの言葉を交わした。
 繋ぐものは何一つないけれど、いつかまた会える気がする。観覧車が回って、同じ場所にちゃんと戻ってくるように、そうした巡り合わせによって、私たちはまた出会えるような気がする。
 それが、このライモンシティの遊園地にある観覧車。
 
 ――今日も、明日も、明後日も、いつだって運命の観覧車は回ることをやめないのだ。


 ◇ ◇ ◇

「新しいコーヒーをお入れしましょうか?」
 マスターの誘いに片手を振って断って、女の子は冷めたコーヒーを口に含む。
 女の子の語りが終わり、それに合わせてアコースティックギターの演奏も終わった。静寂が小さなカフェに満ちている。
「青春のお話を聞くのは、やっぱりどこか清々しい気持ちになるものですね。私も若かった頃を思い出してしまいましたよ」
 女の子はコーヒーカップをカウンターに置いて微笑んだ。
「何言ってるんですか、マスターだってまだまだ若いですって。今度一緒に観覧車でも乗ります?」
 白い布巾を手にしたマスターは、コーヒーカップを拭きながら、穏やかな微笑をこぼす。
「私と乗ってもしょうがないじゃないですか。それで、トウヤくんとはその後どうなったんですか?」
 この質問には予想できていなかったのだろう、女の子は不意打ちを食らったみたいな顔で、頬をほんのり赤く染める。照れ隠しにコーヒーを飲んでみる。けれどやっぱり頬は赤い。結局、コーヒーをブラックのまま飲みほして、落ち着いてから女の子は口を開いた。
「実はね、トウヤくん、私が観覧車の前で待ってる時に、ちゃんとやってくるんだよ。偶然かなって思ったんだけど、トウヤくんも気にしてくれてるみたい。何回も乗っちゃったから、高いところ、慣れたんだけどね、でもやっぱり観覧車でもなきゃ近づけないから、怖がるふりをしてるの。あ、やっぱりちょっと怖いかも。でも今では、怖いのが楽しい気がする。矛盾してるかな。でも、そんな感じ」
 女の子はマスターと目を合わせないで、俯いたまま一気に話し終えた。
 ギターの演奏が始まる。語られなかった物語が一つ、旋律に乗せて語られた。
 ここはそういう場所。イッシュ地方の語られなかった物語を紡ぐ場所。
 カフェ――『憩いの調べ』である。
 扉が開いた。一通り話し終えた女の子は席を立つ。女の子は日常に帰っていく。
 マスターは頭を下げた。彼女の行く末に、美しい旋律が流れることを祈って――。

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2011.2.21  02:05:49    公開


■  コメント (2)

※ 色の付いたコメントは、作者自身によるものです。

ユナルさん初めまして、コメントしていただきありがとうございます!
ゲームでの観覧車イベントは、あのまま終わらせてしまったら勿体ないぐらい良い出来でしたよね……。
3回ほど乗ったら無性に執筆したくなってしまったので、今回こういう形で短編になりました!
読めるものになっていたのなら嬉しいです><
応援の言葉をいただくと励みになります。今はちょっと色んなことが立て込んでいて、こっちまで手が回らないんですが、再開したその時はどうぞよろしくお願いします!

11.3.15  22:07  -  風見鶏  (2004223)

初めまして、ユナルと申します。
こういう形での短編集はアイデアがあって面白いですね。
観覧車のイベントはかなり好きなのでミハル視点での語りは見ててほのぼのしました。
一人称描写も上手くお手本のような構成で楽しかったです。
ありきたりな言葉ですがこれからも拝見させて頂くのでどうか更新頑張ってください。

11.3.15  01:27  -  不明(削除済)  (yunal)

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