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我楽多たちの物語

著編者 : 森羅

風追い人の眠る場所

著 : 森羅

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「……」

 森の中で清流が静かに下流へと向かうなか、ぱしゃん、と水の跳ねる音が響いた。
 洗ったのか、顔から水を滴らせながらその音の発信者は布きれを取り出して顔を拭く。それが一通り拭き終わったあと、彼は一息つくように長く息を吐き出して俯いた。やたらと伸びた藍色の前髪がばさばさと彼の目を覆い視界を狭める。

「……セイナ。どっち……?」

 呟くように、囁くようにテノール寄りのバリトンが深みのある、しかし疲れた声で問いかける。
 それに応えるものはいない。だが、代わりに片翼を広げる者はいた。広げられたのは白に黒と赤の線が入った翼。どこか奇妙な風体の巨大な『鳥』。彼はもう一度息をゆっくり吐き出してから広げられた翼の指し示す方角の空を見上げる。そしておもむろに立ち上がって、歩き始めた。

 木々がうっそうと茂り、ヒトの手がまるで入っていない森。
 森は全てを覆い隠すように枝葉を広げ、行く手を阻み、空を覆う。
 それでも、彼がそれに臆し立ち止まることはなかった。

  *

 時刻はちょうど昼下がり。満腹になった腹は休息を要求し、午後の暖かな日差しとちょうどいい風量の風は窓から注ぎ込んでくる。
 ここはこのセイオウ地方の首都から南へずっと下がった小さな町。人口密度や知名度からすれば町というのもおこがましいかもしれないので、村だろうか。観光名所があるわけでもなし、かといって何か名産があるわけでもなし、農業が主流で自然いっぱいの――いや寧ろ自然の中に埋もれてしまっている気がしなくもないのだが――のどかを絵にかいたような『村』だ。よって村を訪れるものも少なく、月に数回行商ギルトのやつらが代わる代わる訪れる程度。従って、この村で首都から左遷よろしくゲートの番人なんてやってる俺に与えられる文字は『暇』しかない。あぁ、麗しき暇人とその友安眠よ。今日も俺を夢心地へ誘おうというのか。くわぁああと無遠慮なあくびをかみ殺し、書類が山のように積み重なった机の上にでん、と組んだ足を突き出す。その影響で数枚の紙が床に旅行に出かけてしまったが、気にする余地なんぞ俺にはない。周りに群がる餓鬼どもがそれをぐしゃりと踏みつけた時はさすがに一瞬気にかけたが。
 村の一番端っこに存在する“ゲート”と繋がった木造建築の長屋の一室、つまり俺の作業部屋を遊び場にきゃあきゃあと走り回る餓鬼どもを放置して片手に書類という名の紙切れをつかみ、もう片一方の手で茶をすする。上層部からの下らない報告書類は目を通すだけでも一苦労だというのに量まで多い。あぁ、面倒臭ぇ。
 ゲートの管理人、番人、をやっているということは俺自身はあまり自覚がないが首都側の人間と言うことになる。下っ端も下っ端、左遷人間だがそれでもまぁ、そうなのだ。俺自身どうしてこんな面倒臭い上下社会に入ってるんだろうなあって思うさ。それなら、それこそポケモンの一匹や二匹でもふん捕まえて首都の認めるギルドにでも入りゃあ、まだ自由を謳歌で来たってもんなのに。何故首都なんぞに……。自分自身を不思議に思いながら数年暮らした首都のことを思い出す。首都――といってもほぼ九割方政府が陣取っている上、軍部だの研究部だのいろいろ混ざっていたので一口には言えないが――はこの地方での独裁者だといっても過言ではない。人々の出入りを容易に許さないゲートと呼ばれる門の管理をする首都(正確には政府なのだが、政府のことを首都と呼ぶ人間は多い)、それはつまり人々を管理することと同意だ。特殊な許可証を首都から発行してもらえなければ一般人に町の外を見ることは叶わない。この世界にごまんと存在するポケモンという名の生き物を見たこともないまま一生を終える人間だってこの地方には腐るほどいるのだ。こんな首都から遠く離れた小さな村にさえ石を積み上げた“中”と“外”の境界線となる壁が存在するのだから首都の権力は推して知るべし、と言うべきだろう。ただ……何気なく窓の外を見ると一面緑の世界が見える。予算の関係か、ヘンピすぎるせいかこの村に関してはゲートの長屋も壁の一部になっている。他の町は多分そんなことはないだろうに。どこまでも不憫と言うか辺境すぎるというか……。
 幼いころ、若さの至りで町の外に出ようとして何度ゲートの番人につまみ出されたことか。無言と無表情で淡々と執務をこなしていた彼はあくまで首都の人間だった。一般人なんて相手にしていなかった。よって子供のころの俺は自分がこんなところに足を踏み入れることになるなんぞ当然思ってもいなかったろう。だが結局、どこかで人生の選択を大きく踏み誤……いや、踏み外して俺は首都側の人間になり、こんなヘンピな村でゲートの管理なんてやる羽目になってんだから人生というのはよくわからない。まぁ、数年前ここに配属されて以来、首都にいた頃よりはよっぽどマシな生活を送っているだろうがな。というわけで俺にできる本当にささやかな首都への反抗として、また過去に見たゲートの番人への抵抗として、村の人とよろしくやっているわけだ。おかげで俺は比較的話の分かる人間として変わり者扱いされたり、ガキどもの遊び相手になったりとまぁ、忙しい。……今更だが俺の扱いひでぇな。
 そんなことをぼけーと回想していると、ぐいぐいと俺のラフな無地の元々は白色だった白色Tシャツを引っ張る感触が俺を現実へと引き戻した。何だよ、と見るともうすでに名前を覚えてしまった村のガキンチョの一人がにっかりと餓鬼っぽい笑みを浮かべて俺を見ていた。やっぱりと言うか手に持った書類はさっきから一行も進んでいない。あーあ……残業だな、こりゃ。
俺の苦労も知らず、相変わらずぐいぐい伸びきったシャツをさらに引っ張る餓鬼に容赦はない。しかも増えていた。忍者か、こいつら。

「おっちゃーん、遊んでえ」
「あそんでー」
「『おにーちゃん』」

 ずずずっ、と無遠慮に茶をすする。渋い。

「おっちゃーん」
「おっさーん」
「『おにいさん』」

 引っ張るな。茶が零れてシミになるだろうが。いや、もうそろそろこのシャツも捨て時か。
まったく、ここは託児所じゃねーっての。

「おにーいちゃーん、遊んでー」
「……しかたねぇなぁ……」

 かいじゅー、かいじゅーと喜ぶ餓鬼どもに俺は机の上に鎮座していた足を床に下す。シャツと同じくヨレヨレで廃棄処分寸前のデニム生地のズボンから覗く素足に簡単なスリッパ着用が俺の常だ。全開の窓からそよそよと風が入ってきて冷たく足を撫でた。もう少しましな格好はできないのかと、制服を着てくれと、よく部下にも言われる。いやもう泣きつかれるレベルで。だが、まあ、すまない部下よ。楽なことは楽なのだ。ぺたぺたとスリッパの音があまりよろしくない。む、今度は下駄でも持ち込むか。ガオ〜、と手始めに伸びをすると、図ったかのように部屋のドアが開いた。

「ガオ……れ?」
「かいじゅー!」

 両腕を天井に向かって突き上げた状態のまま固まる俺。ドアノブを握ったまま固まる部下。ひくり、とそいつの顔が引きつっている。……あー、また怒られる。たぶん、絶対。

「…………」
「…………よお」

 俺はゆっくりと伸びの体勢から腕を下して、声をかける。するとやっとそいつも金縛りから逃げれたらしい。くいっ、と眼鏡のつるを上げて、こめかみに血管をうっすらと浮き上がらせながらばたん、とやけに力を込めてドアを閉める。最近――と言っても三、四か月は経っているが――ここに配属された年齢も二十代に入ったばかりの若い部下はどうにもまじめすぎるきらいがある。きちりと着込んだ制服に銀縁の眼鏡、そして黒髪がそれを象徴しており、極めつけに趣味は読書ですなんて言われた日にはじんましんが出るかと思った。だがまぁ、こっちとしては優秀な部下がいて嬉しい限りだ。

「上官、書類」
「スタンプラリーなら全部やっといてくれ。もしくは子供たちにでもプレゼントしておいてくれ。俺は今から怪獣なんだ」

 餓鬼どもがきゃあぎゃあ怪獣の如く走り回り、書類の紙吹雪が舞う室内で、あくまで冷静にそいつは低い声で俺を呼ぶ。それに俺は至極真面目に返事を返した。心配しなくてもどーせばれやしねえって。だが俺のおちゃめな提案はそいつのサファイアブルーの瞳からの冷たい眼差しに一刀両断され、さらに絶対零度の言葉が追い打ちを仕掛けてくる。

「とりあえず、下らない遊びはやめてください。子供に悪影響です。それに、書類ですがあなたが見ないと後々困りますので」

 おぉ、知らなかった。俺はそんなに頼りにされていたのか。今の今まで名ばかりの責任者だと思っていたぞ。だが、俺が気に留めたのはそこではない。

「なぁ、勧善懲悪がどうして悪影響につながるんだ?」
「いえ、そうではなくあなたの生き方が」

 即答された。しかもその即答内容がまたひでえ。ショックを受けて立ちすくむ俺に「かいじゅー!」と餓鬼の一人が容赦なく飛びかかってくる。ずっしりとした重みを慌てて受け止め、しかし爪を立てられる。痛ええ!?抱きとめた餓鬼は「かいじゅーに捕まったああ」と喚きながら暴れ、しかし落とすとさすがに危ないので必死で押さえつける。周りの餓鬼どもは「助けろー」と言わんばかりに俺の足をスリッパごと踏むわ、蹴るわの騒ぎ。おにいさん軽く死にそう。
 そんなどんちゃん騒ぎを盛大なため息をつきながら生暖かく見守ってくれていた部下は鼻にかかった眼鏡のツルを右中指で上げて、持ってきた書類の一枚を空に放つ。ひらり、ひらりと白い紙が俺の目の前を踊った。わわわっ、なんだってんだ。餓鬼どもを捌きながらなんとかそれを捕まえざっと目を通す。……こりゃあ……。腕の中で暴れる餓鬼を床に降ろし、部下に目をやった。
 微笑む彼に微かな悪戯心を感じた。

「まともにゲートの番人をしないなら、そちらの方はまだご興味がおありでは?」
「……あぁ、わかったわかった、遊ぶ遊ぶから。ちょっと待ってくれなー。おにーちゃんも暇じゃねーの。おけー?」

 ええーと不平不満を言い連ねる餓鬼どもにひらひらと手を振りながら部屋を出て廊下へ。こちら側の窓の外は“外”になってしまうので真面目眼鏡……訂正、部下が窓を閉めて鍵をかけてくれる。きちんと扉が閉まったのを確認してから部下の顔を伺うと、眼鏡の奥でサファイアブルーの瞳がこちらを見ていた。餓鬼に聞こえないように俺は声を潜める。木造建築の建物はそれなりに頑丈で、廊下の窓からはのどかな街並みというか農村が見えた。ところで外に出て気が付いたが、隣の部屋がごそごそうるさい。何かあったのか?

「……“害獣”ねえ。何人殺した?」
「死亡者はゼロですが、けが人は多数。あとは畑などが荒らされたそうです」
「ほおう」

 てきぱきと答えてくれる優秀な眼鏡部下、ルイス君。君が来てから本当に俺は助かってるよ。頭の中で彼の肩にぽんと手を置きながら俺は頷き、扉の前でぼりぼりと髪を引っ掻く。フケが飛んだ気がするが気にしない。俺の態度に顔をしかめるルイスに薄ら笑いを浮かべながら俺は聞く。

「……んで?なぁんか外がうるさいんだが、なんかあったのか?」

 一瞬、彼の動きが止まる。俺はにっこりと笑った。

「ほ、う、こ、く」

 自分でも、意地が悪いと自覚している。

  *

 ―――上の人間に会わせて欲しい。

 よそから来た男の旅人は二人いる部下達にそう言ったらしい。
 ふらりと独り身の旅人がこの村を訪れることなどめったにない珍事だ。しかもその『珍獣』が俺に会いたいというのだから一体どんなデートの誘いなのやら。

「だーかーらー、まず身分証明しろって言っ……!?」

 がらんとドアを開けると間取り的には俺の作業部屋とうり二つな部屋が見て取れる。ど真ん中に四人掛けの机があり、その二つが向かい合う形で埋まっていた。ここは生活スペースではないので家具は机のみ。殺風景な光景だ。必死で旅人君を説得していたらしい、もう一人の(こちらは茶髪)部下が俺の顔を見て凍った。俺の後ろに付いてきた項垂れているルイスと俺をかわるがわる見比べ、酸欠の魚のように口をパクパクさせる。おもしれえ。そんなもう一人の可愛い部下に笑顔を振りまき、向かいに座る『珍獣』を見やった。

「俺がお呼びの人ですよ、初めまして」

 俺の登場にゆっくりと顔を上げる旅人。だんまりを決め込んでいたらしい。驚いたように丸くなった灰色の目が伸びた藍色の髪の隙間から見えた。まぁ、そりゃいきなりゴミ屑同然のシャツとズボンをだらしなく着た赤毛のおっさ……いやおにいさんが出てきたら驚くだろう。さらに付け加えるなら、俺は今素足にスリッパだ。まぁ、いいか。向こうも服のボロボロ加減については似たようなもんだ。木の枝で引っ掻けたのか、やたらめったら切り裂かれた部分がある。旅人の方も自分の服装のことを自覚しているのか単に興味がないだけか俺を上から下まで一見した後は何も言わずに頭を下げた。動じない態度に俺はつまらなさと好感を得る。旅人の向かいで説得を試みていた部下の隣に座って頬杖をついた。

「話の分からない部下が失礼したようで。さっそくご用件を伺いましょうか」

 皮肉った敬語でにこりと笑いかける俺に藍色の髪の彼は彼で微笑を浮かべる。妙な沈黙に、居心地の悪さを感じるのは立ち尽くしたままのルイスか、それとも椅子に座る隣の部下か。
 しばらくそんな空気が続き、やはり居心地が悪かったのかルイスがおもむろに窓に向かって歩き出し、全開にする。この部屋も俺の作業部屋と同じなので窓から見えるのは森の風景。つまり“村の外”だ。爽やかな風が部屋を満たし、図ったように沈黙をぶち破ってくれたのは『珍獣』こと旅人の方。

「失礼いたしました。初めまして、番人殿。私は旅の者です。首都から許可を受けたトレーナーをしていますが、ギルドには入っておりません」
「ふぅん、つまりポケモンを持っている、と?」

 頷く旅人に俺は鼻を鳴らした。
 この地方でポケモンを連れている人間は主に三種類に分けられる。一種類目はこいつが今言った“認証持ち(トレーナー)”。首都側が町への出入りを許可した、町々への出入りが自由になる『通行手形』または『通行証』と呼ばれるものを発行された人間だ。ちなみにギルドとはトレーナーのみが所属できる職業組合のようなもの。その種類は多岐に渡り、商業、運び屋、傭兵のようなことをするギルドもある。そして二種類目は『通行手形』を持たない人間。町の外に勝手に出て行き、しかし町の中に戻ってくることもどこかの町に入ることも許されない“不登録(アウトロー)”。そして三種類目。これははっきり言って噂と言うレベルだが、首都側が人々の監視のために放ったと言われる犬……もとい“行脚(ハイド)”。人間の監視をしているとか、正義の味方やってるとか悪い噂も良い噂も商業できたギルト連中から聞いたりするが実際存在するのかと聞かれると良くわからないのが現状だ。尤もポケモンが恐れられるこの時代、この地方でこの二種類……いや三種類の人間は決して特権階級ではなく、ポケモンを持っているというだけで街中で石を投げられるという話も聞く。またポケモンと言う生き物が嫌いでそれでも商売のためにポケモンを“使っている”人間も少なくない。で、こいつは町の中に入ることのできる“許可証持ち(トレーナー)”……本当か?
 知らない間に相手を探るような目で見ていたらしい。苦笑いが旅人から零れる。長い前髪の隙間から灰色の瞳が見えた。

「通行手形、見せてもらっても?」
「えぇ、どうぞ」

 苦笑が微笑へと変わった。男なのだがこの旅人、見目のせいかどこか優美で女性的なところがある。雰囲気に呑み込まれそうになったところでことん、と彼の懐から出てきたのは緋色の石。首都から発行される『通行証』または『通行手形』と呼ばれるそれは紙切れでも鋳型にはめられた金物でもない。『通行証』とはこの地方では採れるはずのない特殊な『石』。
 ポケモンを進化させる力があると言われているのだが、ポケモンとの関わりを一部を除いて断っているこの地方でその真偽を知る者は少ない。種類も様々でこのような炎の色をした石から、水の色をした石、稲妻模様の入ったものや夜の闇を絞ったような色をした石もある。俺にはどれが何かと言われても正直ちんぷんかんだ。本物か否かの鑑定はゲートの番人として当然するが。隣に座る部下が覗き込むように見守る中で一通り石を見せてもらって、結果としては十中八九本物。あまり面白くない。確かに元々偽物の製造が不可能のはずの代物ではあるのだが。ぴんと最後に人差し指で弾き、石を返しながら俺は言う。

「間違いなく本物」
「ありがとうございます」

 俺が詰まらなさそうに言ったからか、面白がるような旅人の表情。それに俺は口をへの字に曲げ、あぁそうだったと思い出す。表情を緩め、俺は少し、前のめりになった。うわべだけの敬語は面倒になったのでやめる。

「で、通行許可だけならこいつらに見せても問題はねぇはずだ。俺に用があるって口閉ざしてたんだから何か別用があんだろ」

 初めて旅人の表情が揺らいだ。藍色の髪の間から覗く灰色のそれが動揺を映す。

「……えぇ、お察しの通り。実はあるものを追っているのです」
「あるもの?」

 ふわり、と風が流れる。森の匂いは嫌いじゃない。

「バンギラス、と言ってお分かりいただけますか?巨大なポケモンです」

 …………ばんぎらす?俺の口が半開きになる。ぁ、と言う小さな声が後ろから聞こえて振り返るとルイスがあわてて口を押えていた。
 おいおい、ロクでもないデートの誘いじゃなあないか。俺はぴらりとさっきまで見ていたそれを机の上に広げる。

「これか?」

 首都から届いた書類。“害獣”に対する警告、および可能ならば駆除。“害獣”の種名は『バンギラス』。書類に目を落とした旅人がその目を見開く。ビンゴってわけだ。

「首都の情報収集能力は素晴らしいですね……」
「あぁ、全くだ。被害も出てるから余計だろーな」

 もどかしそうな悔しそうな声に俺は投げやりに言葉を返す。部下二人は黙ったっきり。木目が荒く、安物の机はぎしりと音を立てた。俺は聞く。

「ちなみに聞こうか。なぜこいつを追っている?」
「私のポケモンだからです」

 旅人の答えは、早かった。きっぱり言い切ったそれにがたっ、とルイスともう一人が反応を起こす。
俺は座ったまま。無表情にも近い表情で旅人を見つめる。……ふむ、さてどうするかね。とんとんと指で書類を叩き、俺は責め立てるように言葉を突き付ける。

「こいつが、何をしたか知ってるか?野生ならともかくお前の“所有物”っていうならお前にも責任があるってことだぜ」
「わかっています。だから追っているのです。それはけじめですので」

 苦虫を噛みつぶすようなそぶりはない。演技をして同情を買おうとするようなそぶりもない。まっすぐにこちらに向かって言葉を返してくる。……ふうん。

「成程。責任のために追っている、と」
「いけませんか?」

 単調に一問一答のやりとりが続く。旅人の感情を隠したような雰囲気が引っかかるが、バンギラスのことに関しては嘘を言ってないだろう。俺は頬杖をつき直し、口元を緩めて笑う。それはにやりともへらりともつかない薄ら笑い。優秀な部下達はこの旅人に対して緊張感と嫌悪にも似た感情を抱いているようだが、俺が動かないので動かない。全くもって優秀だ。

「いんや、別に。ただギルドの連中や旅人の連中の話を聞いていると、ポケモンに対して一般人とは違う考え方を持ってたりするやつもいるからな。お前は違うのかなって」
「ポケモンに対する一種の愛情ですね。……残念ですが、私にとっては」

 …………ほう。内心で細く笑う。さて、こいつは腹の下に何を抱えているのやら。

「で?話を元に戻すが、俺にそれを言って何をして欲しいんだ?自分でけじめをつけるってなら勝手にやってくれればいいぜ。手間も省けて助かる」
「ちょっ、上官!?」

 がたん、と部下が座っていた椅子が倒れて音を立てた。机の端に手を置いて立ち上がっている部下を横目に俺は倒れた椅子を直す。

「だってそうだろ。何か違うか?あと、折角立ったんなら、隣の部屋で餓鬼どもの相手を頼む。森にでも出たら大変だしな」
「え……あ、はい……」

 渋々と言った感じで彼は部屋を後にする。その数十秒後、彼の悲鳴と餓鬼どもの笑い声が聞こえたが聞かなかったことにした。その様子をただただじっと見ていた旅人はやっと俺の言葉に返事を寄越す。

「手を出さないで欲しいのです」
「……ほう。自分で片を付けるから、手を出すなと?だが、この依頼書は下手すればギルド連中にも回ってるぜ。大体どこにいるのかもわかんねぇんだろ。町一つ一つに言って回るならさっさとこの迷子の怪獣を探せよ」
「いえ、場所の特定はできています。だからこうしてここに来たのですから」

 さらりと言われた言葉の意味に背筋が凍った。
 ここに来て、上の人間に会わせてくれと。バンギラスを探していて手を出さないで欲しいと。場所の特定はできていると。旅人の言葉が繋がる。おい、まさか……。

「状況を理解してくださったようですね。今日中にでも彼女はこの村にやってくるでしょう」

 バンギラスについて語るときと同じように淡々と、穏やかに。それは事実だけを告げる。
 くそったれ、死神かこいつは。奥歯をかみしめ舌打ちをこぼす。

「……どうして断定できるんだ」

 こいつに対して殴り掛かっても仕方がない。俺は余計めに息を吐き出してから尋ねる。こういう時こそ冷静でいなけりゃ状況を見誤っちまう。鋭い俺の目線に、しかし奴は動じない。あくまで同じ表情だ。おもむろに目の前の旅人はころ、と赤と白の色をした球形の物体、すなわちモンスターボールが机の上に置く。俺は目線をボールへと落とし、また旅人へと。

「セイ……いえ、ネイティオというポケモンです。未来が見えるとのことです」

 雲散臭い。ポケモンは人の言葉をしゃべらないのにどうして未来が見えるとわかるんだ。だが、顔を渋める俺に旅人は微笑んだ。

「本当か否かは知りえません。ですが、確かに良く予知をしてくれます。ここへもネイティオが導いてくれました」
「ポケモンのことなんぞ信じるのか」

 残念ながら俺はポケモンと言う生き物とロクに触れ合ったこともなければ捕獲したこともない。だが、その恐怖だけはしっかりと植えつけられている。雷を突き落とすネズミを家で飼うつもりはさらさらないし、わざわざ危険と暮らしたいとも思わない。首都が危険だと言ったことに多くの人が疑問を呈さないのは、そういうわけなのだ。ポケモンと呼ばれる生き物たちは、いとも簡単に人を殺せるのだから。
 だから、他の人間がどうなのかは断言できないが俺はあまりポケモンがどうだとかいうギルドの人間のセリフに耳を貸さない。言葉の通じない知的な生き物、それは仮想敵も同じだ。この旅人だって実はそのネイティオとかいうポケモンに騙されているのかもしれねえんだし。だが、旅人は相変わらず笑っていた。

「モンスターボールに入ったポケモンは基本的に忠実ですから」

 “迷子の子猫ちゃん”は忠実ではなかったようだが?と皮肉を言いたかったがとりあえずこいつが何とかするというのならそれで良い。時間も惜しいようだしな。俺は椅子から立ち上がって伸びをする。ぽきっ、と背骨が鳴った。

「ポケモンなんて俺にとっちゃどうでもいいが、村のことは重大だ。それで、お前がなんとかするんだろ。お前が死のうが手も出さない。尤も途中で逃げたりしないように監視だけはするがな」

 付いて来いよ、と扉に向かって歩き始めた俺の背中に感謝の言葉がぶつかる。ずっと頑張って突っ立ってたルイスが駆け寄り耳打ちした。

「良いんですか。バンギラスを操ってるのはあれかもしれないんですよ?」
「わあってるよ。だから監視するんだろ」
「成程……って上官!まさか着いて行くおつもりですかっ!?」
「とーぜん」

 すっとんきょうな声を上げたルイスににっと笑って扉のノブに手をかけながらくるりと振り返り、旅人を見やる。比較的軽装備な鞄を持ち上げ、彼は女性的なその表情で頷いた。

 さぁて、どうなることやら。

  ※

「で、本当にこっちから来んのかよ。つーか、どうやって倒すつもりだ?大砲も剣も通じないみてーだけど?」

 やたら細かい字で書きこまれた書類を指で弾いた。本を五ページ読めば眠くなる俺がこんな細かい字を読む羽目になるとは。頑張った俺を褒めて欲しい。だが、実際読んでみれば『不明』がずらりと並ぶなんとも素敵な報告書。涙が出そうだ。だが、まぁ、“駆除”しようと頑張った人間の話によると頑丈な皮膚をしていて大砲をブッ飛ばしても死ななかったらしい。そのうえ、通常のサイズより二回りほどでかいとか、砂嵐が吹き荒れ視界も最悪になるとか、だが向こうにはこっちが見えているらしいとか。城壁も紙切れ同然。うわあ、帰りたあーい。
 今いる場所は森のど真ん中。ぶっとい幹に、枝を思うがままに伸ばす森の木々。葉がざわざわと風に揺らされて俺達に緑色の影を落とす。だんまりを決め込んだ森が嵐の前の静けさのようで不気味だ。場所としては村のゲートのある側なので、後ろを振り返ると遠く彼方に木造長屋がかすかに見える。ちなみに村の人間は部下が反対側に寄せて避難させているはず。来た時のままの服装の旅人とは違い、俺は使用不可寸前の普段着を着替えて、今はきちんと制服を着こんでいる。ちなみに制服と言っても防御力なんて無いに等しい。ただの服だが、まぁあの普段着よりは誤差の範囲でマシだろう。具合が悪くて一生懸命着崩してはいるのだが……あぁ、もう気持ち悪ぃなあ。
 こっちのボタンを外したり、襟元を弄ったりしていると、それを見ていたらしき旅人の苦笑が聞こえた。じろっとそちらを恨みがましく見ると、ヒトの背の丈ほどもある鳥――緑色の図体に白色に黒と赤のラインが入った翼のどこぞの民族衣装を着込んだようなポケモン、ネイティオ――を従えた旅人がにこやかな笑みを返す。虫の居所が最悪の俺はそれに笑みを返す元気はない。むっすりと口を尖らせて八つ当たりに皮肉を吐き捨てる。

「そんなに悠長でいいのかよ。正確な時間は分かんねえんだろ。それともその鳥にはわかんのか?」
「えぇ、悠長ではいられませんね。ですが、あまりにも私の知っているゲートの管理人と番人殿が違うものでつい……。バンギラスに関してはセイナがいなくても来ればわかりますよ。地響きがしますし、砂嵐が吹くはずですから」

 成程、そういや書いてあったな。あと番人番人言うな。俺にだって名前あるっつーの。……せいな?俺は疑問に思ったことはすぐに聞く性質(たち)だ。なので聞く。

「おい、『せいな』ってなんだ?」

 あ、と旅人の表情が崩れた。視線がぐるりと空を泳ぎ取り繕うような乾いた笑いが旅人から洩れる。ネイティオはどこを見ているのかわからない目でぼんやり明後日の方を見ていた。

「……ネイティオの、名前ですよ。同種のポケモンの群れにぶつかってしまった時とかにこれがあると便利なんです」

 ほおぉん、あっそ。にやりと舐めるような俺の目線を逸らす旅人。俺の知ってる限り、ポケモンに名前を付けている人間ってのはポケモンに対して感情移入してる人間なんだがなぁ?話を逸らすように、彼はそっぽを向いて言葉を続けた。顔が少し赤らめいている。

「一番初めの質問ですが、確かに並大抵の武器では彼女の皮膚を貫けません。ですが、毒を以て毒を制す……ポケモンにはタイプと相性が存在します。そこをうまく付けば体が大きくとも彼女を倒すことは難くありません」
「ほおぉ。成程ねえ……汚いことはポケモンにやらせる、と?」

 この狸、と言いたげな鋭い目線が俺を射抜くが、俺はそれに不敵に笑って返した。我ながら嫌な質問だ。だが、間違った問いかけではなかろう。風が葉を掻っ攫って村の方へと飛んでいく。しばし口を塞いでいた彼は絞り出すように言葉を零した。

「……いけませんか?そんなものでしょう。肉体労働に、武器、傭兵代わり。多くの人間はポケモンをそう見ているでしょう?ボールに閉じ込め、支配し、使う。私もそうしているだけ。それは、いけませんか?」
「んなこたあ言ってない。その考えで大変結構」

 皮肉っぽい俺の声を無視して、彼はセイナことネイティオをボールへと収納する。そして代わりに別のボールを放り投げた。出てくるのは、オコジョのようなイタチのような風貌のそれ。しなやかな肢体は薄紫とも白とも言い難い色で、妖艶な細い瞳が官能的に笑う。

「アケミ。コジョンドというポケモンです。ところで番人殿。監視役とは言っていらっしゃいましたが……番人殿の身を守る余裕は私にはありませんよ」

 おぉそうか。そういやそうだな。
 俺は瞬きを数度してから、ひらひらと片手を振った。

「構わねえよ。自分の身ぐれーは自分で守る。一応俺、軍部の人間」
「……でしょうね。番人殿に文官は似合いそうにありません。ついでに集団行動も。先程からの会話での私的印象で申し訳ありませんが、番人殿は頭の切れる方ですよね。それで恨みを買う、貧乏くじを進んで引くタイプではありませんか?」

 苦笑を噛みしめるのは俺。ビンゴ。俺は集団行動が大嫌い。頭が切れるかどうかはどうにも言えないが、貧乏くじも良く引いている気がするし、上手く立ち回ることも苦手。正義感が強いのかと聞かれることがあるが、多分俺はそういうわけではない。根が反抗的なだけだろう。だから左遷されたんだろーなと自分でもわかっている。まぁ、こっちのが性に合ってるから寧ろ礼を言わなきゃだけどな。鋭い考察に俺はやっかみ半分拍手を送る。それに対して彼はふっ、と表情を和らげて笑った。だが、次の瞬間顔を強張らせて、空を仰ぐ。その様子に不穏な空気を読み取った俺も同じく空を見るが、特に何も……あ、いや。違う。口の中が砂っぽい。
 砂利を吐き出し、耳を澄ませる。ずしんずしんと言う地響きにも似た歩行音がゆっくりと近づいてきていた。……全くようやく主役のお姫様がお出ましかよ。待たせてくれる。好戦的に笑う俺に対して、旅人は冷静な、鋭い目で音源を見ていた。ゆっくり、ゆっくり。足音が近づくにつれ、黄色い砂が視界を覆う。こりゃ予想以上に見えない。困ったもんだ。

「おい、見えないぞ」
「えぇ、そうですよ。ですが心配しないでください。一応、彼女は私のポケモンであったのですから。まずは砂嵐をどうにかしましょうか。アケミ、雨を」

 一言発するごとに砂利が口の中にたまる。うげぇ、気持ち悪ぃとか思っていたのもつかの間。コジョンドが空に向かって鋭い鳴き声を上げ、今度は何かの冗談のように雨が降り始める。さっきまで晴れていたのにどこから雲が来たんだ。だが、それはともかく……おい、こっちはこっちで視界が悪ぃぞ!!だが、彼は気にも留めてはいないようで、全身ずぶ濡れになりながらも相手、すなわちバンギラスを見上げる。……でかい。そのポケモンの全貌を見た時に最初に感じたのは素直にそれだった。まるで壁だ。こんなの本当に倒せんのかよ。旅人に一瞥くれるが、向こうは俺の視線には気が付かなかったらしい。ただ、どこか哀れそうな目でバンギラスを見ていた。土砂降りの雨が周囲一帯に降り注いでいる。

「アケミ。できるだけ、苦しまないように」

 その静かな声はやけに雨の中に反響した。
 旅人の声に軽く頷いたコジョンドが巨体に向かって走り始める。腕の体毛が鞭のようにしなり、茶色の混ざったような緑の体躯を打ち据える。たった一撃……にしか俺は見えなかった。傷跡は複数あるというのに。速すぎて、目が追い切れていないのか。苦笑いで口元が吊り上る。雨粒が顔の線をなぞるように流れていく。俺はただ突っ立って見ているだけ。コジョンドの攻撃はかなり効いたようだが、その巨大なバンギラスも決してやられっぱなしでは済まなかった。悲鳴のような雄叫びのような耳を塞ぎたくなる鋭い金属音の鳴き声を上げ、がむしゃらにコジョンドを尻尾で振り払う。鈍足でも威力のすさまじいそれは地面を抉り、木々をなぎ倒し、コジョンドを吹っ飛ばした。なんつー威力だ。これが村に入ってきて暴れたら冗談でもなんでもなく全員死ぬな。口元が引きつる。畜生、どうして人間ってのはこんなに弱っちいのかねえ……!

「アケミ!」

 心配するようなその声にコジョンドは立ち上がる。おいおい、アレ受けたら死ぬだろ、フツー。すげえな。まったく。感嘆すべきところでも何でもないのだろうが、もうすでに俺はこの状況に対する現実感を失っていた。これのことを夢だと感じ始めていたと言っても差し支えはないだろう。いや、だが生きているうちにこんな光景が見れるなんて思うはずねえだろう?雨が視界を覆う。ぺったりと皮膚に絡みつく服が気持ち悪かった。

「アケミ、もう一度。……もう限界のはずです、から」

 コジョンドはきっ、とそいつを見てからもう一度デカブツに向かって疾走を開始する。……もう限界?何を言っているんだこいつは?まだバンギラスは暴れまわっているぞ?……いや、だが。見ていて分かった。そうだ、もう相手は、あのバンギラスは限界だ。俺の視界に映るそれに納得した。フットワークの軽い、小さなコジョンドは腕を振り回し、尾を振り回して暴れるバンギラスの懐へといとも簡単に飛び込む。そう、当たり前だ。闇雲に戦うのは死期が早まるだけ。あくまで冷静に状況を見極める方が勝つ。それは人間の話だけでなく、自然の世界でも同じはずだ。バンギラスは狂った瞳で口から血を吐きながら羽虫のように自らの周りを走り回るコジョンドに腕を叩き落とし、尾を振り降ろす。雨粒が空を飛び、水滴が弾ける。だが、狙ったわけでもないそれは当然当たらない。逆にコジョンドの蹴りや腕だけがバンギラスの腹を確実に打つ。城壁を砕いたという、剣も通さず、大砲の弾でさえロクなダメージを与えることができなかったという、その土手っ腹を確実に震わせる。
 吐き出した血液がバンギラスの体を赤く染めた。赤い涙がその瞳から零れて、抉れた大地に吸い込まれていく。悲痛な咆哮が耳を裂いた。返り血を浴びたコジョンドがとんぼ返りにバンギラスから離れ、暴れ続けていたバンギラスはその声を最後に巨体を細かく震わせながら、立ち尽くす。雨に濡れて震えているようにも、見えた。

「……ノゾミ」

 深みのある声が、このバンギラスを追っていたという旅人がその名を、呼んだ。
 このバンギラスの名前だと、そう直感的に分かった。

「ノゾミ。もう、もういい」

 全身濡れ鼠の旅人が白い息を吐き出しながらそう静かに命じる。俺はただ馬鹿のように突っ立って成り行きを見ていることしかできなかった。ここに俺が入る隙間はなかった。俺はこの物語の傍観者にしかなれない。面(おもて)を空へと向けたまま掠れるような声がバンギラスから洩れる。喘ぎ声のような、苦しみに喉が瞑れてしまったようなそんな声ともいえないような嗚咽。雨が血を洗う。その匂いも、その色も。雨がかき消す。緑色の巨体を渋い色へと塗り替える。

「ノゾミ。もういい。疲れたでしょう。あれだけ暴れまわって、傷を受けて。もう死んでいてもおかしくないはず。……休んで良いのですよ」

 深く響く声に血の涙が、零れていく。救ってくれと、そう助けを求めるように。
 彼は笑っていた。バンギラスに向かってこれ以上なく優しい目で笑っていた。ゆっくりと歩を進め、その巨体の尾を撫でる。

「……ごめんね……」

 低く、小さなうなり声。それはバンギラスから。まるで甘えて喉を鳴らしているようなそれは、心地の悪いものではなかった。その声を最後にぐらりとその巨体が倒れる。木々をなぎ倒し、しかし森からの仕返しと言わんばかりに折れた鋭利な枝がバンギラスの皮膚に突き刺さる。雨が地面を濡らしていたためか砂埃は、上がらなかった。

「……終わりましたね……」
「……あぁ、終わったな」

 放心状態。今の俺達はその状態が一番ぴったり来た。
 ぽつり、ぽつりと雨足が弱くなる。雨はもう、すぐにでも上がるだろう。暫く二人で、あとコジョンドも合わせて二人と一匹で突っ立っていたが、寒気を感じて現実へと引き戻された。俺は寒さに震えながら尋ねる。……あぁ、なんだか疲れちまった。とんでもなく疲れちまった。帰って、寝たい。夢も見ないほどに深く眠ってしまいたい。そうでなければきっと夢を見るだろう。さっきの光景を繰り返し繰り返し夢に見るだろう。あの甘えるような鳴き声を耳の底で聞くだろう。それほどまでに先程目にした光景は痛烈に頭に残ったのだ。

「……一度村に戻るか。さすがにそれじゃ風邪ひくだろ」
「ノゾミ、バンギラスは元々貰ったポケモンなんです」

 ……。ぽつり、と吐き出された旅人の言葉はそれだけで止まらなかった。
 雨が止む。雲が切れて、太陽がその顔を覗かせた。

「貰ったと言うよりも押し付けられた、という形でしたが……その時から、少し様子のおかしなポケモンでした。どうおかしいのかと聞かれると困るのですが……雰囲気が殺気立っていると言いますか、自分の力をコントロールできていない節があったと言いますか。それでも、最初は疑問をあまり感じなかったのです。教えてやれば良いと。ですが、ある日彼女はボールを壊して逃げてしまいました。やはりポケモンとは分かり合えないものなのでしょうか」

 多分、その簡略化された話の中にかなりの苦労があるのだろう。俯く彼に俺は何も言わない。明るさを取り戻した周囲。しかし森の様子はバンギラスの暴れた部分が一変してしまっている。太陽の光は戻っても時間は戻らない。確かに森が壊れ、一匹のポケモンが死んだ。

「……バンギラスだがな、誰も殺しちゃいねえ。畑を壊したり、人に怪我をさせちゃいるが、誰ひとり死んでない。あれだけの力があるのにだあれも殺しちゃいねえんだ」

 俺の口からはみ出た言葉に、彼はこちらを凝視する。俺は雨に濡れてふやけたバンギラスに関する書類を証拠代わりに渡し、旅人はそれを読んでゆっくりとその口元を綻ばせる。救われたような泣き出しそうな表情だった。返された書類を制服のポケットの中に仕舞い、ちりん、と鈴のなるような音に俺は視線を旅人へと戻す。いつのまにか彼の手には紐のついた小さな鈴が握られており、鈴は涼しげな澄んだ音で鳴いていた。

「墓を、作っても良いでしょうか?」

 それは下らない懺悔か、それとも贖罪か。
 だが、俺は頷いた。傍観者にそれを貶す資格なんぞない。手伝いは、しようと思った。

「あぁ、どうしてノゾミは死ななきゃならなかったのですかね……?」

 ちりん、と鈴が弔いのように音を立てた。

  ※

 バンギラスは村のそばに埋められた。この重量級どうやってと思っていたのだが、ネイティオが特殊な力であの巨体を運び、ドリュウズというモグラのようなポケモンが穴を掘ってくれたおかげでかなり楽をできた。木の枝を数本、拾ってきて十字を創り、それに先程の鈴がかけられる。ちりり、ちりん、と風が吹くたび優しい音色が、鳴った。

 風呂に入って、濡れた服を着替えて、村人やルイス達に話をして。全てがひと段落してからようやく俺は一息つくことができた。ふぅーと長い息を吐き出して、自室と言う安堵感を吸い込む。目の前には例の旅人。俺達は部屋の椅子に座って机を挟んで向かい合っていた。開け放った窓の外はとっぷりと夜に浸り、それでもバンギラスの墓が見えて鈴が風と共に鳴く。今日一日の出来事が何日にも渡って起こっていた出来事のような気がしてくる。疲れた体をそれでも動かし、琥珀色をした液体の入った瓶とグラスを二つ取り出して俺は中身をそれについだ。

「ん、とりあえずお疲れさん」
「……ありがとうございます」

 何を言えばいいのかわからず、労いの言葉をかける。差し出したグラスを旅人は微笑みながら受け取り、ちびちびとその中身をのみ始めた。それを見届けてから俺も自分のグラスに口をつける。水ではないのだが、ごくごくと勢い良くそれを飲み干すと、喉が焼けそうな感覚がじいんと頭を叩く。あぁ、美味えな。

「すまんな、客を泊める部屋なんてここにはねえんだ。男と相部屋だが気にすんな」
「えぇ、別に気にしませんよ。むしろ泊めて頂けてありがたいです」

 バンギラスの墓ができた頃にはすでに西日も山の際に呑み込まれようとしていた。さすがに放り出すわけにも行かずじゃあ泊まれよと言う話になったのだ。だが、人を泊めるスペースがあるほどこの長屋は広くないし、村に宿屋と言う宿屋はない。訪れる商業ギルドなどの連中にだって申し訳ないがと言ってここの廊下か、持ってきた馬車の中で寝てもらうのだ。というわけで、奴には俺の、作業部屋ではない部屋を提供した。二段ベッドが二つ詰め込まれて、小さな二人掛けの椅子と机があるだけでいっぱいいっぱいの小さな正方形の俺の部屋。なぜベッドだけ四つもあるのかと疑問だが、俺がここに赴任した時からあるのだ。無論移動させてもいいが、単純に面倒くさく放置している。……ところで沈黙が重たい。何か話題を見付けようと俺は話しかけた。

「トレーナーってのは、旅ってのはどんなんなんだ?」
「旅、ですか」

 驚いたような目が俺に注がれる。俺は二杯目の酒をグラスに。琥珀色がランプの明かりに照らされる。ちりん、と澄んだ鈴の音は外から。

「あぁ、旅。俺もな、行ってみたいと思ったことがなくもない。金とかいろんな理由でトレーナーになるのは諦めたけどな」
「そうなのですか。旅は良いものですよ。危険ですがね、自分の知らない世界をこの目で見ることができるのです」

 口元をゆるゆるとほぐして、どこか楽しそうに。ゆっくりと語られる冒険譚は、童話の物語のようで。心地良く響く語り手の声に俺は静かに耳を傾け続けた。
 風のように自由な旅人。生きるのも勝手ながら死ぬのも勝手。誰も助けてはくれない代わりに、地図の空白を埋めるのも自分。虹の足を追いかけるように、蜃気楼の城の門を叩こうとするように、一体彼らはどこへと向かうのだろう。ジジジジ、とランプの芯が燃える音が静かに響く。話がひと段落したところで俺はまた聞いた。

「定住する気はないのか」

 俺の質問に少し驚いた顔をして、しかしすぐに彼は微笑みを取り戻した。灯りの陰影が彼の顔に被さる。

「そうですね……。私は根無し草にしかなれないので」
「根っからの根無し草、か。そうかもな。うん、俺もそう思う。お前に定住は似合わなさそうだ」

 丁寧な口調とは裏腹にこいつは俺と違う意味でかなり自由奔放な性格をしているだろう。首都だの門だの、そんなものはこいつにとって鎖にもならない。俺の言い方が気に入ったのか、奴は失笑を漏らした。

「面白い言い回しですね。ですが、そうなるんでしょうね。風が通る場所にいないとどうにも落ち着かないんですよ。空が私の家の屋根なんです。大地が寝床で、風が私の道導なんです。ただ、定住することをしないのは、それを失うことが恐ろしいからかもしれません」

 大切なものを失うのが恐ろしい。安楽の場所を失うのが恐ろしい。
 あのバンギラスの名を呼び、語りかけたこいつの表情を俺は思い出した。あの優しい眼差しは愛しいものへの目だ。ちりりん、とまたそれが音を紡ぐ。俺は琥珀色のそれを一息に呑み込んで、次を注ぐ。向こうのグラスもそろそろなくなりかけたのでまた入れ直した。……あ、一瓶、開けちまった。俺は鼻をすすった。

「成程なぁ。何のために旅をする?危険も多いのはさっきも言ってたな。……故郷はないのか?」

 風の旅人は自由を好む。だが、孤独に押しつぶされそうになったとき彼らはどうするのだろう?故郷に戻るのだろうか、どこかでその翼を休めるのだろうか。それは降って湧いた素朴な疑問。だが、彼はゆるゆると首を振った。

「故郷はありますが、居場所がなければないのと同じことですよ。私が旅を続ける理由、ですか。……何のためなんでしょうね。自分のことなのに恐縮ですが良くわかりません。もしかすれば、それを探すための旅なのかもしれませんね」

 ぐいっとその琥珀色の液体を飲み干してから、奴は続ける。氷が冷やされたグラスにぶつかる。

「もしかしたら、ですが……。私は死に場所を求めているのかもしれません。安らかに死ねる場所なのか、それとも独りで死んでいくための場所のなのかはわかりませんが」
「ふぅん……」

 曖昧に頷きながら俺は新しく取り出した瓶の中身を空になったそのグラスに注ぐ。ついでに自分の分にも。ランプの明かりに呼ばれた羽虫が数匹集っていた。しばし黙り込んだ俺は自分でもなぜと思うようなことを口走っていた。

「……ここに、する気はないか?」
「ここ?」

 旅人の目が見開かれる。そうとう驚いているらしい。俺自身も驚いている。酒のせいか言葉のせいか顔が火照って熱い。たかだか一日程度の付き合っただけの野郎になんでこんなことを言っているんだと。だが、だが俺は言いたくなってしまったのだ。あの光景を見てしまったから。囁くような小さな一人と一匹の声に、どれだけの愛しいさが籠っていたのか俺にはわかってしまったから。

「あれの墓があるだろう」
「……。番人殿はどうにもロマンチストのようですね」

 あぁ、照れ臭い。俺よ、こんな言葉はどうせなら絶世の美女に対して言うべきだろーが。どうして野郎に向かって言ってんだ。藍色の髪が揺れる。ぱさりと掛かった前髪から灰色の瞳が苦笑していた。

「悪ぃか?だが、事実だろ」
「あれは、私にとってただの道具ですよ。旅をするために必要な武器で、装備ですよ」

 最初に出会った時と、森で聞いたのと、異口同音のその台詞。だが、違うね。それはぜってえ違うね。ずっと言葉の端ににじみ出ていた。お前はポケモンに対してそういう時、感情を隠すように、絞り出すように言葉を出していたのだから。気づかないほうがどうかしている。俺は猟奇的に笑った。琥珀色のそれがぴちょんと水音を立て、机の上に模様を残す。

「違うね。本当にそう思ってるのかよ?何のためにあのバンギラスを探しに来たんだ?義務感?責任?違うね、ぜってー違う。お前はそんなチャチな理由で動かねーさ」

 俺の言葉に彼は苦笑していた。

「番人殿の着眼点は変わっていますね」
「あぁ、もう酔っちまってるんだよ」

 秘密を共有するように俺達は笑う。からんからんと相変わらず氷は涼しげな音を奏でていた。

「折角だから酔った勢いで歯の浮きそうなセリフをまだ続けちゃる。死に場所を探す旅かもしれないと、そう言ったな?あのバンギラスはお前を探していたんじゃねぇか?それがあいつの“死に場所”だったから。……ポケモンと人間が通じ合えることがあるなんて俺は信じちゃいなかった。ギルドのやつらが言ってたのを知ってはいたが、俺はポケモンを扱ったことはねぇかんな。あれは仮想敵のようなものだとそう思ってた。けどな、あの一瞬、本当にあるんだなって思えちまったんだよなぁ。俺は」

 ノゾミ、そう呼ぶその声はひどく優しくて。あれだけ暴れまわっていたバンギラスが甘えた声を出して。
 “害獣”が何か違うものに変わる瞬間を俺は確かに見たんだ。

「“死に場所”、ですか。じゃあ、彼女は私を待っていてくれたってことですね……。これからも待っていてくれますかね……」
「おぉ?定住する気になったのか?」

 あの時のように優しい顔で遠くを見るそいつを俺は茶化した。あぁ、明日は二日酔いだな。またルイスにどやされる。そんな俺を旅人はふっ、と悪戯っぽく笑った。

「またここに来ますよ。彼女の、命日にでも」
「じゃあ、それまであの墓は面倒見ててやるよ」

 バンギラスにとって死に場所は、安楽の場所はきっと、この旅人の傍だったのだ。じゃあ、こいつにとって死に場所は?ここになるのか、それとも風の中になるのかそれは誰にもわからないだろうが。
 藍色の髪の旅人は微笑みを浮かべ、グラスを前へと差し出す。その理由に気付いた俺もにっ、と笑って同様にグラスを差し出した。

「えぇ、お願いします」
「おーよ。任しとけ」

 風のように捕まえ難く、孤独な旅人。だが奴はしかし確かに、ただひたすらに飽きることなく帰りを待ってくれる者を見つけたのだから。失う心配もいらず、いなくなる不安もいらない。あの墓はきっと、風を絡めては送り出し、また捕まえては送り出す、風車のような存在。
 触れ合ったグラスが、鈴の鳴るような澄んだ音を立てて離れていく。

 窓の外には真新しくできた十字を作っただけの簡素な墓が見える。花が供えられたそこに引っかけられた鈴が夜風を受けて音を立てていた。
  

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2012.10.8  03:59:24    公開


■  コメント (4)

※ 色の付いたコメントは、作者自身によるものです。

コメント有難うございます!!skyさん!
お久しぶりですね。覚えておいででしょうか。僕、「生あるものの生きる世界」の作者なのですが。。。
閑話休題。短編集からはるばるようこそおいで下さいました。ありがとうございます。
量は、長いだけなんですよ……(苦笑い)。まとめるのが下手なんでしょうね、僕は(遠い目)。八千字!おおう、すごい量ですね。一時間にどの程度書かれるのかは分かりませんが、速筆とおっしゃっているのですから2、3時間もあれば八千書けてしまわれるのでしょうか……!!羨ましい限りです……っ!
短編ノベル集はたくさんの作品が集まりますし、多くの方が訪れますし、僕も時々お世話になっておりますよ。
短編ノベル集よりすごくなっていますか!成長していますか!!有難うございます、そういっていただけると嬉しい限りですっっ(感涙)。全然ベテランなんてものじゃないですよ。そんな大それたお言葉は勿体ないです。
励ましのお言葉、ありがとうございます、精進致します。
それでは、失礼を。

12.11.14  22:40  -  森羅  (tokeisou)

短編集から飛んできました。
しかし、凄い量ですね。
私は結構速筆で、八千字くらいを一話をとして、一話(か二話)完結の連続小説を書いています。
一応、短編集に二回くらい投稿しました。

というか、短編集より凄くなっていて驚きました。
多分ベテランの方だと思いますが、これからも頑張ってください。

12.11.11  18:55  -  不明(削除済)  (wert)

コメント有難うございます!!千助さん!
少々お久しぶりですね。コメントの返事が遅れてしまって申し訳ありません。

光の速さですっ飛んできてくださるとは!!有難うございますっ!空気摩擦は大丈夫でしたか?(違
有難うございます、嬉しいです>< だがしかし残念ながらクオリティ高くなんてないのですよ……(遠い目)。量は、量は多いでしょうけど……(死亡
千助さんが楽しんでいただけたなら何よりですっっっ。

Д三Дな、泣かせてしまった、ですと……!
大丈夫ですか、ティッシュもハンカチも用意してございますよ!!??Д三Д
有難うございます。これからも精進致しますm(__)m

それでは、失礼を。

12.10.21  02:33  -  森羅  (tokeisou)

こんにちは!
ポケノベ漁りしてたら森羅さんの小説出てるやん!!
ということで光の速さですっ飛んできました。
相変わらずのクオリティの高さで読みごたえがある!

バンギラスのお話…泣かせてもらいました
これからも頑張ってください!

12.10.15  10:59  -  不明(削除済)  (1031fish)

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