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我楽多たちの物語

著編者 : 森羅

チョコレート・ゲーム

著 : 森羅

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 あーあー、テステス。本日は晴天なり。本日は晴天なり。どうもどうも初めまして。
 まずは簡単に自己紹介しておこうか。苗字は水城(みずしろ)。性別男。顔面偏差は……せめて普通と言わせて頂こうか。絶望的ではないはずだ。一応花の大学二年生。ジョウト地方出身、現在カント―地方在中。晴れて親元を離れて一人暮らし。住んでいるところは珍妙(トリックアート)な間取りでもなく、家賃もごくごく一般的。そしてムウマを一匹飼っている。

 うちのムウマについても少し補足しよう。
 ムウマとしては標準的なサイズで、性別は女の子(この表現が正しい年齢なのかまでは僕は責任を持たない)。性格、やんちゃ(僕を驚かすためだけに十分たらずの時間で部屋中を台風が来たみたいにするのはできればやめて頂けませんか)。ニックネームは『むー(ちゃん)』(少し、呼ぶのが恥ずかしい)。付き合いは比較的長く僕が六歳か七歳のあたりにまでさかのぼる(このあたりから僕が彼女にこのニックネームを付けた理由を察してくれると嬉しい。僕はまだ若かったのだ)。女の子らしくチョコレートなんかの甘いものが好き(虫歯にならないか気が気でない)。漫画や小説のように人語をしゃべることはないが(そんなことを夢見ていた時代が僕にもありました)、僕の付けた『むーちゃん』なんていうふざけた名前にもふよふよ寄ってきてくれる可愛い子だ。
 そして、ムウマらしく生き物の『恐怖心』が彼女のゴハンだ。
 そんなムウマと僕は、暮らしている。

   *

「あっ、むーちゃんだぁ」

 かったるい講義が終わって、二分ほど。その黄色い声と同時にむぎゅっ、と僕の傍に浮かんでいたはずのむーが消えた(当然講義中はボールに入れている)。もう慣れてしまった僕はそれを好きにやらせて講義の後片付けをする。ほとんどメモを取っていないプリントを鞄の中に押し込み、せめてもと広げていた筆記具を筆箱の中に放り込む。講義の内容は当然ほとんど覚えていない。テスト前には何とかするようにしよう。

「むぅむー」
「あー、もうむーちゃんは可愛いなあ。もううちの子になる? うちの子になっちゃう?」
「早瀬(はやせ)。むーはうちの子だから」

 あまりにいつものことなので、もはや呆れと共に毎度の台詞を繰り返す。はっきり言ってテンプレだ。コピペだ。レポートの際にはかなりの確率でバレるのでやっちゃいけません。
 僕の言葉にむー(我が家のむーちゃんのことではないのであしからず)と頬を膨らませる早瀬。本日はポニーテールらしいその明るい色に染まった髪を揺らして、むーを抱きしめたまま上目遣いで無言の抗議。当然僕はそんなことに屈しない。それよりもその胸の谷間に圧迫されているむーがかなり居心地悪そうなんですが、早瀬サン……気づいてます?
 早瀬(はやせ)。下の名前はとりあえずいいだろう。すらっとした体育会系の体系の女性で、期待を裏切らず中学高校と運動部所属だったらしい。その明るい髪色に良く似合う活発な性格でムードメーカー的存在。何匹かポケモンを持っているはずだけど、どうにもむーがお気に入りらしく、見かければ飛びついてくる。同じ学部学科で、同じサークル。そのため親しいと言えば親しい。尤も、僕なんて確実にむーのオマケくらいにしか思われていない。喩えるなら玩具付き駄菓子のお菓子の方の扱いだと思ってくれていい(本来ならば菓子がメインのはずだが、子供からすると実際のメインは玩具になる。なかなかいい喩えを思いついた、今度からこれを使おう)。

「はー、むーちゃん可愛いわー。本当に可愛いわー。なんでこんな可愛い子がこんなムサい水城(みずしろ)くん家(ち)にいるのよー。世の中理不尽だあ」
「聞こえてるぞ、早瀬」
「いいんですぅー聞こえるように言ったんですぅー。ねー、むーちゃんっ」
「むぅー!」

 悦の入った早瀬に溜息をお見舞いして、僕はむーを呼ぶ。どっちの味方なのかいまいちよくわからないが、何か怒ったような鳴き声を上げたむーは僕の声に早瀬の腕をするりと抜けた。

「ああっ! わたしのむーちゃんが!」
「誰が早瀬のだって?」

 この世の終わりみたいな声を上げる早瀬を適当に流す。先程テンプレと言ったが、要はもう、このやり取りには慣れてしまっているのだ。うむ、僕も普通に大学生してるな。
 むーちゃん、むーちゃんと甘い声で連呼し続ける早瀬を無視して僕は鞄を肩にかける。今日の講義はもうおしまい。サークルに顔出そう。僕の肩のあたりに浮遊するむーの喉を少し撫でてやる。むーの大きな瞳がきゅっと細くなった。

「早瀬。お前、サークルは?」
「むーちゃああん……え? 行くよー。ただ、水城くん。本日の『メニュー』は洋画だった気がするけど?」
「げ。まじか。……内容にもよるなあ」

 洋画、洋画かあ。館モノだと、あのシーンがありそうな……。ちらりと横に浮かぶむーを見る。きょとんと首を傾げる大きな赤い瞳。くしゃくしゃの髪がゆらゆらと揺れる。うーん……いや、まあ。

「とりあえず行ってみてからだなあ。駄目っぽかったら考える」
「いやあ、涙ぐましい努力ですなあ。早瀬さん感動で泣いちゃいそう」
「良いからサークル行けよ……」

 にやにやとからかうような目を向ける早瀬を小突いて、先を急かせる。早くしてくれ。映画が始まってからじゃ、会長に確かめられない。
 何サークルか。映画研究会ではない。断じて。雲散臭いと笑うなら笑え。オカルト研究会(という名の駄弁りサークルとも言う)だ。

   *

 何故僕が、そんな雲散臭いサークルに入る羽目になったのか。そのまえに少し、ムウマの話をしよう。
 そもそも、ムウマもだがゴーストタイプのポケモンは食事や健康管理が難しい。ある意味で『生きていない』彼らは一体どうやって『生きている』のか良くわかっていないのだ。勿論、(むーもだが)チョコレートのような人間の食べ物も食べるし、栄養サプリメントを与えればそれなりのビタミン類を補うことができる。だが、それでは完全な健康管理は難しい。そんなものばかり与えていると、彼らは体調を崩して弱ってしまう。ゴーストタイプの彼らにとって『普通の食事』はあくまで『非常食』や『嗜好品』にしか成り得ない。彼らはもっと、不可思議なものを食べるのだ。
 例えば、むーなら『恐怖心』。夏場であればかなり楽に食事を与えることができるのだが……(涼を取るという目的で心霊系の番組が増えるし、お化け屋敷の類の入場者も増えるし、肝試しも良い)。問題は冬場だ。この頃が困ってしまう。一応、食事を与える一番手っ取り早い方法としては、夜中にむーを街にでも連れだせばいい。暗がりで無作為に人を驚かせばそれで彼女は『食事』ができる。ただ、そんなことを繰り返せば……普通に考えてもわかるだろう。僕が警察のお世話になる羽目になる。笑えない。管理不行き届きでむーを取り上げられる恐れもある。笑えない。ちなみに昔は僕自身や僕の家族が彼女に『食事』を提供していたのだが……十年以上付き合えばどうにも彼女がいるという状況に慣れて、彼女はマスコットに成り果ててしまう。いつだったか、“おどろか”せたむーに対し我が母親は「むーちゃんは可愛いね」ってにこにこ笑ったことさえあるのだ(その言葉のせいでむーは自信を失くしたらしく、暫くふさぎ込んだ)。
 さて、少しわき道にそれたけど、そろそろわかって頂けただろうか。むーに『食事』を与える方法として頭を捻った結果がこのサークルと言うわけだ。駄弁っていることも勿論多いが、週に一回は暗幕を部室に張ってホラー映画の鑑賞会があるし、怖い話談義をしていることも結構ある。ムウマがいるんですけど彼女の食事にしても良いですか、なんて馬鹿正直に聞いた新入生は僕だけだったが、その時の会長は笑って入部を許可してくれた。ゴーストタイプが好きだという理由もあったのだと言う。いやもう、本当にありがたかった。

「おっ、水城と早瀬か」
「どーも、会長」
「ちわー」

 暗幕を張っている最中だったが、にへらと笑って僕らを迎えてくれる会長(僕の入部を許可してくれた会長とは代替わりしている)はどうみても好青年(彼女がいるらしい。羨ましくない羨ましくないぞ!)。……オカ研は実際入ってみると“いかにも”といった学生は意外に少ない。早瀬もだが、割とノリのいい人が集まっている。新入生の時の新歓もかなり派手で騒がしかった記憶があるし、夏の合宿からスノボー合宿、飲み会、ぶっちゃけ何でもアリだ。会長はむーを一瞥して、大仰にお辞儀をする。

「おおっ! 我らがオカ研のマスコット様ではありませんか! むー様さあさあ、どうぞどうぞ。お菓子もご用意してございます」
「むーっ」

 数名いた部員がこっちこっちとむーを呼び寄せる。きらきらと目を輝かせてお菓子の方に漂っていくむー。人見知りせず、可愛らしい外見のせいか家族の中だけではなくてサークル内でもむーはマスコットだ。男女ともに好かれている(僕の名誉のために言っておくが、断じて僕の地位はむーによって脅かされたりはしていない……多分)。きゃっきゃっきゃっきゃと盛り上がるのを横目に(いつの間にか早瀬もそちらに入っている。お前、いつ移動した)僕は暗幕を張るのを手伝いながら、会長に尋ねた。

「今日の映画って洋画って聞いたんですけど」
「……ああ、有難う。これ、そっちに掛けて。うん、洋画だよ。むーちゃんが嫌いなシーンもあったかも」
「序盤ですか?」
「うん。だから、後から入ってきてもいいよ。何回かあるかもしれないけど、まあ、そこは仕方がないかな……。来週は邦画のつもりだけど」
「すみません。じゃあお言葉に甘えさせていただきます。いつも気を使って頂いて本当にすみません」
「いいよいいよ。個人的には邦画の方がみんなの反応が面白いし!」

 暗くしているはずなのに、爽やかに笑う会長が眩しい。僕もこういう風にさらっと気を使える人間になりたいものです。とりあえず心の中で拝んでおく。
 暗幕を張り終えて、会長が全員に声をかける。数名いた部員が別の意味できゃっきゃとはしゃぎ始めた。怖いもの見たさ、という感情は誰にでもあるのだ。

「むー」
「む?」

 むーを手招きする。早瀬の「むーちゃんが拉致られる!」という悲鳴が聞こえた気がするけど無視。「いってらー」「いってらしゃい」などの幾つもの声がかかる。皆はいつものことなのでわかっているらしい。いやはや申し訳ない。部室を後にして、缶コーヒーで時間を潰す。ベンチに一人で座っている様子は(むーがいるけど)ガラにもなく黄昏ているようにも見えるかもしれないがそんなことは一切ないので安心してほしい。
 むーに恐怖心を食べさせることが目的のくせに一体何故部室を後にしたのかと言われると、これはもう、ムウマと言う生き物の沽券に関わるのかもしれないが……。むーにだって怖いものはあるのだ。

 むーは『雷』と『悪魔』が、怖いのだ。

 おどろおどろしいシーンと言われて、どんなシーンが思い浮かぶかは人それぞれだが、例えばそのうちの一つに『雨風が吹き付ける大嵐の夜、雷が鳴り響き、そのシルエットが浮かび上がる古びた洋館(もしくは城)』というものはないだろうか。むーはそのシーンが駄目だ。雷が鳴り響くのがアウト。本物の雷も勿論アウト。こっちが驚くくらい、小さくなって部屋の隅で震え始める。初め、慣れていないオカ研の人たちは驚いたものだ。こんなに怖がるムウマは初めて見た、と。僕にとってはもはや十年以上の付き合い。慣れたものだったのだが、やはり初めての人は驚くらしい。尤も、むーがマスコット化した由来はこの辺りにあるのだろうが。
 そして悪魔。洋画云々、と言った理由はこの辺りにある。邦画には悪霊だとか、わけのわからない伝染性の都市伝説とかが多い気がするのだが、洋画には『悪魔』が多い。“エクソシスト”モノだったり悪魔と契約しちゃったり、非常に多い。これが駄目。何故駄目なのか、それはむーしか知りえない。とにかく、駄目なものは駄目なのだ。宥めすかしても怖がる。周りが映画の内容なんてどうでもよくなってむーを宥めることに必死になるくらい、怖がる(二度目になるが、むーがマスコット化した由来はこの辺りにもある)。
 大学に入ってから一時、やたら「むー、むー」と悪魔モノの映画ばかり見たがった時期があるのだが……。そのどや顔は、ものの数十分で崩れ落ちた。僕にしがみ付くようにして目を閉じてガタガタ震えるのだ。お前が見たいと言ったんじゃないか、なんて言葉は彼女には通じない。もはやお前は恐怖心を自給自足できるんじゃないかと思ったほどだ(くどくなるがこの辺りも……もういいや、以下略)。
 というわけで、『本日の映画(メニュー)』が雷シーンで始まる場合、僕は大人しくそのシーンが終わるであろう時間帯まで時間を潰すようになったわけだ(悪魔モノだった時は、ある程度むーに限界までは頑張ってもらうしかない。あまり会長や部員に迷惑をかけるわけにはいかないし、恐怖心を食べなければ体調を崩すのは彼女の方だ)。
 空になった缶コーヒーをむーに渡し、ごみ箱に捨ててもらう。そろそろ行くかと腰を浮かせて、何が楽しいのかふよふよ空中で弾む彼女を呼びよせた。むーちゃん、いくよ。そろそろ、冒頭は終わっている。“美味しく”なってる頃だろう?

「むぅう!」

 くるりと一回転。うきうきしている様子はすぐにわかる。そうか、そんなにご飯が嬉しいか。まあ、皆がきゃあきゃあ怖がっているのはやっぱり見ていて面白いものではあるけど(ちなみに僕はホラー映画を怖がらない人だ。ムウマが家に居たのだから当然と言えば当然だけど)。
 ぶらぶらと部室に戻ると「キャー!」と楽しんでるんだか怖がっているんだかよくわからない声が上がった。雷のシーンは終わっているようだ。まあ、会長の話だとあと何回か雷のシーンがあるはずだけど。それは、もう我慢してもらおう。むーの大きな目がチョコレートに対するのとは違う種類に、輝いた。少し恍惚とした、艶っぽい表情。赤い首飾りが妖しく光る。『食事中』の合図だ。僕の他にもゴーストタイプを持っている部員はやはり多く(皆考えることは同じと言うことだ)、いつも映画の時はゴーストポケモンたちが部屋の後ろでその様子をむーと同じく美味しそうに眺めている(鑑賞者たちにちょっかいをだす場合も多い)。今日はゲンガーとむーだけのようだが。ゲンガーがむーに気づいてちょこっと脇に寄ってくれ、むーはその横に納まった。さて、僕も適当な場所に座ろうと椅子を探すと、一人、僕に手招きをする人がいる。僕はその傍の椅子に腰を下ろした。映画は今、スクラップシーンらしい。血まみれで原形をとどめない遺体が転がっている。前後がわからないけれど、どうも殺人鬼が殺しまわる類の映画のようだ。

「水城」
「何?」
「ちょっといいか。外出てさ。折り入って話がある」

 僕を呼んだのはそれか。小声でそう告げる同期に僕はいいよと頷いた。なんだか本当に真剣そうなんだけど、一体なんだろう。こそこそと再び二人で外に出る。ドアを閉める時にちらりとむーを見ると、相変わらず酔ったような蕩けんばかりの表情でまあいいかと肩を竦めた。僕がいなくても、雷のシーンになれば適当な誰かにしがみ付くだろう。

   *

「で、話って?」
「いやー実はさ。むーちゃんのことなんだけどさあ」
「むー?」

 食堂の椅子が空いていたのでそこに座る。奢りだと言って缶コーヒーを貰った。……さっき飲んだばかりなのだけど、ありがたく貰っておく。
 へへへっと照れたように頭を掻くのは僕や早瀬と同い年(つまり同期)の、橘(たちばな)。オカ研の人間かよ、と思う程(全国のオカルト研究会の皆様ごめんなさい)飛び抜けて明るい。早瀬とタイプが似ているが、要はいじられ役に徹することのできるタイプの男だ。なんだろう、飲み会の初っ端で司会だったり、一発芸だったりと無茶振りを振られるタイプと言えばいいのだろうか。捨て身で笑いを取りに行ってくれるそういうやつだ。
 そんな橘が一体、僕……いやむーに何の用がある?

「実はさあ」
「何だよ、気持ち悪いな。早く言え」
「ひどっ! 水城くんひどくないですかー!?」
「帰るぞー」
「ああっ! 待ってくれ! これはもう、本当に大切な話なんだって!」

 がしっ、と僕の服の袖を掴んで離さない橘に僕は椅子に座りなおした。むーは大丈夫だろうか。……大丈夫か。

「何だよ、早く言えよ」
「いやーそれがさー……」

 なんだ、一体何なんだ。妙な笑いのまま、口ごもる橘に、僕は疑問符を浮かべるしかない。なんだ、その気持ち悪い笑いは。照れているらしいことはわかるけど、なんだ。一体何の告白だ。……告白? いやいや落ち着け。落ち着くんだ。僕にじゃない。むーにだ。いや待て。それでもおかしいぞ!? ……ということは、待て。なんだろう。一体、何だこの笑いは……?

「……なっちゃったみたいでさ」
「は?」

 聞き取れなかった。ミスタータチバナ、ワンモアプリーズ?

「好きに、なっちゃったみたいでさ……」
「………………は?」

 その言葉を飲み込むのに数秒かかった。えーっと、えーっと、とりあえず。落ち着け、落ち着け僕。本当に告白だったのか。予想が当たっただと……。『スキになっちゃった』? 誰を? 『好きになっちゃった』? むーを?

「あ?」

 口から飛び出たのは濁点の付いたような“あ”。ドスの利いた声、だったと思う。というか、橘。僕はお前がそんな特殊な性癖持ちだとは思わなかったぞ!?

「待って! 待て待て待て!! 誤解してる! 間違いなくお前は俺を誤解してる!! 落ち着いて!! 水城俺の話聞いて!?」

 こっちが落ち着けと言いたい! 落ち着け! そういう特殊な性癖を否定はしないが、お前なんかにむーはやらん! 娘を嫁にやる前の頑固親父みたいな台詞を吐きながら僕は不動明王の如く、腕組みをして橘を見下ろす。あ? なんだって?
 今にも平伏しそうな橘が恐る恐る声を掛けた。

「俺じゃないんですよ……。水城様」
「ほう? じゃあ、誰だ。吐け。即刻吐け」
「……ふつう切れないやつが切れると怖いって本当だったんだ……」
「あ?」

 委縮しきっている橘が面白い。え? じゃあ誰だよ? ほら吐けよ。楽になるぞ。橘はそれでもしばらく困ったように口ごもってから、ぼそぼそといつもの軽快さが一切ない声で、吐いた。

「うちのゲンガー」

 ほう……。ゲンガーか。………………………………は? ゲンガー?

   *

 部室に戻ると、映画はそろそろ終わりに近いようだった。正体を突き詰められた殺人鬼が画面の中で追い込まれていく。
 橘が“こと”に気づいたのは本当につい最近のことだったらしい。

「どうにも落ち着かなくてさ、テンションの波がおかしかったんだよ。いつもならほら、あいつ悪戯好きだから映画見てる時って大概女の子を脅かしに行くのにさ、やたらしおらしくなっちゃってたり、やたら張り切って驚かしてたり」

 あまり僕は意識していなかったが、確かに言われてみればそうかもしれない。橘に聞いた話を思い出しながらちらりと後ろに目を向けると、そろそろ満腹になったらしいむーがふよふよと微睡んでいて、その隣でゲンガーがやたら大人しく座っている。確かにその視線もちらちらと時々むーに移っている。おおう、確かにこれは脈ありか。じっと見ると結構あからさまだ。

「でもほら、肝心のむーちゃんの方はあんまり気にしてないっぽくてさ。ゴーストタイプ同士で仲良くはしてるけど、その程度。俺やお前に対する早瀬の行動とほぼ一緒」

 さらに橘の言葉を思い出しながらふむふむと頷く。要は、むーにとって橘のゲンガーは恋愛対象外らしい。確かに幸せそうな顔で眠りこける様子は、ゲンガーを恋愛対象として見ていない証拠だろう。ゲンガーが肩を落として溜息をついていた。……うちの子がどうもご迷惑をおかけしまして……。なんだかゲンガーに申し訳ない気分になる。

「でもほら、俺としてはさ、ゲンガーに元気になってほしいわけですよ! というわけで、水城! いや水城様! どうか一肌脱いでやってください!!」

 最後の最後、部室に戻る前に言われた橘の言葉に今度は僕が溜息をつく。僕に、むーをどうしろと? 感情なんてものは難しいのだから。そんなものはむーの心ひとつだろう。彼女は繁殖用のポケモンではないのだし。
 うんうんと悩んでいる僕を余所に映画は終わり、むーは未だ幸せそうに眠っていた。

   *

 むーには話をしてみた。ゲンガーが、お前を好いているらしいと。けれどなぜかむーはそれにそっぽを向いてしまって、拗ねてしまう。チョコレートさえハンストされた。喜ぶだろうと思った僕はもしかして年齢が離れているのかなとか(ゲンガーの年齢も知らないが、もしかしたらものすごく年が離れているのかもしれない)、ただ単に好みじゃないのかなと思ったりした。とりあえず橘には「むーは興味がないらしい」と伝えた。もう少し、こちらは粘って頑張ると言っていたが。

 数日後、橘とゲンガーがいない日にオカ研の人にそれとなく橘(のゲンガー)のことだとわからない程度に話を回してみた。どうも、むーに好意を持っているゴーストタイプがいるらしいと。けれどむーはあまりそれに興味がないらしいと。それを聞いた会長と早瀬が、ぽかんとした顔をする。数名いた女子がにやにやと笑っていた。え? 何その顔。予想外の反応に、僕はと毎度意を隠せず何か変なことを言ったか、それとも橘のことだとばれてしまったかと心の中で焦る。けれど、それはむーの声によって遮られた。

「むーーーっ!!」
「むーちゃん!」

 ひしっ、とむーを抱きしめるのは早瀬。そして数名の女子が「やーねえ」と僕の方を見て言う。え? 何? 何? 早瀬の腕に抱かれたむーがこちらに向かって舌を出した。

「『べー』だって」
「いや、分かるよ!?」

 早瀬の言葉に、反論。それくらいは僕でもわかる! わかるけど、僕は何か気に障ることを言ったか!?
 わけがわからないと言う僕にやれやれと部員たちが首を振る。え? なんですかこの僕が悪いと言わんばかりの状況は。

「この前さあ、水城くん、橘くんと出て行ったじゃん」
「……え? ああ。うん」

 一瞬バレたかと思ったが、そう言うわけではないらしい。早瀬が煎餅を齧りながら、続ける。

「むーちゃんの嫌いな雷のシーンいくつかある映画だったじゃん」
「うん」

 けど、僕以外の誰かに引っ付いてたろ? 早瀬とか。会長とか。彼女は、誰にでも人懐っこいタイプだし、実際僕がいるときはそういうことが幾度とあった。だから、その日もそうしてたんじゃ?

「むーちゃん、部屋の隅っこにいたよ?」
「え?」

 え? なんで? いやだって、雷のシーンなんてむーは一人じゃ耐えられないはずじゃ!? 驚く僕にチッチッチ、と早瀬が指を振る。わかってないなあと。にやにや笑いながら。

「ねー、むーちゃん。こんな鈍感男なんて嫌いだよねー」
「むううう!!」

 激しく上下に首を振るむー。え? むーちゃん? 「むーちゃんカワイソー」と他からも声が上がる。唯一、救いになりそうな会長は困ったような表情で笑ったまま。僕が助けを求めて視線を向けるとその笑みのまま肩を竦めた。え? 孤軍奮闘ですか。まさかの。
 当惑。困惑。訳が分からない。待ってくれ。誰かこの状況を通訳してくれ!
 そして、通訳は予想外にも早瀬によって。

「だからあ、むーくちゃんが好きなのは水城くん、君ってこと。そりゃー自分の好きな人から他の男紹介されたらハンストもするわー」
「むぅううう! むうむうぅ!」

 「むーちゃん、健気―」「本当に可愛いー」「もう、水城君ってサイテーだよねー」様々な声が左耳から右耳に流れる。えっと……えっと……? はい?

「オンナゴコロってもんがわかってないわー。やあねえ、怖いシーンで飛びつきたくなるのは好きな人に決まってんじゃーん」
「いやだって、早瀬や会長にだって!」
「水城くん。駆け引きって言葉、知ってる?」

 シッテマス。言葉だけは。

「むーちゃんが、でれでれに甘えてるの知ってる?」

 シリマセンデシタ。こんなものかと思ってました。

「むー……ちゃん?」
「むぅ!」

 げんきのよいおへんじでなによりです。
 早瀬の腕をすり抜け、いつもの指定席――僕の肩の上――に浮かぶむーちゃん。えーっと。あの……僕は一体どうすれば。

「むーちゃん、告白成功おめでとうございまーす!」
「むぅ!!」

 えがおがとてもすてきです、むーさん。
 早瀬の声が遠い。部員の声が遠い。むーの声が遠い。置いてきぼりで盛り上がる部室に、僕は未だ固まっていた。
 会長が、ぽんと僕の肩に手を置いた。諦めろ、と言わんばかりに。
 ああ、会長。今日も爽やかな笑顔ですね。とても、とても、眩しいです。そして、橘と橘のゲンガーごめんなさい。まさかの恋敵は僕でした。

 …………まじですか?


***   ***
お題「ムウマ」。ほのぼのーっと。いわゆるケモナー(っていうんですかね?)とまではいかないはずですが……。気分を害した方がいらっしゃいましたら申し訳ありません(水城君の名誉のために言いますが、彼は間違いなくノーマルな性癖の持ち主です念のため)。森羅にもそういう性癖はありません念のため。
「水城」「橘」の苗字はツイッターで募集して頂きました、有難うございます!

⇒ 書き表示にする

2014.4.13  19:08:48    公開
2016.7.3  11:14:50    修正


■  コメント (5)

※ 色の付いたコメントは、作者自身によるものです。

コメント有難うございます(二回目)!!ミオさん!
いえいえ、本当に気にしてないですよー。寧ろ、わざわざ二回目のコメントをしてくださってありがとうございます!(小躍り

文章の構成上の工夫ですか。ぶっちゃけそこまで意識したつもりはないのですが(おいおま)、そう言って頂けると嬉しいですありがとうございますm(__)m むーちゃんの紹介場面については前のコメントでも述べました通り、あまりしたことのない書き方でしたので、「むーちゃんという子に惹きこまれていく」と、「目から鱗」と仰っていただいて安堵の息をついています。ヨカッタヨカッタ。
むーちゃんの苦手な、「悪魔と雷」はもう本当にその場の思いつきだったのですが、アクセントになったと仰っていただければ何よりです。もう「むーちゃん可愛い!」と言って頂くだけで十分です、ありがとうございますありがとうございます(土下座
ミスリードに関しましては、これも前のコメントで少し触れたのですが、伏線や「むーちゃんが水城君を好き」である描写が足りなかったのは弁明のしようがないですし、わからなくても仕方がないと思います……。本当にすみませんっっ! 
いえいえ、学ばせて頂いたなんて、そんな……。微力になれば幸いです。こちらこそいつもミオさんの文章には学ばせて頂いております、ありがとうございます!

感想最速の件に関しましては、ツイッターでのご丁寧なお返事誠にありがとうございました。こちらこそ、誤解を招くような発言本当に申し訳ありませんでした。その件に関しましては、DMでお返事をさせて頂いておりますので、もう掘り返すのはやめておきますね。
むーちゃんと水城君書いてて本当に楽しかったので、こちらも多分繰り返しになりますが、お題有難うございました!!!! 本家ムウマお嬢様(エルル様)も楽しみにしておりますよ……!(こっそり

え? 水城君。なんだって? 代ってあげたいのはやまやまだけど(人間の彼女が欲しいらしいです、このゼイタイクモノめ!)むーに部屋を粉々にされるから勘弁してくださいだって?

コメント有難うございました!!!!!!!

14.5.10  21:49  -  森羅  (tokeisou)

 森羅さんこんばんは。「つづきます」と書いたのに肝心の後半部分を書き漏らして申し訳ありませんでした。連続投稿で弾かれたのを再送し漏らしたようです……
 以下、つづきを手直ししたものを記しますので、ご覧いただければ嬉しく思います。

(つづきです)
 ここまで「むーちゃんがかわいい」を連呼してしまいましたが、そう思えた一因はやはり構成上の工夫だったのではないかと思います。たとえば冒頭、むーちゃんがどんな子なのかが簡潔かつピンポイントに描写されていることによって、読者は速やかにむーちゃんという子に惹きこまれていくように思います。私はとにかく導入部分の執筆が苦手なので、こうして感想を書きながら分析してみて目からうろこの思いです。
 他にも「ゴーストなのに雷と悪魔が怖いむーちゃん」というミスマッチさは、物語にメリハリを与えるよいアクセントになっていると思います(だってゴーストなのに怖がるんですよ! かわいい!笑)。この小説は、一見むーちゃんのかわいらしさを一直線に描いているように見えて、実は思わぬ新情報やミスリードによって右へ左へと振りながら描いている作品。予想のつかない意外性があるからこそ、ますますむーちゃんが単なるムウマではなく「むーちゃん」として引き立てられたのだと思います。こうして感想を書いてみると「むーちゃんかわいい」を下支えするものが見えてきて本当に勉強になります。いろいろなことを学ばせていただきました。

 お返事になりますが、感想を催促されたなんてもちろん思っていません。むしろ私の大好きなムウマの小説を読ませていただけたのを本当にうれしく思っていますし、その割に感想が遅れに遅れたことは申し開きの次第もありません……
 お時間を割いて小説を見せてくださった上に技法の勉強までさせてくださった森羅さんには重ねて感謝です。ありがとうございました! それからむーちゃんと水城くん、末永くお幸せに!(



 あ、水城くんちょっとこっちへ。あのさ、少しの間でいいからボクとポジション代わってくれないかな。……あ、やっぱりダメ……そう……(フェードアウト)



(こんどこそおしまいです)

14.5.7  21:28  -  不明(削除済)  (miotaru)

続きです。

可哀想な失恋ゲンガーのくだりは伏線も描写も少なかったですから、無理もありませんよ。ミオさんがにぶいわけではなくこちらの描写不足です。もう少しむーちゃんの恋心がわかるような描写をすべきでしたね。すみません。……だがしかしあえて言うなら水城君。むーちゃんと十年以上暮らしてきた君が鈍いのは許さん(わらうところ)本当にもうね! 末永く爆発しろってやつですよ。血の涙を流しながら書きましたよもう! (※真っ赤な嘘です
早瀬さんや会長さんその他諸々が気づいてたってことはかなりむーちゃんは恋愛に積極的な部類なのでしょう。成程、照れ照れ……。そんな子も可愛いですねえ。ムウマはお姉さんキャラから幼い子キャラまで何でも行けるから素晴らしいです(力説
タイトルは相当迷って、良いのが浮かばなくて結局これに落ち着いたんですが、むーちゃんにとってはあまぁいミルクチョコでも水城君にとっては(繰り返しますが彼の性癖はノーマルです)ちょっとビターチョコやチョコレートボンボン気味だったのかもしれませんね(’ω`)結構彼とむーちゃんはキャラが立ってるので機会があれば不本意にもむーちゃんの彼女(オカ研公式)になってしまった水城君がむーちゃんに振り回される話を書いてみたいですね。機会があれば……。
水城君お幸せに!(悪意しかない

長々と失礼いたしましたm(__)m
本当にコメント有難うございました!!

14.5.6  03:42  -  森羅  (tokeisou)

コメント有難うございます!!ミオさん!
ミオさんに頂いたお題でしたからね……そう言って頂けると何よりです、お粗末様でした。こちらこそ有難うございました!ツイッターで少し勘違いしてしまってコメント催促みたいになってしまって本当にごめんなさい

オカ研のネタは結構すぐ浮かびましたねー。どうして思いついたのかと聞かれると覚えていないのですがw怖がりなむーちゃん、気に入っていただけて何よりです。こう、『強がり』って可愛いですよね!ムウマという生き物自体が「恐怖心」を食べるのに怖いものなんて…と書きながら思ってはいたのですが、そのミスマッチさがアクセントになったなら何よりです。ミオさんがぎゅっと抱きしめてあげたいむうまちゃんを目指した甲斐がありました(いい仕事をした時の笑み)ミオさんが水城君からむーちゃんを……つまり強奪愛っ!(以下自主規制)フェードアウトの文字に不覚にも笑ってしまいました(ご報告

場面描写、ってことは水城君によるむーちゃん紹介場面ですかね。今回は語り役の水城君が読者の存在を認識した話し方してるので、括弧使ったり楽しかったです♪実は僕自身あまり書いたことのない(いやそんなことはないかもしれない……?)書き方でしたので、気に入ってくだされば何よりですっm(__)mむぅむー。ムウマは可愛いですねっ、本当に(恍惚

すみません。文字数オーバーしてしまったので続きます。

14.5.6  03:40  -  森羅  (tokeisou)

 森羅さんこんにちは。むーちゃん可愛かったです……ごちそうさまでした……それから遅くなってすみませんでした…… 今回はなりふり構わず書かせていただこうと思います。

 ムウマのご飯は恐怖心。でも道ゆく人を無造作に驚かせるのはいろいろと問題が……。なら、みんなが喜んで怖がっているところに行けばいいじゃん! という水城くんと森羅さんの発想、お見事でした! むーちゃんは怖がる心を食べるムウマなはずなのに、「恐怖」にも得意なものと苦手なものがあるというのがアクセントになっていますね。分析めいた感想になってしまっているんですが、純粋にむーちゃん可愛いです。ゴーストなのに悪魔がダメ、雷もダメ、雷鳴が轟くと部屋の隅で怯えだす。これを守ってあげたくなるなという方に無理がありますね……でも怖がっている心を食べる艶っぽい様子はとてもムウマらしくて、これまたこのギャップが愛おしい……むーちゃん可愛い……水城くんそこ代わって……あ、ダメ……そう……(フェードアウト)

 場面描写に移る前の段階でむーちゃんが既にかわいいのも衝撃的です。わずかな文字数でピンポイントに爆撃する感じに、小説はただ文字数を重ねれば綺麗に見えるものではないと思い知らされます。甘いものとイタズラが大好きなムウマの女の子……ムウマ好きとしてはこれだけでも十分微笑ましいのですが、この後の早瀬ちゃんの「あっ、むーちゃんだぁ」とそれに答える「むぅむー」という声だけで早くもノックアウトでした。かわいいですねむーちゃん(まだいってる)

 それからゲンガーのくだりはミスリードされました(にぶい)。恋愛対象でもない相手を紹介されて怒ってるのかな、でも怒ってるむーちゃんもかわいいなぁ、でもなんで怒ってるんだろ。そのレベルだったので、水城くんが批判の矢面に晒されているときはこの幸せものめ末永く爆ぜろと思いました(?) 照れてなかなか言い出せない子も好きですが、こうやって来るところまで来たらぐいぐいアピールする子も勢いを感じていいですね〜。あまぁい駆け引きはまさに「チョコレート・ゲーム」。何度も何度もむうむう声を上げられて全力で愛される水城くん、心底うらやましいです。お幸せに……!

(まだつづきます ×)

14.5.5  11:58  -  不明(削除済)  (miotaru)

 
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