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我楽多たちの物語

著編者 : 森羅

海をみた日

著 : 森羅

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 ――ごらん、ごらん。
 記憶の中で、僕は、確かに『それ』を見た。

 もっとも、『それ』が何だったのかなんて今じゃちっとも覚えちゃいないけど。

   *

「『海』ぃ?」
「そっ、う……海」

 山に登って海を見るねえ、と怪訝な顔を隠しもしない案内役の彼女に僕は愛想笑いを返す。僕よりよっぽど若く、僕よりよっぽどアウトドア派であろう彼女は一つにまとめた長い黒髪を揺らしながら、ずんずんと先に進んで行く。装備もほとんど軽装に近く、重装備の僕から見るといかにも身軽そうだ。もうすでにバテバテの、完全なインドア派の僕としてはその後ろを見失わないように付いていくことに精一杯で周りの景色がどうだとかそんなことは頭に入っていない。さっきの返事だけでもいっぱいいっぱいだ。

《きゅっきゅっ》

 雪に埋もれながらもその短い脚で進むのはオオタチ。顔に似合わないと言われるが、フェレットみたいなそいつは紛うことなく僕の相方だ。ちなみにバトルはというと……ぶっちゃけ弱い。愛玩用というわけではないが、バトル用に育成しているわけでもなく、あえて言うなら助手だろうか……? なんだかそれも違うような気がするけど、とりあえず彼女がいて損をした試しはない。

「おにーさんさあ」
「……はい」

 一瞬誰のことかと思って、自分のことだと気づく。それでも『おにいさん』とは。まだ大学生なんだけど。まあ、十代だと言っていた彼女から見れば『おにいさん』なのかもしれない。『おじさん』ではなかっただけありがたいと思っておこう。立ち止まってくるりとこちらを振り返る快活な表情に僕も立ち止まって鼻眼鏡になったそれを押し上げる。あー……疲れた。はあーっ、と情けない声があがる。立ち止まって見えるのは一面の雪景色(といっても少し溶けかけて、ぐずぐずになっているところもある)。僕、彼女、オオタチ。それが僕の知覚領域にいる生き物のすべて。山に登るのなんていつ振りだろう。まともに山に登った記憶なんて、それこそ十を数える前の年齢でしか記憶にない。肩で息をしながら、そんなことを考える僕に彼女は一言。

「ちょっと休む?」
「……是非」

 『おじさん』でもいいかもしれない。そう、思った。

「はい、ユカリ……さん? ちゃん?」
「どうも、おにーさん。ユカリでもユカリちゃんでもユカリさんでもお好きにどーぞ」

 かじかむ手で背負ってきたリュックを下して魔法瓶からお茶を注いで少女――ユカリに渡す。火照ってきた身体に、風が気持ちいい。重装備の服は脱ぎたくてもさすがに脱げない。オオタチは僕の膝を占領してその体をくるりと丸めた。お前の方が僕よりよっぽど体力があるだろうに。短い四肢を投げ出し、甘えた目でこちらを見上げてくるオオタチ。彼女もきっと主人(ぼく)と同じで運動不足が祟っているのだろう。ためしに腹のあたりをつまんでみると思いのほか贅肉があった。……これは、非常に、まずい。帰ったらトレーニングジムにでも通わせよう。
 オオタチの脂肪をぷにぷにしていると、お茶を飲み干したらしいユカリが呆れたように僕を眺めていた。

「おにーさんさあ。この時期のテンガン山なんて、下手な雪山よりさらに危険だよ? ポケモンもいるしさあ」
「らしいね」

 春先には雪崩が起きやすい。まだ三月も半ばなのだけれど、最近暖かい日が続いたらしく、麓の雪が少し溶け始めているそうだ。そういう時期は雪崩が起きやすくて非常に危険だ。しかも僕は決して雪山に登ることに慣れているわけではない。カンナギで案内役を買って出てくれたユカリ自身もこの時期に山に入ることはほとんどないと言う。よくよく考えると自分がいかに無謀なのか思い知らされた。

「しかもおにーさんって、なんか運動してなさそう。山登った回数も少ないでしょ。荷物多すぎるもん。 学生?」
「うん、大学生だよ。確かに研究室に籠ってることの方が多いね。インドア派なのは自他ともに認めてる。……荷物多い? 僕には君が少なすぎる気がするんだけど」

 持ち物は、ちゃんとネットで調べてきたんだけど。難しい顔をする僕に彼女はけらけらと笑う。

「多いよお。だって、コンパスとかさ、案内役頼むんだったらおにーさんは持ってこなくていい気がするし、行くのは一応夏の観光ルートだしー」

 リュックの横に吊り下げたコンパスが空しく北を示す。そっか……でもこの程度なら重たくない! ほら、もしかしたら使える時が来るかもしれない!!

「食料も、危なくなったら帰るんだからそんなにいらないしー。寧ろその中に何が入ってるの? 日帰りだよ? もっと荷物は軽くしてこなきゃ、逆に疲れ切っちゃうよ?」

 ……そうですか。すみませんでした。インドア派ですみませんでした。ネットの知識だけで山に登ろうなんて危険なこと考えててすみませんでした。本当にごめんなさい。舐めてました。舐めてなかったけど舐めてました。許してください。もう僕のヒットポイントは残ってませんのでこれ以上攻撃しないでください。心の中で土下座を繰り返す。

「で? そんなおにーさんがそこまでして見たいものって?」

 黙りこくる僕をぐいっ、と、キラキラした目が見上げてくる。僕は彼女から目を逸らして身を引いた。ああ、それが聞きたかったのか。いや、確かにきちんと説明していない僕も悪いけど。ユカリを宥めて、僕は肩を竦める。
 自分でも、この行動は突発的だと、わかっていた。

 見たいものが、あるんです。
 頂上までではなくて、中腹辺りまでで構いません。どうか、どなたか連れて行って下さいませんか――?

 春休み。思い立ったようにカンナギにまで行って、そこで山に詳しい案内役を探した。夏場であればテンガン山の観光ツアーも開催されているのだが、さすがに冬から春にかけてツアーはやっていない。それはひとえに危険だからで、入山が禁止されているわけではないが入山するのはよっぽど山に慣れた人間か、凄腕のトレーナーくらい。僕みたいなインドア派の人間が登れるほど易い山ではないのだ。テンガン山は。
 それでも、登りたかったわけは。

「見たいものがあるんだ。昔ね、僕が小さかった頃に僕は『何か』を見たんだよ。『海』だよって、そう言われた。それは覚えてる。でも、それがなんだったのかちっとも覚えちゃいないんだ。なんか、ふっと思い出して、そこから気になって仕方がない」
「お父さんお母さんと?」
「そう。二人とも生きてるんだけどね。でも聞いても答えてくれなかったんだよなあ。百聞は一見にしかずだから自分で見に行ったら? だってさ。で。今、コトブキの大学行ってるんだけど、そっちからカンナギに行って、君が連れて行ってくれるって言ってくれたからここにいるわけ。この時期にしか見れないんだってさ」
「はー……。でも、あたし、カンナギにずっと住んでるけどそんな海なんて見たことないなあ」
「僕もなんで『山』で『海』を見たのか全く覚えてない」

 納得がいかなそうなユカリに僕は苦笑いを浮かべる。けれど僕は彼女に嘘じゃないよ、としか言えない。その記憶だけは間違っていないはずなのだ。
 正月に帰省して(僕は大学付近に下宿中だ)、写真の整理をさせられていた時だ。雪の残ったテンガン山で、ピースサインで写る四歳くらいの僕。この写真、何だっけ。それを見たときから何かが思い出せない。あとちょっとで思い出しそうで、考えても考えても思い出せない。両親からは自分で見てきたら? と放り出された。「海を見たよね」と尋ねた僕ににやりと楽しそうに笑った両親の顔が頭をちらつく。断片的に聞けた情報はこの『海』を知っていたのは旅のトレーナーで、その人に連れて行ってもらってその『海』を見たと言うことだけ。そのほかは僕自身覚えていないのだ。というより覚えていないから思い出そうとここにきたのだから。山の、『海』。湖でもあったかと思って調べてみたけど、そんなものはテンガン山にはなかった。僕は一体何を見たんだろう。

「付き合わせてごめん」
「いや、どうせ暇だったからいいよ。『海』って言うのも面白そうだし。でも、危なかったらソッコーで戻るからね」
「うん、それで構わないよ」

 ユカリは手元のボールを弄びながら真剣な声で言う。危ないのは重々承知。だから、こちらが危険だと思ったらすぐに“テレポート”でカンナギにまで戻る。それはユカリが山の案内をしてくれる条件だった。
 夏のツアーでの終着点である展望台。そこが写真を撮った場所で、僕が『何か』を見た場所。夏であれば普通に歩いて二時間かからないくらい。この時期であれば五時間以上。観光用にある程度補強された道も雪とぬかるみでぐちゃぐちゃで、歩みも鈍くならざるを得ないから仕方がないと言えば仕方がないのだけど……明日は確実に筋肉痛だろう。
 オオタチを撫でながら、膝の震えを感じ始めた僕に、ぽんと、手を打って立ち上がるのはユカリ。

「じゃあ、そろそろ行こうか。あんまりゆっくり登ってたら間に合わないよ。何時くらいだっけ?」

 それもそうか。また歩くのかとげんなりしながら、それでもオオタチを降ろして時計を見る。あ、やっぱり足が……! 

「今、昼の一時くらい。確か、『海』を見たのは午後三時くらいだったって聞いてる」
「そっかあ。今半分と少しくらいだから、まあ、ギリギリってことかなっ。“テレポート”は帰りには使えるけど、行きはマークポイントがなくて使えないし」
「いや、頑張るよ……」
「おー。その調子だよ、おにーさん!」

 元気よく拳を突き上げるユカリに僕は重い荷物を背負い直す。ずっしりとした重みが足に来る。笑い始めた膝を拳で数度叩いた。……効果があるかはわからない。

「じゃあもうあと半分、頑張りましょっか」

 にかっと笑う彼女に、僕は笑えていただろうか。

「ぎっりぎりぎっりぎり! 間に合ったよおにーさんっ。良かったねえ、そこまで危ない場所がなくって」
「……うん……そ、だね……」

 ようやくたどり着いた膝下まで雪に埋もれた展望台。てやっ、と軽くガッツポーズする彼女に僕は生返事しか返せなかった。つまり、それくらい疲れていた。ボールの中に入っていられるオオタチが羨ましい。途中からまともに動けなくなった彼女はボールに入れざるを得なかったのだ。くそう、この、野生を忘れたフェレットめ。帰ったらルームランナーの速度を限界にまで引き上げて走らせてやる。その弛んだ肉を前にポケモン虐待とは言わせない。
 そんなことを考えながら、雪の中から発掘したベンチに座り込む。ごきごきと首が鳴って、とっくの昔に限界を超えた足が悲鳴を上げる。あー……早く帰りたい。とういうか、そういえば……。
 柵に手をかけて、景色を眺めていたユカリが僕を振り返って尋ねる。

「で、どこ? 海」

 そう、どこだ。『海』。
 ぐるりと首を回してみるが、『海』なんてものは見当たらない。良く晴れた青空がそりゃ水色で海と言えば海かもしれないが、空はどうやっても『空』だろう。大体、この時期じゃなくても見れるはずだ。じゃあ、僕は一体何を見た?

「……何にもないよ?」
「……ああ、何にもないね」

 海。海。海。海。海。見渡す限りそんなものは存在しない。それでも折角だから少し待ってみようと、ユカリはそう言って僕の隣に腰を下ろす。良く晴れた空に、静かな沈黙。雪景色。けれどそこに『海』はない。
 ……一体何だったのだろう。ここに来ればきっと思い出せると思ったのに。思い出せない。そもそも『海』って何だ? カンナギで暮らすユカリさえ知らない『海』。山の、『海』。にやりとした両親。直接的な、海ではないだろう。なら、なんだ? なんだったんだ?

「なあーんにもないねえ」
「……ごめん」

 一時間ほど経っただろうか。けれど『海』は現れない。時計を見ると四時回っていた。夕暮れが近い。暗くなるのが早い為、そろそろタイムリミットだ。“テレポート”で帰れるとはいえ日が落ちれば、危険度はさらに高まる。夜に活動を始めるポケモンも多いのだ。

「戻ろうか」

 言い出したのは、僕の方だった。ユカリはきっと遠慮して言えなかったのだろう。

「……いいの?」
「うん。見れなかった、って言うよ。そしたらさすがに教えてくれるだろうし。本当にごめん、危ないのに、付き合わせて」
「いや、あたしはいいけど」

 おにーさんはいいの、とその声は掠れていた。斜陽。オレンジ色の光が眩しい。

「うん。ごめん」

 納得はしていると、そう笑ってみせる。思い出せなかったのは少し辛いけど、いつまでもここに居ても仕方がない。わかった、と頷いてボールを投げるユカリ。出てくるポケモンはサーナイト。女性的なシルエットに、ふと、何かが引っかかる。

「……あ……」

 それは、自分から漏れたことがわからないくらい小さな声だった。

「あっ!!」

 それは、一瞬誰の声かわからなかった。
 聞こえてくるのはソプラノで歌う、歌声。小さかったそれは徐々に近づいて聞こえてくる。

 ――歌ったら、応えてくれるよ――。

 ユカリが柵の傍にまで走って、そこから身を乗り出す。きゃああっ! という歓喜の声に僕もまた彼女の隣で言葉を零した。

「……これだ……」

 幼い僕が見たもの。『海』。旅のトレーナー。ばらばらの記憶が繋がる。顔も覚えていないその人が、言ったのは。
 急いで手を伸ばして、オオタチのボールを探り当てる。バテ気味の彼女をボールから出して、僕は命じた。

「オオタチ、“りんしょう”!」

 ――教えてあげるから、“りんしょう”してごらん。きっと応えてくれるから。

 古い付き合いのオオタチはかなり昔の記憶でも、“りんしょう”が使えていた。その技を彼女が一体どうやって覚えたのか、僕は完璧に忘れていたけど。そうだ、技マシンだ。教えてもらったんだ。この歌声に加わるために。
 オオタチの声に、いくつものソプラノが応える。高音の優しいハミング。綿雲の様な白の翼と青の身体。その、ポケモンの名前は。

「チルットとチルタリスの群れ!!」

 歓声にも似たユカリの声が、その姿のポケモンの名前を言い当てる。そう。僕らの目線よりも低い高度で飛んでいるのは大量のチルットとチルタリスだ。チルタリスは街の近くよりもどちらかというと山奥で暮らす。そして、チルットも同じく。……餌の少ない冬を越したチルットたちは街の近くまで下りてくるらしいが、つまりこれは、その群れなのだ。リュックの横で揺れていたコンパスをもぎ取って位置を確認。チルットたちの向う方向は南だとコンパスが告げる。ああ、そうだ。『海』。それは水の海ではなく……ああ、そうだったんだ。

「雲海、だ……」

 『海』じゃなくて、『雲』だ。チルットと、チルタリスの大移動によって発生する『雲海』。確かにその何百羽もの綿雲の翼はそう言わしめるに相応しい。オレンジ色の光を受けて、その白い翼が金色にも見える。ゆらゆらと揺れる雲の翼に水色の身体がときどき翼から覗いて、さらに『海』らしく感じた。輪唱する歌声。僕が、見たのはこれだ。

「コンパス、役に立ったね?」
「……うん。持ってきてよかった……」

 にやりと笑うユカリに、僕も笑う。
 春先にしか見れない『海』。そりゃそうだ。チルット達が街に下るのがこの時期なのだから。チルタリス達が歌う。チルット達が歌う。オオタチが歌う。見下ろせば見えるのはチルット達の翼だけ。その綿雲の海だけ。雲の海で、歌声だけが高く響く。雪崩を引き起こさないことだけを、少しだけ願うけれど。
 この声は、それでも聴いていたい。それは潮騒よりも高い、『海』の歌。

「帰ろっか。おにーさん」
「……うん……」

 チルットとチルタリスが飛び去って、暫く。今にも消えそうな最後の太陽の光が飲み込まれない前に。サーナイトの“テレポート”が僕らを下山させてくれた。
 カンナギに戻ってからのユカリは……端的に言うと、はしゃぎまくっていた。こんな光景を見たのだと、そう、走り回って喋り回って、元気だなあと僕はそれを眺めていて。



 コトブキに帰ってから、オオタチ共々ひどい筋肉痛に悩まされたことは、ちゃんと明記しておこうと思う。

 机の上のコンパスは、相変わらず北を示していた。


****
お題有難うございました。
一応明記しておきますね。
水→「海・水色」 技マシン→「“りんしょう”」 羅針盤→「コンパス」です。
羅針盤、難しいですよ……。

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2014.2.25  17:09:51    公開
2014.2.25  17:22:26    修正


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