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我楽多たちの物語

著編者 : 森羅

生ある番外編 尊い想い出[エーデルワイス]

著 : 森羅

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*注意事項*
こちらは「生あるものの生きる世界」の番外編です。
本編でのネタバレを含みます。ご注意ください。
時間軸は本編完結後のすぐ後という形になっております。

sideユウト

 太陽の光が夏だと告げる。青々とした空に入道雲が白色を塗る。瑞々しい緑色が山を覆う。と言っても木漏れ日の光は言う程強くない。木陰にいれば十分涼しく、むしろ過ごしやすい部類に入るだろう。尤も、代わりに冬がとんでもなく寒いが。シンオウ地方、シンジ湖のほとり。人気はなく静かなので日がな一日手ごろな木を背もたれにして座っていても誰も気にも留めない。そう、シンオウ地方。夢想の存在であるはずのこの世界は嘘偽りなく確かにオレの世界の裏側に存在する。死の世界として生の世界として。二つの世界を行ったり来たりするようになったのはつい最近だ。この世界では“存在しないはずの存在である”ということは相変わらずだが、それを言うなら一緒にこの世界にわたってきているもう一人も同様。春、何かの冗談のように、怒涛の如くオレたちを襲ってきた真実も現実もすべて夢ではないと目の前の光景が証明している。夜月、紅蓮、緑羽は各々どこかに遊びに行ったらしく目の届く範囲にはいなかった。

 で。

 夏は怪談だとよく言うが、この『幽霊』達は一体オレに何の用があるのだろう?

《ゆーぅと、君》

 無視。左を向く。

《おにーちゃん》

 無視。右を向く。

《ゆーぅーちゃん》

 無視。上を見上げる。

《…………》

 無視。斜め横に目を逸らす。
 四人、いや四匹に囲まれしかしどれとも目を逸らす。関われば碌なことにならない。それが良くわかっているオレは少し体を逸らして木漏れ日を受けながら木にもたれ直し、それから斜め読みしていた詰まらない文庫本を顔に被せて寝入った。

 その瞬間、吹き飛ばされたが。

「……」
《……》

 しばし、沈黙。そして溜息。四方からの視線に頭をがりがりと掻き毟りオレは一応聞いておく。

「何なんだよ、お前らは」
《ユウト君。今日が何月何日だか知ってる?》
「……八月だな。確か十八日」
《そうね、じゃあ何の日かわかる?》

 一問一答。スピカが満面の笑みでそう尋ねてくる。……あぁ、嫌な予感がする。つか嫌な予感しかしない。涼しさとは別の意味でひんやりとした何かが場を覆う。全身全霊でこの場所から逃げ出したいんだが、良いだろうか。狸寝入りで許してもらえるだろうか。……経験上から考えても十中八九、いや十割無理だろう。なので聞く。

「何が望みだ」
《あら、意外に聞き分けがいいのね、ユウト君》

 驚いた様子のスピカにオレは白けた目を向けるのみ。見逃してくれるというのならどれだけでも聞き分け悪くなれるが、どうせお前らはオレを見逃すつもりがないだろうに。ならさっさと用件を聞いた方が手っ取り早い。嬉しそうにくすくす笑うスピカがオレの目の前で青空を背景に踊る。で、用件は何なんだ。勿体つけるようにたっぷり時間をかけてスピカは口を開いた。

《今日は八月十八日よね》
「あぁ、そうだな」
《今日はね、アヤの誕生日なのよ》
「そうか。そりゃめでたいな」

 そうか、誕生日か。おめでとう。良い一年を。ほら、祝ったぞ。もう良いだろう。棒読みだとか、心が籠っていないとか、そういう異論が多方面から聞こえなくはないが受け付けない。だが、まだ話は終わっていないと言わんばかりにスピカはオレの目の前から動かず、レグルスはオレの左から動かず、アルフェッカはオレの右から動かず、シリウスは頭上から動かない。……まだ何か?

《だからね、ユウト君》
「断る」
《まだ何も言ってな》
「断る」

 スピカが無駄に掛けた時間分、オレは言葉に間を開けない。これ以上聞くと色んな意味で引き返せない気がする。だが、がっしりとオレの頭を何かが掴んだ。……訂正、シリウスの鉤爪がオレの頭に食い込んだ。

《黙って聞け、コトブキユウト》
「痛いんだが」
《返事は?》
「……それ、オレに答えを求めてないだろ、シリウス」

 これは、その、何だ。新手の拷問か何かなのだろうか。それとも何か。金輪を嵌められた孫悟空か何かの真似事か。……この状況で、オレは何を回答することなら許されるのだろう?

《あーちゃんの誕生日じゃて、祝おう思うてねえ》

 右からの声に顔を右へ動かすとがっしりとオレの右腕を掴みながら満面の笑顔でアルフェッカが言う。ところでバチンバチンと、これ見よがしにその大顎を噛み合わせるのは心底やめて欲しい。

《お祝いなんだよー》

 今度は左から声。オレの左手を踏みつけながらにこやかな笑顔でレグルスが言う。オレの顔には引きつった何かしか浮かばない。日ごろの行いはそんなに悪かっただろうか。頭の中で笑い転げる深紅が恨めしい。紅蓮や緑羽がこの場にいたのなら、と少し思うがこの状況でまともに味方してくれるのは緑羽だけだろう。夜月は論外でけらけら笑っているだろうし、紅蓮は紅蓮で爽やかな笑顔を浮かべて見守ってくれるだけだ。全てを諦めた顔でスピカを見上げると、これまた嬉しそうな顔が目に映る。

「オレが一体何をした」
《あら。今からするのよ。ユウト君は捕まえておかないと、逃げちゃうでしょ?》

 お前らオレを一体何だと思っていやがる。
 もうとっくの昔に賽は振られたのだろうが、最後の抵抗にオレは言った。

「……ケイにでも言えよ」

 あいつは誕生日だと言えば喜んでアヤを祝うだろう。だが、スピカは当然と言わんばかりに胸を張った。

《もう言ったのよ。ケイヤ君には。だってユウト君が嫌がるのは分かりきってたし。でもケイヤ君に言ったら『ゆーとの方が向いてるよ』って教えてくれたの。心配しなくてもケイヤ君はケイヤ君で計画中》
「成程、すべての元凶はあいつか」
《そうなの、だから恨むならアタシたちじゃなくてケイヤ君を恨んでね》

 にっこり。そんなふうに笑ってもらってもオレは一体どんな顔をすれば良いんだ。乾ききった笑顔も浮かばないぞ。青空と万緑に覆われた山と、光を受けて輝く湖の水面と。あぁ、涙が出そうだ。

「…………一応聞いておくが」
《あら、何かしら?》

 そろそろシリウスが重たい。アルフェッカが重たい。レグルスの足が痛い。だが、まぁ退いてくれと言っても退いてくれないだろうし、退いてくれたところで逃走は不可能だろう。闘争の方は最初から無理だ。だから、最後の確認にオレはスピカに尋ねた。

「オレに拒否権は?」
《ないわ》

 答えはあっさりきっぱりさも当然の如く。
 声も出ないオレにスピカは笑顔を絶やさない。

《じゃあユウト君、連行ー》

 疫病神はいつになったらオレから離れてくれるのだろう?

sideケイヤ

 親子か何かのようにアルと手をつないで、シリウスを頭に載せてゆーとが歩いてきた。アルとは反対側にレグルスがいて、その斜め上にスピカがいて。その光景を仲良しだなぁって笑顔で見守るぼく、と燐。ぼくは満点の笑顔を浮かべて、まっすぐぼくの方に向かって歩いてくる仲睦まじいその姿を温かく見つめる。目が合ったので小さく手を振ると、アルが手を振り返してくれた。どうやら万事順調らしい。ぼくを見付けたゆーとは一瞬目を見開いた後、引き攣った顔で肩を落とす。もし両手が自由なら頭を抱えているんだろうけど、なんてシツレイな。いやまあ、わからなくはないけどね。笑顔で彼らを迎えたぼくにゆーとはまず、拳を固めた。さて、どうしてかなぁ?

「……ケイ」
「なあに、ゆーと」

 よく、ぼくだってわかったね。さすがゆーとだ。
 へにゃんと笑うぼくにゆーとはぼくを見下ろして言葉を継いだ。

「言いたいことは山ほどあるが、とりあえず一発殴らせろ。お前を正気に戻して、話はそれからだ」
「ヤだ。あとぼくは至って正気だよ」
「じゃあ蹴り飛ばしても良いか?」
「駄目に決まってるじゃん。ゆーと、暴力は良くないよ」
「どの口が言うか……お前、こいつらに何を言った」

 ゆーとはぐったりと疲れた顔に怒りを浮かべて。ぼくはさらにさらににっこりと。何を言ったかって? それはね。

「スピカがね、アヤちゃんの誕生日だって教えてくれたんだ。で、じゃあお祝いしなきゃねーって。それ」
「もう少し簡潔に話せ」

 ごめん、わざと。

「アヤちゃんの誕生日パーティだよ。でもぼく料理なんてできないからさ。ゆーとできたよね、確か」
「……」
《むぅ、むーぅ》

 呆然自失のゆーとの上を嬉しそうにスピカが宙を踊る。何を言ってるのかぼくにはわからない。燐が楽しそうにその光景を眺めながらぼくに通訳してくれた。

《『ユウト君が料理できるなんて意外ー』ですね》
「ありがとう、燐。そうなんだよね、意外かもしれないけどゆーと、できるんだよね、料理」
「人の不幸を楽しんでるんじゃねぇよ、そこ」

 シリウスに羽交い絞めを食らいながらゆーとはぼくらに三白眼を向ける。うわあ、怖い。ぎゃうぎゃうと獣の如く無駄な抵抗するゆーとを四匹が抑え込んだ。抑え込まれながらもぼくに向かってゆーとは宣言。多少赤み掛かった、ぼくのよく知らない血色の黒髪が日の光に焼かれている。

「やらないからな」
「ゆーと、拒否権なしだよ」
「やだね。断る」
「だから拒否権なしだって」
「知らん。たとえ死んでもオレは知らん」
「だってゆーとしかできないもん。それにほら! ぼくはぼくで忙しいし!」
「……」

 くるり、と一回転。飾りっ気ほとんどない、シンプルで真っ白なワンピースの裾がふわりと広がった。ついでに方の長さまであるウィッグも。燐の目の焦点が少し合っていないことは無視しておく。もうこれは、楽しまなければ損だ。……多分。

「どうどう? 似合う?」
「……ああ、うん。そうだな……」

 生返事というか完全な棒読み。あえて触れないで置いたのに、という感じに頬筋を引き攣らせて、あさっての方向を見るゆーとの上でスピカが嬉しそうにウィンクをした。念のため言っておくと、ぼくは男だ。確かに身長とか、顔つきとかそんなののせいで女の子に間違えられたことはすごく多いけど、デンジにも告白されちゃったけど、それでもぼくは生物学上紛うことなき男だ。これには、このワンピースには深い深い理由があるんだ。

「スピカプレゼンツ。アヤちゃんと買い物に行ってくるよ。……わかってくれてると信じてるけど、ぼくの趣味じゃないからね。というかぼくは全力て抵抗したからね。信じてくれるよね、信じてね」
「お前の趣味だったら、オレはお前を精神科に放り込みに行く」
「ほら、もう自棄(やけ)だよ。一回ノっちゃうとあとはもうどうにでもなれって気分になるよね。達観するよ」
「さいで」

 わかってくれてすごく嬉しいよ。だからその、なんだか憐れむような目をやめようね! ぼくだって、こう、こう、抵抗はしたんだよ! 当然!! ぼくの隣で苦笑する燐のもふもふの尻尾が縦横無尽に畝っている。ぼそりと、ゆーとの気持ちがわかる、みたいな声も聞こえたけど、だから! あのね! ぼくはね!! 男だからね!!! もう少し何か言っておかないと、という強迫観念に駆られて口を開き掛けるぼくに、けれどゆーとが先に口を開いた。

「で、お前のそれは別に勝手にすればいいんだが、オレ帰っても……痛っ、い痛……ッ」

 ゆーとに二の次を継げなくして、ちー、と可愛く鳴くアル。ただ、その目は笑っていなくて、ぎゅうっとゆーとの腕を掴みかかっている。抱きつかれているゆーとの腕の血色がだんだんおかしくなってきている気がするけど、見ない方向で行こう。ぼくはできうる限り爽やかな笑顔を浮かべて、スピカたちに言った。

「じゃあ、作戦開始ね。ぼくらがアヤちゃんと買い物行ってくるから、その間にゆーと、ご飯よろしく。本当にゆーとしかできないし」
「オレにも人権と言うものが」
「ないよ」

 ビシッ、とゆーとにぼくは人差し指を突きつける。ぼくの宣言に固まるゆーと。ふわりと揺れるぼくのワンピース。燐がおお、と小さく感嘆の声を漏らした。だってほら消去法で考えるとぼくは論外。スピカとシリウスには腕がない。レグルスは四足。まともに手があるのはアルだけだけどアルは料理ができないらしい。でぼくが手伝えないとなるとゆーとしかいなくなる。嫌だ嫌だ理不尽だ、と無駄な抵抗を続けるゆーとにぼくは最後の手段をとった。

「レグルス、ゆーとを台所放り込んできて。缶詰にされたらきっとしてくれるから」
「しないって言ってるだ、レグルス、やめっ……いーーやーーだーーっ」
「大丈夫だよ。ゆーと、優しいから」
「その一言で、済まそうと、すん……やめろって、聞けよ人の話!」

 ひらひらと手を振りぼくは燐と一緒に引きずられるゆーとをやっぱり笑顔で見送る。スピカのウィンクにぼくもぐっと親指を突き上げた。夏空がどこまでも晴れ渡っている。

 今日はすごく、すごく、ものすっごくいい日になりそうだ。

sideアヤ

 博士宅のインターンホンが鳴って、一体何事かと思って、よく確認もせずにドアを開けた。

 それで、次の瞬間閉めた。

「アヤちゃん!?」

 開けた。

「……えっと……」
「誕生日、おめでとー」

 へにゃん、と笑うその表情には見覚えが確かにある。その声も確かに聞き覚えがある。隣には金色の九尾を煌めかせたキュウコンが座っていて、それは間違いなく燐で。なのに、どうしてあたしのよく知るはずの表情と声の主が『可愛い女の子』になっているんだろう。

「……」
「アヤちゃん? 誕生日おめでとーって」
「……ケイヤ?」
「うん」

 ひらひらーっとあたしの顔の前で手を振る『女の子』に対して確認。肯定の答えに三度見する。ああ、うん。確かによくよく見ればケイヤだ。けど、あんた、なんで……。さわさわと風が木の葉を揺らす。海に近い街だからか、潮のにおいの混ざった、涼しい風。多分、海に出れば海水浴客も多くいるんだろう。

「どう? 似合う?」

 シンプルな白色のワンピースの裾をつまんでくるり。軽くウェーブの付いている、元の髪色とよく似たウィッグまで完全装備のケイヤは、そんじょそこらの女の子よりよっぽど可愛い。多分あたしより可愛い。見惚れるほどかわいい。けど、なんで。くらぁ、とめまいがした。

「ケイヤ、あんた、そう言う趣味が」
「ないからね!」

 全力否定。あたしが言い切る前に声を張り上げるケイヤの顔は赤らんでいた。全くもって羞恥心がないわけではないらしい。でもいったいどういう経緯でこんなことになったのよ……。

「これもう、罰ゲームだよね……。誰も得しない系のただの嫌がらせだよ……。考えたのスピカだからね……。ぼくじゃないからね……。まあ、ぼくの格好はおいておいてさ。誕生日だからほら、買い物にでも行こう。女の子の格好してたらそれなりに恥ずかしくないでしょ、ってスピカが言ったんだけど本当かどうかぼくは知らない」

 そう、元凶はスピカなの……。あたしの誕生日が関係あるのかないのかわからないサプライズにあたしの顔には苦笑しか浮かばない。いや、似合ってるけど。ものすごく似合ってるけど。……って誕生日?

「アヤちゃん?」

 ぽん、と手を打つ。そうか、あたし、誕生日だ。

「忘れてた」
「何を?」
「誕生日」
「……忘れてたの!?」

 目を丸くして驚くケイヤにあたしはうん、と頷く。そういえば忘れていた。ああそうか、あたし、誕生日か。といってもあくまで戸籍上の誕生日なんだけど。そのせいか余計に誕生日はいつ、ということが頭に残っていない。ただ、言われてみると確かにそうだ、今日はあたしの誕生日だ。
 ひとりでうんうん納得していると、驚いたままのケイヤの顔が目に入ってきた。肩にかかる長さの髪(ウィッグ)に、少し暑そうだなとどうでもいいことを考える。それからびっくり顔のまま恐る恐るケイヤが尋ねてきた。

「……アヤちゃん。確認するけど、今日、誕生日だよね?」

 一字一句、確認するかのように。
 それはそうだ。だって、もしあたしの誕生日じゃないならケイヤは女装した分、精神的な部分で損になる。さっ、と青ざめていくケイヤに、もう少し見ているのも面白いかなと思ったけど、とりあえず素直に頷いておいた。

「うん。それは間違いないわよ」

 頷くあたしに、よかったあ、という安堵の声が聞こえてくる。よかったよぉ、と燐に抱きつき腰が抜けたようにへなへなと座り込むケイヤ。なんだか悪いことをしてしまった気がしてあたしは、頬を掻く。ぱさりと自分の黒髪が指にかかった。

「じゃあ! アヤちゃん!」
「え」

 すくっ、と。
 座り込んだ次の瞬間には立ち上がっていたらしいケイヤが目を輝かせてあたしに迫ってくる。近い、近い! え、ええええ、ええー?

「誕生日プレゼントに、買い物に行こう! エスコートはぼくね!」
「え、あ……」

 そういえばケイヤのワンピースが似合いすぎてて忘れてたけど、そう言えばそんなことを言っていたような……。茫然と立ち尽くすあたしにケイヤがにやりと笑う。

「さあ、どうぞ。お嬢様?」

sideスピカ(ムウマ)

「……何が悲しくて」
《言ってる割に手が動いてるわよ、ユウト君》
「誰のせいか聞いてやる」

 ちょっぴり涙目でユウト君がアタシを睨み付けるけどアタシは無視。ふわふわと笑顔でユウト君の傍を踊る。ケイヤ君がアヤを連れ出して、空っぽになった(といっても博士はいらっしゃるのだけど)ナナカマド博士の研究所。やけにご立派な調理器具が並ぶ広い台所だけど使った様子はほとんどない。ユウト君も名前も知らないような器具を使うつもりはないらしくて台所の片隅でボウルをかき混ぜていた。ギュイイィイインと言う騒がしい機械音はハンドミキサーから。

《と言うより、ケイヤ君が言ってた通りになったわね》
「何が」
《『台所に放り込めばやってくれるから』よ》
「……お望みとあらば今すぐ辞めるが?」
「駄、目」

 悪態をつく口とは裏腹に両手はまるで全自動。その様子がおかしくてアタシはつい笑ってしまう。かしゃこんかしゃこん、アルが楽しそうにこし器を鳴らすたびに雪みたいな粉が落ちて広告の上に山を作っていた。

「何がおかしい? ……いや、おかしいか」
《……いいえ、そういうわけじゃなくって、でもなんだか、その……良く似合ってるわよ》
「……さいで」

 ドリルのようなその音が止んで代わりにがん、とそれを乱暴にボールの淵にぶつけた音が響く。ボウルの中身の白みがかったそれが少しだけ飛び散った。疲弊しきった顔のユウト君の姿をもう一度まじまじと見るアタシ。濃いブルーをしたエプロンと、三角巾代わりの水色バンダナと。どちらも博士からの借り物だけど、どちらかというと可愛い部類に入りそうな色合い。衛生上の問題で仕方がないとはいえ、可愛らしいそれらがなぜかこうもしっくりくる。エプロンって男女問わず特別似合わないって人はいなくて、着ればそれなりに雰囲気が優しくなるのだから、不思議な話よねえ。

「で。アヤとケイとレグルスは出て行ったが、残りは?」
《燐たちはケイヤ君に付いて行っているでしょ? レグルスはアヤのお守りをお願いしてるわ。アルはここで手伝ってるし、手持無沙汰なのはアタシとシリウスくらいだけれど》
《ゆーとっ! どこ行ってたんだー? つか腹減っ……ユウト?》

 アタシの声を遮って台所に躍り込んできたのは夜月君と紅蓮君。そしてその二人、特に夜月君が見事に固まった。そんな夜月君たちを面倒くさそうな目で一瞥してユウト君は尋ねる。

「オレからしたら、お前らがどこにいたのか聞きたいんだが」
《ゆ、ゆゆゆユウト!!? お、おま、おぉぉおお前何してんだ!!!!?》
「強制労働」

 慌てふためく夜月君にさらりと答えるユウト君。まぁ、ひどいとアタシはユウト君を小突くけどユウト君は素知らぬふり。ショックから立ち直ったらしい紅蓮君が今度は夜月君に代わって言葉をつなぐ。

《ちょっとそこらを散策に出かけていたのですな。とにもかくにもで、ユウト殿。何の強制労働ですかな?》
「見てわからないか、紅蓮?」
《わからないですな》
「そうか、じゃあ、わからなくていいから見なかったことにして回れ右して出て行ってくれ」
《ユウト!! お前飯作れたのかっっ!!!》

 しっしっと追い払うジェスチャーで紅蓮君たちを退場させようとするユウト君に夜月君が吼える。心なしか、いえ確実に目が輝いているわね。反対に暗い顔をするのはユウト君。

「作れん」
《いや、今の状況見て言い訳しなくても》
「夢でも見てるんじゃないか」
《いやいや、ばっちり起きてるぜ。エプロン着たゆーと君!》
「……そうか、じゃあ今から夢の世界に送ってやるよ」
《悪かった。とてもとても、とっても楽しみにしてる》
「謝るところがおかしい」

 漫才のような二人の会話はいつものこと。紅蓮君が微笑ましそうにそれを見守る。かしゃこんかしゃこん、我関せずと言った様子でアルが小麦粉をこし続ける音が台所に流れている。期待に満ちた眼差しを、きらきらと輝かせながらユウト君を見上げる夜月君。それを心底嫌そうな、諦めたような難しい表情で見下すユウト君。沈黙を破るのは盛大な溜息。

「……スピカ。こいつら、いや夜月を念力で押し出せ。つか放り出せ」
《ああん、大人しくるからぁ!》

 びたり、とユウト君の足にしがみ付く夜月君にユウト君の表情がさらに険しくなる。助けを求める様にその視線は紅蓮君へ移行。難しい顔をしたユウト君に苦笑いを漏らしながら紅蓮君は尋ねた。

《何か、行事ですかな?》
《あーちゃんの誕生日じゃてねえ》
《アヤ殿の……なるほどですな。それでユウト殿は、料理を?》

 相変わらずかしゃこんかしゃこんとこし器を鳴らすアルが紅蓮君に答え、ユウト君が項垂れる様に頷く。夜月君は相変わらずユウト君の足にしがみついたまま。しばらく何か考える様に黙った紅蓮君ははて、と首をひねり。

《アヤ殿の、ご家族は如何されたんですかな?》

 アタシたちがすっかり忘れていたことを思い出させた。

《……あ……》

 ……ああ、ごめんなさいね、アユミ。

side燐(キュウコン)

 ケイは、目立ちます。
 目立ちます、と一言で言っても、なんと言えばいいんでしょう。こんなことを言ったらわたしの女(メス)としてのなけなしのプライドが完膚なきまでに叩き潰されそうですが、とりえあえず可愛いのです。……本人に言えば、ぼくは男なのに、と頬を膨らませて反論するのでしょうが。

「アヤちゃん、次、こっちこっち」

 ぶんぶんと嬉しそうに手を振ると簡素なワンピースが、風をはらんで膨らみます。声も少し低いめの女声みたいな高さですので、誰もケイのことを気にしません。いえ、わたしでも彼のことを知らなければ、言われないとわからないでしょう。知っているから、わかるだけで。
 レントラー、つまりレグルスにせかされ、アヤがケイに追いついて並びます。やはりシンオウ地方において都会に入る町であることは伊達ではなく、通りは賑やかでした。へらりとした笑顔が彼女を見上げて問いかけます。ショーウインドウがそれを映しました。

「んーっとね、何か欲しいものある? 日常品系以外で。服とかそっち系で」
「えっ、うーん……」
「あははっ。まあ、適当に見て決めようか。せっかくコトブキまで出てきてるし」

 てくてくと歩く彼らは完全に姉妹のように見えるでしょう。いえ、顔が似ていませんから、少し年の離れた友人でしょうか。なんだか微笑ましい光景です。行く先で時々人が振り返るのも、小気味が良く、わたしとしてはまんざらではありません。尤も。

「あ、あれ可愛い! アヤちゃん、あそこ入ろう! 燐、レグルス、いくよ!」
「え、ケイヤ、ちょっと……きゃあっ」

 何か見つけたらしいケイががっしりとアヤの手首を掴み引っ張って行く様子は、少し、前が見えていないように思いましたが。

 ……あと。少し、状況に慣れ過ぎてはいませんか、ケイ?
 失礼ですが貴方、男の子でしょう?

side夜月(ブラッキー)

《ねえ、ユウト君》
「何だ?」

 台所で、上から落ちてきた食材をもれなく片してやろうと、伏せて待っていた俺の耳にスピカのそんな声が聞こえた。ぴくり、と俺の耳が動く。ついでに嗅覚も匂いを捉える。

《シリウスはアユミを、アヤの義母を迎えに行ったでしょ? アタシ、本格的にすることが見つからないのだけれど》
「それ、オレに言うか……?」

 呆れたようなユウトの声。うん、そうだな。ユウト、とりあえずまずはそのから揚げを一つ、俺に寄越……味見させるんだ。だらりと溢れそうになった涎を俺は慌てて飲み込んだ。ユウト曰くとりえあず一言もしゃべらず大人しくしているならここにいて良いということで、それはつまり逆に言えば俺が少しでも騒ぐと即座に追い出されるというキビシイ話なわけだ。だが、その事態だけは避けねばならない。

《いえ、だって、何もしないのは嫌でしょ?》
「自分で考えろよ」
《思いつかないのよ。飾り付けは博士に禁止されちゃってるし、モノはケイヤ君が買ってきてくれるし、料理は手伝えないし……》

 しょげたようなスピカの声。うん、なかなか柔らかくて美味いぞ、もう一つ俺に寄越しなさい。あ、次はそのローストビーフをだな……違うっ! キャベツの芯を口に放り込むな!

「そんなこと言われてもオレは困る」
《何か他にないかしら?》

 スピカ、俺と一緒に味見役か毒見役すればいいのに。ぼりぼりキャベツの芯を噛み砕きながら俺は思う。トントントントンと何かを切る音、コトコトぐつぐつ煮える音。いい匂いはいっぱい。口が空になってから大口を開けて待つこと十秒。アルフェッカからレモンの切れ端を放り込まれた。……いらねーーっ!! 肉くれ! 肉!

「別にすることと言ってもな……アルフェッカ。何か思い当たるか?」
《そうじゃねえ……そう言われてもねえ……》

 じゅーっ、と肉の焼ける音。アルフェッカの視線が考え込むように宙を泳ぐ。結構不安定な台の上に載っているんだが、バランスは大丈夫か? すっぱいレモンの果肉を齧りながら、俺は思ったことをそのまま口にする。

《花とかはー?》

 一斉にこちらを見るユウト、アルフェッカ、それからスピカ。ユウトはああ、と一人納得して作業に戻り、アルフェッカはああそれがあったねえ、と頷いて。スピカは、大きな目を丸くして驚いてから飛び出して行った。

 ……はっ! しゃべっちゃだめだったのに!! 

 わたわたと焦る俺の前に、ユウトが無言でローストビーフを落とした。

sideアヤ

「たっだいまー!」
「ただいまー」

 元気よく博士の研究所に入っていくケイヤの後に続くあたし。なんというか、あれだ。なんだか恥ずかしい。今着てる服はケイヤがコーディネートしてくれたものだけど、何を置いてもスカート自体久しぶりだし。長旅に向かないスカートは長く着てなかった。なんというか、……慣れないことをするもんじゃない。ふー、と息を吐いて肩の力を抜いて、それで、

「お帰り、アヤちゃん。お誕生日おめでとう。……きゃあ! 可愛いお洋服っ! アヤちゃん、とっても似合ってるわ!! ユウト君ね、ものすごくお料理上手なの!! 私、びっくりしちゃった。……あら、そちらはどちら様? アヤちゃんから女の子のお友達の話は聞いたことないのよ。とってもかわいい子ね! 初めまして、アヤの母のキサラギアユミです。お名前を伺ってもいいかしら?」

 弾丸トークに迎えられた。
 ぽかんと、というよりも呆然とするあたしの目の前でおかあさんが目を細める。横を見るとケイヤはケイヤでへらりと苦笑いにも見える笑顔を浮かべて、燐と目を合わせていた。おかあさんの肩越しにその向こうを見ると、なんだかぐったりした様子の面々が見える。特にユウトなんかはもう机の上に伏せっていた。……おかあさんのテンションはユウトには高すぎたらしい。正直、わからなくもない。
 一方ケイヤはきゃいきゃいとはしゃぐおかあさんの扱い方が早々にわかったのか、ウィッグを取って、へらりと笑ってみせる。驚くおかあさんに自己紹介するケイヤ。男なんですーという台詞には殊更驚いたみたいで、おかあさんは何度もあたしとケイヤを見比べていた。……その比較はちょっと……やめてほしい。あたしはせめてもの抵抗にと、髪を正した。

「まあ、そろそろ全員座りなさい。アユミももう少し落ち着くように」

 椅子に座って窘めるのはナナカマド博士。その声におかあさんの弾丸トークが止まって、全員が椅子に座る。しゃべりすぎたと思ったのか、おかあさんは少しばつの悪そうな顔で博士の隣に納まった。ポケモンたちは机と椅子を囲むように。伏せっていたユウトもその声におもむろに体を起こす。ユウトの隣にはケイヤが。残った角の椅子、いわゆる誕生日席に必然的にあたしが座わる。ヒールのある、慣れない靴でコトブキで歩きづめだったせいか、足がだるい。研究机を引っ付けて広くした机の上には料理とケーキと花束と。これ全部あんたが作ったの、とユウトに聞くと、ぶっすりとした顔でアルフェッカとな、と答えた。

「企画はスピカたちが。ぼくからは買い物ね、レグルスは護衛。アルとゆーとがご飯とケーキ」
「アユミさんを乗せて連れてきてくれたのがシリウスで、スピカからは花だ。場所提供は博士」

 満面の笑顔で言うケイヤとそれに淡々として言葉を続けるユウト。えっと、あの、と固まるあたしに全員の視線がにこにことあたしを見る。ただしユウトを除いて。えっとあの……ええっと。

「ありが、とう」

 感謝の言葉を、最近あたしは覚えた。

「どういたしまして!」
《どういたしまして》
《む》
《いやいや、楽しかったよ》
《どーいたしまして!》
「ああ」

「じゃあ、乾杯と行くかね? 私が音頭を取るのもどうかと思うが……」

 ケーキに飾られた、明かりの灯る蝋燭。赤みの強い炎を一息に吹き消して。

「うむ。では、アヤ、誕生日おめでとう」
「かんぱーい!」

 それぞれが手元のグラスを掲げ、声をあげた。


   *


 ちなみに。
 グラスに入れられていたのは全員ウーロン茶だったらしい。乾杯の後、皆々そのウーロン茶に口を付けて。

「ぶはあああっ!!ごふっげほっ!」
「……!? ちょっ、ゆ、うと……あんた、これ……素麺の……」

 あたしとケイヤ。その二人だけ、グラスの中身は『めんつゆ』で。

「気のせいじゃないか?」

 涙目の視界、涼しい顔をしたユウトが自分のグラスに口を付けた。

 ……お、覚えてなさいよ!!?


****
はい、こんばんは。ぎりぎり、ぎりぎり18日に投稿できました。ヨカッタヨカッタ。
ケイヤの女装ネタはツイッターでお題として頂いていたので、混ぜてみました。「ぼくの趣味じゃないからね!」(まあ、眠れる〜で一回やってるくせにどの口が、という話なのですが(滝汗))
ユウトの料理ネタ、これ、実は本編中でも少しだけちゃんと書いてあるのです。今回適当に作った設定じゃないですよ、念のため(割とどうでもいい)
タイトルについて。国やらなんやらで誕生日花とか花言葉ってかなり違ったりするらしいのであくまで僕が見つけたサイトさんでは、なのですが、8月18日の誕生日花はエーデルワイス。花言葉は尊い思い出、だそうです。
久しぶりにユウト達を書けて楽しかったですねえ! それでは。

アヤちゃんへ。
生まれてきてくれて、ありがとう。

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2013.8.18  23:59:13    公開
2018.10.11  02:40:14    修正


■  コメント (2)

※ 色の付いたコメントは、作者自身によるものです。

コメント有難うございます! トイプードルさん!!
いえいえ、どうぞお気になさらないでください。読んでくださっただけでも感謝感激状態ですので!! コメントまで頂けて、パソコンの前で踊ってますよ!
元々、アヤの誕生日が先にありまして(決まっていまして?)、それに合わせての番外編でしたー。ケイヤの女装は本編の最後にも書いてありますとおりツイッターの方でそんな話になったんですよw 今となっては恥ずかしい思い出です……。でも、トイプードルさんに面白いと言って頂けたなら結果オーライでしょうか(笑
めんつゆ、これ未だに気に入ってるんですよー(*´ω`*) お気に入りのネタです。きちんとオチになっているといって頂ければ何よりですね。有難うございます!
それでは、コメント有難うございました!!

15.4.26  10:51  -  森羅  (tokeisou)

 さっそく読んでみました。(時間の関係でこれしか読めませんでした。すみません)
 アヤの誕生日という設定を思い浮かぶのが、すごいと思います。ケイヤとアヤのデート?ケイヤは、女装(笑)はすごくおもしろかったです。
 しかも、最後にユートがケイヤとアヤのグラスに、「めんつゆ」を入れるというので、ちゃんとしたオチになっているな〜と、思います。

15.4.24  19:25  -  トイプードル  (ゲスト)

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