我楽多たちの物語
箱―Crazy for you.―
著 : 森羅
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それは、言うなれば彼女のクセのようなものだった。
「大切なものはね、仕舞っておかなきゃなの」
そう言いながら彼女は嬉しそうに、箱の中にあらゆる物を仕舞った。綺麗な装飾の施された箱に仕舞われたそれらはあるときは人形で、ある時は押し花で、ある時はお気に入りの本だったりした。なので、彼女の部屋には異様に箱が多かったと思う。積み木のように積み上がった箱のどこに何が入っているのかぼくにはさっぱりわからなかったけれど、彼女は何がどの箱に入っているのか理解していたのだろうか。まあそれも、ぼくにとってはどうでもいいことだ。
「ねえねえ、わかってくれる? わかってくれるよね? スカンプー」
ねだるような彼女の声に、その時のぼくは逆らわなかった。なぜってそれは、彼女がぼくを『大切』に思っている証拠だったから。箱というよりはきっとこれは大きな檻か、もしくは牢屋に近かったのだろうけれど、ぼくは満足だった。彼女はぼくを大切に思ってくれている、それだけでぼくは他に何も欲しいなんて思わないのだから。彼女さえいてくれれば他に欲しいものなんてなかったのだから。仄暗い地下で、カビ臭い場所だった。だけど、そんなこと些細なこと。彼女は時々自らぼくのいる檻の中に入ってきてはぼくの体を撫でてくれ、色々な話をしてくれた。そんな彼女はとても嬉しそうで、幸せそうで。彼女が楽しいならば、ぼくは十分に幸せだったのだ。
だから、ぼくは彼女に何を差し出すのも惜しまなかった。
ありていに言えば彼女は狂っていて、ぼくもまた狂っていたのだろう。けれど、そんなことは関係ない。彼女が幸せなら何も問題なんてない。彼女のそれが狂気と言うとして、だからどうしたという話だ。ぼくにとってそれは狂気でもなんでもない。愛情だ。だから、彼女のそれは狂気ではない。受け取り手のぼくがそう思っているのだから、何ら問題はないのだ。
ある時彼女は可愛らしい声で、こう言った。
「ねえねえ、スカンプー。私に頂戴?」
うん、いいよ。
「わあ、ありがとう。大切に仕舞っておくね」
きみが喜んでくれると、ぼくも嬉しい。
無邪気な声を上げて、ひどく嬉しそうな彼女にぼくもまた小さく鳴いて微笑んだ。顔を綻ばせる彼女にぼくは満足した。即答したぼくからそれを取って箱の中に仕舞う彼女。鍵をかけて、箱を抱きしめる彼女。白く、華奢な指についた赤色が暗い地下でもよく映えた。そんな彼女の頬を舐めて、びっくり顔でぼくを見る彼女に笑いかける。笑うぼくの表情に、彼女もまた口元を綻ばせてぼくを撫でてくれた。
その日を皮切りに彼女はぼくからあらゆるものを欲しがるようになった。「大切なものだから、仕舞っておくの」と、そう彼女の口の動きが彼女の言っていることを教えてくれ、ぼくはそれを喜んだ。箱の中に仕舞うこと、それは彼女の独占欲の表れであり、確かな愛情表現。さっきも言ったけれど、ぼくは彼女に何を差し出すのも惜しまなかった。狂っていると嗤いたいなら嗤えばいい。けれど、ぼくにとってはそれが世界のすべてと言っても過言ではなかったのだ。
「右足を頂戴」
いいよ。
「左手を頂戴」
もちろんだよ。
「毛皮を頂戴」
大分汚れちゃってるんだけどそれでもいいなら。
「尻尾を頂戴」
どうぞどうぞ。
「舌を頂戴」
「片目を頂戴」
「おひげを頂戴」
「頂戴」
「頂戴」
「ちょうだい」
「ちょうだい頂戴」
「ねえ、頂戴」
頂戴頂戴頂戴頂戴頂戴頂戴ちょうだい頂戴ちょうだいちょうだい頂戴頂戴頂だいちょう載ちょうだい頂戴頂戴頂戴頂だい――
日に日にぼくの体は小さくなっていって、カビ臭さも、コンクリート詰めの壁も、埃っぽさも分からなくなってきた。彼女がぼくからぼくの身体の部位を切断するために持って来た鋏は徐々に血で錆びてしまって、切るときの痛みが長引くことが多くなった。痛みに掠れた悲鳴を上げることも時にあったけれど、ぼくの心に残るのはいつも充足感だけ。
「ねえねえ、スカンプー。お花を持ってきたの」
そっか、綺麗だね。でも、もうぼくに匂いはわからないよ。
「ねえねえ、スカンプー。貴方の血、綺麗でしょ? だから今まで集めた血でお花を染めることにしたの」
やあ、白い花が真っ赤だね。これはいいや。気に入ってくれたのかい? ならばぼくは幸せだよ。
「 」
ああ、ごめんね。もう両方の目玉を渡しちゃったろ? 見えないから、きみが何を言っているか判別することができないんだ。ああでも、ぼくを撫でてくれてるんだね。それじゃあぼくは幸せだ。
「 」
ああ、痛覚って何だっけ? 感覚って何だっけ? きみが何を言っているかわからなくて残念でたまらないよ。きみがぼくを撫でてくれているのがちゃんとわからなくて、悲しいよ。でも、きみは幸せかい? 今日は何が欲しいんだい? どれを箱に仕舞ってくれるんだい? いつものように笑っていてくれているのかなあ? それならぼくは何もいらないんだけど。ぼくは真っ暗な視界の中で精一杯の笑顔を浮かべて見せた。……いや、正確には笑顔を浮かべたつもりだった。
きっとぼくは今、首の付いたトルソーみたいな体になっているのだろう。血液は彼女が花を染めると言っていたから、多分ただ漏れにはなっていないはず。ぷん、と切断箇所から膿んで腐った匂いがした。といってもぼくにはもう嗅覚がないからあくまでこれは、『嗅覚があった頃』の感覚の延長でしかないのだけど。ああこの匂い、彼女は嫌がらないかな? なんだかとても嫌な臭いなんだけど。彼女が久しぶりに箱を開けた時に、あの切り取った足やら腕やらから変な臭いがしないと良いな。この傷口みたいにどろどろに腐っていないと良いな。彼女が愛してくれたまま、綺麗なままだと良いな。
心臓の音が、弱っていくのがわかった。尤も、ぼくにとってはぼくの命すらどうでもいいことでしかない。ぼくにとっては彼女がすべてだったのだから。
「 」
あれ、どうしたの。来てくれたんだよね。なんとなく、わかるよ。なのになんだか雰囲気が違うね。嗅覚も視覚も聴覚も味覚も失ってしまっているから、これは辛うじて多少機能している触覚と、本当に第六感とかいうものなのだろう。身じろぎ一つできないぼくは虚になった眼窩で記憶の中の彼女を見つめる。やあ、一体どうしたんだい。
「 」
え、何だって? 何が欲しいって? 何でも持って行っていいよ。何でもあげるよ。ほら、だから笑って?
「 」
ああ、せめて舌があればよかったのに。鳴き声を上げる事もできないぼくはただただ人形のように転がっていることしかできなかった。けれど、その瞬間ふっ、となにやら違和感を得る。もうほとんど機能しなくなった触覚に神経を集中させるとどうも彼女がぼくを抱き上げてくれていたらしい。ああ、なんてぼくは幸せなんだ。
「 」
臭くない? 大丈夫? ふと不安になったけど、どうも彼女はぼくを抱いたまま離してはいないようだった。抱きしめられるぼくは目を細める。
「 」
塩辛い水滴が喉を伝った。ぼくのものではない。ぼくは水タイプではないのだから。彼女がきっとぼくに水をくれたのだろう。真水が良かったけれど、彼女がくれたからぼくは満足なんだ。
そうして、彼女の鋏がぼくの腹を裂いた。生暖かい血液が溢れて、皮の剥がれた体を伝って。ぴりぴりとして、じぃんと痺れた。かろうじて動いていた心臓が弱弱しい脈を止めた。
「 」
ああ、きみは幸せだったでしょうか。
きみがしあわせだったなら、ぼくはじゅうにぶんにしあわせなのです。
ところで。
ところで一つだけ、ぼくは最後にきみに言っておくことがある。
きみはぼくの血で花を染めたね。真っ白な花が真っ赤に染まって、とても綺麗だった。きみの表情もとても可愛らしかった。そう、きみの手は何度となくぼくの血を触ったろう。血液を集めた時に、ぼくの身体を切断した時に。紅く紅く、染まったろう。
ぼくは、スカンプーだ。タイプは毒。ぼくの血は、猛毒の血だ。
おやすみなさい、良い夢を。
そして今度は花で飾られた、きみの愛した箱の中で。
***
最後の「花で飾られた箱」は、棺桶です。
真昼間から失礼しました(土下座)。目次をみて下さっている方がいらっしゃるかは不明ですが、お題が悪かったですね!!(太文字)
目次をご覧になっていない方でお題が気になる方はどうぞ目次をご覧ください。僕の口からは恐ろしくて言えません…! タイトルを「箱」に変更しております。サブタイトルだったものがタイトルだったのですが。
2013.8.14 13:54:44 公開
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