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我楽多たちの物語

著編者 : 森羅

ポッポ屋

著 : 森羅

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 東に行こうと思った。

 きっかけなんてない。ただ、行きたいと思っただけ。風の向くまま、気の向くまま。
 全く人の手の入っていない、伸びっぱなしの草原が目の前に永遠と続く。背の高い草に覆われ、見渡す限り道なんてどこにも存在しない。下手をすれば数十年以上誰も通っていないであろう道なき道を進むこの高揚感が、私はたまらなく大好きだった。
 きっと未来、私の生きている時代は獣が『ポケモン』でなかった時代と呼ばれるだろう。ヒトは未だ獣たちを完全に屈服するには至っていない。加工されたボングリは貴重品で、ちょっとやそっとじゃ手に入らないのだから。多くの人が町の中に引きこもり、大抵一生をその町で過ごす。今はそういう時代なのだ。ボングリ職人がもっと増えれば、状況も変わってくるのだろうけど。私はまだ見ぬ未来を想像しながら一歩一歩踏みしめるように歩く。興奮に、足が震えている。心臓が音を鳴らす。この感覚はいつまでたっても慣れないし、慣れたいとも思わない。このどきどき感がたまらないのだ。体中が火照って、震えて、ぞくぞくする。もしかすると今の一歩は、世界で初めての一歩かもしれないなんて想像したら、世界を手に入れた気分にだって浸れてしまう。世界ってなんて素敵なんだろう!
 けれど。あまりにも興奮していたからか、私は足元を全く見ていなかった。

「むぎゅっ」

 む、ぎゅ……?
 何か柔らかいものを踏む感触。私は恐る恐る足元へと目線を移す。毒を持つ獣だったらどうしよう、危険な獣だったらどうしよう、私のポケモンで相手できないほど強い獣だったらどうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう。さっきまでの高揚感はどこへやらさあぁっと血の気が引く。だけど、私が踏んづけてしまった生き物は苛立たしげにこう叫んだ。

「いつまで踏んでんの! 早く足退けてよ。痛い!」
「わあ! ごめんなさい!!」

 甲高い女の子の声に怒鳴られて、私は急いで足を退ける。私に尻尾を踏まれていたらしいその小さな朱色の獣はああもうっと不満げにその六尾を振り、扇のように広げた。琥珀色の円らな瞳が、怒りを湛えてこちらを見る。その表情はもう一度ごめんなさいと謝りたくなるような剣幕。けれどそれ以前に私は別件で腰が抜けそうだった。……え、あ。……ああ、あ。獣が、獣が……。

「しゃべったあああ!!」
「なんなのよ! 失礼なっ!」

 夢じゃない。夢じゃなくて本当に獣が、ロコンが、しゃべってる。あうあう、と変な声が口から漏れた。今にも腰が抜けそうで、足元がふらふらする。あ、ああ、これが夢じゃないならとんでもないことだ。獣が、ポケモンが、人間の言葉を話すなんて。

「リュー? 一体どうしたんだい?」
「コウ。あたしの尻尾が踏まれたのよ」

 ざくざく、と草を踏みつぶすような音が真横で聞こえた。ロコンが愚痴るように声に答える。ひどく落ち着いたバリトンの男声。私はこの状況をどうにかして欲しくて、縋るように声の方を向く。私を現実に戻してと。ただ気ままな旅を楽しんでいただけの人間に戻してと。だけど。

「……あ、あぅ、ああ……」

 ここの草は背が高い。私くらいの背丈なら頭しか見えないだろう。けれどその高く伸びた草をものともせず長い首を伸ばす炎馬に、私はとうとう意味を持つ言葉を忘れた。そして、その馬は私の顔を見るや否や人懐っこい笑みを浮かべる。

「リュ……おや? やあ、初めまして、お嬢さん。珍しいね、女性の旅人なんて」
「……ははっ、はははっ……あははっ、ははっ」
「うん? 顔色が良くないが、大丈夫かい?」

 あ、ああ。ああ、しゃべってる。ギャロップが、さも当たり前のようにしゃべってる。私は自分の顔が笑みの形に引き攣っていることに気が付いた。だって、もう、笑うしかないじゃない。

 そうして、視界が暗転した。

   *

 淡く明るさを取り戻していく視界。何度か瞬きを繰り返して、私の世界は光を取り戻した。

「あ、起きた」
「……ひ、ひいぃ!」

 ただし、否定したかった現実も強制的に取り戻させられた。
 飛び起きる私に嫌そうな顔を隠しもしないロコン。はああ、と盛大にため息をついて、尻尾をふりふり私に背中を向ける。辺りを見回すとどうやら、ホロ馬車の中らしい。なんだかよくわからない荷が山積みにされていて、ホロが天井で弧を描いている。馬車の中から見える景色は私がさっきまで歩いていた景色と大差なく、どうやら連れ去られていたりはしないようだ。安堵した瞬間、ずるりと膝に布がこすれる感覚。見下ろすと毛布がずり落ちていた。……どうやら私が眠っている間にかけてくれていたらしい。

「ハル。あの子、起きたわよ。あんたが一番怖がられないでしょ」
「リュー、君ね。いきなり喧嘩腰は……あーはいはい。行く行く。行きますって」

 ロコンと、誰かのやり取りの声。テノールくらいだろうか、あのギャロップの声より少し高い。今度は何が起こるのかと私は身を縮ませた。俯き、毛布を握りしめる。ぎしぎしと馬車の木を軋ませて歩いてくる誰か。ふっ、と私の上に影ができる。私の前に座り込む気配。馬車の床を指で弾く音。
 『コン』と『ゴン』の間のようなリズミカルな音に、けれど私は顔を上げようとしなかった。一体、何が起こっているんだろう。さっきまで。本当についさっきまで、私は世界を手に入れたような気分に浸って、気ままに歩いていただけなのに。
 ばんばん、と今度は強めに掌で床を打つ音。いや! いや!! 聞こえない聞こえない。顔を上げるのが怖い。固まる私に、気配は困ったように溜息を吐き出して、私の視界にコップを置いた。アルミで出来た、銀色のカップ。微かにあがる湯気からはブランデーのような香りがする。ほっと安堵できる香りと温もり。でもそれ以上に安心できたのは、コップを差し出す手が『人間の手』だったから。

「……『大丈夫?』……?」

 がばっ、と顔を上げた私に『人間の男性』が小さく笑って、スケッチブックを見せた。そこに書いてあるのは『大丈夫?』の文字。私がそれを読み上げるのを確認してから、彼はまたペンで紙に書き込みをしていく。癖の強いアッシュブラウンの髪が風に揺れた。私と同い年くらいか、年上か微妙なところだけれど、とりあえず17歳は下らないだろう。

「『具合はどう』。『毒なんて入ってないから飲み物どうぞ』……?」

 先程の『大丈夫?』の文字の下に書き加えられた文字。読み上げる私に彼は頷いて、どうぞと言わんばかりにコップを示す。私はとりあえずそれを手に取って、彼に尋ねた。

「貴方は誰?」

 私の質問に驚いたのか、彼は少しだけ目を大きくする。けれど、すぐに笑って文字を書いた。コップはとても暖かく、仄かに白い湯気は未だ中身から上がっている。しばらくして、彼はまたスケッチブックをこちらに向けた。

「『ハルって呼ばれてる。あのロコンはリュー。ギャロップはコウ。驚かせてごめん』」

 にこり、と笑う彼に私も釣られて少し笑う。けれど聞きたいことはたくさんあった。どうしてこんなところにいるのか、あのロコンとギャロップは何なのか、なぜ話すことができるのか、さっきロコンと話していたくせにどうしてハルは私と話さないのか――。
 だけれど、聞きたいことがあまりにも多すぎて、どれから聞けばいいかわからなくなる。言葉に詰まる私を無視して、ハルは続けて言葉を綴った。

「『ポッポ屋なんだ』。……ポッポ屋? あの荷物運びの『ポッポ屋』?」

 うんうん、と嬉しそうに頷く彼に私はもう一度周りを見回す。確かに良く見れば、山積みの荷には宛名が書かれている。隅にまとめてあるのはどうやら手紙らしい。

 『ポッポ屋』。それは、町から町へ荷や手紙、場合によっては人を運ぶ運び屋たちの通称だ。伝書鳩となりえるポケモンのポッポがその名前の由来であり、正確な名前は別にある。ただあまりにも浸透しすぎた『ポッポ』の名前のせいで、正式名称が呼ばれることは少ないけれど。『ポッポ屋』はある町で売買しまた別の町で売買し、を繰り返す隊商のことではない。ある町の誰々に荷を届ける、手紙を届ける、人を届ける。そしてその町でまた荷やら手紙やらを回収して次の町へ向かう。それが『ポッポ屋』だ。個人的な金銭のやり取りはなく、給料は一括で支払われる。地図一枚を頼りに町から目的の町へ荷を死守しつつ向かわなければならないのだからその危険度はかなり高く、しかしこの時代になくてはならない職業だ。
 そして彼が『ポッポ屋』だというなら確かにここに居ても不思議ではない。街へ向かう途中、休憩していたのだろう。とうとう口を付けたコップの中身は少し苦みの強い紅茶。私の様子に安堵したのか、彼は口角を緩めて笑った。

「ハル。お嬢さんは大丈夫そうかい?」
「あ、コ……」

 馬車の中を覗き込んでくるギャロップにハルは声を返しかけて、慌てて口を塞いだ。私の顔とコウと言うらしいギャロップの顔を見比べ、どこか怯えたような顔をする。左腕をさすり、焦った様子で『待ってて』のジェスチャーを私に送った。そして私が頷いたのを確認してからギャロップの方へと小走りに消える。
 やっぱり彼はしゃべれる。なのにどうして。

「私のこと、嫌いなわけ……?」
「なんでそうなるのよ。わけわかんない」
「ひゃぅわっ!!」

 顔を覗かせ、近づいてくるロコンに私はまた驚いた。やっぱりポケモンがしゃべっていると言う状況に慣れない。ぱしゃ、とわずかに零れてしまった飲み物にロコンはやっぱり嫌そうな顔をする。

「濡らさないで。大切な荷なんだから」
「あ、ごめ。ごめんなさい……」

 そうだった。周りにあるのは濡れてはいけない荷物。私はコップを置いて、何か拭く物を探す。けれどそういえば私の荷物が見当たらない。わたわたと右往左往する私にロコンは溜息をついた。

「いいわよ、別に。床だし、放っておけば乾くから。それより、別にハルは貴女と話したくないわけじゃないから。寧ろ話したくて仕方がないと思うから。そこのところ誤解しないで」
「え、あの、じゃあどうして……」

 話さないの?
 私の質問は喉のあたりで止まった。いや、憎々しげなロコンの表情に止まらざるを得なかった。六本の尾を逆立て、歯がゆいと言わんばかりに辛そうな、苛立たしげなその表情に、言葉なんて続くわけがなかった。

「知りたい?あたしたちのこと、知りたい?」

 苦虫を噛みつぶすような表情で、牙の隙間から絞り出すようにそう言う彼女。琥珀色の瞳が、私を映す。瞳に映った私が好奇心で頷いていいのかと、そう問うた。私がその時、どう答えようと思ったのか覚えていない。イエスだったのか、ノーだったのか。けれど口を開きかけた私に別の声が被さる。

「リュー」

 先程遠くで聞いた、ハルの声。馬車の入り口のあたりでどこか悲しそうに彼はロコンの名前を呼ぶ。ギャロップが彼に続けるように言葉を繋いだ。

「お嬢さん。知りたいかい?知りたいなら出ておいで。話してあげよう。愚か者たちのお話を」

 覚えず私は頷いていた。

   *

 馬車の前部、即ち御者の座るところに座った私。リューというらしいロコンが私の隣を陣取り、コウと呼ばれるギャロップが私に向かって微笑みかけていた。ハルは私たちのことなんて完全に無視して、広げていた荷物を片付けている。

「昔々のお話さ。三人の若い人間がいた」

 ゆったりと語られ始めた昔話。落ち着きのあるギャロップの声はとても心地よく耳に残る。かちゃかちゃ、という音はハルが紅茶を沸かしたらしいポッドを片付ける音。コップとポッドが袋に詰められ、ガランガランと音を鳴らす。あの中にきっと茶葉なんかも入っているのだろう。消された焚火のそばに私の荷物が目に入った。

「そして、あるところにキュウコンがいた。キュウコンの毛皮はとても高価で、その血は百薬の長とも呼ばれるほど。誰もがキュウコンを欲しがった。美しく、優美で、神秘的な、紅い瞳の金狐。欲望に溺れるように、何かに惑わされたかのように幾人もの狩人がキュウコンを殺した。当然キュウコン達は減り、しかし逃れてきたある一匹のキュウコンにその三人の若者たちは出会った。彼らは一発で魅了されたよ。この世のものとは思えないその姿に。けれどキュウコンは友好的ではなかったんだ。当然だね。人間達に住処を追いやられ、同胞を殺され、自身も傷つけられてきたのだから。しかし近づくな、というキュウコンの声を彼らは聞かなかった。その美しい姿を追いかけまわしたんだ。警告を無視した。傷ついた獣を自分たちのものにしたいとねだった。彼らは途方もなく愚かだったんだ。キュウコンの気持ちなんて全く考えてもいなかった」

 私はギャロップの話に聞き入っていた。キュウコンに出会った若者たち。愚かにも手負いの獣を追いかけまわした若者たち。全ては自らの欲望のために。

「触れるなと、何度もキュウコンはそう言ったよ。近づくなと、探すなと。それは毅然とした態度だったけれど、きっと彼女は怯えていたんだろうね。けれど若者たちはそんなことにさえ気づかなかった。欲に溺れ、周りが見えていなかった」

 寂しそうな笑みがギャロップの顔に浮かぶ。ロコンの耳がぴくぴくと動き、彼女は顔を逸らすようにそっぽを向いた。ハルはまだ片づけをしているのだろうか。

「ついにキュウコンは若者たちに罰を与えることにした。近づくなと言ったのに、と。触れるなとそう警告したのに、と。キュウコンと言う獣は不思議な獣でね、神通力が備わっているそうだ。キュウコンの尾に触れると千年祟られるらしい」
「祟られる……」
「そう、呪いを受ける」

 静かで、落ち着いた声。けれど私はその声に戦慄した。その瞳が恐ろしかった。だって、それは、まるで人間のそれ!
 無意識に腕を抱く。ギャロップはそんな私を安心させるように優しく微笑んだけれど、私はそれが怖くて仕方がなかった。逃げ出してしまいたいと思った。この物語の続きを知りたくないと思った。けれど続きは語られる。抑揚なく、『愚かな三人の若者たち』によって。

「……愚かな若者たちは呪いを受けた」
「二人は獣に、一人は」

 嫌だ。この続きは聞きたくない、聞きたくない。だって、だって。
 ロコンの姿をした、ギャロップの姿をした、『獣』たちは続ける。もう一人、ヒトの姿をした彼の話を。

「『この世で最も悲しい呪いをかけてやろう。ヒトと触れ合うことができないように。お前に触れた人間が皆不幸になるように。わたしの悲しみを知るがいい。わたしの苦しみを知るがいい。わたしと同じ目に遭うがいい』。キュウコンはね、そう言った。悲鳴のような声だった。悲痛で、悲しみのない交ぜになった声だった。紅い瞳に涙を一杯に溜めて。そして、若者たちが自分たちの行為の愚かさに気づいたときにはもう手遅れだったんだ。キュウコンはその場を去り、町に戻ることができなくなった元若者たちはポッポ屋の頭領に拾われてポッポ屋になった。それが一番人に触れず、人を傷つけず生きていく術だったから。……これで昔話は終わり。どうして『獣たち』が人語を話すのか、その理由は分かっただろう?」

 人の言葉を扱う獣。なぜなら彼らは人間だったから。視界が歪む。悲しくて、哀しくて。

「あ、あ……。貴方たちは、貴方たちは……」
「貴女が泣く必要なんてないわよ。あたしたちが馬鹿だったの」

 そっけなく答えるリューにコウも頷いた。キュウコンの気持ちがわかってやれなかった自分たちが世界で一番愚かだったのだと。強欲に溺れた莫迦者だったのだと。けれど私はそれに首を振る。いいや違う。違うはずだ。この物語は一体誰が悪かったのだろう。最初にキュウコンを狩った狩人? キュウコンの運? その美しさ? それとも追いかけまわした彼ら? ……いくつもの『偶然』が重なって、不幸が生まれてしまっただけだ。言い訳を言い続ければ無限ループに陥ってしまう。何が悲しいのか、何が辛いのか、それともこれは怖いからなのか、意味も分からずただ泣き続ける私にそっとリューがハンカチを差し出す。私はそれを受け取って、上を見上げた。

「ハル」

 リューにハンカチを渡したのはハルだ。私が彼に触れないように。決して不幸になることのないように。ハルが馬車に座る私と目を合わせるように見上げる。ゆるゆると笑う彼の手に持たれたスケッチブックの文字を、私は読み上げた。

「『泣かないで』」

 言葉でさえ、相手を傷つけるかもしれないから。
 できるだけ声を発しないように、聞かれないように。細心の注意を払って。かりかりと紙の上に掛かれる文字。

「『話せないってのは不便。でも不幸だと思わないでいい。憐れまないでいい。不幸ではないのだから』」

 手を伸ばせば届く距離。けれど彼はきっと触れさせてはくれないだろう。背の高い草が広がる草原を風が駆け抜けて消えていく。風が強い。青空を彩る雲が細く棚引いている。

「『頭領に。ポッポ屋の頭領に事情を話した時、さんざんに叱られたよ。なんて馬鹿なことをしたんだって。獣にも心があるのにって。欲に溺れて何も考えずに突っ走って、お前らは結局何人傷つけるつもりなんだって』」

 すごい剣幕だったよね、と同意を求めるように肩を竦ませてみせるハルにリューは嫌なことを思い出したと言わんばかりに苦い顔をし、コウはあったあったと高らかに笑う。ぐすぐすと、引いてきた涙を拭い、鼻をすすりながら私は彼らを見ていた。だんだん疲れてきたのか汚く殴り書きになっていく字を私は一文字一文字噛み締めるように読み上げていく。

「『でもそうだった。本当にそうだったんだ。きっと知らないうちに傷つけていた。周りのことなんて考えてもいなかった。失って初めて大切だったって気づいたんだよ。触れられなくなって、届かなくなって、やっと自分がどれほど馬鹿か気づいた。一人でも生きていけるとか思ってたんだけどね。いざなったら人恋しくて仕方がない。町にも入れないし、外で人と会うことはめったにないから。だから、気づけたことは幸いかもしれない。キュウコンに感謝してもいいくらい』」

 ニコッ、と歯を見せて笑うハルにつられて少しだけ笑う私。疲れたのか、ペンを持つ手をぶらぶらと振り、苦笑を噛み締める。そんな様子の彼は、確かに不幸には見えない。憐れむ必要なんてきっとない。彼はきっと彼なりに幸せなんだろう。だけど。

「『いいんだよ。失ったものの代わりに手に入ったものも多いんだ。ポッポ屋になって、触れることはできないけれど、色んな人に出会えた。手紙、荷物、町を離れる人。色んな人の色んな想いを僕らは運んだ。喜怒哀楽、誰かへの想い。頭領が学べと言った意味が分かる気がする。それはとても貴重な体験だと思うし、何か学べているといいなと思うし。大切な出会いもあったし。例えば今日、君に会えたことか』」

 茶目っ気を含んで照れたように笑う彼を抱きしめてあげたかった。手を握ってあげたかった。唐突にそういう衝動に駆られて、でもできなかった。それはきっと恐ろしかったから。彼の呪いが怖かったから。自分に幻滅する私に、けれどハルはその『春』のイメージ通り優しい顔で首を振る。

「『ありがとう、でも触らないで』」

 彼らの呪いは解ける日が来るのだろうか。どうか解けてほしいと思う。キュウコンの傷が癒えたら、彼らがもう一度キュウコンと巡り合うことができたなら。キュウコンはきっと彼らを許してくれるだろうに。
 コウがハルのスケッチブックを覗き込む。さすがに適当な字すぎるんじゃない、と呆れたようにリューが言う。じゃあやってみろ、疲れるんだから、と言わんばかりに口をパクパクさせるハル。私はその光景に口元を綻ばせていた。ハルが綴る文章をリューと一緒に読み上げていく。

「『君はポケモンを持っているんだね。じゃあ、今日僕らに出会えたのはいい機会だと思って、もう一度考えて欲しい。彼らも心があるって。ボングリに入れることができるようになって、人間はポケモンを支配できるようになったけどでも彼らは物言わぬ物じゃない。僕の姿は戒めにしてくれるとちょっと、救われるかも?』」
「ハル。何恰好つけてるのよ。似合わないわよ? というか、最後の疑問形何よ、そこは言うなら言い切りなさいよ」
「はっはっは。まいったね、ハル。リューに言い返せるかい?」

 リューとコウの攻撃に、参りましたと言わんばかりにホールドアップするハル。けれど私はハルに、彼らに言った。

「ううん。大切な話を聞かせてくれてありがとう。気を付ける」
「ならよかった。こちらも話したかいがあったってものさ」

 にやりと笑うコウ。

「で、貴女今からどこに行くの? 西に行くなら、もう少し一緒に行けるけど」

 一緒にどう、と誘うリュー。人恋しいと言う彼らは旅人と出会うこの瞬間を大切にしたいのだろう。そしてそれは私も同じだ。町に着くとほっとする。人と言葉を交わすと嬉しくなる。けれど。私は彼らの提案に首を振った。

「東に行こうと思って」
「『そう。なら道中気を付けて。また機会があれば会えると嬉しい。家族への手紙は是非、ポッポ屋をご利用くださいませ。大切にお運び致します』」

 本当にそう思っているらしいハルが、子供のように無邪気に笑った。

   *

 青々と茂った背の高い草をかき分け、青空を泳ぐ雲を追いかけ、気ままに、風の向くまま東へ。
 獣が『ポケモン』ではなかった時代。獣を完全には屈服できていない時代。未来、きっとこう呼ばれるだろう時代に私はいて、彼らはいる。けれど、もしかすれば未来、この時代は獣たちを『道具』と認識し始めた時代と呼ばれるかもしれない。ボングリのボールが普及すればするほどきっとこの感覚は強くなる。支配できてしまうのだから。ならば私は彼らとの出会いに感謝しよう。もう一度、この世界に生きる彼らと視線を合わせよう。

「キュウコン」

 私は傍らの私のポケモンに語りかける。ふわっふわの毛並を持った、若いキュウコン。だからコウが語ってくれた物語に出てきたキュウコンではきっとないだろうけれど。私は彼女と目を合わせるように屈み、そしてこう言う。

「私の傍にいてくれて、ありがとう。どうかこれからもよろしくお願いします」

 こんっ、と景気の良い声で鳴く彼女を私は撫でた。

 東に行こうと思った。
 特に理由はなく、けれど素敵な出会いがあった。
 だからもっともっと東に行けば、もっと何かに出会える気がして。

 まだ知らない地に胸躍らせるこの感覚が私は大好きだった。

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2013.4.8  00:17:13    公開


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