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我楽多たちの物語

著編者 : 森羅

淡雪

著 : 森羅

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 寄せ集めのガラクタを抱きしめる彼女の表情はひどく愛おしげだった。

 壊れないよう大切に、丁寧に。まるで宝物を扱うかのようにガラクタに頬擦りする彼女。眠たそうな目は夢に微睡んでいるかのようで、微かな笑みを零していた。静寂なる塔。窓から差し込む冬の弱く、淡い光は彼女だけを照らしているようで。今にも壊れてしまいそうで、虹のように儚く、夢のように美しく、それ故ひどく曖昧で現実味がなかった。

「あの」

 雪のように澄んだ声が、氷のように透明な声が、立ち尽くしていたおれを呼んだ。小さな花が咲くように笑う彼女。

「あの。お暇でしたらこれを並べるの、手伝ってくださすりません?」

 ――それが。それが彼女との出会いだった。

   *

 奇妙なやつが来たらしい――。
 そういう話を仲間内で聞いたおれはならば是非ともからかってやろうと早速彼女の元に出かけたのだった。そしてもう一週間になるか。どういうわけか自分にもわからないのだが、現実問題として毎日のように彼女の奇行の手伝いをする羽目になっている。なぜだ。

「丁寧に置いてくだすってね。壊さないでくださすってね。大切なものですから」
「……」

 なんで、おれが。
 心の中でなぜだなぜだと繰り返しながら、しかし体は素直に動く。大体おれには腕と言える腕もなければ、ニンゲンの様な手もないのに。しかしそれでもできるだけ丁寧に、できるだけそおっと。……いやだから。

「今日も手伝ってくださすって、ありがとうございます」

 いい加減彼女に文句を言おうと振り返るが、その無邪気な微笑みに返す言葉を失った。ああ、だかおう、だか適当な相槌を返して、ギクシャクとまた作業へ戻る。くすくすと、口元に手を当て愉快げに微笑む彼女。ユキメノコというポケモンの特徴ともいえるだろう、振袖の様な部分は白と水色が涼しげなコントラストを成していた。とりあえず一息ついたおれは、ぐったりとした目で並べ続けたそれを見返す。古びてカビた歯ブラシ、欠けた茶碗、今にも千切れそうな首輪、異臭のする布きれ、真っ二つに壊れたモンスターボール……。やっぱり何度見てもおれにはただのガラクタにしか見えない。
 彼女の『宝物』はいわゆるガラクタで、もっと言うならばゴミだった。だが、彼女にとってはそうではないらしい。蕩けるような笑みを浮かべて、愛おしげにその宝物を並べる彼女は傍から見れば奇人であり、精神を病んでいたようにも見えたろう。実際、おれも元々はそんな彼女をからかうつもりで来たのだから。だが、彼女はそんなことなど気にもかけず、宝物に埃が被らないように磨き、並べ、それらを慈しんだ。幸せそうに微笑んで眺めていた。

「そんなに大切にするようなものには見えないけどなァ」
「いいえ、とても綺麗で大切なものですよ」

 ぼやくおれに彼女はふふふ、と笑う。からかわれているようなその笑みがなんだか無性に頭にきて、おれは体を揺らしながらついに彼女に言ったのだった。一週間分の鬱憤をぶちまけたそれはほぼ八つ当たりだったと言ってもいい。

「ただのガラクタだろ、ただのゴミだろ。やっぱりお前はおかしいんじゃないか」

 そしてやはりというか言い切ってからすさまじい後悔が襲ってきた。彼女を傷つけたのではないのかと。はっとするおれに、彼女は少しだけ寂しそうに微笑する。あ、いや、とみっともなく取り繕いかけたおれにしかし彼女は澄んだ声ではっきりと言ったのだ。

「ええ、きっとそうなんでしょうね。ガラクタなんでしょうね。ゴミなんでしょうね。でも見てくださすって。このガラクタは、きっと誰かにとってはかけがえのない想い出なんですよ。……こうやって、供えてあるんですもの」

 そっと欠けた茶碗に手を添えて、その縁をなぞる彼女。愛おしげな指の動き。そして彼女の視線はその茶碗の置かれた奥へと移動した。憂いを含んだ空色と金の瞳が優しくそれを見やる。石造りのそれにはどこの誰とも知らないポケモンの名前が刻まれていた。

「このひとと誰かを繋ぐ、想い出の品なんでしょうね。なら、これはゴミなんかじゃありません。少なくとも私にはそう見えないのです」

 そう言い切った彼女におれは何も言えず目を逸らす。
 ……ここは、墓場だ。幾千幾万もの墓標が整然と並び、ひやりとした霊気がいつも場を覆う。彷徨う霊に引き寄せられたゴーストポケモンは数知れず、きっとそれは彼女もなのだろう。居心地のいい、餌場。おれにとってこの住処はそういう認識で、けれど彼女には違うものに見えるようだ。彷徨う霊即ち『餌』たちは慰める対象で、ガラクタは尊ぶべき宝物。そしてここは静寂に覆われた鎮魂の場。恍惚とした表情でそう言う彼女におれは言葉を返せなかった。

 そう言う彼女はとてもとても幸せそうで、おれは言葉を返せなかった。

   *

 普通、亡霊たちの活動時間は夜だ。昼間に動けないわけではないんだが、亡霊って生き物は基本的に昼間に寝ていることが多い。というわけでおれが彼女と会うのも大体が夜。月明かりが光る頃。だからその日、おれが昼間からふらふらと散歩に出かけたのは偶然と気紛れだったと言ってもいい。あくびを噛み締め、千鳥足よろしく散歩するおれ。そこで、彼女を、見た。

「珍しいですね、貴方様が昼間にいらっしゃるなんて」

 光の差し込む窓辺に座って、口元に手を添え笑う彼女。光が薄い影を作って彼女の姿を炙り出す。突然声をかけられておれは固まらざるを得なかった。おう、という言葉だけを辛うじて小さく吐き出す。心臓に悪い。どうしてこんな時間にこんなところにいるんだ。暇なのか。驚きを隠せないおれに彼女はあれですよ、と小さく柔らかな笑みを浮かべて腕を動かした。振袖が揺れる。氷の欠片が光に輝いた。

「ちょうどいいところにお越しくださすりました。ご覧になってくださすって。ほら」
「……何だよ」

 彼女の指差す方向、そこにいるのは墓の前に座る一人のニンゲンだった。墓の前で両手を合わせ、目を閉じ、じっと固まるニンゲン。唇だけが微かに動いている。時が止まったように動かないそのニンゲンの仕草はおれもよく見たことがあるそれ。死んだ者に対してニンゲンは祈る。冥福を、来世を、平穏を。尤も、おれにとってその行為は無意味だ。だって死体は腐ってしまうから。
 だが、彼女は微笑んでいた。そのニンゲンを見守る様に。愛おしげな眼差しで、幸せそうに……どこか泣き出しそうに。

「いいですねえ」
「何が?」

 不意に彼女の口から漏れた言葉におれは疑問で返す。すると彼女は小首を傾げて微笑んでみせ、言葉を紡いだ。

「前に私はお話ししましたね。貴方様がガラクタだとおっしゃるそれは誰かにとってかけがえのない想い出の品だって。ほうら、見てくださすって。あの方はよくこちらにいらっしゃるんですよ。ああやってずっと祈っていらっしゃるのです。あの品には傷が入っているんですが、その傷は今でも忘れられないものだそうですよ。……素敵ですねえ。あの方が忘れない限り、あそこで眠っていらっしゃる方の想い出は残るなんて。それはとても素敵なことだと思いません?死してなお、覚えてくださする方がいらっしゃるのです。羨ましいですねえ……」

 どこか遠くを見て瞳を潤ませた、その惚けたような表情の彼女におれははあ、と相槌をつくことさえ出来ない。想い出を残すことにおれは特別意味を見いだせないのだ。彼女が羨ましいと言う意味もおれには分からない。ニンゲンが去った後、綺麗に片づけられ埃を取り除かれ磨かれた墓石。ニンゲンがすることはよくわからない、とおれは仲間たちとよく言っていたものだ。死者は何も語らないのにと。死体は腐ってしまうだけなのにと。だか、彼女はその理由がわかるらしい。やっぱりというか彼女は、変だ。そして、だんまりのままのおれを無視して彼女はその振袖を揺らし口元を緩めて続きを語る。

「毎日のように誰かがお墓参りに来てくださするでしょう?それに耳を澄ませるとたまに思い出話が聞けるんですよ。それを聞くのが楽しくって。とても綺麗なお話ばかりなのです。ヒトの命は短いですし、来なくなる方もいらっしゃいますから、せめて私は覚えていられればと思って。消えてしまうのは哀しいです。誰かが覚えておかないと理不尽です。そんなの淋しすぎるじゃないですか。そう思いません?ここには想い出が詰まっているのに」

 ふわり、と彼女は窓辺から飛び降りる。赤い帯が白に映えて、微かな風を受けて振袖が宙を泳いだ。割れたモンスターボールを手に取り、彼女はその真っ白な頬にそれを押し当てる。微睡むようにその目を細め、愛おしむ。おれはそんな彼女の姿に居心地の悪さを感じずにはいられなかった。だっておれはこの場所をそんな綺麗なものとして見たことがないのだから。きっとそう見えることもないのだから。壊れたガラクタを抱きしめる真っ白な彼女があまりにも神聖に見えた。それは声をかけるのを躊躇う程に。

「埃を被ってしまったら、可哀想じゃないですか」

 そう言って、彼女は笑っていた。

   *

 彼女と別れた後も、彼女の言葉が頭に残っていた。ここは、ここはそんなに美しい場所だっただろうか。日は沈み、いつの間にか夜の闇が空を覆っている。亡霊ポケモンたちが行き交う。ここはそれほど荘厳で高尚な建物だっただろうか。もっと陰湿で、薄暗い嘆きの場ではなかっただろうか。暗く濁った闇の中、冷たい石の墓標が不気味なほど乱れなく並んでいる。ふらふらと宙を彷徨いながらおれは自分が住む墓場を眺めていた。おれが間違っているのか彼女が間違っているのか考えても判断がつかない。どちらも間違っているような気がしたし、どちらも正しいような気がした。彼女の世界は美しすぎるし、おれの世界は少々現実的過ぎる。足して割ったらきっとちょうどいいだろうに。
 送り火のごとく、ヒトモシたちの炎が揺れる。ランプラーたちの灯りが躍る。シャンデラたちの火の粉が輝く。だがあれは送り火ではない。それらは断じて、鎮魂の炎ではない。薄紫色の、ヒトが見れば不気味がるであろう炎の列。あれは魂を食らう炎だ。あれは狂宴の火だ。尤も、夜な夜な繰り広げられるその歓喜の宴もそろそろお開きだろう。そろそろ朝の光が塔を強く照らすから。

 ――消えてしまうのは哀しいです。誰かが覚えておかないと理不尽です。
 ――そんなの淋しすぎるじゃないですか。そう思いませんか?

 愛おしげな瞳で、慈しみを含んだ眼差しで、優しいだけの言葉を吐き捨てた彼女。
 ユキメノコは雪山で遭難したニンゲンがポケモンになったものだと言う説もあるらしい。彼女がもしニンゲンだったのだとしたら彼女はきっととても優しいひとだったのだろう。他人を慈しみ、愛するひとだったのだろう。もう誰も覚えていないような誰かの想い出を、誰も気に留めないガラクタを、そっと覚えて数えているくらいには。
 けれど、そうして結局のところ一体誰が救われるのだろう?誰が理不尽だと嘆くのだろう。死者は何も語らない。何も喜ばない。土の下で昏々と眠り続けるだけだ。その死骸さえ腐って無くなってしまうだけだ。じゃあ、彼女の行為は無益なのだろうか。……ああきっと無益だろう。おれの仲間たちならそう嘲笑うだろう。だが、それでも。

 ガラクタを抱き寄せる彼女があまりに愛おしげで。
 綺麗でしょう、と笑う彼女があまりに儚げで。
 淡い光を受けていたそんな彼女がとても綺麗で。
 まるでこの世のものではないようで――。

 ――羨ましいですねえ……。

 愛おしそうな目の彼女。泣き出しそうな、惚けたようなどこか遠くを見て言ったそれ。
 ふっ、と立ち止まる。立ち尽くす。ちょうどすれ違いかけていたらしいランプラーがおいこら、とふら付いた。おれはそれにぞんざいに謝り、くるりと体を百八十度回転させる。おれは彼女に尋ねねばならなかった。尋ねずにはいられなかった。だから、急いだ。


「なあ」

 体積はそれなりだが、面積で言ってしまえば小さな塔だ。おれはすぐに彼女を見付け声をかける。どうも墓石の一つに寄りかかったまま眠ってしまったらしく、おれの声に彼女は反応しなかった。ひやりとしていて寄りかかるととても気持ちがいいんですよ、といつだったか彼女が話していた気がする。心地良い冷たさだと。その感覚もおれには一生わからないだろうけど。

「なあ」

 二回目。今度はもう少し大きな声で。何度か目を瞬き、彼女はとろんとした瞳でおれを見て微笑んだ。それは何も考えていないような笑みだった。思考をすべて放棄して笑っているような、綺麗なだけの笑みだった。

「ああ、来てくださすったんですね。何時間ぶりでしょうか」
「……聞きたいことがあって」
「なんでしょう?」

 朝の日差しがゆっくり塔に差し始める。亡霊たちは皆影に逃れ、隠れて行った。ああ、おれたちの時間は終わりだ。日に当たれば死んでしまうなんてことは決してないが、亡霊たちに太陽の日差しは似合わない。だが、それでもおれは自分のねぐらに帰ろうとしなかった。彼女もまた、その場で動かなかった。おれは彼女が並べたガラクタを、想い出の具現化を、眺めて問う。

「……いつまで続けるんだ、こんなこと」

 おれの問いかけに彼女の表情は驚いているようだった。驚いているようだったし、悲しんでいるようだった。笑っているようにも見えた。朝焼けの、淡くそれでいて強烈な光が塔に差し込み彼女を照らす。きっとおれにも光が当たっているだろうに、白の光彩のせいか彼女の周りだけが明るく映えた。真っ白な体を光に煌めかせる彼女は触れがたいもののようで。そして同時に途方もなく脆く見えた。今にも融けてしまいそうなほどに。

「私が、消えるまで」

 返事と共に返されたのは淡雪のような微笑みだった。日の光に当たれば一時間と待たず消えてしまうような笑みだった。氷を司り雪の中で生きるものであることを、象徴するがごとく。だが、彼女もおれたちと同じ。日の光を浴びたからといって融けてなくなることはない。亡霊に『死』はないのだ。二度は死ねないのだから。ただ、何も残さず消えていくだけ。なぜ消えていくのかは誰にもわからないが、ふと気が付くといなくなっている。亡霊とは、おれたちとはそういうものなのだ。それでも彼女の答えたそれは予想できた答えだった。予想通りの答えだったと言ってもいい。笑みを張り付けたまま彼女は続ける。

「もうすぐ春でしょう?私はきっと消えてしまうと思います」
「氷タイプだから?馬鹿げた夢物語だ。春には氷を扱うやつらが大量に死ぬのか。そんな死屍累々の春なんて見たことないけどな。春になる度そんなんじゃヨノワールも大変だろうな」

 夢見がちな彼女の台詞におれは苛立ちながら現実を突きつける。彼女はどこかズレている。ガラクタを愛で、ここに住む亡霊たちの誰も考えなかったような発想をしている。きっとおれたちとは違った世界を持っているし、おれが見ている世界よりよっぽど汚れない世界が見えているのだろう。それは一向に構わない。勝手にしてくれればいいし否定するつもりはさらさらない。だが。
 おれの言い方が面白かったのか彼女はふふふ、と口元を緩めて笑う。眠たそうに目を細め、どこか遠くを見て。

「ええ、そうですね。私たちは死にはしないでしょう。ですが、消えますよ。遺骸も、何も残さずに。春の日に当たって溶ける雪のように」
「知ってる」
「ふふふ。そうですね、貴方様もゴーストですもの」

 白地に水色の模様を付けた着物が揺れる。真紅の帯が白に映える。彼女が笑う……口元だけで。
 そうとも。好きにすればいい。夢を見て暮らしたいならそれでいい。興に入りたいなら入ればいい。ガラクタを愛でるのも、誰かの想い出を数えるのも誰も止めやしない。好きにすればいい。だが。

「その目はやめろ」
「え?」

 きょとんと彼女が首を傾げる。そう、その目がおれは気に食わない。夢の中を彷徨っているような、死んだような瞳がなんだかとても気に食わない。ガラクタを愛でる時とはまた違う、生気の籠らない、焦点の合っていない瞳。これはガラクタを抱きしめて幸せそうに蕩けさせていた瞳とはまた違うのだ。あの時の微睡んでいるような表情とは違うのだ。亡霊だからとかそういうことでもない。これは想い出を覚えてくれるひとがいるのは羨ましいとそう言った時と同じ目。どこか泣き出しそうなその表情。生きながら死んでいる目。死にながら生きている目。それは全てを諦め、惰性で生きている死にたがりの目だ。だから、彼女の答えを予想できた。彼女は、死にたがっている。

「淋しいと言ったな。誰かが覚えておかないと理不尽だと。消えてしまうのは哀しいと。……一体誰がだ。死んだものは何も言わない。語らない。悲しまない。救ってほしいなんて言いやしない。一体誰が悲しいんだ。救われたいのは一体誰だ」

 彼女の瞳が悲しそうに歪む。それはずたずたに壊され、傷つけられたような笑み。その表情のまま彼女はまっすぐにおれを見た。核心を言い当てられたと言わんばかりに。日の光が彼女の宝物を照らす。欠けた茶碗も、割れたボールも、壊れた玩具もすべてが光の中にある。月の光ではなく、もっと暖かい日差しを受けている。

「……誰、でしょうね……。きっと、私はここに葬られたポケモンたちが羨ましいんです。誰かが自分を覚えてくれているなんて素敵じゃないですか。想い出の品を供えてくれて、墓標に手を合わせてくれて、花を飾ってくれるんです。それが羨ましくて羨ましくて、妬ましいんです。辛いんです。何も持っていない自分が悲しくて、哀れで。私たちは何も残せません。消えていくだけですから。でも、愛しいんです。変ですよね、変だと言ってくださすって。お願いですから」

 今にも泣きだしそうに彼女は訴えた。羨ましくて妬ましくて、でも愛しいのだと。遺品を手に取る瞬間に壊してやりたくなってでも同時に抱きしめたくなるのだと。あまりにも大切な品物だから。あまりにも想い出が詰まっているから。何も持っていない自分が、何も残せない自分が途方もなく惨めになって、でも並べ直して汚れを拭き取るたびに救われるような気がするのだと。泣き笑いのような表情でそう言う彼女の声は悲痛でまるで悲鳴のようだった。

「燃やしてくださすりませんか?」

 言うだけ言った後、彼女はおれに向かってやけに静かにそう言い放った。口元を緩め、どこか虚ろな瞳でおれを見る彼女。痛覚が麻痺してしまったような、疲れ切ったようなその表情はしかし妖艶だった。禍々しかった。それこそが亡霊である彼女の本性であるがごとく。誰も見向きもしないガラクタを愛おしげに眺め、頬擦りしていたとひととは同じに思えないほど。あの神聖さとは、体を彩る雪の白とは対照的なほど。けれど、きっとそれは剥き出しの本音。言葉にすればするほど、彼女は自分を知ってしまったのだろう。おれに話せば話すほど、優しいだけの言葉を吐き出せば吐き出すほど、自分が辛くなって醜く思えて耐えられなくしまったのだろう。

「ねえ、私を燃やしてくださすって。もう、私は。もう、私は分からなくなってしまいました」

 笑えと言われて無理やり笑ったかのような微笑。口元が三日月の形に歪む。何も満たされていない空っぽな瞳。ああ違う。彼女は終わらせようとしているだけだ。わからなくて、何がわからないかわからないから辛くて耐えられなくて。壊したくて抱きしめたくて愛しくて妬んで。やめたくて、でもやめられなくて。感情が処理できていないだけだ。投げて捨ててしまえばいい。ガラクタだと、こんなものに現を抜かす必要はないと切り捨ててしまえばいい。けれど優しすぎるから、それもできなくて。だから、一番簡単で楽な方法へ逃げているだけだ。辛くて、でも自分では捨てられないから消えようとしているだけだ。

「私を燃やしてくださすって。本当は暖かいものが好きなのです。想い出たちはとても暖かいでしょう?」

 艶めかしい表情でおれに近づく彼女をおれは拒まなかった。いや、拒めなかったと言う方が正しいかもしれない。おれ自身どうすればいいかわからなくなってきたから。彼女を殺してやるのが救いのような気もしたし、突き飛ばして激昂するのが正しい気もしたから。そうして、結局。彼女が触れ合う程近くに来た時点でおれは彼女に言う。いい加減にしろと。

「お前は夢でも見てるのか。ふざけるな」
「ふざけてなどおりません。私はもう、消えてしまいたいのです」

 ああ、腹が立つ。なんて身勝手なんだ。お前の弔いは何だったんだ。誰かの想い出を覚えているためだろう?忘れてしまったら可哀想だと言ったのはお前じゃないか。なあ、違うのか。自分でそれを背負おうとしたのはお前だろう?それなのに放棄するのか、なんて身勝手なんだ。自分の都合ばかりを言うのか、始めたのはお前のくせに。彼女がふふふと笑った。夢見心地で笑って、頭をおれにすり寄せるようにして。甘えるように。

「救われたいのは誰だと聞いてくださすりましたね。私はきっと、ほしかったのですよ。彼らのような弔いが。誰に自分を覚えていてほしかったのです。私が彼らを覚えようとしたように」

 ああ、やっぱり。おれのどこか冷静な部分が納得する。羨ましいですねえと言った彼女の泣き出しそうなその表情がフラッシュバックする。理不尽だと思っていたのも悲しいと思っていたのも本当だろう。埃を被ってしまうのが可哀想だと言ったのも事実だろう。ガラクタが宝物に見えて、物言わぬ死者たちを弔う心も本物だろう。だが、本当に救いたかったのは死者たちではない。本当に心の底から救われたかったのは自分だったのだ。彼女は、彼女が一番救われたかったのだ。

「なら、余計に、消えられないじゃないか」
「……貴方様が覚えていてくださするでしょう?私の手伝いをしてくださすったのは貴方様だけでした」
「いいや、覚えないね。覚えない。おれはそんなに優しかない」

 貴方様が覚えていてくれるでしょう、頭の中で転がる優しい響きにおれは首を、体を振った。覚えない。覚えてなんてやらない。そんなことは勝手だ。勝手すぎる。そうやって彼女を否定した。否定することで、消えてなくなるなと、ここに居ろと。おれは繰り返すように彼女に言い聞かせる。

「お前は勝手だ。優しくなんかない。そんな勝手な理由があるか」
「ふふふ」

 ガラクタに向けるのと同じような愛おしげな眼差しを、しかし虚ろな眼差しをおれに向けて笑う彼女。俺の言葉なんてどこか遠くで聞いているんだろう。まともに聞いちゃいないんだろう。ああもう。お前の言うことは全部否定してやるから、違うと言って笑えばいい。このガラクタは大切なものなんだろう?違うのか。お前が覚えていてやるんだろう?違うのか。

「あったかあい」

 温かいじゃない。温かくなんかなくていい。温かくなんてなるな。ならなくていい。とろとろと融けていく彼女にしかしおれはその場を離れることができなかった。幸せそうな瞳で笑う彼女を突き放すことができず、これほど間近で彼女を見たの初めてで。だって、おれは炎を灯していたから。彼女との相性は最悪だ。彼女はそれを気にした様子はなかったけれど、彼女は手伝いをするおれによく言ったものだ――大切なものだから燃やさないでくださすってね。……燃やさないで。そう言ったくせにそう言ったくせに今度は燃やせと言うのか。俺にお前を燃やせと言うのか。
 残酷だ。なんて残酷なんだろう。彼女の行為は優しくなんてない。ただ残酷なだけだ。それはひどいと言いたかった。燃やすなと言ったり、燃やせと言ったりおれを振り回すな。おれにお前を消させるのか。そんな答えがあってたまるか。お前は何にもわかっちゃいないと、死者を弔うお前のどこが優しいのだと、それは自己満足だろうと、救われたいのはお前だろうと、そう喉を嗄らすほどに叫びたかった。血反吐を吐くまで罵りたかった。そうすれば、分かってくれるかと思ったから。

 そうして彼女は小さくなった。

   *

「おはよう」

 私が聞いた第一声はそれでした。薄紫の炎を灯すよく知ったポケモンが、私が燃やして欲しいと頼み、私を燃やしてくれたはずのシャンデラが、私を見て微かに笑います。どうなっているのかさっぱりわかりませんでした。ただ、石床の冷たさだけがじいんと頭に響いていました。

「私、消えなかったんですか?」
「……そんなに消えたかったのか。お前はやっぱり優しくなんてないな。変なだけだ。勝手なだけだ。覚えていなければ理不尽だと言っていたくせに消えたいと言うなんて。おれにはお前の考えがちっともわかりゃしない」

 彼の声はひどく苛立っているようでした。確かに私の行動は矛盾していたと言えるでしょう。けれど私は彼らの遺品を見るたびにどうしようもなく辛かったのです。何も持っていない自分が悲しくって惨めで、でもそれらに籠った想い出が、想いが愛しくって救われるようで。ひどく矛盾を孕んだ思考でしょう。けれど自分が空しくて、でも愛しかったのです。そこに籠る想い出が、暖かくて切なくて。
 だからいつも抱きしめました。暖かいものが好きでしたから。ただ、その代わりに私の心は削れていくようでした。何もない自分がとても恥ずかしく思えたのです。恥ずかしくて逃げてしまいたいと、惨めで消えてなくなってしまいたいと、そう思う程に。顔を背ける私に彼は体を揺らしながらこう言いました。

「覚えておいてやるんだろう?おれは覚えてなんかやれない。おれにとってはガラクタだ。だが、お前には違うものに見えるんだろう?なら覚えておいてやればいい。無益にしか思えない行為だが、お前には有益なんだろう?お前が消えたら一体誰が覚えていてやるんだ。誰も覚えちゃいない記憶を覚えているのはお前だけなのに。お前は忘れ去られるのは淋しいと言ったじゃないか。違うのか」

 淡々とそう語る彼は怒っているようでした。私のために怒ってくださすっているようでした。それは彼に燃やされながらどこか遠くで彼に聞かされた言葉でした。その言葉を聞く私は何か言おうとして、けれど彼は止まりませんでした。

「ああ馬鹿だ。お前は馬鹿だ。なんで覚えておいてやると言っておいて消えようとするんだ。自分で決めたことを放棄しようとするんだ。おれにはちっともわかりゃしない。ただ、お前は楽しそうだったじゃないか。愛おしそうだったじゃないか。あれは嘘だったのか、違うだろう?あのガラクタを大切なものだと言ったのは嘘じゃないだろう?誰かが覚えておかないと理不尽だとまで言ったじゃないか。違うのか、違うのか?」

 泣き出しそうな声で彼はそう問いかけました。薄紫色の炎を灯した体を揺すって、宙で揺らしながら。ええ、私の言った言葉は本当です。誰かが覚えておかないと理不尽だと思います。誰かがガラクタと呼ぶそれが大切なものだと思います。ガラクタを並べて、埃を拭き取って抱きしめて、それがとても楽しかったです。愛しかったです。本当です。ただ、それでも。私は何も持っていないのです。この身体は空っぽなのです。それがどうしようもなく惨めなのです。どうして私には何もないのかと、そう遺品を壊したくなるほどに。……尤も、壊すことはできなかったのですが。

「お前は救われたかったんだろう?何か自分が生きた証を残したかったんだろう?自分のことを覚えていてほしいんだろう?死んでしまった誰かのことを覚えてやりたかったんだろう?なら消えるな。消えるとか言うな。そんな身勝手なことをするな。覚えておかないと理不尽だと言ったくせにだから覚えてやっていたくせに、なら途中で投げ出すな」

 苛立った、泣きそうな声で、彼は同じことを何度も繰り返しました。私のために繰り返してくださすりました。そして彼の言っていることは当たっていました。そうです、救われたかったのは私です。私が誰かの記憶を覚えているように、誰かに私のことを覚えていて欲しかったのです。何も持っていないのが辛くて、誰かに自分を知っていてほしくて。けれど。けれど私は確かに彼らのことを覚えておいてやりたいと思っています。それは嘘ではありません。それは、私が自分で決めたことでした。彼の言うとおり投げ出すことは身勝手が過ぎます。私しか覚えていない想い出もあるのですから。
 投げ出すつもりなら、もう投げ出しておりました。辛くて辛くて哀しくなって遺品を壊したくなった時にあのガラスのような遺品を壊してしまえばよかったのですから。けれど、それをしなかったのも、できなかったのもまた私なのです。

「ごめんなさい。私が、馬鹿でした。……どうして、私は死ななかったんですか」

 彼に自分を思い知らされた私は自暴自棄になったことを謝り、少し落ち着いたらしい彼に尋ねました。すると彼は少しそっぽを向いてこう言ったのです。

「それは、おれの炎で燃えたから」

 ぼそりと彼が行った言葉の意味を私は理解し損ねました。首を傾げる私に彼は続けて説明します。

「おれは亡霊だろ。おれの炎は魂を食らうんだ。体があるやつは後には抜け殻しか残らない。お前には体がないから残るものはないけどな。そして、おれの炎に食われた魂は永遠にこの世を彷徨うことになる。残念だったな、消えられなくて」

 壮絶な笑みを浮かべて笑う彼。彼はそれほどまでに怒っていたのです。私が消えることに、怒ってくださすっていたのです。私は――そう思うのはおかしいのでしょうが――それを途方もなく嬉しく思いました。変ですね。わかってます。それでも嬉しかったのです。私を手伝ってくださすった方がいらして、私の話を聞いてくださすった方がいらして、私を見てくださする方がいらっしゃるのですから。ああ、何もないことないじゃないですか。私は空っぽではないじゃないですか。ええ、そうですね。私は覚えておかなければなりません。この墓で眠る彼らのことを。覚えておいてやらないと理不尽です。埃を取ってやらないと可哀想です。
 この身体は空っぽでも、心は空っぽではないじゃないですか。沢山の想い出を詰め込んであるじゃないですか。

「あの」

 私は彼に向かって微笑みます。近くにあったガラクタを寄せ集め抱きしめました。その大切な宝物たちを抱きしめました。愛おしくて、暖かくて。

「あの。お暇でしたらこれを並べるの、手伝ってくださすりません?」

 私の台詞に彼は笑ってくださすりました。


 ほうら、とってもあったかい。


*** 
 よくわからないテンションで書きました。話と話が吹っ飛んでたり、心理描写が足りないのはご愛嬌。……土下座

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2013.3.18  17:48:08    公開


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