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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

1‐5.魔法使いは羽ばたかない

著 : 森羅

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「そうね、どういえばいいのかしら?とても薄っぺらな知識とでも言えばいいのかしら。覚えていることはまるで百科事典の内容を暗記したみたいなのよ。『経験』から覚えた『知識』がないの。概念は知っていても使い方は知らない、現物がわからないと言えば分って頂けるかしら。“気が付いたらぼーっとしていた”んですって。すてきよね、すてき。だって、彼、とてもきれいなの。本当よ。何もわからないって子犬みたいな目で困った顔をしてて。人間にはそれぞれ色があるとわたしは思うのだけれど、それを言うなら彼は無色なの。全部忘れてしまっているから、何も持っていないから、何色にも染まってないもの。とてもきれいな生き物なのよ。とてもとても素敵でしょう?」

 弾んだ声が零れ落ちる。自慢話が絨毯の上に転がる。あら、おしゃべりばかりに気を取られていたわ。彼の話じゃなくて、本筋にそろそろ戻さないといけないのに。けれども領主は震える口を開いた。どこか顔色も悪いみたい。一体どうかしたのかしら?

「翼の生える人間だと。そんな、おぞましいもの……」
「わたしも、怒りますわ」

 語感を強める。どうしてそう、彼に対して怯えるのかしら。怯えているのは彼なのに。可哀想なくらい“わからない”に支配されているのは彼なのに。わたし、彼の翼はとてもきれいだと思うのだけれど。それともやっぱりわたしって、変わっているのかしら?
 わたしは目を細め、くすりと笑う。そんなわたしに領主はまた顔を引きつらせ、ついにはへなへなと情けなく両膝を床についた。わたしはそんな『領主様』に笑う。綺麗に、華麗に、無垢に、高潔に、崇高に。

「あら、失礼。長話をしてしまいましたわ。本題に話を戻しましょう。そろそろわたしに下さらない?」

 ドレスのひだが光を絡めて躍る。踵が絨毯の上でステップを踏む。下した髪とは別に両耳の隣で小さな三つ編みが揺れる。白い右腕を伸ばして。近づいて、近づいて、逃がさないようにそうっと。そおっと。

「さあ、領主様。今度はどこへなら逃げれるかしら?」

 ほうら、捕まえた。

   *

「……話ぐらい、付き合ってくれてもいいのになあ」

 廊下のど真ん中、そこに突っ立って僕はぼんやりそう呟いた。だけれどすぐにアシェルが言葉を返す。目の端に映る私兵たちは彼らがさっきいた場所よりも幾分壁寄りの場所。

《この状況で律儀に話に付き合う人間は少にゃいと思うのよ》
「そうかな。一番平穏な解決策だと僕は思ってたんだけど」

 首を傾げて見せる僕にアシェルは溜息で答えた。どうやら話にならない、と言っているらしい。……そこまでおかしな足止め方法を僕は取っていただろうか。止まってくれるなら、少しでも時間が稼げるなら何でもいいやと思っていたんだけど。でもまあそれで止まってくれないなら、僕は次の手段に出るしかない。
 即ち、“彼らの武器を使用不可能にすること”に。

《でもそれ、あにゃた、体は大丈夫にゃのよ?」
「うーん……。生気食われた、寿命削ってた、は怖いかな」

 左腕、そこにピジョットの翼はもうない。鈍い色を反射させる“鎧鳥の片翼”を左腕に広げて僕は肩の上のアシェルに笑った。独立している鋼鉄の羽はその名の通り防具とも、またそれぞれが鋭い刃とも化す。私兵たちが向けた剣も警棒も大概はこれでへし折れる。翼はまるで腕の延長のように僕の思うままの軌跡を正確に辿って武器を粉砕、そして今に至る。翼に違和感は全くと言って良い程ないけれど、異質であることは一目瞭然。実は、というのはやっぱりちょっと怖い。僕の答えにふーん、と呟いた後アシェルは細い目で僕の翼を見ながら尋ねた。小首を傾げて、可愛らしく。桃色の耳が揺れる。

《にゃんでもありにゃのかって思ったのよ?》
「種類のこと?……さあ?そのあたり僕もよくわかってないんだ。使えるから、使ってるだけ。ああでも多分『翼』ならいいみたいだよ。鳥の翼。他はルノアに言われて少し試したけど無理だった」
《どっちにしろ、『異常』にゃのには変わりにゃいのよ》
「それ以外は『普通』のつもりなんだ、僕は」

 アシェルはそれにニヒルな笑いで返した。そうかあ、やっぱり異常なのかなあ。ぽりぽりと頬を掻いて、それで。

《にゃぁあああっ!?》

 僕の体重移動によって急に振り回されたアシェルの悲鳴とほぼ同時に何かが鎧鳥の翼に当たる。ガン、と言う鈍い音と衝撃。びぃいんと羽根が音を鳴らした。けれどそれ以上は何もやってこない。おお、と小さく声が漏れる。それを皮切りにアシェルががばあっ、と声を上げた。

《にゃんにゃのよ!!?いきにゃり!》
「あ、ごめん。急だったからつい」

 アシェルのことをすっかり忘れていた。僕は釣り目気味のアシェルに愛想笑いで答えて、左腕ごと翼を動かす。真正面にはすっぱり切られたはずの剣を向ける私兵さんの一人。震える腕でそれを構える彼は引き攣った顔をしている。隊長らしき彼が慌てて横を、撃った彼を見た。一体彼は何をしたんだろう。……どうして怯えているんだろう。攻撃された僕が怯えるならまだわかるんだけど。

「剣、切ったはずなんだけど……。あ、銃剣っていうのかな?初めて見るよ、僕」

 ああ、また独り言。そう気づいたときにはすでに時遅し。口から出てきてしまった単語は巻戻ってはくれない。だけれど僕のその言葉に彼は一歩退く。怯えるように、その顔を引き攣らせて。

「……僕、何かした?」

 僕はその反応に困って笑う。どうして、怯えるんだろう?だって、僕は誰一人傷つけてなんていないのに。曖昧に笑ったまま、僕は少し首を傾げて問う。相変わらず、恐怖で顔を塗り潰している彼に、彼らに。

「何もしてないよ。貴方たちが戦う術を奪っただけだよ。それ以外は何もしていないよ。……それは、そんなに怯えることですか?」

 沈黙。誰もが貝のように口を閉じ、静寂を作っている。探るように視線を交わし合い、そしてついに答えるのは僕の肩の上。

《……あにゃたが、傷つける力を持ってるからにゃのよ。傷つけにゃいとわかっていても、恐怖は生まれるのよ》
「そっか。そんなものなんだ。じゃあ、彼らにとって僕は怖いんだね?」
《未知もまた恐怖、にゃのよ。知れば怖くにゃくにゃることもあるのよ?あにゃたがただの色ボケだとか》

 最後の、ものすごく余計な一言に僕は口元を緩め、アシェルはにんっと笑う。……そっかあ、やっぱり僕にはわからないことが多すぎるみたいだ。でも、とりあえず僕が今ここでするべきことは分かっている。簡単だ。至極、簡単。それはもう呼吸をするくらい。
 一歩、踏み出す。今度は彼女への警告も忘れずに。

「アシェル、捕まってて」
《にゃあ?》

 僕は誰も通すなと、そう言われているのだから。

「ごめん、ね?」

 彼らはこれで任務を全うできないわけだから、僕は謝るべきなのかな?そんなことを考えた頃にはすでに彼らは目の前。ぐっ、と右足を踏ん張って軸を作る。鋼鉄の翼が空気を切る。金属と金属が触れ合う鋭い音。白い布の端がやけにゆっくりと空気抵抗を得る。この感覚は剣を振るう『人間』に近いのだろうか、それとも空を駆ける『獣』に近いのだろうか。

 そんなこと、僕は、知らない。

 今度は間違わず、銃身の部分から。遠心力に任せて翼を振るい、それを切り落とす。アシェルの悲鳴が耳元で騒がしい。だから、捕まってって言ったのに。左に傾いた重心に遠心力の許すまま左足で一歩さらに前進。翼の届く範囲を広げる。広い廊下の中央で、銀翼が扇のように舞った。

《にゃっ、にゃんにゃにゃんにゃー》
「アシェル、大丈夫?」
《にゃんともにゃいったら、にゃんともにゃいのよおぉう》

 肩の上に頑張って張り付いていたアシェルは完全に目を廻していた。一回転も宙返りもしたつもりはないし、していないはずなんだけど。それにたった数秒くらいのことだったはずだし。じっとアシェルを見る僕に、しかしアシェルはぎゃんぎゃんと噛み付く。

《いきにゃり言われて反応できるわけにゃいと思ってほしいのよ!!!》
「……えーと、そっか。ごめんね?」
《にゃんとにゃく誠意が足りていにゃい気がするのよ!!?》

 そんなこと言われても、困ってしまうんだけどなあ。気の抜けたような笑いを僕は浮かべる。膨れっ面のアシェルはとりあえず置いておいて、僕は私兵の皆さんに顔を向けた。恐怖と言う病を克服できなかった彼らは、きっともう何もできない。

「仕事、邪魔しちゃってすみません。でも、僕もこれがやることだったから」

 震えた唇が化け物と告げる。恐怖を内包した瞳が僕を見る。僕はその言葉にへらりと笑った。ほら、ルノア。やっぱり君は変なんだよ。君は絶対に異常だよ。僕は怖いものらしいのだから。化け物らしいのだから。だから、やっぱりルノアは変わっているよ。

《ラウファ。ところであにゃた、上に行かにゃくていいのよ?》
「え。だってルノアなら」

 大丈夫だよ、そうアシェルに言いかけてぱらぱらと天井から砂が降ってきた。……ルノア?ねえ、やっぱり君、暴れてるんじゃ?
 少しだけ、僕の顔が引き攣るのはきっと気のせいじゃない。何が“突入なんて乱暴で不躾で非常識な手段なんていらない”なのかもう一度僕に教えて欲しい。その口で言った言葉を自分で反故しているのは誰なのか聞かせて欲しい。ずどん、という地響きのような音が耳に届く。彼女が無事か否かを答えるなら、十割無事だ。僕が上に行く必要なんて全くない。だけれど彼女が暴れないか否かで“大丈夫か”を考えると、それは全然大丈夫じゃない。暴れてる。

《お嬢様が呼んでるんじゃにゃいの?》

 茶化すようなアシェルの口ぶりに僕は閉口。と言うかもう、僕は言葉もないと言うのが正しい。細い目が心底楽しそうに、それは多分ルノアと同じような笑い。暫く考えてから、僕はくるりと体の向きを階段の方へと回転。鎧鳥の翼を放棄して、その階段を駆けあがる。両端で白い布が耳を擦る中、アシェルが哄笑した。

《あにゃたって健気(けにゃげ)だと思ったのよ?》

   *

「……あら?」

 驚きを示す言葉がわたしの口から洩れた。小首を傾げて、わたしは領主に向かって笑う。捕まえたつもりだったのだけれど、少し手を離した隙に離れてしまったみたい。ふわふわ、ひらひら。まるで揚羽蝶みたいに。

「獣を、お持ちだったの?まあ、素敵。番犬なのね。とても素敵。でも、折角宝物を守るならドラゴンの方がわたしは好みなの」

 黒とグレーの番犬と炎をちらつかせた番犬がそれぞれわたしを威嚇していた。彼らの足が、真紅の絨毯を踏みしめる。わたしはその光景に両手の指を唇のあたりで重ね、笑みを広げた。まあ、素敵。とても素敵ね。勝ち誇ったような領主の顔さえわたしにはとても楽しい遊戯に思えてしまうの。わたし、とても楽しいのよ。
 笑みを零すわたしの言葉に当惑が領主の顔に映った。番犬たちの涎が絨毯を汚す。今にも飛びかからんばかりに姿勢を低くする犬たちにわたしは小首を傾げるだけで笑みを消さない。堪えきれなくなった黒とグレーの犬の前足が、絨毯を蹴り飛ばす。わたしはそれに、さらに笑みを広げて見せた。

「領主様、少々躾がなっていないようですわ」

 ずしん、と地響きがして、わたしは『その子』の名前を呼んだ。

   *

 階段を一息に駆け上がり、アシェルに言われるがまま扉を開いて、そして。

「ルノア!」

 無事、という質問は要らないと知っていたので言わない。彼女は無事に決まっている。この世界は彼女のものなのだから。もしも世界に運命というものがあるのなら、彼女は人一倍それに愛されている。だから、彼女が無事かどうかの確認は要らない。柔らかな絨毯の感触が足元をふら付かせる。他のどの部屋よりも広く、豪華な部屋。そこで彼女は笑っていた。
 豪奢なドレスを揺らせて、珊瑚色の髪を躍らせて、そのヘーゼルの瞳を嬉しそうに楽しそうに輝かせて。巨大な獣を傍に置き、胸に沢山の紙切れを抱きしめながら。

「あら、ラウ。……わたし、誰も上にあげないで、って言わなかったかしら?」

 案の定、無事だったルノアは息を切らした僕に気づいてそう綺麗に笑った。僕はその質問に当惑する。え?だから、誰も……。

《あたしたちのことにゃのよ》

 呆れたようなアシェルの声に僕はついアシェルとルノアの間で視線を彷徨わせた。アシェルの視線にルノアは笑ったまま答えない。なので、僕が聞く。

「……僕も?」
「ええ、勿論でしょう?」

 満面の笑みで即答された。駆けつけたっていうのにそれはないだろうと、そう思う僕は間違っているのだろうか。はあっと肩の力を抜きながら、苦笑いでルノアに反論する。

「だって、ルノア」
「敬語。まだ『賭け』は続いているわ」

 話の出鼻を挫かれて渋い顔をする僕にルノアは相変わらず面白そうに笑うだけ。何とも言えない気持ちを飲みこみながらも改めてルノアに言う。主にルノアの傍にいる『ドラゴン』、ルノアの見かけからの想像を完璧に裏切る厳つい面持ちの獣について。

「……ルノア。“突入なんて乱暴で不躾で非常識な手段なんていらない”とその口で言いましたよね?じゃあ、どうして。どうして、琥珀が地響き響かせていたのか説明して頂けますか?ついでに突然上で怪獣の暴れているような音を聞けば、誰だって上に上がりたくなると思います」

 ふん、という鼻息が彼から――種名はオノノクス、そしてルノアから琥珀と呼ばれるドラゴンから――漏れる。彼の気性は決して荒くはなく、寧ろ穏やかな部類なのだろうけれど暴れ始めたら手が付けられないのも事実だ。何か文句でもあるのか、と言わんばかりの彼の視線を避けて、僕は微笑んだままのルノアに目を向ける。すると彼女はそのままの笑みで楽しそうにこうのたまった。

「ひどいわ、ラウ。仕方がなかったのよ。ほら見て、ラウ。宝物には番犬がいたの。これは正当防衛よ。仕方がないでしょう?」

 ねえラウ、そうでしょう、とこれ以上なく心地良い声が耳を撫でる。視線を移すとそこには確かに放心状態の領主と目を廻している二匹の獣たち。僕にはそれが数日前の盗賊たちとダブって見える。……正当防衛ではなくて過剰防衛の間違いじゃない?
 アシェルがその光景ににゃはは、と引き攣った笑いを浮かべた。

《ラウファ。あにゃたもだけれど、このお嬢様も確かに十分異常にゃのよ》
「うん、それは僕もそろそろ学習し始めたよ」

 呆れたように、面白がるように、短い右前脚を口に添えるアシェルに、ルノアもまたふわりと笑う。

「あら、褒め言葉として受け取っておいても良いかしら、アシェル?」
《お好きのどうぞ、にゃのよ。お嬢様》

 にん、と目を細めるアシェルに、ルノアはオノノクス、琥珀を小さな球体の中に収納した。いつみても不思議なそれはとある木の実からできていて、とても貴重なものだそうだ。僕はルノアがそれを腰につけ直すのを確認してから、周りを見回し再び尋ねる。

「……で、ルノア」
「何かしら、ラウ?」
「目的が達成できたなら、そろそろ行きませんか?」
「ええ、そうね。わたしもそれは思っていたところなの。でもね、ラウ」

 ルノアがわずかに目を伏せる。長い睫毛が、伏せ目がちのそれに掛かって見える。そんな様子の彼女に約二週間分の彼女を知っている僕は、一体何を言い出すつもりだと、身構えた。

「ラウ。わたし、あそこに登りたいの」

 甘い甘い声が僕にねだる。それは口の中で、飴玉を転がしているような気分。舌の感覚がなくなるほどに甘いそれはじわりと口の中で融けていく。

「……どこ、ですか……?」

 目のやり場に困って肩の上のアシェルの頭を撫でると、みゃう、と目を細めてアシェルは鳴いた。僕の切り返しにルノアは顔を綻ばせ、窓際まで行って目的地を指差す。大きな窓枠から身を乗り出す彼女は、なんだか綺麗で、代わりにとても小さく見えた。

「あそこよ、時計塔。ここから一番近い北の聖堂の時計塔で良いわ」
「……ルノア、それ、飛べって僕に言ってるんですか?前にも言ったと思いますが、僕の翼は飛べませんよ」
《飛べにゃいのよ?》

 不思議そうなアシェルの声に僕は頷く。羽ばたくことも自由に動かすこともできる翼だけれど、飛ぶことはできない。天使や悪魔の翼は背中にあるけれど、僕は背中には翼を生やすことができないのだ。まあ出来たからと言って、飛べるとは限らないけれど。どのみち結論として、僕は鳥のように空を飛ぶことはできない。それだけ。
 けれどもルノアは僕の言葉に笑った。くすくすと、何が楽しいのか目を細めて。

「やあね、ラウ。それくらいわたしは覚えているわ」

 じゃあどうして笑ったまま窓際から動かないんですか、君は。
 そう言おうとして、

「でも、あなたならなんとかしてくれるでしょう?」

 ルノアの言葉に僕の言葉は喉のあたりで雲散霧消せざるを得なかった。

「……歩けとでも言うんですか」

 まさか流石のルノアでもそんなことを言うなんて、という気持ちを隠すことなく吐き出した言葉に、ルノアはぱあぁっと顔を明るくさせる。素敵な方法ね、と言わんばかりの表情に僕は二歩後退。微かに口を動かすけれど、声は出てきてくれなかった。アシェルと目を合わせるとものすごく哀れなものを見る目でこちらを見る。視線をアシェルから外し、元に戻すと、小さな三つ編みを揺らす優美な笑みが僕を見ていた。

「ラウ、ほら。お願いよ」

 え……っ?

   *

 ぐったりと倒れ込むラウにわたしはその場でくるりと一回転して見せた。ドレスのひだが空気を捕まえて膨らみ広がる。

「すごいわ。まるで魔法みたい。こんな童話がなかったかしら」
「知りませんよ!!」

 死んでも知りませんからね、と前置きされていたけれど、ラウがやってくれたそれは確かにふら付いていてとても安定しているとは言えなかった。けれど本来無茶苦茶なわたしの『お願い』なんて、彼は反故しても、無視しても許されるはずなのに。上昇気流に押し上げられるような感覚が足場とも言えなくない足場を作って、一歩一歩踏みしめるように歩いて。ああ、なんて素敵な体験なのかしら。人間は普通、空を飛ぶことなんてできないもの。感触を確かめるように時計塔の最上部でわたしはステップを踏んで見せる。高鳴っている胸は、わたしを落ち着かせてはくれないの。時刻も三時前で、ちょうど良い頃合い。吹き抜けになっている最上階は、時折強い風が吹き付けていた。

「疲れました。……ルノア、こんなところで何をするんですか?」

 ごろん、と仰向けに寝転がって未だぐったりとしたままのラウが問う。その言葉にわたしは本来の目的を思い出し、胸に抱いたそれを手の中で確認して笑った。くすり、と何かを画策するような笑みだと見る目のある人が見ればそう言うでしょう、そういう笑い方で。アシェルがラウに何かを言う。それにラウは体を起こしてわたしを見た。風に飛ばされないようにわたしは紙切れをぎゅっと掴む。

「ありがとう、ラウ。とても、とても楽しかったわ。また、機会があれば楽しみにしているわ。だから練習しておいて頂戴」

 二度とそんなこと言わないで、と言わんばかりのラウの表情を知って、わたしはあえてそう言う。彼の困ったような顔が見ていてとても楽しいの。彼はそれがなぜなのかわからないとそう言うけれど。でも、わたしは理由なんてどうでもいいと思うのよ。楽しくて楽しくてどうしようもなく楽しいから、笑っているだけだもの。

 それは、いけないことかしら?

「それから、ラウ。ここで何をするかだけれど……これをばら撒こうと思うの」
《にゃ!?》

 くすくすくすくすと楽しそうに笑っているであろうわたしに、ラウは少し目を大きくさせるだけで逆に驚愕の声を上げるのはアシェル。けれど、アシェルにはそれ以降の言葉はなく、不思議そうな声でわたしを呼んだのはラウの方。強い北風がわたしの髪を攫って行く。

「……ルノア」
「どうしたの、ラウ」
「“善人気取り”じゃなかったんですか?」

 あら、覚えていてくれたのね。わたしは嬉しさに顔を綻ばせながらくるりと回る。風に煽られ、戯れる。大きな鳥が、東の方へと飛んで行った。

「ええそうよ。でも、彼らは何もしないで待っているだけなんてそんなことってないと思わないかしら?そんなのずるいわ。自分だけは安全なところに居て、利益を得ようとするなんて。それに、これを得たのはわたしだもの。だから、わたしの好きなようにするのよ」

 面食らうラウとアシェルにわたしはまた笑って、踊る様にステップを踏む。ラウに背を向け、塔の淵ぎりぎりまで。三時間ごとに街に流れる時計塔の音楽。そして三時は音楽を流す時刻。楽器隊はここにいないけれど、確か少し下の階にそれ用の部屋を設けていたはず。楽器隊は音の乱れる吹き抜けのこの場所で楽器なんて弾けないもの。だから、ここにはわたしとラウだけ。
 口元が綻ぶのがわかる。頬の筋肉が盛り上がる。きゅぅっと目が細くなって、足元は踊っている。わたしはラウを振り返ってその笑みを見せた。楽しくて楽しくて仕方がないと、そう彼に知って欲しくて。

「ラウ、この光景が見たかったのよ」

 三時を告げる音色たち。わたしは掴んでいたそれを空に放つ。白い紙切れたちが青空を泳いで、北風に流されていく。小さな声が『それ』を指差した。そして徐々に『それ』に気づいた街がざわめき始める。初めは少しずつ、徐々に波紋を広げるように大きく。

 それは歓喜で、嘆きで、驚愕で。

 怒涛のごとく盛り上がる街に、わたしはラウに向かって笑う。どうかしら、とそう言わんばかりに。

「ほら、見て。これは何かが変わる瞬間かもしれないわ。良いか悪いかはわからないけれど、素敵だと思わないかしら?」
「……なんだか、街が震えてるみたいだね」

 純粋に驚いて、彼は少しばかり呆れたように笑みとも苦笑とも取れない表情をわたしに寄越した。わたしはそれに満足して微笑む。楽しかったでしょう、と。ラウはわたしに釣られるように少し笑って、

「……ルノア」

 唐突に思い出したように声を発した。少しだけ、それは照れたような表情で。街中がお祭り騒ぎのような状態で、この場所は比較的その音が遠く、静かに思える。わたしはそれになあにと尋ねた。突然どうしたのかしら、と。

「どうしたの、ラウ」
「ルノアはやっぱり変わってるよ」
「あら、どうしてかしら?」

 気弱な笑みを浮かべるラウの言葉に首を傾げた。足止めをお願いした時に何かあったのと尋ねるわたしに、ラウは僕は怖いらしいよと笑う。強がりではなく、嘘ではなく。紛れもなく本当に、ただただ純粋に彼は笑う。それは、本来ならば傷つくはずの言葉なのに。彼はただ、子供のように笑ってそう繰り返す。化け物なんだって、と。母親に新しい発見を報告する子供のように。
 ああ、なんてひどいのかしら。彼は、こんなにもきれいな生き物なのに。だからわたしは繰り返して彼に言う。

「わたしは、あなたはきれいだと思うのだけれど」
「そんなことを言うのはルノアだけだよ」

 へらりと、無垢に無邪気に笑う彼。

 きっと。その感情の名前さえ、彼は知らない。

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2013.1.21  23:10:03    公開
2013.1.22  10:43:51    修正


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