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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

7‐2.貴方のための一幕

著 : 森羅

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sideラウファ

 ――考えにゃきゃ、駄目にゃのよ。
 僕が、“その時”になったらどうするのか。それを僕は考えなければならないと。

 アシェルの言葉を思い出したのは目の前に広がる村の光景が、アシェルにそう言われた場所とよく似ていたからだろう。腕の中で耳を揺らす彼女を一瞥し、滑り落ちないように抱き直した。
 森に囲まれた小さな集落。建物の様子や村の雰囲気は僕も何度かルノアと訪れたことがあるような――要はどこにでもありそうな村そのもの。家畜の鳴き声と人の囁きが生活感を滲ませている。煙突から細い煙が上がっている。整備などされていない、土の道が雑草塗れで続いている。掘り起こされた土と森の木の匂いが鼻を抜けて行った。彼らの言った通り、朝のうちには村に着いて。……そしてやっぱり、何も思い出すことも、思うところも、なかった。
 やっぱり違うよ、僕はこんなところ知らないよ、僕は貴方たちの探している『ラウファ』じゃないよ、と。そう思ったけど、一息つく暇もなく案内されたのは村の奥。村のどの家にも目をくれることなく連れて行かれたそこには場違いなほどに立派な『お屋敷』。……いや勿論、高い塀で囲われたそれは子爵の別荘には程遠い。王都で見たような貴族の邸宅とも程遠い。けれど、こじんまりとしたそれは確かにこんな森の中にあることが、小さな村にあることが、おかしいほどきちんとした『お屋敷』だった。その煉瓦と石で建てられた三階建ての建物を見上げて、ついぽかんと口が開いた。白布が背中側に流れ、首が痛い。……え、でも、こんな。

「あの」

 つい零れた言葉に、そこから先を見失う。何事かと振り返る彼らはどこか苛立っていて、けれどその理由は僕にはわからなかった。

「僕、違う……違います。だって、こんな。大きな家」

 僕は何か彼らを怒らせるようなことをしてしまっただろうか。彼らが苛立っている理由がわからないまま、しどろもどろに続ける。チチチとどこかで鳥が鳴く。アシェルを抱く腕に力が入る。いやでも僕がこんなところに住んでいたわけがない。だって子爵の別荘であれだけ居心地が悪かったんだから。落ち着かなくて堪らなかったんだから。だから、僕は彼らの探す『ラウファ』ではきっとない。僕の発言に彼らは怪訝そうに顔を見合わせる。確かにと頷く人がいて、いやしかしと反論が上がる。ただ、その議論がそれ以上続くことはなく、むずっと右の二の腕が掴まれた。ぇ? と。痛みが走って、とっさにその元凶を見上げる。僕をここまで連れてきてくれたその人は、僕のことなど見ずに言った。

「とりあえず、話は後で」
「え、あの」

 ああそうだ、そうしようと。ラウファも何か思い出すかもしれないと。それが良いと。あっという間に話は決まったらしく、促されるがまま足を進める。えっと、あの。えっと僕は。千切れた言葉は聞き届けられることはなく、続きを求められることもなかった。何が何だかわからないうちに、一人が人を呼んできて、一人が何だか僕を見ながら向こうで誰かと話をして、一人は荷物を置きに消えてしまって、僕の二の腕は痛いままで。おろおろと下を見降ろすと、アシェルが僕を見上げて溜息をついた。
 呼ばれて来た男性が僕を見て驚いて、それから笑う。にこにこと、嬉しそうに。

「戻ったのですね、ラウファ」

sideルノア

「それで、どっから話そうかって話なんやけど」

 日はとっくに登ったはずだけれど、その光はここまでは届かない。エルグに案内されるがまま連れて行かれた先は、くらやみ。湿気た匂いが鼻を突き、蒸された空気が纏わりつく。明かりはエルグの灯した小さな蝋燭だけ。家の中に巧妙に隠されたその地下室は部屋というよりは洞窟にいるかのようで、わたしとエルグの二人が入ればもう場所が埋まってしまっていた。かたん、と慣れた手つきがぼろぼろの机の上に蝋燭を移す。オレンジ色の光はエルグの顔に影を落としてその表情を読めなくさせていた。そして、淡い光に目が慣れた頃、この部屋が狭い理由をわたしはようやく理解する。部屋を埋める様に山積みにされた羊皮紙やら紙やらはわたしの身長を優に超えていて、足元にはもはや何が書いてあるのかも判別がつかない紙切れが踏みつけられて腐っていて。部屋の隅に転がる黒は深く、狭い地下室の圧迫感に拍車をかけていた。

「呑まれるで」
「え?」

 暗闇の先に目を凝らしていたわたしを彼の声が引き戻す。へらりと力なく笑うそれが目に入り、左頬が熱に焦がされる。

「見たいんやったら後で。……そこ、座って。椅子二つ置く場所はないから」

 促されるまま机と同じくらいおんぼろになった椅子に腰を掛ける。ばらばらと木片が足元に散らばり、椅子から悲鳴が聞こえた。……そんなに重くはないはずだけれど、座っていても大丈夫かしら。

「ま、壊れんやろ」

 わたしの心配を余所にエルグの苦笑が上から降ってくる。視線を上げると火を受けた琥珀が二つ、揺らいでいた。

「ルノアちゃん」

 溜息を吐くような、囁くような声だった。
 長い夢から覚めたような、呻くような声だった。

「……最後に。最後にもう一度だけ確認させてほしい。君が望むなら、俺は今から全て話そう。ただ、俺が話すのは決して気持ちいい話やない。不都合で、不合理で、吐き気がするほど下らない、そんな話や。それでもええんやな」

 それにわたしは頷く。“ラウファが不幸になる”理由をわたしは知らなければならなかったから。ラウファの手を離してしまったのだから。それを知らなければ、きっとわたしは後悔するから。だからエルグの手を掴んだのだから。わたしの頷きに、エルグはゆるりと頬を緩める。

「わかった。じゃあ」

 懐かしむように、
 愛おしむように、
 壊れたように、
 もう二度と手に入らないものを、渇望するかのように、

「ラウファの、いや俺の」

 神さまの祝福を、受け損なったかのように。

「昔話から始まる、ひとりの従者の話をしよう」

 『従者』は笑った。

sideエルグ(ゾロアーク)

 潜り込むのは容易くはない。
 容易くはないが不可能ではない。

 ゾロアークたる彼にとって、『エルグ』を演じていた彼にとって、“潜り込む”というのは慣れた作業だった。人の中だろうと、獣の中だろうと、屋敷の中だろうと。今までだって何度でも彼は自分をその場所に滑り込ませてきた、今朝方から潜んでいたこの場所だって、ロアはすでに何度もエルグの命令で潜り込んだことがある。ただ。
 ただ、何度訪れてもここの空気には慣れない。光が良く入る窓、古いが掃除の行き届いた空間、草木が選定され整えられた庭――どれもこれも吐き気がする。陽向の臭いも、風が通る音も、潔癖なほど清潔なはずの空気さえ、隅々までもが汚染されている気がしてならない。気持ちが悪い、胸糞悪い、気分が悪い、反吐が出る……まるで泥水の底にいるかのようだ。

《…………》

 小さく、本当に小さくゾロアークは悪態をつき、息を吐き捨てる。こんなところで立ち尽くしているほど彼は暇ではない。エルグから何度も聞かされた話を反復し、改修と増築を重ねた部屋の配置を脳裏に描く。ここからならばそこの廊下を左に言って、三つ目の部屋を通り過ぎてそれから。
 足音を立てず、姿を隠し、空気さえ揺らさずに彼は進む。同じデザインの扉が等間隔に並んでいるうちの一つを選び、光を避ける様に廊下の影を渡り、人の気配には遠ざかり、けれどもそのたびに目的地までの最短距離を弾き出して。そして、とうとう獣は一つの扉の前で足を止める。周囲に人がいないことを何度も確認し、中に複数の気配がないことを確認して、ドアノブに手をかけ呼吸を整える。ドアの下部、その隅に幼い落書きが消されずに残っていた。

 ――らうふぁ。

 その名前の、意味も知らないくせに。
 一息にドアノブを回し、戸を押す。思った以上にそれは軽く、容易く開かれた。部屋から零れた光は忌々しいほど眩しく、明るい。

「えっ、あ……。誰?」

 精一杯の贅を凝らした部屋の隅で、床に蹲っていた生き物がぽかんと顔を上げた。白布が揺れ、その消炭色の目と目が合う。その姿を見とめた悪狐は、自らが微笑んでいることに気づかなかった。
 ――――ああ。ああ、本当に。

 その姿には虫唾が走る。

sideラウファ

 結局誰も僕の話なんて聞いてもくれなくて、あれよあれよという間に話は進んで、お腹が空いたでしょうなんて言われて、出された食事を小さくなって平らげて、それからまたあれよあれよという間にここが貴方の部屋でしたなんて言われて、この部屋に放り込まれた。清潔で、綺麗な部屋。子供部屋と言うに相応しく、どの家具も僕には少し小さく思える。使えないわけでは、ないだろうけど。どれも子爵の別荘ほど豪奢ではないけど、それでも僕から見れば十分に豪華で、それが自分の部屋だと言われても僕にはどれもこれも見覚えも何もなかった。どれもこれも知らないものだった。どれもこれもわからないものだった。それなのに何度そう訴えても首を振られた。違うから、帰るとそう言っても聞き入れてもらえなかった。別人と呼ぶには、あまりにも似ていると。
 ――いいえ、貴方はきっと『ラウファ』ですよ。だからこれは貴方のものですよ。貴方のためのものですよ。貴方の。貴方が。貴方のための。貴方に。貴方を。全てすべてすべてすべて全てすべて全て全てすべてすべて貴方を待っていたんですよ。

 ――貴方の帰りを待っていたんですよ。

「アシェル……。『僕』は本当にこんなところで暮らしてたのかな?」

 本棚の本、背の低い机と椅子、ベッド。ざっと目に入る大物家具はそれくらいだけど、触る気も起きない。窓ははめ殺しで風はなく、静かで、他人行儀で、知らない匂いがしていた。『劇的』なものなどここには何もなかった。閃くように誰かを思い出したり、知らないはずのことを知っていたり、そんな『期待』は何も起こらなかった。居場所がないまま子爵の別荘の時と同じように部屋の隅を陣取った。小さく息を吐き、とうとう僕から離れることはなかった子猫を自分の膝ごと抱きしめる。…………帰りたいな。
 知らないって言ってるのに。わからないって言ってるのに。帰りたいって言ってるのに。でもあれだけ言うのならそうなのかな、僕がわかってないだけなのかな。思い出していないだけなのかな。そう思うと彼らにも『僕』にも申し訳なくなってきて部屋の家探しでもするべきかと思ったけど、なんだか億劫で身体に力が入らない。それはきっと僕が“何としてでも自分の記憶を取り戻さなきゃ”とかそんなことをあまり思っていないからだろう。ゾロアークに出会った後でルノアにも言った覚えがあるけど僕はそこまで『僕』を重要視していない。だって、“忘れてしまっている”ことなんだから。“失くしてしまった”ものなんだから。“所詮過去”のことなんだから。
 でも。もし。
 王都で僕を呼びとめた声。『ラウファ』を知っている人たち。彼らの言葉が、全て本当ならば。僕が確かに彼らの言う『ラウファ』ならば。僕はようやく『偽物』ではなくなるんだろう。やっと正しい場所(せかい)に戻れるんだろう。それはきっと、とても喜ばしいことで喜ぶべきこと。きっとその反応がごく『普通』。
 そうだよ。うっすらと笑みを作る。『ここ』が『僕』のはじまりで僕の終着点。正しい景色。そうなる。偽物には帰る場所も行くべき場所もない。…………あぁ、偽物の僕はどこへ帰るつもりだったんだろう。どうせ全部嘘なのに。この感情も、見える世界も、何もかも。
 しばらくじっとしていて、けれどやっぱりどうしても身体が怠くて部屋の中を見て回ろうという気にはならなかった。なのでもう一度、とアシェルの毛並に顔を押し付けかけて――扉の開く音に身体が跳ねた。

「えっ、あ……。誰?」

 僕を連れてきてくれた彼らや僕を見て“おかえり”と言ってくれた彼ら。二の腕の痛み。もうとっくに引いたはずの痛みは、その触感だけがやけに生々しい。けれど、扉の向こうから入ってきたのはその誰でもなかった。ぬるりとした影のような色の、異形。それが、僕を見て薄く笑う。

《ああ。どーもどーもお久しぶり、『オヒメサマ』》
「…………え? 久しぶり? えってことはあの。え? おひめ……? じゃなくてえっと、エ、『エルグ』……?」

 予想だにしない生き物の唐突な登場に頭と体がついて行かない。じっとしていたアシェルの片耳が跳ねて皮膚に当たって、するりと腕を抜けて行った。驚いて固まる僕を、けれど『エルグ』――かつて僕に警告を残したゾロアーク――は意に介さない。扉を閉めて、勝手知ったると言わんばかりに僕に向かって歩いてくる。

《おー? 良ぅ覚えとったな。……で? あっはっはっ、無様やなあ。そんな隅っこで何してんの? なあ? なあなあなあ?》
「え? えっと。僕は、僕を知ってるって人がいて、それで」
《ああ。ええねんええねん、そんな話。どうでもええ》

 僕の答えを半分も聞かないうちにぱたぱたと手で払う仕草をする『エルグ』。そうなると僕は応用が利かなくなって黙るしかなく、消化し損ねた言葉がぱくぱくと口から吐息として流れ出る。僕がそんなことをして動けないうちに目の前にまでたどり着いたゾロアークは、僕と目線を合わせる様に屈んだ。青い目が、笑みの形に歪んでいた。

《まったく。阿呆みたいに呆けた顔しやがって》

 赤い隈取のある目に映る自分が見える距離。邪魔くさそうな表情。赤い爪がこめかみのあたりを掻く。黒の混じった赤毛。どれも人間らしい仕草だけど、そこにあるのは確かに獣の姿だった。

《……ああ。なあ、てめえこの村に見覚えあるか?》
「え、っと。ない、よ?」

 ああそうそう、と思い出したようにそういう『エルグ』の話し方が先程と変わった。ただ、それは彼にとってはどうでもいい現象らしく、何の補足も説明もない。唐突な質問に反射的に答えて、同時に僕を品定めするようなその視線から目を逸らした。僕の膝の上から離れたアシェルは、すぐ隣でじっとしている。僕の答えに満足したらしい『エルグ』は鼻を鳴らして嘲った。

《はっ。だろうな。あったら戻ってくるわけがねえ。てめえが『ラウファ』のはずがねえ。『ラウファ』なら戻ってくるわけがねえ》

 ……え? 矢継ぎ早に言われた『エルグ』の言葉が飲み込めなくて、けれど“何か重要なことを言われた”という印象だけが頭に残る。にゃっ、とアシェルが鳴いたのが遠く聞こえた。

「ど、いう」

 “何か重要なことを言われた”という印象だけでなんとか言葉を続ける。白布の感触が首を撫でる。どういう意味? 何の話? 僕、が、何って? 『エルグ』の青い目に、僕が映る。歪んだ目に映った歪んだ自分は、驚いた顔をしていたかもしれない。僕の反応に、目の前のゾロアークは目を細める。ひどく、満足そうに。

「教えてやろうか? ああ、それがいい。教えてやるよ。全部、教えてやろう。てめえも知りたいだろ? まあ時間の許す限りだがな」

 せせら笑うように、『エルグ』は囁く。

「『ラウファ』はもう、死んでんだよ。亡霊」

sideエルグ

 昨晩何度もシミュレーションを行ったはずだが、いざ話すとなるとどこから話したものかわからなくなる。蒸し風呂のような気温が、羊皮紙の匂いが、蝋燭の明かりに追い立てられた闇が、この場所という環境が、彼の思考を鈍らせる。だが。愚直なまでにまっすぐにこちらを見上げるヘーゼルの瞳。その色が彼を叱咤する。

「ん、まあ。まずは確認。昨日の言葉を繰り返すことになるけど『ラウファ』はこの村で生まれたし、この村で育った。この家からは見えんけど、もうちょっと先に集落があって、そのさらに奥に屋敷があるんよ。そこがラウファの育った家。ここまではええな? ちなみに俺もそこで育っとるんやけど、そのあたりは順に話してくから」

 こくりと頷く少女に彼もまた数度頷きを返し、言葉を続ける。この説明では疑問が残るばかりだろうが、黙って聞いてくれるのはエルグにとって話しやすく、ありがたい。さて。少し、長い話になる。ロアには昨日のうちに全て話したので、あとはこの子だけだ。唇を湿らせると、蝋燭の芯の燃える音が微かに耳に届いた。

「ここからちょっと話が長くなるし、ラウファの話から離れるけど大前提の話やから聞いてな。はじめにここはどこかって話やけど。ここは君らの目指してた場所や。子爵様に聞いたらしいやん。ぼんぐり作っとる外の者がおるって。目指しとったんやろう? それがドンピシャここなんよ」

 子爵と謁見した時にその話も聞いたのだが……。驚くルノアに彼も肩を竦めて見せる。全く、あの子爵様は本当に余計なことをしたと言うかなんというか。エルグにとっては疫病神に等しいことをしでかしてくれている。無知の善意なんていうものは悪意がないほど恐ろしい。

「人口は別に多くないし少なくないし、まあ平々凡々などこにでもある村を思い浮かべてくれたらええ。『外の者』と言われれば――君らから見ればまあそうかもしれんけど、実際もう“正しく”外つ国の血が流れてるわけやないな。そう言うには余所(そと)の血が混ざり過ぎてる。はっきり言って村の者(もん)の中にはこの国の人間と見分けのつかんような人も多いし、大概がこの国以外知らんし、この国以外の言葉なんて覚えてもないし知らん。それくらいに長い年月この集落は存在するわけ。ただ、それでも受け継がれて来たもんはある。……君の腰にもひっついてるそのカラクリ。それの製造は基本この集落の者(もん)しか知らんはず。今は外の文化もどんどん入ってくるようなったからこれから先は分からんけど、この村の祖先はぼんぐりの加工技術を持ってたからこの辺りに住むことが許されたと言っても過言やない。貴族に取り入るには十分すぎる『商品』やから」

 自分の腰に付いた球体に目を落とす少女にエルグは頷く。獣を意のままに操れ、持ち運べるその道具は高級品だ。それがなければこの村は多分存在していないと思えるほどの。
 つらつらと村の歴史を語りたいわけではないが、ルノアにも断った通り、どうしてもこの話がないと先には進まないので仕方がない。だが、この説明でこの聡い少女にはわかったはずだ。異教徒である、外の国の人間である、そんな自分達がなぜこんな王都の近くに住むことができるのか。答えはすでに出ている。“ぼんぐりがあったから”だ。
 きっと祖先の中に商才に長けた人間がいたのだろう。この技術を売り込み、そして専売とした。技術を漏らさないようにし、そうすることで自分達の安全と飢えない程度の財を確保した。おかげで未だ火種を残す『魔女狩り』も、行われるべき外国人への迫害もこの村に入ってこなかった。この国で貴族の庇護はそれほどまでに強大だった。

「この村は、この村に住む人はそういう人たちや。かつて外から渡ってきた人の子孫たち。もはやかつての言葉を忘れこの地に根付いた人たち。ぼんぐりの技術で日々の生活に困らない程度の富を得、素朴に暮らす人たち。……さて。ここで問題や、ルノアちゃん」
「何かしら?」

 急に話を振ったからだろう、目を丸くするルノアにエルグは少しだけ鼻で笑う。ここから先は、もはや一部の人間以外知らない、暗闇の中に打ち捨てられた話だ。

「どうして俺らの先祖は外国から渡って来たでしょうか?」

 刹那の沈黙が、長く場に残る。蝋燭の火が揺れ、息を呑む音がかすかに届く。

「商売の……利益のためかしら? ぼんぐりの技術はこの国にないのでしょう? なら、それは巨額の富を生むわ」
「そうやね、正解。“建前上は”正解」

 ヘーゼルの眼を瞬かせる少女にエルグは口元を緩める。別に意地悪をしているつもりはないのだが、答えてほしかったのはさらにその先だ。

「焦らすつもりはないからさくっと答えると。それは正しい答えやけど、そうやない。言ったやろう? “とりあえず今のところぼんぐりの技術は外から入ってきてない。ここだけや”と。二十年……まあ三十年前でもええわ、産業革命とやらが起こって機械化が進んだから今から先はわからんけど。……それでもコレは“まだこの国に入ってきてないくらい遠い国の技術”なんよ。船も、絹の道も、香の道も、確かに昔からこの国まで繋がっていたかもしれん。俺らの祖先もそこから来たんやろう。それでも利益だけを求めてこの国を目指したなら。この技術はそこまで危険を冒して、この国にまで辿り着いて住みつかなきゃならなかった理由にはならん。だってぼんぐりは“日々の生活に困らない程度”の利益しか生まんかったんやから。それは定住してまで求めるほどの利益やない」

 先程の彼の説明と今の説明だとぼんぐりの価値に齟齬が生まれるのだが、エルグはとりあえず言い切る。ここで妙な補足を入れるよりも後で訂正する方が彼にとってもやりやすい。全くもってここ数十年での科学の発達は目覚ましいものだ。きっともうすぐぼんぐりの加工技術だって海を渡って入ってくるだろう。少女と、ここにはいない『生き物』ももしかしたら旅の途中でその恩恵を目の当たりにしたかもしれない。だが。話の本筋は歴史の復習ではない。エルグは少し遠くに思いを馳せているらしい少女を現実に引き戻すべく言葉を続ける。

「なら、なぜ、こんなところに俺らはいるのか。かつての言葉を失う程長く、『魔女狩り』が起こっても、この国に居続けたのはなぜか。住みつく理由もない場所を終の棲家にしたのはなぜか。これはもう、ほとんど誰も覚えてない話や。自分達が“追い立てられた”ことさえ、伝わってないかもしれん。でも。……その理由と同じものを、俺は君に話したことがなかったかな」
「え?」

 不思議そうに、小首を傾げる少女に、

「マトマ祭りの由来を、俺は君に話したやろう?」

 軽く、なんとでもないように。物語の核心を、突きつける。
 マトマの祭りの起源は厄除けだ。悪いものを、良くないものを、災いを、誰かに、何かに、押し付ける。そうすることで街を守る。
 ならば、その災いを押し付けられた『もの』はどうなるか?

「君はその話をした時、理解したね。“災厄を押し付けられたものがどうなる”か」

 目に入れば失明するとも思われるほど辛いマトマ。それは、『災い』を“追い払う”道具だ。“災いを押し付けられたもの”を“追い立てる”ための道具だ。
 押し黙ったそれを、けれどこちらから目を逸らさないそれを、エルグは肯定と受け止める。

「災厄を受けたものは追い出される。追い立てられ、二度と戻ることは許されない。その身は呪われているからと迫害され、殺される。……俺らも同じや。“どうして俺らの先祖は外国から渡って来たか”。答えは簡単。“そうするしかなかった”から。呪われた身だと蔑まれ、故郷を追われ、人の目からずっと逃げてきた。目指してたんやない。商売なんて考えてない。ただ偶然この国に行きついて、たまたま運よく生きていく術を持っていただけ。……まあ、もうそのことすら伝わってるのは一部だけやけども」

 帰ろうにも帰る場所がないのだから定住を選ぶしかない。だから、どんな状況になってもこの国に残るしかなかった。『災い』を受けた身を、呪われていると言われた事実を、隠して。何か言いたげな少女を目で制し、彼は続ける。

「マトマ祭りの趣旨は、獣払いに厄除けや。災いは食料を食い荒らす獣と病の類。なら、俺らの祖先が追い出された原因は、俺らが身に受けた『災厄』はなんでしょう?」

 できうる限り軽快に、笑みさえ浮かべてエルグは尋ねる。道化の、口上のように。
 見下ろす視線の先で、小さな両手が握り込まれて震えていた。

「俺らの村ではね。時たまラウファみたいな――ああいう『怪物』が、生まれるんよ」

 翼を持った生き物は、決して『普通』ではないのだから。

「ラウは怪物じゃないわ!!」

 永遠のように思えた静寂は、きっとほとんど存在しなかったに違いない。エルグの言葉に覆い被さるようにがたんと椅子から立ち上がる音がする。悲鳴のような怒りが耳を突く。コーラルの髪が躍る。ぼろぼろと木片が零れ、その金色にも思える瞳が彼の眼の前に立ちはだかる。立ち上がった少女はそれでも彼の身長には届かない。

「ラウは怪物でも化物でもないわ! 魔女でもないし恐ろしくもないわ!! ラウは――」
「そうやね」

 こちらを睨み付けそう吼えるルノアに、エルグは柔らかく応える。『弟』に対してここまで怒りを露わにしてくれることは――彼女にとってはそういうつもりはないのだろうが――純粋に嬉しかった。ただ、続きはまだ長くここで話の腰を折られたまま少女の怒りに耳を傾け続けるわけには行かない。怒りを湛えたままこちらの声に口を閉ざす少女にエルグは偽笑のそれではなく薄く笑みを浮かべる。

「落ち着いて、ルノアちゃん。……俺は君がそう言ってくれるのはとても嬉しい。けど、あえて言おう。君のように言ってくれる人間が一体何人いた? ラウファのことを、“化物ではない”とそう言ってくれる人間がどれほどいた? 異形を持った生き物を、“怪物だ”と言った人間は何人いた? どちらが多かった? 明白やったはずや。“おぞましいものだ”と多くが言ったやろうし、言うやろう。……そういうことなんよ」

 小さく震える唇が、何かを言いかける。
 吐息にすらならないそれを、けれど誰も代弁してはくれない。

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2017.3.17  02:12:05    公開


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