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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

6‐5.マリオネットは涙を知らない

著 : 森羅

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sideラウファ

 放射線状に延びる大通りとそれらを横に繋ぐ無数の路地。その様子は蜘蛛の巣のような、とでも例えれば良いんだろうか。建物と建物の間を埋める様に造られた道々は、王都が円形に近い街の形であることを考えればなるべくしてなった形なのかもしれない。大通りが賑わっているのは言わずもがなだけど、横に延びる路地はそれこそ千差万別で、明るく開けた場所から足を踏み入れるのを躊躇われるようなところもある。そしてここはそれなりに広くて人通りのある、つまり危険度の低い路地。といっても別にここに用があったわけではなくて、ただ単に大通りに抜けようという話になっただけなんだけど。黄土色の煉瓦で凹凸なく埋められた路地は歩きやすく、なんとなく上を見上げると空が遠かった。ぐらり、足元がふらつく。

 ……例えば。
 たとえば。

 今街を歩いている僕を知っている人はいない。
 今街を歩いている人に知っている人はいない。
 すれ違う人は誰もが他人で、道行く人は誰も僕を見向きもしない。見える色はすべて偽物で、感じることはどこまでも嘘っぽい。例えば今すぐに世界が終わって、全てが暗転したとしても僕はそれを否定することなく受け入れるだろう。だって、僕には『本物』が何かわからないんだから。誰もが僕を知らず、僕も誰も知らない、僕が見ているのはそんな世界なのだから。
 けれどその世界に対して『不安』という言葉を当てはめるには、もうその言葉の意味を見失うくらい長い間、僕はこの偽物の世界に居る気がする。“偽物である”と認識し直さなければならないほど。抵抗することもなく沈んでしまえるほど。自分の顔でさえ本物だと認められる理由も持たないまま。

《ラーウーぅ、何ぼーっとーしてるのー?》
「……え。……いや、うん。思えば遠くに来たなあって」

 ぼんやりそんなことを思ってると、右のポケットの中からゴフゴフと瑠璃の声がした。ころんと丸い球体達は、瑠璃と玻璃の巨体が入っていることを忘れさせるほど軽い。

《何それー。せんちめんたるー?》
「え? ……うーん。どうだろう。でも、もしルノアに拾ってもらえなかったら僕はきっと今でもあの森の中にいただろうから」

 間延びした声の調子に僕は曖昧に笑うしかなかった。だって、そんな言葉きっと正しくない。『感傷』、だなんて。僕の感情がまず、正しくないのに。……それでもまあ。僕が今こんなところに居る結果になっているのは間違いなくルノアのせいだ。いつの間にか僕はずっと遠くに来ている。ルノアの声。あの声につい従ってしまったけれど、そうじゃなければ僕は今でも森の中で彷徨っていただろう。
 だって。

《ねーねー。あのさー、ラウってさー実は捨てられ》
《姉様!》

 無邪気な瑠璃の声に玻璃の檄が飛ぶ。その檄に瑠璃は黙り、僕はからりと笑った。
 そう、だって。瑠璃の言う通り。

「その可能性もあると思うよ。だって、僕は化け物だし」

 僕の『異常性』が他人に僕をどう思わせるのか、僕はちゃんとはわかってはない。わからない。それでも時計塔のある町で、誰もが僕を恐れたことを僕は忘れたわけではない。ルノアが特殊なだけで、ルノア以外の人間はみんな僕を畏れたのだから。僕の翼を、“おかしい”と言ったのだから。それは、あの森の中でも。だから僕が捨てられたと言う話があってもおかしくはないと思う。
 自分がどれほど異質で異常なのかも、きっと僕は自分でいう程自覚していないけれど。皆が“おかしい”と言うのならば。それは、きっと、“一般的に”、“常識的に”、“大多数の意見として”、何ら間違いではないんだろうから。

《……ラウ様何か見たいものはあるんですか? 目当ては?》

 しばしの沈黙。そこから玻璃は唐突に話題を転換させる。その直前に小さく息を吐くのが聞こえたけど、それが瑠璃のものなのか玻璃のものなのか見当はつかなかった。

「えーっと。じゃあ、カラクリ仕掛けの見世物してたから。それ、かな?」

 そして、気にも留めなかった。

side玻璃(ラプラス)

「その可能性もあると思うよ」

 捨てられたのではと言われようが、そんな言葉など気にも留めず。

「だって、僕は化け物だし」

 何の憂いもなく笑いながら大真面目に自分を化け物だと称し。

「じゃあ、カラクリ仕掛けの見物をしていたから。それ、かな?」

 こちらの思惑など、こちらの意図など、きっと記憶にも残さないのでしょう。何をしても、多分、彼は傷つかないのでしょう。傷つくということすらこの少年にも、できないのでしょう。
 言葉には言葉を。問いには答えを。白布を揺らせ、どことなく楽しそうに道を歩く彼はただ、素直に答えを返されただけなのですから。『設問』に対して、嘘偽りなく『回答』をなさっただけなのですから。溜息が零れるほど、彼の行動は“常識的”で、相手の言葉の意味を知ろうともしない応答はあまりにも“異常”が過ぎていました。……その異常性にさえきっと、気づいてはいらっしゃらないのでしょうけれど。

《ねー玻璃ー》
《……なんですか、姉様》

 陽気で、無邪気で、聡い姉が獣たちにしかわからない言葉で私に話しかけます。詠うようなその声はいつも軽やかで、無邪気で。

《さっき何で止めたのー?》

 それ故に容赦がありません。

《姉様。何故、とは。どういう意味でしょう》

 ポケットの中は決して暗闇ではありませんが、中途半端な明るさがぼんやり視界を埋めるだけで外を見る事は叶いません。姉の姿も、ここからでは見えません。落ちてくる姉の声に、私は疑問で返しました。……姉の問いかけの意図が、分からないわけではありませんでしたが。それでもそれは、まるで腫物か何かのようにあえて口に出して言われるべきことではありませんでした。『それ』は私たちの間に共通認識として存在はすれど、忌事にも近いものであったのです。数秒の沈黙の後、剥れた声で姉は続けます。路地を行き交う人間たちの声も姉の声と同様にここからよく聞こえました。

《わかってるくせにー。玻璃ぃ、ラウはー傷つかないよー? 何を言ってもー気にしないよー? 話すのを止める必要なんてなくなーぁい?》
《そうですが……。ですが、姉様》

 窘めるように声を上げましたが、それは姉の声に遮られます。愉快そうに、能天気そうに。吟じるような言葉が、弾むような声が、『忌事』を口にします。私と、姉との“共通認識であるはずのもの”を、確かに“共通のものであるとして確信する”ために。

《ですがじゃないよーぉ。だってー、玻璃も気になってたでしょー? ホントは玻璃だって言いたかったよねぇー?》

 瑠璃は。私の姉は。気紛れで、気ままで、陽気で。
 そして、どこまでも聡いのです。

《だって、ラウが捨てられたのであれば、“そうなのであれば”、》

 『それ』はきっと私たち姉妹が口に出すことはなくとも、確かにどこかで願っていた身勝手な望み。
 このまま何もなければ。この少年がずっと私の可愛い主人の傍にいてくれたなら。それがたとえ彼にとって不幸であっても。“いつか記憶が”なんてなければ。“いつか別れが”なんてなければ。声には決して出せないそれを私たちは間違いなく渇望していました。切に、切に、声の枯れるほど、願ってしまっていました。
 ああ、もしそうであれば。

《ルノアは壊れないもん》

 そうであれば。
 きっとそれは、私の主人にとってこの上ない幸いでしょうから。

 可哀想な私の主人にとって、だけ。

side瑠璃(ラプラス)

 人間達曰く、この世のすべては演劇に例えられる、らしい。
 舞台にあがる役者たちも、舞台を華々しく飾る演出家も、観客ですら本当は何かの劇の登場人物なのだと。
 皆が誰かのために台詞を吐き出し、誰かのために舞台にあがって踊って見せる。けれど誰も自分が役者だなんて思っちゃいない。なぜならそれは、その人にとっては、間違いなく本物で紛れもなく演劇などではないからだ。
 ――ああ、きっとその通り!

 世界のすべては滑稽な『お芝居』で出来ているに違いない。

《だって、ラウが捨てられたのであれば、“そうなのであれば”、》

 言葉には言葉を。問いには答えを。『設問』に対して、舞台で台詞を読み上げるかのように『回答』する。傷つくことすらできない、生き物(ばけもの)。
 そんな化け物を瑠璃たちはもう一人、知ってる。

《ルノアは壊れないもん》

 壊れた生き物を見た。
 泣いて、泣いて。目が融けそうなほど泣いて、体の水分がなくなりそうなほど泣いて。それからその生き物はぐちゃぐちゃに壊れていった。
 愚かだなあ、と。そう思った。馬鹿じゃないのー、と。そう憐れんだ。それは道化に他ならないと。一体何を求めているのかわからないと。けれどその生き物は止めなかった。子爵が怒っても、諭しても、玻璃が泣いても、訴えても。馬鹿みたいに笑ってた。だから、瑠璃も玻璃も、子爵も。

《あのねぇー玻璃ー》

 原型を失くした生き物に、もう誰も何も言わなくなった。その姿を受け入れた。元からそうであるように扱った。それが最善であったと、瑠璃はそう思ってる。きっと、玻璃も子爵も。壊れてしまった生き物など、元よりいなかったのだ、と。
 それなのに。

《瑠璃はねーラウのこと、好きだよー。すごぉーく好きー。でも、ルノアを狂わせるなら、要らなーぁい》
《姉、様》

 ――瑠璃、玻璃。わたし、おかしいのよ。どうしたらいいのかしら?

《玻璃だってー気づいてるでしょー。ルノアはラウと長くいすぎてー……孤独なんて忘れちゃった》

 それなのに、あの『ルノア』が泣きついてくるなんて。“わからない”なんてことを言い出すなんて。それはずいぶん長い間あり得なかったのに、この短期間で何度か目にした光景で、何度か耳にした言葉だった。ゾロアークに脅された時。子爵の屋敷に向かうと決めた時、ラウの家が見つかったかもしれないという時。……その全てはラウに関したことだった。
 臆病で泣き虫だった小さな生き物は『ルノア』が殺して死んでしまった。……あの生き物はもう“元からいなかったもの”になったはずなのに。代わりに生まれた化け物は。ひとりぼっちで観客さえもいない舞台に上がった化け物は、ひとりぼっちで道化を演じていただけだったのに。
 そこにもう一人、入り込んでしまったから。

《ラウはー『ルノア』を必要としてくれるよー? 紛れもない、『ルノア』を。瑠璃は、ラウがいつまでも傍にいてくれればいーのにーって思ってるよー? ラウが捨てられてればいーのにーって思ってるよー? だって子爵にも瑠璃たちにもできなかった、誰にもルノアにしてあげられなかったことを、ラウだけはできるもん。玻璃もわかってるでしょー?》
《姉様、それは……》

 玻璃の言いたいことは瑠璃にもわかる、それはあまりにも身勝手な願い事。
 同じ舞台に上がれれば、同じ物語を演じるならば、その物語はどこまでも『本当』で『本物』だ。物語の登場人物は自らの世界を嗤わない。その世界が偽物だなんて気づかない。子爵がラウに言ってた台詞が思い出される。

 ――彼女を止める権利が一体誰にあると言うんだい? 誰にもないよ。いや、もし、あるとすれば。

 ラウは『ルノア』の演じる世界に食い込んでしまった。ひとりぼっちの他に誰もいなかったはずの茶番劇にいつの間にかあがってて、参加できてしまったんだよー? それはラウがルノアと同じように、欠けてしまって、失くしてしまっているから。彼には上がるべき舞台(せかい)が無くなって、演じるべき役割(きおく)も忘れてしまっているから。ルノアが“演じている”ことを知る者は同じ舞台に上がれない。瑠璃も玻璃も、子爵もルノアの道化を喜べない。それを道化だと知ってしまっているから。けれど、同じ舞台に上がった化け物ならば? 同じ物語を演じる者がいたならば?

 ――もしかしたら、きみにならその権利が与えられるかもしれないね。

 ……そんな者がいるのなら、もしも、そんな生き物が在るならば。その者だけはきっとあの子の道化を本物にできる。きっときっと“今になっては”ラウだけが、あの子を本物にしてあげられる。『ルノア』をルノアと見てくれるラウに、だけ。口ごもる可愛い妹に瑠璃は甘く囁いた。

《ねぇえー玻璃ー? ルノアが大切だよねえー?》

 “ラウが捨てられていれば”、“そうであれば”。いつか来るだろう迎えなんて要らないでしょーお? 狂った感覚も、常識を逸した行動も、人の心がわからないと笑うことも。全て『ルノア』の救いになりうるのだから。
 だから、どうかもうあの子を独りにしないでよ。もう二度と壊さないでよ。

 ……わかってる。瑠璃の、この願いすら、狂ってる。

sideラウファ

《ねーねー。ラウー、飽ーきーたー》

 大通りに出て、人の波に揉まれること少し。目的の見世物を堪能していると瑠璃がそう声を上げた。それは非常に率直で、わかりやすい一言。いくら僕でもこれくらい言ってもらえれば嫌でも瑠璃の言いたいことがわかる。けれど瑠璃はご丁寧に続きを付け加えた。

《瑠璃、退屈なんだけどー。ねーねーそんなに面白いー? ずぅーっと同じ動きしかしないのにー》
《姉様……》

 瑠璃の意見に玻璃は嗜めることを諦めたような声を漏らすだけ。えーっと、その。瑠璃と玻璃のいるポケットと目の前の机の上に置かれたからくり人形との間で視線を右往左往させて、僕は返答を考える。えっ、と。えっーっと。歯車なのかゼンマイなのか、カタカタと一定の動きを繰り返すそれ。仕掛けを見ることは当然叶わず、触れる事すら禁じられ、考えてみてもどうなっているのかちっともわからない。周りでは色んな人が頭を抱えて腕を組んでああでもない、こうでもないと意見してたり、製作者は愉快そうに笑っていたり。確かに動きは一定で、単調だけど。うー……ん、詰まらない?

「僕は、面白いと思ってたんだけど……」
《ラウってば趣味悪ーぅい!》
「そうかなぁ……」

 そうかなあ、趣味が悪いかなあ。首を傾げ少し落ち込む僕に玻璃がようやく助け舟を出してくれる。

《人の趣味はそれぞれですので、姉様の趣味に合わなかっただけですよ。それなりに人気がないと商売というものは成り立ちませんから。こういう商売が成り立っているということはつまりそういうことでしょう? 気になさらないで下さい》
《でもでもでもー瑠璃は飽きたのーー!! ねぇーもー行こーよー。瑠璃、美味しいものが食べたーい!》

 玻璃の言葉にああそっかと胸をなで下ろす僕を余所に、瑠璃がどうも拗ねているらしく、じたじたとポケットを揺らす。ラウ様気になさらなくて結構ですからね、と姉を宥めながら溜息交じりに言う玻璃に僕は笑った。

「いいよ、行こう」
《いいのー!?》
《……姉様のことなんて気になさらなくて構わないのですよ?》

 嬉しそうな瑠璃の声と、驚いたような玻璃の声。うーん、僕はからくり人形に対して、そんなに梃子でも動かないような食いつき方をしていたんだろうか。別にそこまでの未練はないんだけど。

「別にいいよ。じゃあ、王都の中心に向かって歩いて行って、適当なところで横道に入ったらいいかな?」
《うんうんー》

 からくり人形の作った人だかりを外れ、道を指差す。ここからでは見えないけど、『王都』と言うからにはこの先をずっと行けばきっとお城があって王様がいるんだろう。尤もその中に入ることは当然できないだろうけど。近くまで行けるならちょっと見て見たい……かもしれない。黄土色の道を行きながら、ぼんやり辺りを見渡すとざっと見ただけでも外国の商人と思しき人たちもいれば、貴族みたいなきれいな服を着た人もいるし、ボロを纏った人もいる。僕と同じくらいの年齢の男の子も誰かと一緒に笑いながら歩いて通り過ぎて行った。僕とは違ってとても豪華な服を着ていた人だったけど。

《ねーねー、ラウー?》
「どうかした?」

 瑠璃に呼ばれて僕は街並みから目を離して、視線を下に落とす。視界に入ってくる自分の足はしっかりと地に付いていて、僕の命令のままに煉瓦を蹴って前に進んでいた。瑠璃は少しだけ黙った後、あのねーと口を開く。

《あのねー、瑠璃、気になってたんだけどー。ラウってさー》
「うん」
《どこまでできるのー?》
「……ごめん、瑠璃。えーっと……できるって何が?」

 全く言葉の脈絡がわからない僕は瑠璃の言葉の意味を掴み損ねる。えーっと、えーっと。できるって何が? 歩けてるよ? 沢山はないけど食べ物を買うくらいのお金もあるよ? 違う? わからない。わからないけど、これって普通はこれだけの言葉でわかるものなんだろうか。

《流石に言葉足りないよねー。ごめんねぇ。……うーんとねー。ラウって、その翼でー何がどこまでできるのか試したことあるー?》

 すぐに言い直す瑠璃を見るに、どうも僕の情報処理能力が低いからだけではなく本当に言葉足らずだったらしい。そして、きちんと主語と目的語と述語の繋がった文章に僕は素直に頷いた。

「あるよ」
《……えー! あるのーぉ!?》

 最低限ボリュームを落とした声はそれでも驚いてるらしい。素っ頓狂な、と例えるんだろう瑠璃の声が聞こえて、僕は一体彼女たちにどう思われているんだろうと苦笑が浮かんだ。……まあきっと、今までのことを思えば『情けない』、『頼りない』辺りなんだろうけど。
 ただ、その瑠璃の声に僕は首を傾げる。

「あれ? でもほら、ルノアに色々させられた時に瑠璃も玻璃もいたはずじゃ?」

 ルノアに出会ってすぐの話だ。“その翼で何ができるのかやってみて頂戴”なんて言われて、いろいろやってみせたことがある。羽ばたいて見せたり、獣の技を放ってみたり。確かその時に瑠璃も玻璃もいたはずなんだけど。しばらく黙った後、瑠璃は得心したように声を上げる。

《あーそっかーぁ。でも、そうじゃなくてー。もっとこーぅ、限界的なー? 最低限と最高みたいなー?》
「……う、ん? え、っと……?」
《ルノア様に見せたのは、“何ができるか”の部分が大きかったかと思いますが、姉様は“どこまでできるか”の部分を主に知りたいそうですよ》
《そうそうそれそれー!》

 かくんと首が右に折れる僕に、玻璃が補足説明を入れてくれる。……やっぱり玻璃の方がしっかりしていて年上に見えるんだけど? あんまり人のこと言えないけど、瑠璃は条件反射でしゃべってるんじゃないかなあなんて思ってしまう。それで。えっと。ああ、うーん。なるほど。でもそっちも。首を曲げた時に落ちてきた白布の裾を後ろに払う。

「やったことあるよ」
《えーそーぉなのー!?》
「うん。森は暇だったから。いろいろ試してた」

 なるほどー、なんて納得してくれた瑠璃に僕も表情を緩める。どんなことをしたのかと言われれば大したことはしてないけど、それでもやっぱり記憶がなくなっていようが、人の感情がわからなかろうが、ある程度しか常識を兼ね備えてなかろうが、“翼が生えるなんておかしい”ことくらいは流石に分かったので色々と試してみたのだ。それで何ができるか。それがどこに生えるのか。どれくらい持続するのか。何種類くらい出せるのか、などなど。そのせいで人に逃げられたこともあったけど。……どれもルノアに会う前の話だ。

《ねーねー、じゃーさー!》
「うん」
《ちょっとだけ見せてー!!》
「……うん?」

 足が止まり、再び首が横に曲がった。声を弾ませて、楽しそうにそう言う瑠璃。でも僕は素直に『はい』と言えない。いやだって、こんな人の多いところで? “買われて飼われたいの?”と。翼のことをあまり人に知られるのは良くないと、その理由を教えてくれたのは彼女なのに。

《姉様。……ラウ様駄目ですよ。人も多いですし、警告もされてらっしゃったではないですか》
《……むー。いーじゃぁーん。ちょっとだけー! できるだけ“翼を出さないで”風を起こせるかどうかー! ね、ね、ねー。ラゥーいいでしょー?》
《姉様》
《玻璃は黙ってるの! だってね、瑠璃、ラウの翼、気になるってるんだもん。それ、なんか、ヘンじゃなーい?》
《「ヘン?」》

 瑠璃の言葉に、僕と玻璃の声が重なる。すると、瑠璃はその言葉に満足そうに声を上げた。

《ラウが見せてくれたらー言うんだけどぉー? だって見せてくれないと、瑠璃が気になってることが本当にそうかわかんなーぁい》
《……》

 焦らすようににんまり笑う声に、玻璃はとうとう黙ってしまう。えーっと。うーん……。瑠璃の言うことが気にならないわけではない。気にならないわけじゃない、けど。ぐるり、とあたりを見回す。立ち止まる僕のことを避けて、忙しなく人が行き交う。僕らの話を聞いているほど暇な人はいないようだけど、露店だって少ないけど点在していて、人の目はどこにでもある。うーん、ここで、となると。

「瑠璃、いいよ。わかった」
《ほんとー!? やったー!》

 わーい、と喜びを表現する瑠璃の声と同じ場所で長い溜息が聞こえる。僕のポケットの中には喜びの声を上げている瑠璃と玻璃の他に誰もいないのだからこれは玻璃だろう。じゃあ行こうか。二匹に一声かけて、人の流れに沿って歩くのを再開する。歩き始めればそれはそうそう難しいことではなく、すぐに人の中に混じれているような気分にさせてくれた。鳥を模した大ぶりのアクセサリーが時々、太ももに当たる。できる限り自然に、何とでもないように。瑠璃と玻璃が入っているのとは反対側のポケットに手を突っ込んだ。

《らうー?》

 何か、あるっけ。誰とも目が合わないように控えめに視線をあっちにこっちに動かして、何かないかなと探す。森の中なら木の実とか何でもあったんだけど、街中にはそんなものはない。けれど、暫く歩いてそれを見付けた。
 ヤミカラス。くるくると中空で旋回し続ける鴉たちは真下にある露店の食べ物を狙っているんだろう。なんだか少し申し訳ない気もするけど……まあ、今日は運が悪かったと言うことでいいか。起こすのは小さな風でいい。小さな、一瞬だけの旋風(つむじかぜ)。なんてことはない。意識をそちらだけに集中させる必要もない。何でもないように歩きながら、無関係ですという風に通り過ぎるだけ。そんなことはとても、とても、簡単なこと。これがどれだけおかしなことでも、僕にとってはとても、とても、簡単なこと。
 ポケットに片手を入れたまま、少しだけ指を擦る。特に意味のない動作だけど、翼がないのでただの気分だ。頭の中で風を起こせと命じる。翼が羽ばたいて、風が吹くを思い描く。することはただ、それだけ。そしてそれだけで十二分。一瞬、空で風が吹く。ヤミカラスが飛ぶのと同じくらいの高さにある建物の窓が風に啼いて、露店の旗が竿ごと揺れた。それは地上にはほとんど影響を及ぼさないけれど、中空を飛んでいたヤミカラス達にとってはたまったものじゃなかっただろう。突風に見舞われたヤミカラス達はかぁかぁと鳴きながら四方八方へと飛び去る。……うーん、やっぱり少し申し訳なかったかもしれない。

「瑠璃、これでいい?」

 ヤミカラス達を横目で見送ってから僕は瑠璃に声をかける。もういいか、とポケットから左手を出した。その拍子に小さな朱色の羽根が零れ落ちて、とっさに捕まえる。体勢が変わったからか、それとも外が見えなくても何かで気づくのか、瑠璃は疑問を上げた。

《う、ん? もしかして羽根は出ちゃうのー?》
「うん。それは生えてくるみたい」

 小さな羽毛を親指と人差し指で弄って、手のひらに握り込む。森に居た時もいろいろ試したけど最低でも羽根は出てくるらしく、“全く羽根も翼も生やさずに”は無理だとわかっている。ちなみに力関係もそれに左右されるらしく、大きな翼の方が扱いやすく、大きな風を起こしやすい。

《うーん。ねぇー、ラウの翼はー、というか羽根はー、なんで融けちゃうのー?》
「……え?」
《瑠璃ねーそれが気になってたのー。それもそのうち融けちゃうんでしょー?》

 握り込んだ掌を開く。オニスズメの羽根は、今はまだ残っている。けれど、もうすぐこれも融けてしまうんだろう。融けるといってもどろりと融けていくわけじゃない。水溜まりができるわけはなく、少しだけ濡れるといったことも起こらない。でも、確かに僕の羽根は融けるみたいに消えていく。崩れる様に消えて無くなってしまう。大体地面に着く前には融けてしまうし、それがどこに消えているかなんて気にも留めたことはない。けれど言われてみれば、確かに。

《鳥の羽根は融けないよー? というより融けてるように見えるけど、実際それ、融けてるのー? だって別に液体になってるわけでもないじゃーぁん》

 手の中の羽根を見つめる。そうだ、確かに。これは、どうやって。
 僕は気にしたことがなかったし、ルノアも気にも留めなかった。僕から離れたそれは手で持っていても関係なく崩れてしまう。ついに形を失って“融けて”いく羽根は、確かに雪が溶ける様にあっという間に、けれど雪とは違い水滴すら残さず崩れる様に消えて行った。掌に残る感触などほとんどなく、ただ何かさらりとした粒子がすぐに風に飛ばされて行った。……砂、みたいな……? でもそれは砂と言うにあまりにも軽く、触感がない。意識しなければ手に乗っていることすら気づかなかっただろうそれは、砂というよりは雪の方が近いかもしれない。雪が人肌で溶けなければ、雪が常温でも形を保っているならば、それはきっとこんな感じじゃないだろうか。融けて、崩れて、消えてしまう。……これは、一体なんだろう?

《ラウの体の中でしか安定してないんだろーなーあ、形保てないんだろーなーあってのはわかるんだけどー。でもなんかー、こう、ボロボローって感じでもなくふわーって消えちゃうんだよねえー。瑠璃、それが不思議。だって鳥の羽根ってそういうものじゃなくなーい?》
「気にしたことなかった……」

 瑠璃に言われた言葉に、茫然となりながら答える。気に留めたこともなかった。そういうものだと思い込んでいた。――言われてみれば、これほど変なのに。

《別にーだからどーこーとかはないんだけどー。でもちょっと気になっててー。でもでもラウもわからないんだー?》
「……うん」
《別に落ち込まないでー!? 瑠璃が気になってただけだしー、ラウが悪いわけじゃないしー。それを言うならルノアも気づいてなかったしー!》
「うん」

 声が沈んでいたのか、瑠璃は慌てて僕を慰めてくれる。けれど、なんだか気分が落ち込む。左手にはもはや何かわからない粒子さえ残っておらず、何も乗っていない。ああ、なんだか自分がもっと得体の知れないものになったような気がする。『普通』で、ありたいのになあ。足が止まる、なんだか少しだけ気分が良くない。僕は偽物なのになあ。人ごみに、人波に、上手く紛れているつもりだったんだけど。周りは僕のことなど気にも留めないけど。人に怖がられるのなんて慣れてしまったけど。でもなんだか、これ以上変なのはなんとなく嫌だなあ。翼が生える時点でおかしいのだから、今更と言えばそうなんだけど。でも、なんだかなあ。森で目が覚めて、何も覚えてなくて、自分の顔さえわからなくて。これは、そのときに感じた気持ち悪さに似ていた。……この気持ちさえ、どうせ偽物なんだけど。偽物だって、嘘だって、そうわかっているけど。

《ラウー?》
「……ルノア、もう宿に戻ってるかなあ」

 なんだか、無性にルノアに会いたかった。ルノアならきっと、笑い飛ばしてくれる。そんなこと今更でしょう、なんて呆れてくれる。ああそうだ、ルノアはもう戻ってるかもしれない。帰ってもいいかと瑠璃と玻璃に尋ねて、気を使ってくれたのか、二匹から快諾を貰う。そうだ、帰ろう。どうせ何の収穫もなかったんだし。ルノアとアシェルが帰ってきていたら、何をしてたのか聞こう。それから瑠璃に言われた美味しいものでも探しに行こう。
 よし、と一息。道はどっちだったかなと首を回す。えーっと、あっちから来てるから、宿の方向は。方向を確認して、元来た道を帰ろうとする。ただ、この道はだいたい道の中央で『進む』と『帰る』の人の流れが分断されているから、道を戻るには反対側に寄らなきゃいけない。じゃあ移動しなきゃ、と足を向けたところで後ろを歩いていたであろう人にぶつかってふら付いた。大丈夫ですか、の声に謝って、その人が通り過ぎるのを待つ。……どうも、頭が宿に戻ることでいっぱいになって周りが見えてなかったらしい。苦笑いが顔に浮かんだ。よし、今度こそ。今度は前をしっかり見て。横から来る人にぶつからないように。
 ただ。ただこの時の僕は、本当に視野が狭くなっていたらしい。僕がぶつかってしまった人の、そのさらに後ろを歩いていた人たちが驚いていることも気づかなかった。彼らのうちの一人が駆け寄ってくるのにも気づかなかった。何かが駆け寄ってくる音がして、肩を叩かれて、それで僕はようやくそれに気づいたのだから。ふぇ? と振り向くとそこには見知らぬ男の顔。見覚えはなかった。黒に近い髪に、白ではない肌の色。何かに驚いているらしく、肩で息をしながら目を見開いていた。掠れがすれ、低い声が彼から漏れる。

「ラウ、ファ? ラウファか……?」
「え?」

 ぐらりぐらり。ぐんにゃり。ぼろり。

「ラウファ」
「…………えーっと……誰?」

 うそっぱちの、せかいがこわれるおとがする。

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2015.12.20  16:56:30    公開
2015.12.20  17:03:11    修正


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