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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

6‐4.舞台裏の背徳者

著 : 森羅

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side子爵(エレコレ)

「じゃあ、まずは一人の女の子の話をしよう。とても綺麗な、お嬢様の話だ」

 結局。結局、エルグの『脅迫』に子爵は折れざるを得なかった。彼は秘密の番人ではあったが、それでも自分の大切な養女を、人殺しにするわけにも、見殺しにするわけにも、いかなかったから。“そんなこと”を知ったらきっと彼女は狂ってしまうと、わかったから。
 喉の渇きを潤すために紅茶を一含みする。それでも子爵の中の焦燥感は失せなかった。

「『セレス・フェデレ』。『ルノア』。『セレス・ローチェ』。セレス・ローチェの話を語るにはこの三人の名前が欠かせない。この三人はある意味別人であり、ある意味で別人ではない。日記を読んだだけじゃ、これはピンと来ないかもしれないけど、きみが彼女と会ったこともあるなら話は別だ。なんとなく、わかるだろう?」

 人差し指、中指、薬指、と順番に指を立ててみせる子爵にエルグは頷く。エルグの話に“それは間違いなくうちのお嬢さまだね”と脱力した子爵は同時に“きみがお嬢さまの話に出てきたゾロアーク君か”と納得もしていた。実際のところゾロアークは『エルグ』であってエルグではないのだが、そこは話の本筋ではないのでエルグは訂正せずに無視している。

「それでまず、話をするのはこの日記を書いた人間。フェデレ家のお嬢様、セレス・フェデレ。……彼女はおれの婚約者」
「その名前は日記には書いてなかったんで別の所から調べたんですが……。婚約者、やったんですか……」

 余計なこととは知りつつ、予想外の言葉にエルグはつい、反復してしまう。ぱちぱちと見開いた目を瞬かせる様子に子爵はふっ、と表情を緩めた。そして、婚約者だったんだよ、と繰り返す。

「言って三歳差さ。想定できなくはなかっただろう? 日記にもちょくちょくおれの悪口が出てきてるはずだしね。といってもまあ、貴族間の結婚なんて政略結婚がほとんどだから。おれは彼女に魅かれていたけど、恋愛していたかと言われると違うかな。まあ、そのあたりの話なんてどうでもいいか」

 カップを手に取り、未だ一口も飲んでいないエルグにも勧める。話し相手がようやく飲み物に口を付けたのを確認してから、自分もまたほんのり温い液体を身体に流し込んだ。独特の風味が鼻を抜けて、僅かな渋みだけが舌を転がる。自らの婚約者のことを話すのは青年にとってひどく久しぶりのことであり、懐かしさに自然と目が細くなった。西に少し傾き始めたが夏の太陽は輝いたままで、まだまだ空は青い。

「……綺麗な人だったよ。そりゃもう、吃驚するくらいのとびきりの美人だったね。雪みたいな真っ白な肌に、透けるような金の髪に、金色の瞳でね。そのくせ顔には似合わないくらいはっきりとした物言いだったよ。勝気というか、感情がすぐ表に出ると言うか。まるで自分を害する者なんていないと思っているような。おれは何度彼女に屋敷から追い出されたことか。でも確かに誰も彼女を害せなかっただろうね。魔性、という言葉じゃ足りないかもしれないけどそれくらい人を魅了してやまないような人だった。……うちのお嬢さまみたいにね」

 ――ねえ、子爵。わたし、あなたのこと、嫌いよ。ええ、嫌いだわ。
 楽しそうに笑う声が、頭の中で遠く聞こえる。澄んだソプラノは、いつも当たり前のように遠くまで響いていた。彼女の声が彼は好きだった。

「惚気みたいかな。じゃあまあ、日記の話に準えようか。きみが持ってきたそれは見ての通り彼女の日記だ。残したいと思ったことだけを書いているだけのね。読んでみたらわかると思うけど、中身はほとんどが詰まらないものだよ。やれ父親がどうとか、執事がどうとか。読んだ本の内容とか。……身体の具合とか」
「病気やったんですね。死亡台帳を、調べてきました。フルネームも、そちらで」
「手際が良いね。まあ、最後まで読めば一目瞭然か。そう、彼女はもう土の下で眠ってる。おれが二十一の時だから、彼女は十八か。三年前だよ」

 『セレス・フェデレ』は死人である。
 そんな単純で当たり前のことが、ずっしりと重く胸に突っかかった。
 あっけんからんと、それでもどこか呻くように。肘をついて、こめかみのあたりに手の甲を当てる。口元に浮かぶ微笑は、どこか自嘲にも近かった。エルグはそれに何も言わず、日記に手を伸ばして日記としての最後のページを開く。
 エルグが日記を持って帰ってきた『エルグ』に吐いた嘘の一つ。“日記に二冊目がない”ことをわかっていたのは、この日記の最後のページが筆者の遺言であったからである。死んだ人間は、日記を書かない。同様にエルグが『エルグ』に対して、“死亡台帳を調べてくる”と言った理由も、『フェデレ家のお嬢様』が『ルノア』でも『セレス・ローチェ』でもないと考えた理由も、この日記によるものであった。

「……元々、あまり丈夫な人ではなかったからね……。いや、きみはお嬢様の話を聞きに来たわけではないから、あまり彼女について多くを語る必要はないだろう。惚気話ならいくらでもできるけど。ただ、彼女の死は確かにきっかけであり、彼女の存在が『セレス・ローチェ』の出生に深く関わってくる」

 顔も上げずに青年の話を聞き流すエルグは、黙って日記の中ほどのページを開いて示して見せた。これこそが、エルグが『エルグ』に“ない”と嘘を吐いた箇所、『ルノア』の名前が初めて書かれたページ。日記を読めば、“セレス・ローチェの出生がわかる”。それは、繰り返しになるが、イコール“ルノアの正体がわかる”ことである。そのため、その嘘は三つ目の嘘――『ルノア』と名乗った少女の正体――にまで話は繋がる。

「『ルノア』は、セレス・フェデレの遊び相手やったんですね。身分の低い、貧民の子供」

 ――今日とてもきれいな子が、うちに来たの。使用人たちは良い顔をしないのだけれど、わたしはとてもすてきだと思ったのよ。真っ白で、とてもきれいなんだもの。

「ああ、そうだよ。といっても彼女がどこの出身なのかおれも知らないけどね。本人も幼かったからよく覚えてないらしい。ただ本当に貧民街から拾ってくるというのは考えづらいから使用人の子供だったか、不義の子供だったか、少なくとも一般市民あたりかな。いつもどこかおどおどしていて、お嬢様の後ろをずっと追いかけてた。お嬢様はとても可愛がってたよ。それこそ、妹みたいに」

 幼さの残る懐かしい筆跡からごく自然に目を逸らし、子爵は姿勢を正して再びカップに手を伸ばす。自分は今、どんな顔をしているのだろう。そう思ったが、残り少ないカップの中身に表情は写らなかった。ポットに手を伸ばし、中身を注ぎながらああそうだと思いつく。

「紅茶に、何も入っていない紅茶に、砂糖を入れ続けたらどうなると思う?」

 それはいつか、お嬢さまの後ろに付いてきていた少年にした謎かけ。出題者の意図を見破らねばどうやっても解くことはできず、さらに手元にある程度の情報と一匙の勘が必要になってくる、謎かけとも言えないたとえ話。琥珀色の瞳の青年も、出題者の意図がつかめずに眉をひそめた。

「唐突ですね。甘ぁなる、って言いたいんですか?」
「確かに甘くなるね。でも、そうじゃあない。それじゃあ話が唐突過ぎる。これはただのたとえ話だよ」

 眉間にしわを作ったまま固まる青年に子爵は笑い、頬杖をつき直す。一方のエルグは包み込むようにして持っていたカップに視線を落とし――おもむろに砂糖に手を伸ばした。頂きます、の一言が小さく聞こえる。どうやら実践してみるつもりらしい。この前の少年とは違う反応に、子爵は感心と関心の目を彼に向ける。だが、それが実行されることはなく、砂糖のポットは元の位置に戻された。

「やってみてくれてもよかったのに」
「砂糖が勿体ないんで。あと、たとえ話なら実際にやってみることに意味はないかと」
「まあね」

 どちらともなく共犯者めいた苦笑が浮かぶ。茶髪の青年は砂糖の代わりと言わんばかりに比較的甘さの抑えてある茶菓子を勧めた。エルグは少し悩んでから手を伸ばし、ちみちみとクッキーを齧っていく。サクサクと菓子を齧る音だけが場に落ちて、時間がひどくゆっくりと進んで行く。そして、最後の一欠片を飲み込んでからエルグはおもむろに言葉を発した。

「『ルノア』は」
「うん?」
「『ルノア』はお嬢様の従者やった。呼び捨てで申し訳ないですが……セレスはルノアと遊んだことを何度か日記に記してますし、ルノアが屋敷に来た日のことも書いてあります。貴方も肯定してはる。なので、これは明確なことやと俺は判断します。そして、貴方がルノアを引き取ったことも日記の最後のページ、遺言に書いてある。ルノアのことは貴方――エレコレ・ローチェに一任すると。そうですね?」
「ああ、違いないよ。さっき言ったことの復習になるけど。あの子はお嬢様の遊び相手だった。そして日記通り、おれは彼女からお嬢さまを引き取ってる。その日記には書いてないかもしれないけど、お嬢様には“あの子を幸せにしなきゃただじゃおかない”とまで脅されたんだよ」

 肩を竦ませ、困った様子のポーズをとる子爵に、エルグは日記の内容と照らし合わせながら話を進める。目の前の青年の指の間から覗く文字を見て、ブラウンの目が少し細まった。ああそうだ、そういえば。遺言にはほかにもそれぞれの使用人一人一人の給料をどうするだの、誰に何を残すだの、葬儀はどうするだの、後々揉めることのないように事細かに書かれており、よくこんなに馬鹿丁寧な遺書を残したものだと後で感心したものだった。無邪気で世間知らずの、我儘を言えば何でもそれで済むと思っているお嬢様。初めて見たときは、そうとしか思えなかったのに。
 思考が過去に飛び、一秒もかからない間に現実に引き戻される。琥珀色の瞳と唐茶色の髪をした青年がこちらを静かに、無機質に、見ていた。

「紅茶に砂糖を入れる。……貴方が、『セレス・ローチェ』を“つくった”んですか?」

 思いがけない一言に、失笑が漏れる。ああ、そういう考え方もあるのかと。

「残念ながら代替品に興味はないね。人形遊びの趣味もないよ。おれにとってお嬢様は、一人だけだ」
「なら」
「回答を急ぐのは良くないね。答えだけを求めればどんな重要な事柄だって聞き逃しかねない。おれはさっき言っただろう? お嬢様に脅されたと。幸せにしなければ許さないと」

 彼の言葉にぐっ、と続きを飲み込むエルグは、繰り返されたヒントを今度こそ受け取る。目を開き、こちらを凝視する青年に彼は口元を緩めて見せた。
 ――『セレス・フェデレ』は死人である。『ルノア』は貴族の令嬢でもなんでもない。ただ、子爵の家に引き取られただけ。ここまでは日記から確定と推測の出来る事。子爵の子供は『セレス・ローチェ』ただ一人。これは事実として確定していること。そして、エルグの出会った『ルノア』は、生粋の良家出身の様な振る舞いをして見せた。これはエルグが実際に見て知っていること。なら、『セレス・ローチェ』は。

「おれじゃないなら答えは一つだ。あの子自身だよ。『セレス・ローチェ』を望んだのは」

 吐き捨てるように、憐れむように、愛おしむように。
 いよいよ最も知りたかった部分に踏み込んだことに、エルグは覚えず唾を飲み込んだ。全身の神経を集中させて、身を乗り出し傾聴の姿勢を取る。日記からルノアの正体は、セレス・ローチェの出生は、わかる。ただ、エルグが知りたかったのはそれよりも先と間の話、まさに“どうしてセレス・ローチェが生まれたのか”、もっというならば“生まれなければならなかったのか”だったのだから。話せるのはおれが見たことだけだよ、と前置きして、子爵はその時のことを思い返すように視線を宙に彷徨わせる。

「お嬢様が亡くなった後、彼女を迎えに行ってね。そしたらお嬢様の部屋で小さな女の子が立っていたんだ。お嬢様の後ろを付いて離れなかった、臆病な女の子。そうだったはずなのに」

 ――あら、子爵。どうしたの?
 到底サイズの合わないドレスを纏い、不器用に髪を結って、泣き腫らした目で、嫣然と『ルノア』は笑って見せた。

「……その時は名前がなかったけれど、その時が『セレス・ローチェ』の、誕生さ。化けるものだね。吃驚した、いやぞっとしたかな。恐怖さえ覚えたくらいだ。だって、おれが知っている生き物はそこにいなかったから。お嬢様の亡霊が取り憑いたのかと思ったよ」

 どうしてかと、何を考えているのかと、問うてもその『化け物』は何も答えなかった。ただ、愉快そうに笑っていただけ。彼女と同じ、意地悪な目をして、楽しそうに笑ってみせただけ。

「“全部あげると言われたから”と言っていたかな。彼女の考えはおれにはわからなかった。いや、今でもわかってないかもしれないね。彼女と暮らしているうちに理解できて来たような気はするけど、それが正解かどうかはわからないし、それを言葉にするのはとても難しい。そして、彼女はおれと取引した」

 ――きみを引き取るように言われたんだけど。
 ――ええ、知っているわ。ねえ、子爵。あなた、わたしを引き取らないと困るでしょう? わたしに、教えてくれないかしら。作法も、礼儀も、全部。わたし、どうしてもしたいことがあるの。

「九歳かそこらの子供に脅されるんだからたまったもんじゃなかったよ。自分を勉強させることと、放任主義の約束だけだったから叶えてあげるのは簡単だったけど。お嬢様との約束もあったしね。……まったく、あのお嬢様にはたまったもんじゃあないよ。死人に追いつくことはできないんだから、独り勝ちみたいなもんだ。これじゃあ文句も言えない」

 目を細め、軽口を叩くようにそうにやりと笑って悪態をつき、肩を竦める。そして先程まで手も付けていなかった甘い砂糖を、二匙ほど自分のカップに落とした。スプーンでかき混ぜ、それでも混ざらない砂糖が底に沈んでいく。エルグは自分の紅茶に目を落とし、肩を落とした。先程のたとえ話にようやく合点がいく。“セレス・フェデレの亡霊が取り憑いたような”。つまり、それは。

「紅茶がルノアなら砂糖はセレス・フェデレの方ですか。元の紅茶としての味をわからなくした」
「そういうことさ」

 ピン、と詰まらなさそうにカップの縁を弾いて、子爵は続きを語る。

「話を戻そうか。お嬢様の名前を借りて、セレスという名前で彼女を引き取った。ちなみにこれも本人が望んだことだけど。引き取るときにちょっと工夫してね。彼女が五つか六つの時に、つまりお嬢様が死ぬよりも前に、養女として迎えたことにしたんだ。おれは脅されても構わないけど、フェデレ家で使用人をしていたなんてことが知られたら他の貴族に何をされるかわかったもんじゃないから。面倒だけど、お嬢さま方ってのはその辺結構敏感なんだよ。少しでも彼女を守ってあげたかったから」

 エゴかな、と誰に言うでもなく呟き自分に対する嗤笑を漏らす。目前に座る青年はそれに釣られることなく、ただ、静かに耳を傾けていた。

「基本的に貴族の令嬢ってのは結婚するまであまり表に出ないからね。病気とでも何とでも誤魔化せた。そうすればほら、貴族でもなんでもない、でもれっきとした『お嬢さま』の出来上がりさ。……身元不明のね。実際に一緒に暮らしたのは二年ほどだよ。今はきみもご存じのとおり各地を回ってる」
「“探し物をして”ですか」

 話を閉めかけた子爵に、エルグは間髪入れずに次の言葉を継ぐ。それはエルグがルノアから聞いた言葉。このエルグとの一連の会話の肝にもなるだろう彼の言葉に、子爵は長い息を吐いてしばしの沈黙を入れた。久しく吹いていなかった風が窓から入ってきて、皮膚を撫でる。

「そうだね。でもきみの期待に応えられなくて悪いけど、おれも彼女が何を本当に欲しているのかは知らないよ。“そんなこと”を望むのかどうかも。というよりも彼女自身でさえわかっているのかどうか。ただね、死者のために時間を使うことはきっと正しいとは言い難い。けれどそれを間違っていると言うことは誰にもできないんだよ。いうなれば彼女は演じているだけさ。舞台の上で、お嬢様の真似をして『お嬢さま』を、ね。その先に何かがあると思ってる。おれはせいぜいその演出と手伝いってとこかな。おれが答えられるのはこの辺りまでだ。本心は本人にしかわからないもので、他人の言葉は予想の域を出ないからね。……この回答で満足かい? エルグ君」

 無表情にも近い表情で固まったままの青年に笑みを向け、今度こそ話を閉めて砂糖の沈む紅茶に手を伸ばす。甘さの利いた紅茶が体に染みていく。とても長い時間を過ごしたように思ったが、外に目をやればまだそこまでの時間は過ごしてないことが分かった。一息ついたところで視線をエルグに戻すと、彼は黙って頭を下げる。

「ありがとうございます。本当に助かりました。このご恩は必ず」
「いや、いいさ。こちらもきみの手札を見せてもらったからね。お役に立てたようで何よりだよ。どうだい、うちの可愛いお嬢さまは君のお眼鏡に適ったかな?」
「申し訳ありませんが、正直、現時点では何とも。あとは本人次第やと思います。……でも、俺もどうせなら幸せな結末の方が好きですよ」

 ゆるゆると頬を緩める彼に、まるで今にも泣き出しそうだと、感じずにはいられなかった。そうだね、と頷き少しだけとぼけてみせる。

「過保護だね」
「それは、お互いさまと言うことで」
「まったくだ」

 忍び笑いのように、降って湧いた笑いのように、彼らは笑う。誰も見ていないことを知っているのに、誰にも聞かれないように二人だけで。それがようやく収まった頃、子爵を名乗る養父(ちちおや)は、もう一つだけ自分の養女(むすめ)の話を彼にすることにした。少しでも、彼の言う“幸せな結末”とやらになるように。
 そして、本当に最後にエルグは問う。何杯目かもわからない紅茶にはもう、湯気は立たない。

「……後悔、してへんのですか?」

 唐突な、興味のみで聞かれた言葉に手に持っていた砂糖用のスプーンが動きを止める。子爵は内心苦笑せざるを得なかった。……後悔、後悔ね。

「うん? ああ。なるほど、後悔ね。それは何に対してかな? 後悔の意味合いとか、後悔の相手とかに寄っても変わると思うけど。ただ、きみはそれを興味本位で聞いているようだから、答える必要性をおれは持たないかな」

 どうだろう、後悔しているのだろうか。自問し、答えは予想以上に早く帰って来る。金色の髪の、金色の瞳の、おれのお嬢様。きっとおれは彼女に“呪われて”いるのだから。だから、それは愚問と言うやつに違いない。

「おれは、彼女を愛しているよ」

 目を丸くする青年に、ほくそ笑む。きっと、目の前の彼が求めている答えはそう言うものではないのだろうけれど。

 多分、その答えが全てなんだよ、セレス。

sideエルグ

「とまあ、こんな感じでして。間違ってる場所はあったかな、セレス様」

 話し終えた彼は、最後の一言を溜息でも吐くような声で言い切り、目の前の『お嬢様』へ口を弓型に曲げて見せる。困惑や狼狽を隠せず何か言いたげなエネコとは違い、一部始終表情を崩すことなく聞き終えた少女は、やはり臆することなく満面の笑みを零すだけ。

「ええ、間違いないわ」

 鈴を転がすような、可愛らしい声で。花が咲くように顔を綻ばせて。エルグはその予想通りの表情に辟易さえできない。子爵がちなみに、と教えてくれた話が脳裏をよぎった。
 ――彼女はきっと、きみの話に動揺なんてしないだろうけどね。だって、きみは舞台の上の役者じゃない。きみは彼女の演じている世界に入り込めない者だよ。『観客』にストーリーを知られても、彼女の世界は揺るがない。そんな『台詞』はどこにもないから。

「ねえ、エルグ。今度は貴方の番だと思うのだけれど」

 小首を傾げて悪戯めいた上目遣いでこちらを見る少女に、ああ本当にそうだとエルグは思う。彼女は揺らがない。自分が、彼女の舞台(せかい)の登場人物ではないから。“『お嬢様』を演じる”彼女にとって、『観客』にストーリーを知られたところで何も困らない。

「ねえ、エルグ。どうしてわたしにそんなことを言うの? どうして子爵はそんな話をあなたにしたの? どうやってこの部屋に入ったの?」

 だが、それでも彼は続ける。少女の世界に干渉するために。
 どうしても彼女の世界に干渉しなければならない理由が彼にはあったから。そのためならば、舞台の上で道化をやるくらいなんともなかった。

「そんなに知りたい? 困ったなあ。……そりゃーもう」

 にっこり、と。エルグは手を打ち、珊瑚色の髪の少女のすぐ目の前にまで歩を進める。そして。

「俺の可ぁ愛い弟を拾ってくれた人のことは、やっぱ知りたいやん?」

 そして、そう言って少女に向かって破顔して見せた。

side子爵(エレコレ)

「“おれは、彼女を愛しているよ”」

 ごろんと行儀悪くソファーに寝転びながら、エルグに言った言葉を繰り返す。あのあと、恥ずかしいことを言ってしまったものだと思ったし、けれど本心だしなとも思った。言わなければよかったのだが、零れたミルクはコップの中に還ってこない。“愛している”。それだけの、本当に詰まらない安っぽい言葉なのに、彼女は言うことを許さなかった。

 ――あら、子爵。そんなの気紛れよ。ただの、気紛れ。それか思い込みだわ。
 そんなことないよ。
 ――わたしのことを、愛してるって?
 そうだよ。

 病床に臥していたはずなのに、相も変わらず太陽みたいに笑う人。令嬢たちが揃ってしていた、澄ましたような作ったようなそれではなく、明るく、綺麗に笑う人。何があっても自分で道を切り開いていけそうな、そんな人。だから、魅かれて止まなかったのかもしれない。

 ――わたし、あなたはもっと生産的な人だと思っていたわ。実利主義で、現実主義。そんなこと言うなんて思わなかったわ。
 愛してるよ。
 ――世界中の誰よりも?
 もしかしたら、そうかもね。
 ――知らなかったわ、あなたがそんなにロマンチストだったなんて。
 おれも意外だったよ。

 驚いたように目を大きくして、丸くして。わざとらしく。こちらもそれに合わせて大真面目な顔をして見せる。彼女が笑って、軽口が聞こえる。いつもと何ら変わりない、声の調子で。

 ――でも残念ね。わたし、もう死んじゃうもの。

 それでも、と言いかけた言葉は彼女の人差し指に塞がれた。細い指が口を塞ぎ、それ以上の言葉を許さない。

 ――子爵、それ以上は駄目よ。だって、それは呪いだもの。愛してる、なんて。それほどひどい呪いもないわ。いいえ、わたしが死んでしまったらそれはきっと呪いになるの。だから、言っちゃ駄目。言ったら絶交よ。

 むすっと剥れて、そっぽを向いてしまった彼女のご機嫌を取るのに忙しくて、結局その言葉は言えなかった。言えていればよかったのに。甘美な呪いの言葉を、あの時言えなかった言葉を、繰り返した。

「愛しているよ、セレス」

 構わないよ、愛しているよ。
 きみになら呪われて構わなかったんだよ。
 ……若さの至りと言うものか、なんとも恥ずかしい思い出だ。ただきっと、自分とお嬢さま、ルノアは同じ呪いに掛かっている。片方は言われるまでもなくとっくの昔に“呪われて”いて、片方は貰ってもいないのに自分で呪いをかけてしまった。

「……まったく、とんでもないことじゃあないか」

 彼女を愛していたから。“お嬢様に言われたから”。彼がルノアを引き取ったのは、元を辿ればそれだけのことだった。それでも“かわいそう”なんて同情ではなく、“お嬢様に言われたから”という義務感でもなく、今では本当に自分の養女を彼は可愛いと思っている。もしかすると、あの人はこうなることさえ想定して彼女を自分に預けたのかもしれない。だとしたら、きっとあの人は地獄だか天国だかでほくそ笑んでいるに違いないだろう。まったく、なんて困った人だ。
 あの子を幸せにしてあげたかったのに。それがあの子の幸せだと知っていたけれど、わかっていたけれど。それでももしかしたら無理やりにでも『お嬢様の真似事(あんなこと)』なんて止めさせるべきだったのだろうか? ……いや、きっとできなかっただろうけど。
 青年は自分が彼女の演じる舞台の上に上がれないことを知っていた。観客が何を叫んでも、物語の登場人物は何も聞こえないフリをする。裏方は、物語の進行に関与できない。それをただの茶番だと知る者が、その舞台に上がれるはずがない。自分はそういう役回りなのだと。後できるのはせいぜい“幸せな結末”とやらを願うだけ。“不幸にならない答え”を望むだけ。エルグはできる限りのことをすると言ったが、実際に選ぶのはお嬢さまだ。

「きみの可愛い妹は、おれの可愛いお嬢さまは、きみに似て本当に困ったものだよ。そう思わないかい、セレス?」

 帰ってこない言葉が、それでも不思議と心地良かった。溜息を吐き出し、目を閉じる。

 ……きみが、もし、生きていたら。そうすれば、こんな喜劇的で悲劇的な茶番劇なんて起こりもしなかったのに。



***
ごちゃごちゃしてるので、「なにがどないなってるねん!」というツッコミのある方は申し訳ありませんが、ご連絡ください。ごめんなさい。
6-3,6-4とがっつり謎解きしましたので、どこに何があるかだけ。
エルグが日記を拾ったり『エルグ』と読んだりしているのは5-4。
このエルグと子爵の話し合いは回想に当たりますので、エルグと子爵と話しているのは6-1の場面にもあります。
ルノアに関してのこまごました伏線はどうぞ探してみてください。子爵とセレス・フェデレとの関連も実はちょっと出てる部分があるんですよ。
それから最後に一つだけ。この物語は『茶番劇』であると、それはきちんと書いてあります。

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2015.3.27  23:44:32    公開
2015.3.28  00:07:02    修正


■  コメント (5)

※ 色の付いたコメントは、作者自身によるものです。

B
子爵とエルグの組み合わせ、かなり書きたかった掛け合いですので、好きだと言って頂ければ幸いです。有難うございます! 子爵とエルグの行動の違いはなるほど若さですか(笑) それももしかするとあるかもしれませんね(ううん) 真面目な話をすると子爵とエルグの行動の違いは立場、役割の違いですね。そのあたりは後々明かされるはずです……。はず……(ちゃんとします)。
子爵とエルグの掛け合いはひたすら長い言葉が続くやり取りでしたので本当に読んでくださっている方からすると読みづらいものだったと思います。本当に読んでくださってありがとうございました。その上、言葉の選び方が会話を面白くしてくれている、とまで言って頂き、深謝極まりないです。

二つにも渡るコメント、本当にありがとうございました。こちらこそ、何を言っているのかわからないようなコメント返信が三つも続き、申し訳ない限りです……! 絢音さんの衝撃、確かにいただきました。コメント、本当にありがとうございましたっっ!!

15.3.31  02:46  -  森羅  (tokeisou)

A
そうですねー。子爵とエルグの話ではエルグの切り札については誤魔化させて頂きました。「くそっやられた」と思って頂けたなら良かったですー。あれ? ところでエルグの切り札がラウファのことだなんてどこかで書いていましたっけ? エルグの最後の言葉(弟発言)からでしょうか。エルグの「弟」発言のせいで絢音さんが眠れなくなるのは困りましたね……。泣く!? それは(Д三Д)どうか泣かないでくださいぃいい(Д三Д)それからどうかちゃんと寝てくださいねっっっ!! 見せ方が上手いと言って頂きありがとうございます、まだまだですので精進あるのみですよー。

おお!! 胡散臭い子爵の好感度が上がりましたか!! 僕は彼がとても好きなので、好きになっていただけるとやっぱりうれしいですね。彼はこの物語一純愛な人だと僕個人は思っているんですが、そのレベルで彼のことが好きですので……! あと、確かにアクロアイトで今回初めて血の通った「人間」を書いたと思いますw ルノアもラウファもちょっと地面から浮いているような人たちですので。彼は彼自身も言っていますが、要は「裏方」の人間なんですね。ルノアの「舞台」に直接的な干渉はできないけれどそれが「劇」であることを知っている人物です。だから子爵は裏方としての役割以外でルノアにあまり何もしてやれず、願うことしかできないわけですが。「呪い」はセレス(フェデレ)から受けたものですが、多分絢音さんの仰るとおりでしょう。
紅茶の謎解きはこれは本当に読者様に解かせる気がないたとえ話だと思います、本当にすみません!! 
例えのセンス……! そんな、恐れ多いです!! そんなセンスは僕は持ってませんよwwwwww 

長々続いて申し訳ありませんが、あと少しだけ続きます。本当にすみません!!

15.3.31  02:44  -  森羅  (tokeisou)

コメント有難うございます、絢音さん!!
遅くなりましたが、企画と絢音さんの小説の高評価おめでとうございます。申し訳ないながら、最近忙しく、読めていないのですが……。また是非読みに行きますね。これからも頑張ってください!!
少々お久しぶりですね、いえいえ、コメントって本当にとてもうれしいものですので……! 口が裂けても「しつけぇよ」なんて言いませんよ! 本当にありがとうございますm(__)m

ルノアが本当の意味での「令嬢」ではなかった件。おお、セレス=ルノアを予想されていらっしゃいましたか! まあ、あそこまでエルグサイドのお話で「セレス・ローチェ」を引っ張ってきましたから、何もないと逆に物語としては大問題なんですけどね。。。予想が当たっていたようで何よりです! ルノアというよりも「セレス・ローチェ」の出生に関しては、すみません。これ本当に本編上に情報が少なくて、出生の過程を予想するのは結構無理があるんです。なので本当にすみませんでした。彼女の出生の経緯についてはまた出てきますので、楽しみにして頂ければ幸いですm(__)m
「化け物」、なるほど! そういう解釈があるんですね!!!! ……あ、いやすみません。実は僕はそこまで考えていませんでした(笑) ただ、”お嬢様のふりをする怪物”的な意味で(それこそ絢音さんの仰る通り子爵がぞっとするほど豹変しすぎて、という意味での)「化け物」としか考えておらず、絢音さんの言葉には目から鱗です。素敵な解釈を有難うございますm(__)mそして、想像力のない作者で申し訳ない限りです……。ルノアとセレス(フェデレの方)から破損記憶まで繋げてくださってありがとうございますー! おお、素敵ですねー(*´ω`*) ただ、破損記憶についてはこれ以上は黙らせて頂きますね。伏線回収が華麗だなんて、有難いお言葉嬉しいです。でもそんな、とんでもないですよ!! もっと巧くできるように精進しますね。

すみません、文字数オーバーしましたので続きます。

15.3.31  02:42  -  森羅  (tokeisou)

>>続きです。長くて申し訳ありません。

そして、今回の話でなんだか胡散臭いというか、掴みどころがなくイマイチ親近感が沸かなかった子爵の好感度がグーンと、それはもうとてつもない速さで上がりましたね(笑)子爵の人間らしい所?を垣間見た気がします。愛する人の秘密を知っていながら、彼女の為に何もできない…辛い、切ない立ち位置ですよね。「愛してる」という呪い…苦しいけど心地良い、中毒的なものですかね…。
紅茶の謎解きは私は最後まで全然分からず、「エルグ君すごーい」ってなってました(笑)他にも切り札とか劇だとかそういう例えのセンスが相変わらず素晴らしいです、流石です。尊敬します。
お互い見守る立場である(しかできない、の方が正しいでしょうか?)子爵とエルグの組合せ、結構好きでした。彼らの見捨てた訳ではなくて、どうにかしたいとは思ってるけど、どうにも手を出せなくて若干諦観が混じったような、でも希望も捨てないでいるような、それをぷんぷん匂わせる事はないけど、どこかそんな雰囲気を漂わす感じがいいなと。エルグの方はまだ何かしら行動しようとしてますが、そこが子爵との若さの違いといったところですかね?何言ってるかちょっと分からないですね、すみません(笑)
二人の掛け合いもなんかミステリアスと言いますか、軽快な訳でも、別段何か面白いという訳でもないのですが、好きでした。お互い探り合いの中でのカード(言葉)の切り方(選択)がゲーム(会話)を面白くしてくれているように思います。

もう始終何言ってるか分からないコメントを長々と二つに分けてまでして本当に申し訳ございません!!!!とりあえずこの衝撃を誰かに伝えたかったのです。
これからも執筆頑張ってください!応援しております。
それでは乱文長文すみません、失礼しました。

15.3.28  19:58  -  絢音  (absoul)

うわあああぁぁぁああ!!!更新されてるうぅ!!!しかもかなりの謎解きKI・TA・KO・RE!!!!!
……喜びのあまり、意味不明な叫びをあげてしまいました、お騒がせします、ご無沙汰してます、絢音です。
3回目のコメントとかしつけぇよとは存じますが、鬱陶しいことこの上なく本当に申し訳ないとは思ってますが、とうとう初登場から今までずっと、ヒロインでありながら謎に包まれてたルノアの出生が明かされ、これをコメントせずにいられようか…いやするしかないでしょう!ごめんなさいね!お邪魔しますね!
いや、もうここまで読み終わった今、興奮冷めず本当に鬱陶しいテンションで申し訳ありません…少し落ち着きます。

二話にして凝縮された内容でもう何から言えばよいのか分からないのですが、とりあえず思った事をつらつらと書かせて頂きたいと思います。読みにくいでしょうがご勘弁下さい。

まず…ルノアがお嬢様じゃなかった件について。実は薄々セレス=ルノア?的なのは予想しておりましたが、まさか『セレス・ローチェ』になるまでにこのような過程があったとは思いませんでした。私が予想できたのはせいぜい何かしらの家庭の事情というやつで改名して養女になったのかと…そんなあまっちょろいものじゃなかったですね。『化け物』って「(お嬢様に)化け(ている人)物」と、そういう意味だったのですね…実際その様子があまりにも完璧すぎて、豹変しすぎて子爵は「恐ろしい」とも表現していますが。ついでにあの破損記憶はセレスとルノアの事だったのですね。勝手にルノアとラウファかと…騙されました。いろいろと伏線の回収が華麗過ぎて物も言えません(さっきから騒がしくしてますけど笑)

子爵とエルグの話の間ではルノアの事しか語られず、ラウファの事(エルグの本当の切り札)はまた華麗にスルーされ一人「くそっやられた…」なんて思ってたのですが、最後の最後にエルグ!!「俺の可ぁ愛い弟」!?なんやねん、そんな気になること言われたら寝られへんくなるやろ!もう私はやられっぱなしですよw本当に、もう、新羅さんは魅せ方が上手いです、魅せられ過ぎて辛いですハイ。もうさっきから予想外の謎明しが続いて驚きのあまり泣きそうです←?

文字数オーバーしてしまったので次に続きます。>>

15.3.28  19:41  -  絢音  (absoul)

 
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