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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

6‐1.紅茶に砂糖を零すとき

著 : 森羅

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sideラウファ

 おかしいなあ、と。そう気づく瞬間がある。

 きっかけ、なんて特に何もない。いつもと変わらず、いつもと同じように過ごしているだけ。日が昇って、沈んで、起きて、寝て、また起きて。その繰り返し。何もおかしくなんてない。けれど、それは本来僕にとって途方もなく奇妙で“おかしな”こと。僕は『僕』ではないのだから。何もかも忘れてしまった僕の世界は、紛れもなく『偽物』なのだから。
 そんな、“この世界が偽物だ”なんて当たり前のことを僕は最近、ふとした瞬間に『自覚』するようになった。なんでもないような一瞬に、ぐにゃりと奇妙に世界が曲がるような気持ちの悪い感触に襲われて。ふわふわふわふわ、僕の世界は宙ぶらりんに浮かんでいるんだ、と。そう“気づか”される。僕はそのたびにおかしいなあって笑うしかない。最初は分からなかったけど、でも考えてみれば奇妙なんだから。

「ラウ」

 僕は、僕の世界が偽物だと知っているのに、それに“気づか”なければならないなんて。“僕の世界は偽物だ”と『自覚』しなければならないなんて。僕にとって唯一『本当』で『本物』の現象を、確実に確かなものだと確信を持って言える事柄を、わざわざ“思い出さなきゃならない”なんて、偽物の世界の出来事を“いつもと同じ”と表現するなんて、どう考えてもおかしいと思う。多分きっと、僕の考えは間違ってないはずだ。けれど。

「……ラウ。まだ寝てるの? もう朝よ」

 目を開ければ、ルノアが“いつもと同じ”笑みを浮かべて僕を覗き込んでいた。珊瑚色の、綺麗な髪とヘーゼルブラウンの大きな瞳。滑らかな白い肌と心地の良いトーンのソプラノ。良く見知っていて、僕の世界にいつも極彩色をぶちまける少女。それでも僕に“彼女が存在する”ことを証明する術はない。柔らかな朝の日差しも、甘い風の匂いも、暖かな布団の感触も、いつかの誰かの話し声も。すべて夢なんだよ、と言われてしまえば僕は否定することができないのだから。けれど。
 自然と、口元が緩んだ。

「おはよう、ルノア」

 僕にとってこの世界は偽物なんだよ。
 そう言い聞かせても、確かに僕は、この鮮やかな偽物の世界に侵されて、浸っていく。

sideエルグ

 湖の見える豪奢な屋敷。しかしその広さに反して人の数は少なく、屋敷の中の雰囲気は閑静というよりは物寂しいという方が近い。足音を抑えるまでもなく廊下に敷かれた絨毯が靴の音を吸い取る。案内のメイドが立ち止まり、コツコツコツとノックを数回。返って来る返事は、屋敷の静かさとは裏腹に陽気だった。

「やあ。一体どういうご用件かな」

 まず目に入るのは、太陽の光と湖を渡ってきた風が窓から入る明るい部屋。次に椅子から立ち上がりこちらを見るシルエット。その姿は細身ではあったが痩せているわけではない。うなじのあたりで簡単に纏められたブラウンの髪が自身の動きに揺れる。そしてその顔には不敵な笑みが張り付いていた。メイドが立ち去ったのち、エルグはその人に向かって口角を吊り上げ、恭しく一礼する。長い髪がだらりと背中を流れた。

「お初にお目にかかります」

 すんなり入れてもらえる、などエルグは一片たりとも思っていなかった。相手は爵位を持った本物の貴族であるし、その立場の優位性はエルグが少々手を打ったところで――たとえ強請(ゆす)ろうとも――覆らない。彼は最悪忍び込むという手段さえ厭わないつもりだった。……だった、のだが。

「休暇中に時間を割いて頂き、感謝致しております。姓はございませんのでエルグ、とだけお呼びください」
「ああ、いいよ。どうぞ、座ってくれるかな。堅苦しい挨拶は嫌いなんだ。……それから、ご機嫌取りの敬語もね」

 これ見よがしに肩を竦めて、屋敷の主である青年は椅子を勧める。反面面食らうのは、唐茶色の髪の青年。……なるほど確かに。エルグは内心でどこか呆れながら頷いた。噂通りの変わり者だ、と。まともに身元を明かさない、どうみても平民の自分を当然のように招き入れ、友人のように接する。自分はまだ、ここを訪れた理由さえも話していないと言うのに。勧められるままに椅子に座り、ふっ、と表情を緩める。

「……不用心でいらっしゃいますね。もし、私が貴方のお命を狙う者だったらどうなさるのですか?」
「うん? それは困るかな。でも、ここでおれが死んでも犯人は一人しかいないからね。メイドはきみの顔を覚えている。それにきみは外から来た人間だろう? 外国から来た人間は顔にも肌にも特徴があるし、そこまで綺麗な言葉でこちらの言葉を使える人は数いない。きみは到底暗殺には向かない人間だよ」
「なるほど、尤もでございます」

 テーブルを挟んで向こう側でにっこりと笑顔を向ける青年にエルグもまた少し笑った。部屋を後にしたメイドが戻ってきて、菓子類と飲み物をテーブルに並べていく。お茶のポットと皿に盛られたお菓子。ほわりと鼻を突く甘い香りに微かに食指が反射を起こすが、それを理性で抑え込む。しかし、どうにも見咎められたようでエルグが視線を戻した時、向かいの青年は両肘を立てて組んだ指に顎を乗せた形でにやっと笑っていた。その間に聞こえた音はカチャ、カチャン、と陶器のカップが触れ合う音だけ。

「まあ、勿論きみがおれに敵意を持っている可能性がないとは言い切れないし、後は勘、かな? 直感みたいなものさ。ただ、“なんとなく”の理由は説明する方が難しいから、証明は勘弁して欲しいけどね」
「……貴方の勘を疑う必要などどこにありましょう。私などはこうやってお会いして頂けるだけでも光栄なのですから」

 菓子と飲み物をテーブルに並べ終わったメイドが今度こそ部屋を後にする。どこか楽しそうな表情で青年が指を解き、姿勢を正す。閉ざされた扉の中にいるのは、エルグと屋敷の主である青年だけ。わずか数秒の沈黙の後、先に動いたのは屋敷の主の方だった。

「おれはその敬語も止めてほしいって言ったんだけど……まあいいか。それで? エルグ君とやら。用件は何かな? きみみたいな人間がおれ個人を尋ねてくるってそうそうないからね」
「突然の訪問というご無礼をどうぞお許しください。そしてできればこれからのことも」
「……何かな?」

 頭を下げ、謝る。これがどれほどの無礼にあたるかなどわからないエルグではない。それでも、“そんなこと”はどうでもよかったのだ。次に屋敷の主が彼の顔を見た時、彼は間違いなく微笑みを浮かべていた。

「……『俺』は、貴方を『脅迫』しにきました。エレコレ・ローチェ子爵様」

 その言葉に楽しそうに、愉快そうに、エレコレ・ローチェ――養女(むすめ)に『子爵』と呼ばれる青年は悪戯めいた表情をエルグに向ける。

「いいね。受けて立とうじゃないか」

sideラウファ

「一人だけ……?」

 疑問ではなく困惑に近い意味で首を傾げる僕に、ルノアが目を細める。嫋(たお)やかで、けれどどこか――これは僕の経験上の勘としか言いようがないけど――茶目っ気を含んだ、蕩けるような表情。そして彼女はなんでもないように頷いた。肩の上でアシェルが小さく鳴く。

「ええ、そうよ。隣村に行くから、そこまで荷台に乗せてくださるそうなのだけれど、荷台も乗れる場所が限られているでしょう? だから一人しか乗れないそうなの」
「ふーん。じゃあルノアが乗せてもらったらいいよ。僕は歩くから」

 小さな荷台に山積みにされた野菜を見て、ルノアの言っていることを理解する。確かに二人乗るには少しスペースに無理が出る。けど、同じ馬が引く乗り物でも荷台は馬車じゃない。スピードを出すことを必要としない荷台はゆっくり、それこそ人間の歩みと同じくらいの速さで進む。アシェルを抱いていてくれると嬉しいけど、歩くこと自体は苦にならないし、荷台の横を歩いていても問題はないはずだ。けれど彼女の表情は“先程から少しも変わらない”。上品で眩いほどの、人を魅了するそれに僕は無意識に体を後ろに引いた。

「ラウ」

 リン、と。澄んだ声が鈴の音のように頭に響く。それはいつもよりも、もっとずっと――それこそ劇毒のように身体に回る声。にっこりと小首を傾げる彼女が僕を見上げる。その一切の不純物を含まない笑みに身体が凍った。動いてはいけないと、僕の中で命令がかかる。さっきから感じていた、何か良くないことを企んでいるような色が彼女の顔からはっきりと覗いた。

「ちょっとした、ゲームをしましょう?」

 大輪の花を咲かせるように嬉しそうに、楽しそうに、無邪気に。全ての感覚が狂うほど甘美な声色が零れて融けた。

sideアシェル(エネコ)

「ラウファ、あにゃたね。ちょっと前に言ってた“ルノアの言うことにゃんて聞かにゃい”はどうにゃったのよ。実行された覚えがにゃいのよ?」
「……返す言葉もないです……」

 荷台から降ろされ、到着した隣村をぶらつきながらあたしは早速ラウファを叱咤する。もはやその言葉の存在さえ忘れていたような情けない返事にあたしは前足でラウファの肩をべしべしと叩いた。全く、にゃんでもかんでもいいように使われてちゃ駄目じゃにゃいのよ!! 今回は別に益も害もないことだったけど、あのお嬢様はラウファに対して“死んで”と言うようなひとなのだ。ラウファにはいい加減、『断る』ということを覚えてもらわないと流石に不安になる。

「だって、ルノアが……」
「だってじゃにゃいのよ!」

 しどろもどろ言い訳をしようとするラウファに間髪を入れず威嚇し、爪を立てる。わかってるんだけどね、にゃんてへらへらした緩み切った顔で言ってもあたしは誤魔化されにゃいのよ。これ見よがしに溜息をつき、困ったように愛想笑いするラウファから顔を背ける。

 お嬢様とラウファ。二人の関係を傍で見ていると、時々その異様さと異常さがとても危うくて恐ろしい。
 優しくて、綺麗な世界。そんなものだけをお嬢様は見ている気がするから。そして、ラウファはお嬢様を介してしか世界を見ていないようだから。だから、二人の世界は――正直に言ってしまうと、排他的で、気味が悪いほど――綺麗なまま。それゆえにいつかその代償を支払うときがくるかもしれない、と。このままお嬢様がラウファの手を引き続ければ、何か恐ろしいことが起こりそうだと。

 そう思うのは、あたしの考え過ぎなのか。

sideルノア

 ゲームのルールは至極簡単。ただの『かくれんぼ』なのだから。
 隠れる場所は荷台が連れて行ってくれる隣の村。ラウが村を出た一時間後に今度はわたしが村を出る。そして先に相手を見付けた方が勝ち。ただそれだけ。そんなことをする必要があるのかと困惑気味だったラウを思い出して、少しだけ笑う。ええ、だってただ道を歩くより楽しいでしょう? そう答えたわたしに目を宙に彷徨わさせて言い訳を探して、けれど結局いいよと言ってくれて。なんだかんだと言いながら彼はわたしの詰まらないお願いを聞いてくれる。子犬のようにくるくる表情が変わるラウを見るのは楽しくて仕方がないの。彼といる時間は確かに、愛おしい。……勿論ラウにはきっとどこか帰る場所があって、待っていてくれる人がいて、いつかきっとわたしは彼を見送らなければならないでしょうけれど。それでも。

「ねえ、瑠璃。玻璃」

 わたしはようやく着いた村でラウを探しながら道を歩く。そこまで広くはない村だけれど、ちょうど周囲の村から人が集まって市を開いているらしく、多少の賑わいを見せている。荷台に乗せてくれると言ってくださった方から聞いた話だったけれど、今考えるとあの人もこの市に出すために野菜を運んでいたのかしら? 目に入るのは小さく、粗雑な市。それでも穏やかな人の営みがそこには存在している。息遣い。心音。言葉。温もり。ふっと頬が緩む。名前も知らない小さな村の、僅かな場所だけの活気。記憶にも残らない誰かと誰かがすれ違う時間。ただそれだけのものだけれど、それはきっと途方もなく素敵なことで綺麗なものでしょう? ラウの姿は、まだ見つからない。わたしはもう一度彼女たちを呼んだ。

「ねえ、瑠璃、玻璃。もう少しだけ、いいでしょう?」

 木の実に棲む姉妹にわたしは許可をねだる。もう少しだけ。ラウが記憶を取り戻すまで。ラウがどこかに帰ってしまうまで。それまでの、ほんの少しの間だけ。ラウがわたしを選んでくれたから。だからもう少しだけ、わたしは駄々をこねても良いでしょう? 暫くしても二匹からの返事はない。けれどそれは、拒絶ではなく“好きにしたらいい”という意思表示。わたしは感謝の言葉の代わりにその球体をそっと撫でた。

「……あら?」

 目についたのは、人の中に紛れる見知った後姿。笑みが溢れるのがわかる。腕に抱いているのかアシェルの姿は見当たらないけれど、間違えるはずがないわ。

「ラウ」

 小走りで後ろから近寄り、声をかける。小さな奇声をあげて、それから慌てて振り返る彼に口元が綻んだ。ほら、捕まえた。

「……ルノア」

 ふわり、と。どこか微睡んでいるかのような、小さな笑みがわたしを見付けた。

sideエルグ

 剣もペンもない、駒さえ存在しない情報という名の陣取りゲーム。
 そんなゲームのエルグの勝利条件は唯一つ。目的の情報を相手から引き出すことのみ。そしてそれは――随分相手にお情けを貰った気がするが――エルグの勝利という形で決着がついた。だが、もしこの“秘密の番人”がまともに防衛に回っていたならば、エルグは何一つとして聞き出せなかったに違いない。その証明に息を吐いて身体の力を抜くエルグに対し、紅茶を注ぐ子爵はゲームの間、一貫して飄々とした表情を崩すことはなかった。

「お疲れかい?」
「腹の中、全部見せる羽目になったんは予想外ですわ。甘ぁ見てたつもりはないんですけど」

 ぐったりと乾いた笑いを漏らすエルグに、それは光栄だね、とエルグのカップに紅茶を注ぐ子爵。こぽぽぽ。心地良い音を立ててカップの中に滑り落ちる琥珀色の液体をぼんやり眺めながら、エルグはふーっ、と溜息を零す。

「砂糖は?」
「味がわからなくなるくらい、というのは流石に嫌味が過ぎますかね? ……そのままで」
「あはは。確かにそれはひどい皮肉だ。ちなみに、一度試したことあるけどあまり美味しくないよ」
「……まあ、想像はなんとなく……」

 エルグの返しに苦笑しながら子爵は砂糖を下げ、くるくると銀色のスプーンを持て余す。指の中で回るスプーンの動きに焦点を合わせ、エルグは子爵自身への単純な興味として尋ねる。

「……後悔、してへんのですか?」
「うん? ああ。なるほど、後悔ね。それは何に対してかな? 後悔の意味合いとか、後悔の相手とかに寄っても変わると思うけど。ただ、きみはそれを興味本位で聞いているようだから、答える必要性をおれは持たないかな」

 唐突なエルグの問いかけに、スプーンの動きが止まる。顔を上げるエルグに対し、子爵は晴れやかに破顔した。

「おれは、彼女を愛しているよ」

 それは、それこそ誇るように。

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2014.11.18  20:36:35    公開
2014.11.18  20:48:43    修正


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