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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

4‐3.嘘も真も君のもの

著 : 森羅

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sideラウファ

 結局、昨日は床で寝た。

 何が悪かったかと言われれば――何も悪くはないんだけど――ベッドだろう。安物の、板の間のような硬いところで寝るのに慣れた体はずぶずぶと沈んでいくその感触を気持ち悪いと判断したらしい。こんな上等な羽根布団で寝ることなんてまずこの先ないだろうに勿体無い話だ。安上がりだと言えば、そうなんだけど。長毛の絨毯の感触から這い出し、左腕を伸ばしてベッドのふちを掴んだ。とたん、指に伝わるのはふにゃりとした独特の触感。良質の素材らしくつるつるとした手触りの布団は手の重みに抵抗なく沈んで、それはまるで寝ろと言っているようで。握力の弱った左手が力を失う。だけど、ここで負けると二度と起きれない気がするので指に力を込め一息に体を起こした。

「頭、いた……」

 変な態勢で寝たつもりはないけど、床は本来寝る場所ではないのだから当然の結果なのかもしれない。寝ぼけた頭をこつこつやりながら、ベッドを肘置きにして体を預けた。前髪が目にかかる。立ち上がる気力は、無い。
 今何時だろう。窓から見える空は青く、晴れ渡っていて、どう考えても明け方じゃない。昨日は晩御飯の後にすることもなくて早々に床に入ったはずだから……この頭痛はどうも床で寝たからだけのものじゃなさそうだ。ふわぁ、と大欠伸が漏れる。布団がまた、沈んだ。
 未だぼーっとしたままの頭で特に考えもなく、首の許す範囲で周囲を見渡す。一晩経っても相変わらずだだっ広いと感じるその部屋は、やっぱり相変わらずしんとしていて。ただ一つ、ベッドのど真ん中あたりで桃色の塊が気持ちよさそうに丸くなっていることだけが昨日とは違った。

「アシェル」

 小さな声で呼びかけてみて、数秒。返事の代わりに返ってくるのは寝返り。その拍子に、ふにゃふにゃと口元の緩んだ顔が見えた。……どうやら良い夢を見ているらしい。小さく息を吐き出して、アシェルから目を離す。鳥の鳴く声がする、アシェルと自分の呼吸音が聞こえる、窓から高く青空が見える。
 身体を動かすのがなんだかひどく億劫で、ベッドを枕代わりに頭を寝かせる。顔に掛かるのは消炭色の髪。そして頭を寝かせた途端、真っ白なシーツを映す視界が徐々にしょぼついてきて瞼が落ちてくる。沈んでいると感じるのは布団か、それとも僕の意識か。

 良く寝たはずなのになあ。

sideルノア

「ラウ、聞いてるの?」
「……聞いてるよ」

 わたしの問いかけに本当かどうか疑わしい、適当な返事が衝立の向こうから聞こえてきた。昼前になってもなかなか起きてこないものだから一体どうしたのかと部屋を覗いたら、座ったまま寝ていたのだから呆れてものが言えない。ラウ曰く、もう少し早くに一度起きていたそうだけれど。小さく息を吐き出す。それはラウに対して一割と自分に対して九割。全く、どうしてこんな羽目になったのかしら。
 鏡に映る自分の顔は笑顔といえないどころか、寧ろ不機嫌そのもの。こてで軽くウェーブの当てられた髪。いつも着ているものよりも少し渋みを持つカメリア色の贅沢なドレスはふっくらと膨らみ、裾は引きずりそうで。……何度見ても溜息しか出ないわ。

《そんにゃに睨み付けにゃくてもいいんじゃにゃいって思うのよ》
「いいえ、アシェル。そんなことはないわ。嫌なものは嫌なのよ」

 やれやれと言った様子で溜息を零す子猫にわたしは鏡を睨み付けたまま答えた。いつもよりも大分刺々しい言い方だったに違いないけれど、わたしにとって今の状況は好ましくないという言葉では足りないくらい。しばらく考えて、いつもよりも緩く三つ編みを作っていく。

《そんにゃに嫌にゃら、何(にゃん)で受けたのよ?》
「決まってるわ。子爵に、彼に借りを作りたくないからよ」

 できたそれを仮留めし、もう片方も同じように。よくわからにゃいのよ、とアシェルが呆れたように零した。衝立の向こうにいるはずのラウからは何の反応もない。どうもここに着いたあたりから口数が減ったような気がするのだけれど、気のせいかしら? 目に映るのはわたしを睨み付けてくる自分だけ。

「彼に借りを作るのは嫌なの」

 繰り返して、言う。さっきまでも散々ラウに愚痴を言っていたけれど、嫌なものは嫌なの。子爵に借りを作るのも嫌、こんな格好をさせられて詰まらないパーティに引きずり出されるのも嫌。自分が今、着飾られて鏡の前に立っていることに不快感しか覚えない。ああ、本当にとんでもないことだわ。やっぱり子爵との交流なんて断ってしまう方が良いのかしら。

「そんな悪い人には見えないけど」

 ぽつりと返された言葉は桃色の子猫からではなく、衝立の向こうから。鏡越し衝立に目を向けてむっとする。子爵の肩を持つなんて。鏡越しに真後ろにある衝立を一瞥、わたしは内心に抱えた怒りを三つ編みに押し込める。

「彼はなんだか気に食わないの。どうやっても分かり合える気がしないわ。それに、ラウ。子爵に」

 相性の問題よと言い切るわたしに、ふうんと興味を失ったようにアシェルがそっぽを向いた。言葉を切り、鏡を確認。出来た二つの小さな三つ編みを後ろで纏めてリボンで留める。下した髪を整えて、後ろに括った三つ編みが歪んでいないか確認して。一通り出来上がった自分の姿を上から下まで眺めてから、軽く頷く。念のため、半周。後ろも問題はなさそうね。

「ラウ。出てきても大丈夫よ」
「……んー」

 わたしの声にのそりと衝立の向こうから出てきたラウはわたしを見て数度瞬き。どうやら驚いているらしいその間抜けな顔に、わたしは笑って一周してみせた。アシェルが駆け寄り、ラウの足をよじ登る。

「どうかしら?」
「綺麗だと思う、よ」

 アシェルを抱き上げ、ゆるゆると、眠たそうな目で微笑(わら)うラウにわたしもまた少し頬を緩ませる。子爵の舌先三寸の言葉よりよっぽど嬉しい言葉だわ。もう一度だけおかしなこところがないかどうか確認。わたし自身起きたのは昼を回った頃だったのだから夕刻は早い。『お人形遊び』も十分させられているし、そろそろ時間も押している。わたしは脱ぎ散らかされたドレスの山を見て盛大に溜息を吐き出した。どれもこれも形も違えば色も違う。まったく。こんなに沢山、どこから調達してきたのかしら。

「お嬢さま。出来上がったなら、おれにも見せておくれよ。というより部屋に入れておくれよ」

 見計らったかのように扉の向こう、つまり廊下から子爵の苦笑いが聞こえる。微笑を一転、わたしは扉を冷たい目で一瞥して、一言。

「もう出るから、外で待っていたらどうかしら?」
「……ひどいねぇ……」

 険のある拒絶は彼には通用しなかったらしい。わたしが言い終わるか終らないかのところで肩を竦ませ、無遠慮に部屋に入ってくる子爵。当然、良い気分はしない。

「入って来ないで頂戴」
「おれの屋敷(うち)なのに……。ひどいと思わないかい、ラウファ君」
「え、あの。え? えっと」

 唐突に話を振られたラウは、何と答えたらいいのかわからないと言わんばかりに首を右往左往させてわたしと子爵を見比べるだけ。アシェルは何も言わず、わたしはからかうように笑う子爵にさっさと釘を打つ。ああ、面白くないわ。

「ラウに話を振らないで頂戴。ラウ、答えなくていいわ」
「おやおや。まるで玩具を取り上げられて、拗ねているようだよ? お嬢さま」
「拗ねてなんていないわ」

 不機嫌を通り越して怒りすら湧いてくるのを噛み潰し、わたしは子爵に即答する。尤も彼は楽しそうに笑っているだけだったけれど。ああ、本当になんて気に食わないのかしら。自分でもわかるほどむすりとした顔をして、わたしはラウの方を一瞥する。腕の中で静観に徹しているアシェルがほくそ笑んでいるように見えるのがどうにも憎たらしくて仕方がない。

「ルノア、今、怒ってる……?」

 多分、何がどうなっているのか分かっていないラウが、おずおずといった様子でわたしの顔色を伺うように尋ねてくる。怒っているけど怒ってないわ! ええ、これは苛立っているだけなのよ。ああ、これもそれも何もかも子爵のせいだわ。わたしは強引に話を切り上げようと声を発する。

「怒ってないわ。アシェル、行きましょう」
「そうとも、ラウファ君。お嬢さまはね、おれがきみにちょっかいを出すのが面白くないだけなのさ」

 ぽん、と気安くラウの肩に手を置き、にやりとする子爵。彼の言葉と言動一つ一つが気に食わない。ええ、そうね。どうしてかしら、いつもよりさらに気に食わないわ。彼、こんなに嫌味な人だったかしら。ラウが彼を見上げて目を丸くした。えっとそれってどういう意味ですか、そんな言葉がラウから漏れる。けれどそれの答えをわたしは子爵に言わせない。

「子爵。あなたはそろそろその口、縫い針で縫ってもらった方が良いと思うわ」
「おや。怖い怖い。まあ、そうだね。そろそろ時間だ。頼んだよ、お嬢さま」

 ぱっとラウから手を離し、ひらひらと軽薄なそぶりで手を振る子爵をわたしはできうる限りの三白眼で睨み付けた。アシェルには付いてきてもらう予定なのでラウからアシェルを受け取り、じゃあ行ってくるわとラウに“だけ”笑う。

「行ってくるわ」
《のよ》
「うん……?」

 何が起こっているのか把握しきれていないラウは首を傾げて、曖昧な笑顔を作った。
 ドレスの裾を持ち上げて、ドアの前まで。そこでふとさっき切れてしまった言葉の続きを思い出す。後ろを振り返り、子爵を一見。わたしは笑った。

「ラウ。あのね、子爵に気を許しちゃ駄目よ。彼は怖い人だから」

sideラウファ

 ルノアが出て行ったあとで、何が楽しいのかにやにやと笑っている子爵を僕は見上げる。それに気づいたのか、彼は視線を落として破顔した。明るい茶色をしたその髪が眉間のあたりに掛かるけど、気にも留めていないようだ。ただ、子供のような、心底楽しそうなそれを浮かべる理由が僕にはわからない。だって、ルノアは、怒ってなかった? 怒っていたのに、笑うなんて。

「可愛いね。お嬢さまは」
「ルノア、怒ってたと思う……んですけど」

 肩を震わせ、笑いを噛み殺してそう言う子爵に僕はそう首を傾げるしかない。ルノア本人は怒ってないと言ってたけど、じゃあ、なんであんなに不機嫌だったんだろう。特にこの子爵という人に対しての応答が凄まじく、悪い。あそこまで不機嫌な感情を露わにしているルノアを見るのは初めてだ。彼女はいつも楽しそうに、笑っているから。けれど僕の言葉を彼は鼻で笑う。

「怒ってるんじゃないよ。あれは拗ねているだけさ。きみを取られるんじゃないかってね。いやあ、彼女をからかうのは、楽しい。これ以上の遊びはなかなか無いね」
「取られる……?」

 取られるって、僕が? 誰に? 彼に? というよりもまず僕はルノアの所有物じゃないんだけど。いやそうじゃなくって……取られる? 子爵の言葉に僕はよっぽど呆けた顔をしていたのだろう、髪色と同じブラウンの瞳が笑って、言葉を付け加えてくれた。

「子供の独占欲と同じこと。まあお嬢さまも十分子供だけど。あれは玩具を取られるのが嫌だと駄々をこねてるだけ。ほとんど無自覚なんだろうけどね。どちらにせよ可愛いものさ」
「玩具は僕ですか……?」

 ルノアの玩具。
 いやそりゃ今までの出来事を思い返せば確かに僕はルノアの言うことを聞いてしまってるけど、でも一応僕としては僕だって頑張って抵抗しようとしたことはあるわけで、つまりその一応僕はその。……心境は複雑極まりない。何かこう、胸のあたりにずしりとしたものが乗った気がする。悶々とする僕を、褒めてるんだけどね、と肩を竦ませる子爵。だけど全くと言っていいほど褒められている気がしない。その言葉を本気で言っているのかもわからない僕は苦笑とも微笑とも取れない微妙な顔をして首を傾げるしかなかった。

「さて、怖い怖いお嬢さまは出かけたし、鬼の居ぬ間に少しおれに付き合わないかい?」
「……え? どこ、に」

 唐突な言葉を呆けた顔で見上げると、にんまりとした顔が笑っていた。えっと。ええっと……? 何かとても良いことを思いついたような顔。けどそれは人の都合を考えない笑顔だ。種類は違うけど、多分、用途としてはルノアの笑みと同じそれ。ああ、やっぱりルノアの知り合いなんだなと僕は改めて理解した。

「どこに。うーん、そうだね……。折角だから湖の方へ洒落こもう」
「あの、僕」
「瑠璃玻璃のラプラス姉妹も出してあげると良い。預かってるんだろ」
「そうですけど、そうじゃなくてあの」

 僕の話を聞いて欲しい。
 良い案だ、と満足げな彼はとっとと出口の方へ向かってしまう。僕、行くなんて一言も言ってないんだけど……。なんだろう、お金持ちというか、これが身分とかいうものなんだろうか。それともルノアと彼が似ているだけなんだろうか。ルノアがおかしいと思ってたけど、実はルノアみたいな人って結構いるとか。……いやそれはないだろう。だってそんな恐ろしいことがあり得て良いはずがない! じゃあやっぱりこの子爵という人もちょっと変わった人で、だから、だから。……答えが見つからない。あれ、えっと元々は何を考えてたんだっけ? ……ああそうだ、どうしていきなり湖の方へ付き合って欲しいなんて僕に言うんだ、ってことだ。それで、えっと。脳は容量をとっくの昔に超過したらしく頭痛がする。そして、思考に飛び過ぎて完全に行動が止まっていたらしい僕は、子爵がこちらを振り返っているのに気づくのが遅れた。

「ん。どうかしたのかい?」
「あ……。えっと」

 不思議そうな声。その声に怖い人だから、とルノアの言った言葉が思い出される。怖い人だから、気を許しちゃだめよ。反芻する言葉に少しだけ身を引いた。

「どうして、ですか?」

 なんとか吐き出した言葉の、自分自身でもあまりよくわかっていなかった意図を彼は間違いなく汲み取る。

「うん? どうしてきみを誘うのか、その理由が必要かい? ……うーん。そうだね、ならこうしよう。おれはあのお嬢さまが大好きで仕方がないんだ。ああ、勿論恋愛やら愛情やらではなくて、純粋なる興味としてね。だから、そのお嬢さまが気に入ったというきみの話を是非聞きたいのさ。どうだい?」
「は、あ……」

 どうだいと言われても、全くもって良くわからない。僕が話せることなんてほとんどないんだけど。けれどそれ以上の問答を彼は許さず、僕の手首を掴んで歩き始めた。体位が崩れて、声が漏れる。それでも足は止まらない。引きずられるように連行されながら、ふと聴覚が子爵のものであろう声を捉えた。

「いやはや、あの『化物』がねえ」

 感慨深そうに吐き出された言葉の意味は、何?

sideアシェル(エネコ)

 定期的に揺れる馬車の中で、お嬢様はぼうっと外を眺めていた。あたしは彼女のすぐ傍でクッションの感触に満足しながら彼女の様子を伺う。詰まらなさそうに外を眺め、深いため息を吐くお嬢様。その憂鬱気な横顔は馬車に入ってから一向に変化がなかった。タイミングを掴み損ねていたあたしは、けれど意を決して言葉を発する。

《お嬢様》
「何かしら、アシェル」

 ふと思い立ったような、なんでもないようなさりげない感じで。名前を呼ばれたお嬢様の視線があたしへと落ちる。いつもならその動作に従って揺れる三つ編みは、今日は後ろで結ばれてしまっていて揺れることはない。ふわふわとウェーブを掛けられたそれは、どうにも見慣れなかった。

《あにゃたに言いたいことがあったのよ》
「何かしら?」

 あたしの言葉に微かに口角を上げて微笑むお嬢様。けれどあたしはそれに表情を変えることはしない。ただただ静かに、ただただ冷静に、冷徹に彼女を見上げるだけ。ざらりとした舌を口の中で転がし、あたしはあのエルグと名乗るゾロアークの一件からずっと気に食わなかったそれについて糾弾する。

《あにゃた、ラウファに嘘を吐いたのよ?》
「いつの話かしら?」

 そして、表情を変えないのはお嬢様も同じだった。ただただ笑って、あたしを見る。頬に細い指を添え、いつの話かしら、と。数が多すぎて、わからないわ、と。……耳の奥で毛細血管が纏めて引き千切れる音がした。

《あにゃたが、この避暑地に来たいといった理由のことにゃのよ! あにゃたね、あにゃたね! あんにゃ嘘、普通にゃら見抜けにゃいはずがにゃいのよ! 杜撰にも程があったのよ!? あにゃたは、“ラウファだけを騙ませればそれで良かった”のよ!? 違うのよ!?》

 気づかないわけがない。あの様子を見て違和感を得ないはずがない。
 ゾロアークと会った後、知り合いがいるからここに来たいと、そう言った彼女。その様子はラウファでさえどこかおかしいとわかるほど、ぼんやりとしていて覇気がなかった。いつもの毒物のようなひとに逆らわせない声の調子はなく、強烈なあの笑みもなかった。極めつけに、いつもならひとの意見なんて求めもしないだろうくせに“断られたらどうしようかと思ったのよ。だから、不安だったの”なんて言い訳じみた言葉を抜かす。確かに長く付き合っているわけではないけども、それでも断言できる。彼女はそんなことを言うひとではない。何かが、何かがお嬢様の重要な部分に触れたのだ。いつもの自分を見失わせるような『何か』があの一件のどこかであったのだ。それが何なのかを語らないのはまだいい。あたしはそこまでひとの心に踏み入ろうなんて思ってない。けれど、お嬢様がその取り繕うような言い訳じみた、取って付けたような『嘘(ことば)』を発した理由は。その意図は。
 ラウファだ。ラウファには“わからない”から。そう言えばそれで違和感の理由を納得させることができるから。その言葉はたった一人を誤魔化すためのあまりにも杜撰で、粗雑な嘘。ラウファに自分自身の状態についてそれ以上突っ込んでほしくなかった故の嘘。なぜラウファに嘘を吐かなければならなかったのかその理由は分からないけど、それがあたしには、途轍もなく、気に入らない。そんな杜撰な嘘でも、他の誰も騙せない嘘でも、彼は信じてしまうのを知っていて、それを利用して、お嬢様は嘘を吐いたから。

 信じることしか知らない人間に、嘘を刷り込んだから。
 それは、卑怯だ。フェアではない。
 それならいっそ、これ以上何も言わないでほしいと、何も聞かないでほしいと、そう言う方がまだマシなくらいだ。彼女は“自分の心に何かがあった”ということさえもラウファに隠したのだ。

 どれだけドスを利かせても、甘えるような声はそのまま。それでもできるだけ鋭い声で怒りを露わにする。あたしは怒ってるのよ! と、あたしを見下ろすヘーゼルの瞳を睨み付ける。それに軽蔑や侮蔑が含まれていたことをあたしは否定しない。逸らす気はさらさらない。それでもお嬢様は笑みを浮かべたままだった。困ったように小首を傾げ、頬に触れていた指はその輪郭をなぞる。

「ええ、そうよ」

 そして、返答はあまりに鮮烈にあたしに告げられた。悪びれる様子もなく、当然のように、実にあっさりと。にっこりと、綺麗に笑って。

《にゃ……!?》
「ええそうよ、アシェル。わたし、ラウに嘘を吐いたわ。でもそれはいけないようなことだったかしら? 何か、そんなに困ることが起こるような嘘だったかしら? 違うでしょう?」

 ヘーゼルの瞳が黄色に歪む。心地良い声域の言葉が、耳を撫でる。
 それは誰かを傷つけたかと。
 それはラウファを困らせたかと。
 ……そんなことはしていない。確かに誰も傷つけてはいない。誰も困ってはいない。ただ、ラウファに伝わらなかっただけ。お嬢様の行動の、挙動不審の理由が、正しく教えられなかっただけ。それは正しくフェアではないが、間違いなく現状の誰も困らせてはいない。
 それでも。
 それでもそれは、間違ってはいなくとも、正しくもない。
 それは、途方もなく『ズルい』のだから。

《あにゃたは。あにゃたは……自分の本心を誰にも見せにゃいつもりにゃのよ……!?》

 精一杯の抵抗の言葉を、反論の言葉を、あたしは口から絞り出す。
 それは誰かを困らせる嘘ではない。確かにその通りだ。けれど、それでいいのかと。お嬢様、あなたはわかっているはずだと。それが、誰も傷つけてはいなくても、正しくはないと。間違っていないということが、正しさの証明にはならないと。
 だがしかし、その言葉でさえ彼女には通用しない。嫣然と笑ったまま、小さな体躯の少女は毒を吐く。

「アシェル、ならどうしてあなたは、その時に何も言わなかったの?」

 耳から注ぎ込まれた劇毒にぴたりと言葉が止まった。
 それは、という言葉が掠れる。その理由を言葉にするのであれば、不可侵。お嬢様が何を隠したがっているのか、それはわからないけれど、でも隠したいなら隠してたらいいと、そうあたしは思ったから。あたしには誰かの心と行動を鑑賞することはできても、干渉する権利はない。そう思っているから。それはあたしのルール。
 けれど、それはあたしと彼女の関係であって、彼女と彼の関係ではないはずなのに。
 ラウファは、あの子は、あんにゃにもあにゃたを信じているのに。

《……あにゃたは、自分を信じてくれる人間を、裏切るのよ?》

 精一杯の反論。
 それに答えるのは沈黙と定期的に揺れる馬車揺れだけ。

sideラウファ

 天に上りかける白い月に、大きいなとそう思った。
 揺らめく湖面には今は何も映っていない。近く感じた湖だったけど、歩いてみれば思っていたより距離があった。つまりそれだけ湖が大きいということ。が、時間がかかったのは距離のせいではなく寧ろ僕をここに誘った張本人があれも持っていこうこれも持っていこうと、言いだしたせいだろう。屋敷を出るころにはすでに日は随分沈みかけていたのだから。重たいバスケットから甘い匂いが風に乗ってくる。尤も本人は今から夜になるなんてことを全く気に留めている様子がなかったけど。

「護衛とかいらない、んですか」

 もうここにまで着いておいてなんだけど、ふと気になったので尋ねる。薄暗くなり始めた、けれどまだ目の利く時間帯。夏の日は長く、けれど日が沈まないわけではない。『子爵』と名乗るからにはそれなりの身分の人だろうにこんなに自由で、護衛もなしでいいんだろうか。僕の言葉に彼は少し驚いたように目を丸くして――すぐ笑った。

「ああ、構わないよ。というか、付いてこないよう言っておいたしね」
「どうして?」

 “付いてこないように、言っておいた”。昼間ならまだしも今から夜になるのに。つい、怪訝な顔をしてしまった僕に彼は相変わらず笑ったまま。楽しそうに、面白そうに。

「そりゃ、きみと話がしたいからさ。余計な邪魔をされたくない」

 さくさくと草を踏む音。湖面を渡る風は申し訳程度で、歩いてきたせいかじっとりと汗ばんでいた。低い月が浮かぶのはまだ少しの青みを残した空。湖を背景に、彼は仰々しいそぶりで手を広げる。

「内緒話に、聞き手なんてものは要らないだろう?」

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2013.11.21  19:20:40    公開


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