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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

4‐2.アヤメの花冠は誰のもの

著 : 森羅

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sideラウファ

「ねえ、ラウ。起きて頂戴」

 甘い甘い声。陳腐といわれようともそれ以上的確な表現はなく、それ以上に形容しようがない声。いやそりゃ勿論、他に言いようがないわけではないし、もっと詳しく言うこともできるけど、今重要なのはそこではない。声が、僕が知っているものとは違うのだ。寝ぼけた視界に入るシルエット。それは自分が知るものととてもよく似ていて……けれどやはりそれも異なるものだった。

「……だれ?」

 凝り固まった体に難儀しながら掠れた声を吐き出す。僕の問いかけに、僕を覗き込んでいたその人は笑った。目を擦り、ぼけた視界のピントを合わせる。目に入るのは西日を受けて煌めく、透けるような金色の、髪。豪奢なドレスが風と踊る。赤色の太陽の光が、部屋中の色を変えていた。そして彼女は赤色に染まった顔で、口元をへの字に曲げる。

「あら、忘れちゃったの? あなた、薄情なのね」
「……誰? 僕を、知ってる、人?」

 もう一度、もう少しまともな言葉で問いかける。忘れちゃったの、と言うってことは僕を知っているのだろうけど、そんなことを言われても僕には見覚えがない。記憶がないのだから。けれど目の前の彼女は僕の問いかけには答えず、楽しそうに笑ったままくるりとその場で一周して見せた。赤色と金色に焼ける空。それを身に映す彼女はきっと綺麗だと言うのだろう。この光景は、幻想的だと言うのだろう。そんなことを思いながらぼんやり彼女を見ていると、一人楽しそうにくるくる回っていた彼女は足を止めて、再び僕を覗き込む。

「どうかしたの?」
「どうって、あの……」

 不思議そうに首を傾げる彼女に喉元で言葉が行方不明になる。腰に届きそうな長い金糸が重力に従って流れた。蜂蜜のような黄金色をした、大きな目が僕を映す。西日が差して赤みの強くなったそれは、本来ならばもう少し淡い色をしているのかもしれない。おろおろする僕にくすくすと、そんな擬音語が正しいだろう笑い方で彼女は相変わらず笑う。僕の様子が面白くて仕方がないと言うように。

「わたしの名前はね、ルノアよ。ラウ」

 一切の抵抗を許さない雰囲気を醸して、囁くような声で彼女はそう言う。頭の中で彼女の声がこだまを起こす。舌が、痺れた。
 ルノア、と。無意識にその言葉を復唱しそうになって、けれど口を半開きのまま僕は固まる。頭の中のこだまが消えた。……え、ルノアって、えっと。ルノア? 話し方、声質、雰囲気、確かに似てる。人を魅了してやまない麻薬の様な甘い声も、楽しそうな笑い方もそっくりと言っていいほど良く似ている。え、でもルノアはヘーゼルの目で、髪の色はコーラルで、金髪ではないはずで。

「あら、どうかしたの? ラウ」
「えっ、と……『ルノア』?」
「そうよ? 何かおかしいかしら?」

 微笑みながら彼女は僕と目を合わせる様に屈んだ。とろんと細めた金色の、蜂蜜色の目。金色の髪が模様のように床に広がる。何が起こっているのか全く状況に対応できない僕を無視して、彼女の左手がおもむろに僕の白布を掴んだ。すべすべとした白い手がかすかに白布を引っ張る。赤色に燃える世界はとても静かで。
 ぞくりとして、身を竦めた。この場の支配者は間違いなく彼女だった。赤みを受けた金糸が頬に触れる。反射的に目を閉じた途端、耳に人肌の、生暖かい吐息が掛かった。

「嘘だけれど」
「……え……っ?」

 囁かれるのはからかうような声。人肌の温度が何の未練もなく、消えた。ぽかんとする僕に彼女は心底楽しそうに笑う。悪戯が成功したと言わんばかりに、少し馬鹿にした様子で。

「ふふっ。あなた、面白いわね。本当だと思ったのかしら? ねえ?」
「……えっと、あの……嘘って……?」

 全く訳が分からない。嘘って、どこからが? 僕を知っているってところから? それとも『ルノア』と名乗ったところから? え、あ、えっと、ルノア? え、嘘って。え? 嘘? 唐突な発言に頭が混乱する。えっとじゃあ、じゃあ『ルノア』は、誰? 

「わたしはルノアじゃないわ。からかっただけ。あなた、騙されやすいのね」

 未だ放心状態の僕に、彼女が小馬鹿にしたように笑う。そして、屈んだ時と同じように唐突に立ち上がった。僕はぼんやりと彼女を見上げるだけ。くるり、くるり。また回り始める彼女。回るたびにドレスの裾が中空を泳ぐ。夕焼けに染まって赤い花が咲くように膨らむそれが、正しくは何色であるのか僕は知らない。金色の髪が、橙の光を受けて弧を描く。
 何をしているんだろうと思ったし、何か言わなければならない気がした。僕を知っているのか、尋ねたかった。けど、結局は何も言えなくて。何の言葉も出てこなくて。何を言うのも、許されない気が、して。

「ねえ、ラウ」
「……」

 目が回らないのかと思うような回数を彼女はすでに回っているはずだった。けれど、その表情は相変わらず楽しそうで。まるで、踊っているようで。
 夕焼け色に染まった世界。彼女一人のためにこの舞台が用意されていた。きっと、これは綺麗だと言うのだろう。紅茶にミルクを零したように、色は撹拌されて現実味と元の色合いを失っていく。絨毯の、机の、本棚の、ベッドの、元の色は何色だったっけ? ああ、そんなことどうでもいいや。

「ねえ、ラウ」
「はい」

 催眠術にでもかかったように、答える。橙と赤に染まった絨毯の上で、宙を踊っていた金色の髪が肩に流れる。花を咲かせていたドレスが萎む。蜂蜜色の瞳が、少し優しい声で僕を呼ぶ。頭と耳に反響する声。他のことなんてどうでもいいと思わせるそれは抗い難く心地良い。ルノアよりも少し年上らしい彼女の声はルノアのそれよりも色めいていて、幼さの代わりに凛とした静寂さを纏っている。けれど、もし彼女をルノアの年齢に戻したら、きっと今のルノアと同じようになるのだろう。ルノアが彼女くらいの年齢になったらそんな雰囲気を持つのだろう。記憶の中のルノアの声と、目の前の彼女の声が和音を作る。どうしようもなく甘く、聞きなれた声の調子で。

「ねえ、ラウ」
「……はい」

 繰り返し繰り返し、僕を呼ぶ。けれどそれ以上の言葉は返ってこない。ただただ、楽しそうに笑うだけ。繰り返し繰り返し、僕の名前を呼ぶだけ。
 続きを急かそうとルノア、とそう呼びかけて留める。ルノアじゃない、この人は、ルノアじゃない。ルノアは金色の髪じゃない。ルノアは蜂蜜色の、金色の目じゃない。ルノアは。

「ねえ、ラウ。忘れちゃったの? ねえ、あなたは、忘れちゃったのかしら?」
「僕を、知ってるん、ですか……?」

 やっとのことで吐き出した声は、喉元で押しとどめたものを無理やり吐き出したような声だった。呆けた顔で彼女を見上げると、彼女は後ろに手を組んで微笑む。傾げた首に髪が掛かっていた。赤橙に染め上げられたドレス。それを飾るのは金色の髪と、宝石のような金色の目。眼を、逸らせるはずはない。

「ええ、だってあなたはわたしのモノでしょう?」

 角砂糖で出来た音にとうとう舌の感触を失う。しつこく甘い声に、思考を放棄したくなる。誘うように右手を僕に指し伸ばして、楽しげに微笑を浮かべる彼女。彼女は、僕の、何? 僕は、彼女の、何?

「わたしに忠誠を誓ってくれたでしょう?」
「僕が、ですか……?」

 彼女は相変わらず笑ったまま。僕に手を伸ばして、笑ったまま。けれど、僕はどうしたら良いのかわからなかった。彼女のことを、僕は、知らない。僕は知らない。『僕』は知ってた……? でも、僕は彼女を知らないんだ。その金色の髪も、金色の目も。その笑顔も、表情も。
 その顔に、その声に、よく似た子なら知っているけども。

「あら、どうしたのかしら? ラウ」
「僕は、君を、知らない。……です」

 不思議そうな声に僕は首を振った。知らないのだと、覚えていないのだと。だから彼女のその手は取れないのだと。すると彼女はきょとんとした顔をして……満面の笑顔を咲かせた。

「あなた……ええ、とてもすてきだわ」

 ドレスのひだがゆっくりと揺れる。くすくすと少し体を折って笑う彼女。その笑みは嘘だと、自分はルノアではないと、そう言った時のそれに良く似ている。ぱらりと、白布が擦れる音がした。

「ごめんなさい、少しからかっただけなの。わたしはあなたを知らないわ」
「…………」

 笑いを堪えながら彼女はそう言って、口元に拳を添える。失笑を、隠すように。
 二度目の、衝撃。茫然というよりも、唖然というよりも、何が何だかわからなくて今度は声も出ない。差し伸ばされていた彼女の右手がそのまま僕の頭を撫でる。指が消炭色の髪を梳く。その指の感触がくすぐったい。

「あなた、素直ね。とてもきれいなのね。ふふふっ。……ああ、でもあなた、色んなものを失くしてしまったんでしょう? あなたの前にいた『あなた』は居なくなってしまったんでしょう? 昔のことを忘れてしまったんでしょう?」

 彼女の指に前髪が分けられる。蜂蜜色の目が僕を見下ろして笑う。夕焼けを受けた頬は赤くて。綺麗で、本当に綺麗で。

「ねえ、ラウ。お願いがあるの」

 とろりと、言葉が喉を滑った。からからに干乾びたはずの喉がこくんと音を鳴らす。彼女の姿は夕焼けの色に融け込んでいるようで、金色の夕陽に混ざっているようで。

「ねえ、ラウ。あなたなら。……今度こそ、ルノアを護ってくれる?」

 どこか憂いを含んで彼女はそう、微笑んだ。

sideルノア

「……ほうほう。相変らずきみの行動は破綻してるね。いや、聞いていて楽しいよ」

 子爵と会うのは久しぶりということもあって、話すことはいくらでもあった。尤も、何でもかんでも彼に話すつもりはなかったのだけれど。相変らず彼は人にしゃべらせるのが、上手い。ここに戻ってきた理由がラウにあるのは彼に読まれてしまったけれど、ラウのことからそうなった経緯まで話してしまうなんてどう考えてもしゃべりすぎているわ。小さく息を零した。
 そして当の子爵は空のカップに何杯目かも知らない紅茶を注ぎながら、ただただ嬉しそうにわたしの話を聞く。昼頃にはここに来ていたはずなのに、気が付けばもう、大分日が傾いていた。……ラウとアシェル、退屈してるんじゃないかしら?
 もう飽きたという意思表示にわたしは溜息を吐き出す。けれど、子爵はそんなことでわたしを解放してくれる人ではない。わたしのことなんて見向きもせずに気だるげに頬杖をついてカップを揺らす。

「人間に翼、ね……。珍品にもほどがある。いや、“欲しい”ねえ」
「言っておくけれど、ラウに」
「わかってるさ。何事も信用こそが肝要だ。他言するつもりはないし、手も出さない。きみに嫌われたくはないからね」

 人差し指が伸びて、当然だろうと言わんばかりに左右に揺れる。途中で言葉を切られて、わたしは口をつぐんだ。彼の行動は軽薄に見えるけれど、彼は仕事と遊びの線引きを誤らない。それは、間違いないはず。
 言う言葉を失ったわたしは、黙って紅茶を口に含む。わたしの目の前にまで伸びてきていた彼の腕はテーブル中央に置かれたお菓子をつまんで、引き下がった。

「まあ、なんとなくきみが興味を持つのもわかる子だと思ったけどね。勿論、ぱっと見だからなんとも言えない部分もあるけど。でも、へえ。きみが声を荒げて怒鳴るとは! きみともあろうものが、自分を見失いそうになるくらい不安になるなんてねえ」
「二度とそんなことにならないために戻ってきたのよ。……やけにラウに興味を持つのね」

 彼にラウのことを話したのは失敗以外の何物でもなかったらしい。余計なことをしゃべり過ぎた自分への羞恥と合わさってほろ苦い味が口に広がる。棘のある言葉と態度で応戦するも、彼には通用しない。どこ吹く風と言わんばかりに彼はにんまりと笑ったまま菓子を噛み砕き、紅茶で流し込む。その食べ方は本当に爵位を持っているのかしらと首を傾げたくなるほどあまり品が良くない。

「成程成程。結構結構。……ん? 当然だろう? おれは面白いものが好きだからね。きみが自分を見失うくらい、不安になるくらい目をかけているとなれば興味が湧くのも当然さ。それに」
「それに?」

 ごきゅん、という喉が詰まるような嚥下音がして、彼の口が止まる。ふっ、と一瞬彼の表情から笑みが消えた。風がカーテンと遊ぶ。少し夕暮れが近づいてきたらしく、太陽は赤みがかってきている。微かに見える湖面がきらきらと輝いていた。

「ん……いや。……まあ、いいや。気にしないでおくれよ? 野暮なことを言いかけただけさ。で、彼に当てはあるのかい?」
「……当て?」

 腑に落ちないものを感じながら、それでもわたしは彼の言葉を反復する。少しだけ、カップを持つ手が揺れた。琥珀色の液体に、自分の顔が映り込む。首を傾げるわたしに子爵はやれやれと大仰なそぶりで首を振り、決まってるじゃないかと言葉を続けた。

「ラウファ君の記憶の『当て』さ。探そうとすれば、いくらでも手がかりになりそうなことはあると思うけど?」
「……今のところ、ないわ」
「……ふぅん?」

 わたしの答えに子爵がわたしを見下ろして、詰まらなさそうに笑う。何か探るような含みを持ったその笑い方は憐れんでいるようにも見えた。
 紅茶の入ったカップを置き、彼は居住まいを正す。道楽者の姿が消えたその目はまっすぐこちらを見ていた。

「じゃあ尋ねよう。お嬢さま。もし、彼が記憶を取り戻したとして、きみはどうするんだい? きみのことを忘れてしまうかもしれない。どこかへ行ってしまうかも。それでも、構わないと?」
「どうしようと、わたしの勝手でしょう?」

 そんなこと考えたことがなかったわ、と笑っても彼はきっと許してはくれない。けれどそんなことを考えたことはなかった。ラウがラウでなくなってしまうかもしれないなんて、いなくなってしまうかもしれないなんて考えたことがなかった。わたしの声は震えていたかもしれない。視線をカップの中身へと移す。液体は細波立っていて、わたしの顔を歪めて映していた。

「いやいや。是非答えてほしいね。だって、きみが。きみが見初めた少年だよ? お嬢さまのお目に留まるなんてよっぽどじゃないか」

 さっきまでの真顔はどこへやら破顔したらしい陽気な声を上げて、それでも彼は追及を止めない。尋問を止めない。ああ、なんて嫌味ったらしいのかしら。
 にやりと笑った子爵の顔が頭に浮かんで、わたしは顔を上げた。少しだけ口元を緩めて、彼を射すくめる。もう、声もカップも震えてはいない、細波立ってはいない。そんなわたしの顔を眺めて子爵は笑う。余裕綽々と言わんばかりに。

「子爵。そうね、ラウがわたしのことを忘れてしまうかもしれないわ、どこかに行ってしまうかもしれないわ。けれど、それがラウの幸せなら、わたしはそれで構わないわ。幸せを願ったらおかしいかしら?」

 わたしの言葉にほほう、と感服したような声を零す子爵。わたしは笑みを崩さない。ええ、だって、そうでしょう?

「ふふふっ、お嬢さま。いや、素晴らしい。いや、面白い。成程、“そう答える”か」
「当然でしょう?」
「全くだ。いや失敬。きみはその答えを“知っていた”ね」
「ええ」

 彼の言葉に頷き、秘密を共有して笑い合う。ええ、そうなの。わたしは、きっとそう選ぶわ。
 ふっと肩の力を抜くわたしに、子爵は再びカップを持ち上げ、紅茶をすすった。そして、何でもないようにぼそりと言葉を零す。

「でもきみなら、地の果てからでも探し当てそうだと思ったんだけどね……」
「あら、それもいいわ」
「おや、聞こえていたのかい。耳ざとい。どうだい、このまま昔話と行くのは? ……ああ、昔話と言えばラプラス姉妹は? 元気かい?」

 彼の呟きに応答するわたしに彼は肩を竦める。そして、ふと思い出したようにわたしの腰のあたりに目線を落とした。釣られるようにわたしもまた、同じ部分に目を落とす。丸く加工された木の実のそれが、小さく揺れた。子爵に目線を戻し、軽く頷く。

「ええ、当然でしょう?」
「失敬、愚問を零した。彼女たちに何かあったらきみはたまらないだろうしね。ああ、よかったら、ここに滞在している間、湖に放してやるといい。そのボングリの仕組みはおれにはよくわからないけど……狭苦しそうだ」
「ええ、そうね。お言葉に甘えようかしら」

 ボングリを撫で、子爵の提案に笑う。ボングリの中が狭苦しいのかどうかわたしは知らないけれど。沈みかける太陽を映して、赤く映える湖に目を細める。昼時とは違う涼しさを孕んだ風が頬を撫でた。夕暮れが近い。一体何時間経ったのかしら? そろそろ、と子爵に言いかけて、けれど彼は難しい顔をして遠くを見ていた。

「……」
「どうかしたの? 難しい顔をして」
「……ん、ああ、いや。そうだな……。彼の、ラウファ君のことで一つ、思い当たる話がある。知りたいかい?」
「何かしら?」
「いや……確証はないんだが……う、ん……」

 言い出したのは自分の癖にどうにも歯切れの悪い子爵にわたしは首を傾げるしかない。また後で聞くわと、そう言う方が得策のような気がした。わたし自身、ラウの話を蒸し返されるのはあまり気分が良くないし、それにもういい加減彼と顔を突き合わせるのにも飽きてきている。けれど子爵は何か思いついたようにぱっと表情を明るくして一つ、手を打った。

「ああ、そうだ。いい考えがある。知りたいなら代わりに一つ、お願いがあるんだ。明日に、ちょっと呼ばれてるんだけど、おれは行きたくないんだよ。上辺っ面で笑うってのは好きじゃなくてね。まあ、ある程度の付き合いは必要だし、サロンにも行くけどさ。でもさ、休暇中に仕事したくないんだよね」
「子爵? あなた、何を言ってるの?」

 わたしのことなんて知ったことじゃないと言わんばかりに捲し立てる子爵にわたしは目を丸くするしかない。あなた、わたしに何を言うつもりなのかしら?
 わたしの目の前で、わたしの話をしている。それはわかる。わかるけれど、ならどうしてその話にわたしの声が届かないのかしら? これは良案だと満足げに頷く子爵はにっかりと、やっとわたしを見て笑った。

「パーティがあるんだけど、出ておくれよ」
「嫌よ。確証のない話には乗らないわ」

 碌なことを言わないとは思っていたけれど、やはり碌なことを言わなかった子爵にわたしは即答する。一寸の迷いなく言い切ったそれに、子爵は失笑を漏らして頭を掻いた。

「まいったね……。きみとおれとの位の差、知ってる? そんな態度普通は許されないよ?」
「ええ、知っているわ。でも嫌なものは嫌なの」

 これ以上なくばっさりと言い切るわたしに、子爵は上目遣いで、不満を垂れる。

「……相談料も足しておくから」
「何の、かしら? 相談してほしいなんて頼んでいないわ」
「でも、きみは黙って溜め込むタイプだからね。結構参っていたと見た。おれのところにわざわざ来るほどだからね」

 ぴしっ、と人差し指を立てる子爵にわたしは口を閉ざした。そこを突かれると正直、反撃できない。にやりと笑う彼が追撃を行う。

「どうだい、お嬢さま。いやはや、きみが不安になって、懺悔のように告白した時にはそそられたね。もうそんなことがないように戻ってきたんだろう? なら、その話を聞いてあげたおれに何かあってもいいんじゃないかなと」
「……出れば、良いのでしょう……?」

 噛み潰すような声で、わたしは子爵の嫌味ったらしい愚痴を止めにかかった。

 ああ、なんて不本意なのかしら。

sideラウファ

「どういう、意味……?」

 今度こそ、ルノアを護ってくれる? そう問いかけた彼女の、その言葉の意味が僕には全く分からなかった。記憶を失う前の『僕』はルノアを知らないはずなのだから。どういう意味、ともう一度問いかける。けれど、憂いを含んだ微笑のままの彼女の答えは、疑問への答えではない答え。

「ねえ、ラウ。お願いね……?」

 僕の答えも聞かずにふっ、と僕の髪を梳いていた指が解けて遠ざかった。微かに感じていた重みが、消え去る。ぱさりと、前髪が目にかかった。ぼけっと馬鹿みたいに彼女を眺めていたのは何秒だろう。くすくすと笑う彼女はいつの間にか窓枠に手をかけて、風を受けていた。

「ねえ、ラウ」

 横顔が赤色に染まる。金色の髪が風にそよぐ。そう言えば、今は何時なんだろう。そう言えば、彼女がルノアではないのなら、何と呼べばいいんだろう。

「……名前……」
「え? わたしの、名前?」

 思った時にはすでに口に出ていた。少しばかり驚いた顔で、こちらを見る彼女。あ、いやえっと。しどろもどろ言い訳を考えようとして、気が付けばまた、先程までと同じ花が咲く様な笑みを広げた彼女の顔が目の前にあった。正気に戻った僕ははっとして身を引く。そんな僕を彼女は笑った。

「じゃあ、特別。誰にもわたしのことを言っちゃだめよ? 約束よ?」

 僕が身を引いた分、彼女が近づく。柔らかく、心地良いトーンにこくこくと、訳も分からないまま頷く。……ああ、駄目だ。

「誰にも言っちゃだめよ? 秘密なの。わたしの名前はね。セレス。セレス、よ」
「今度は、本当……?」

 二度も騙されたことを学習して、一応確認してみる。すると彼女は蜂蜜色の目を丸くして、笑った。今度は本当だと、嘘ではないと。すっ、と彼女の右手が伸びる。反射的に首を竦めて目を閉じた。けれど頬に感じるのは叩かれるような衝撃ではなく、ひやりとした冷たく、柔らかい感触。

「でも、ラウ。忘れちゃってね」

 最後に囁かれたのは、その言葉で。でも僕には意味がよく、分からなくて。だから意味を、聞こうと思ったのに。

「ねえ、ラウ。起きて頂戴」

 代わりによく知る声が僕を呼んだ。

sideルノア

「出るのはいいけれど、わたし、あまり最近の事情に詳しくないわ」
「構わないよ。どうにでもなるし、要点だけは伝えておくから」

 なんとでもなるよと、適当に手を振る子爵の言葉を子爵の横でわたしは押し黙って聞いていた。敷かれた絨毯が足音を消す。二人だけのお茶会をいい加減切り上げたわたしたちはラウとアシェルとを置いてきた部屋に向かっていた。

「ラウたちに余計なことを言わないで頂戴」
「ん? きみが彼のために声を荒げた話かな? それとも、きみの昔話かな?」
「どちらもに決まっているでしょう?」

 さっさと釘を打つわたしに、子爵はただひらひらと手を振るだけ。あまり、信用を置けそうにない。軽薄な彼の行動に、わたしは溜息を吐き出した。部屋の前でわたしは扉に手をかける。

「……やっぱりおれにはきみの考える事ってのを、一生わからないんだろうね。だからこそ、きみが面白いと思うわけだけど」

 話の続きか、思いついたようにそう語る彼に扉に掛かった手が止まる。

「わたし、普通だと思うのだけれど?」
「何の冗談だい、それは? 『化け物』お嬢さま」

 至極真面目に答えたつもりだったのだけれど、彼には理解されなかった様子。ただ、その称号にわたしは嫣然と笑う。

「ええ、それは光栄だわ」

 ギイィ、と少し錆びついた音がして、扉が開いた。
 西日が差すその部屋は赤橙色に染められていて、ラウはその隅っこで黒い影を長くして、眠っていた。やっぱり退屈だったのかしら。ラウの様子におやおやと肩を竦める子爵を無視して、わたしはラウを起こす。

「ねえ、ラウ。起きて頂戴」

 アシェルの姿が見当たらないけれど、きっと彼女のこと。どこかへ探索に行ってしまったのね。声を掛けても起きる様子のないラウにわたしは肩を揺すろうと手を伸ばす。

「……ん……」
「ラウ?」

 肩に手が触れるより先に、とろんとした目がわたしを見ていた。へにゃへにゃと気弱に笑ったそれは夢でも見ていたようで。わたしを見ているようで、どこか遠くを見ていた。

「あれえ、夢……? あー、ルノアだあ」

 間延びした、少し寝ぼけたような声。
 にへら、と嬉しそうに無邪気に笑うそれは、なんだか幻のような気がした。

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2013.9.15  10:23:38    公開


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