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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

4‐1.溜息の花束を

著 : 森羅

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sideエルグ

「ひどい顔してんぞ、エルグ」
「誰のせいやねん、誰のせいやねん……」
「さぁな」
「『エルグ』。それは、それはないやろ……」

 一段だけの階段、というよりは段差という方がしっくりくるだろう。ぐったりと段差に腰かけたエルグは大きな息を吐き出した。そして、疲れきった声を上げるエルグを鼻で笑うのは、彼の横に座り唐茶の髪を揺らす『エルグ』。そんな彼の態度にエルグは項垂れ、“イリュージョン”が解ける一歩手前まで脱力するが、『エルグ』は素知らぬ顔で遠くを眺めていた。
 あのマトマ祭りの街からずっと西に行った街。比較的小さな街だが、この地域の北西にある王都に近いこともあるのだろう、人通りは多く、そっくりの姿の二人組を見て物珍しげに眺めていく人もちらほら見かける。太陽は青空のど真ん中に居座り、さんさんと直射日光を彼らに注いでいた。正直な話、暑い。耐えかねたエルグはおもむろに結紐を解き、髪を下す。唐茶色のそれがばさりと肩を流れ、腰にかかった。梳いてあるのか髪の量としては大したことはないのだが、長さがあることもあってエルグには暑苦しいらしい。首筋に纏わりつくそれを手早く纏め、先程よりも少し高い位置で結紐を縛り直す。ふっ、と涼しい風が首筋を撫でてようやく彼は肩の力を抜いた。そんなエルグを見て苦笑する声は隣から。

「そんなに暑(あち)ぃか?」
「暑いわ。『エルグ』、感覚狂っとん? 切らんのこれ」
「あ?」

 どうやら、切らないらしい。『エルグ』の返事に肩を竦ませ、エルグは前を向き直す。じわじわと日光に焼かれる石畳にげんなりとした気分が収まらない。せめてもう少し日陰で休めばいいのにと、彼は空を仰いだ。コツコツ、カツカツ、往来の靴が石を叩く音を響かせる。時間にすれば数分も経ってはいないだろう、短い沈黙。しかし、こんなに暑いところに長居したくないとそんな素直な感情にエルグは少しの迷いなく従った。

「なあ」
「あ?」

 返ってくるのはドスの利いた、声。あまりの返事に『エルグ』に見つからないようにもう一度溜息を吐き捨て、エルグはぽきぽきと背骨を鳴らす。『エルグ』は相変わらず正面を見つめたまま何かを考え込んでいるようだった。しかし、彼は気にせず言葉を続ける。

「さっき話した通り、あのおじょーさんには話してきた。どこまで通じとうか、わからんけど。鋭すぎるくらい鋭いおじょーさんやったから、怖かったわー。聞かんといて欲しいところにズバズバ来んねんもん」
「…………」
「まあ、俺はやるだけやったし、後は知らんよって。『エルグ』、それでええんやろ?」

 『エルグ』から求められたことは完遂したと、そう言い訳のように言い切り、だから帰ろうと、そう続けようとする。だが、その言葉を言う前に『エルグ』が口を開いた。

「……なあ」
「ん?」

 返事はできるだけ笑顔で、愛想よく。少し首を傾げて、纏めた髪を揺らせて。だが、エルグには嫌な予感しかしない。『エルグ』の無茶な注文は今に始まったことではなく、彼はそれをよく知っているのだ。にっこりと笑ったまま固まる彼を見て、『エルグ』は唐突に破顔した。

「なあ、『エルグ』。もう一つ、頼んでもええかなあ?」
「あ?」
「いやあ、あのおじょーさんのこと、調べてぇな。わかる範囲でええよ」
「あ?」

 お願ーぁい、と笑うそれは『お願い』するときの態度とは到底思えない。顔を引き攣らせながら『エルグ』はそう思った。だがエルグは『エルグ』の嫌そうな顔をものともせず、締りのない笑顔でこちらを覗き込む。それはこちらが断らないことを前提に頼んできているのだ。苦虫を噛み潰すような顔で眉間と鼻に皺を作る『エルグ』は汚い言葉で彼を問いただした。

「エルグ、てめえ、せめて何の為かくらい説明しろ」
「んんー? ……わかっとうくせに」

 何の為か。確かにそれは『エルグ』にも予想がつくことであった。つん、と拗ねたような素振りを見せるエルグに、しかし彼は追及を止めない。

「わからなくはねえが。わからなくはねえが、ならなぜ」
「君は、分かってると思うけど?」

 言葉に口を塞がれる。『エルグ』の言葉を遮るそれは、これ以上の追及を許さない声だった。すっ、とエルグの琥珀色の目が新月の月の細さへと代わる。口元は微かに笑みの形に曲げられ、しかしそれは妖艶というよりは憎悪や執念にも似た感情を垣間見せた。そっくり同じ顔。そっくり同じ声。そっくり同じ姿かたち。けれど、この感情は『エルグ』には真似できない。“イリュージョン”の力を借りようとも、他者の感情は写し取れないのだから。二人のエルグが別物である以上、それは致し方ないことであった。しばし、自分の片割れを眺め……『エルグ』はエルグから目線を逸らし、舌打ちを漏らした。そうだ、彼はそうだろうと。エルグならばそうするだろうと。舌打ちには巧妙に隠された、一抹の哀れさが含まれていた。

「……ちっ。どこの誰かともわかんねぇのに調べようがあるのかよ?」
「訛り、恰好、体の動かし方、癖。覚えたもんはそうそう変わらんよ。そこらから絞れるんちゃうかな」
「相変わらず、無茶言ってくれるなあ、『エルグ』」

 はぁ、と盛大な溜息をこれ見よがしに吐き出すエルグに、『エルグ』は申し訳なさそうに小さく笑う。

「すまんなあ、『エルグ』。感謝しとうよ」
「感謝が足りんのんちゃうかなあ?」
「ひどいなあ」

 くるり、と。先に立ち上がったのはどちらであっただろうか。
 唐茶の髪を遊ばせながら、彼は立ち上がり空を見上げて、言う。

「んんー。ええ天気やなあ」

 くるり、と。もう一人が立ち上がり空を仰いで、笑う。

「ああー。ひっどい天気やなあ」

sideラウファ

 あの悲劇的なマトマの街から少しばかり東へ。湖上を渡った風は涼しく、白布を靡かせる。

「ルノア……」
「あら。どうかしたのかしら?」

 僕の前を行くルノアが豊潤な珊瑚色の髪を靡かせながら振り返る。木漏れ日を浴びて、影と光がルノアに模様を描いて踊っていた。僕はとっさに言葉を失う。えっ、と。

「……なんというか、その……」
「あら、どうかしたのかしら?」
「……ルノアの、知り合いってこの辺りの人なの?」
「ええ。といっても、夏の間だけね。避暑地だもの」

 そうなんだ、と力なく言葉が零れた。それがルノアに聞こえたのか聞こえなかったのか、それはわからない。前に向き直ったルノアの足取りはスキップでもするかのようで、僕は小さく息を吐く。視線を斜め下に落とすと前を行くルノアのドレスの裾がひらひらと揺れていて、真下にまで移動させると、今度は僕の靴がとぼとぼ道を踏みつけている。
 靴と一緒に目に入るのはある程度綺麗に整備されていて、でも少しだけ放置された、なんだか中途半端な感じのする道。舗装されたという感じはあまりなく、かといって荒れ果てているわけでもない。目線を右横に映せばかなり広い部類に入るだろう湖が目に映る。湖上で冷やされた風は涼しく、湖畔の木陰にいれば快適な一日を過ごせるだろう。ルノアに聞いた通り確かに避暑にはぴったりだ。
 ただ。

「アシェル、僕ら相当場違いじゃ……?」
《あんまり小さくにゃっていても仕方にゃいのよ。堂々としてればいいと思うのよ》
「そんなもの、かなあ?」

 肩の上のアシェルはさらりとそう言い切るけど、どうしても僕は肩身が狭いというか、小さくならざるを得ない。挙動不審と言われようともあっちへこっちへと目が泳いで落ち着かないのだ。目のやり場に困る。落ち着かない。あまり良くないなと思いつつも左へ右へ目だけを少し動かす。左、豪邸。右、豪邸と湖。

「ルノアぁ……」

 非常に情けない声が出た。だけど、ルノアは気づかなかったみたいで、ただひたすらに足を進めるだけ。けれどもう、これは僕なんかのいるべき場所じゃない。居心地の悪さは最上級。アシェルはそんな僕に溜息を洩らした。

《お金持ちでも結局はただの人間じゃにゃいのよ? だから人間って面倒にゃのよ》
「いや、そうだけど……確かにそうだけど……」

 アシェルの呆れ顔にしどろもどろ答える。確かにそうだ、そう言ってしまえば確かにそうなのだ。だけど。半笑いの様な半泣きの様な微妙な表情で僕は頬を掻いた。

「避暑地……別荘、か」

 周りに建つのはどこも豪邸ばかりだ。

sideアシェル(エネコ)

 挙動不審、と言うよりも完全に委縮してしまっているラウファの肩の上であたしは溜息を吐き出した。確かにあたし自身だってあまり縁のある場所ではにゃいけど、そこまで気にかけるものでもにゃいと思うのよ。……まあ、あたしは獣で、ラウファは人間だということも考慮に入れるべきだと言うことくらいは想像つくけども。
 あうあうと、情けない顔で歩くラウファから目を離して、あたしは前を行くお嬢様に目を移した。軽やかな足取りで、道のど真ん中を悠々と歩く彼女にあたしは、嫌悪にも似た感情を得る。元々、あまりこちらに素性を掴ませてくれないというのも少しばかり気に食わない原因だった。勿論、あたしだって何もかも話してしまうことが良いことだとは毛頭も思っていないし、そんなお嬢様を面白い人間だと思っている。さらに言うならあたし自身にだって言いたくない過去の一つや二つあるのだ。だから、あたしのイライラの原因は、嫌悪感の原因は、そこではない。あたしは、ささくれ立つ心を宥める様に尻尾をぺしぺしと上下に振り、お嬢様を睨み付けつつ呼びかける。

《……ラウファ》
「ん? どうかしたの、アシェル」

 ふっ、と視線をあたしに合わせ、へらりと脱力するように笑うラウファ。白布が肩のあたりを流れていて、木漏れ日の陰影が表情を朧にさせる。あたしは視線を動かしてそれを確認したのち、また視線をお嬢様へと向けた。
 ぺしぺし。尻尾がラウファの肩を叩く。ああもう、本当に、腹が立つのよ。あのお嬢様は、一体にゃんなのよ。膨れっ面のままあたしは、ラウファに一言言葉を返した。

《……呼んでみただけにゃのよ。気にしにゃくていいのよ》
「そうなの?」

 そしてそれに返ってくるのは間抜けで気の抜けた返答。少し不思議そうに目を大きくさせたそれは、しかし実にあっさりと、恐ろしい程素直に納得して何の未練もなくあたしから目を離した。……“わからない”んだよ、と。そう、ラウファの言っていた言葉が思い返される。
 この反応を、おかしいと思うのは自分だけだろうか。気にしすぎている結果だろうか。だけれども追及して欲しかったのに、とあたしが言えばきっとラウファは首を傾げて、笑うのだろう。「そうなの? ごめんね。で。何?」と。
 ラウファは言葉をそのまま鵜呑みする。そこには咀嚼も吟味もあったものではなく、言葉の裏の意味は考慮されず、嘘の可能性は端っから捨てられている。その様子はまさに『丸呑み』。無論、いつもいつもと言うわけではないだろう。お嬢様の言に対してそれはこういう意味だよね、と反応していたのを見たことがあるし、言葉の意図がわからなくてなぜ、と尋ねることもある。お嬢様の探し物についての不老不死の薬だのなんだのの答えもある程度嘘くさい、とは感じているような素振りもある。だが、それでもあたしからすれば空恐ろしいほど、ラウファは素直に言葉の意味を丸のみにするのだ。彼に冗談は通じない。『含み』は伝わらない。そして、だからこそお嬢様が許せない。

 彼には“わからない”だろうからと、そうラウファを騙したのが、あたしは何よりも気に食わない。

 イライラの原因は、まさにそこにある。嘘を吐くのも良い、秘密を抱えるのも良い、それはある意味で魅力だ。わからないわ、教えてあげないわと笑われれば、追いかけたくなるのも、知りたくなるのも致し方ない。けれど、それはその機微が、感情の意図が、きちんと相手に伝わっていての話。『駆け引き』というものにラウファは全く向いていない。どうしてそんなことをしたの、と問わなければその行動の意図を理解できないのだから。なんとなくおかしいことに気づいても、その答えに嘘を見つけられないのだから。

「確かこの辺りだったはずなんだけれど……」

 唐突にお嬢様の足が止まり、ついでにラウファの足も止まる。振動が止んだことであたしはイライラ愚痴愚痴タイムから、頭を現実に戻した。すんっ、と鼻を突くのは水のにおいと樹木の匂い。
 ぴしぴしとラウファを叩いていた尻尾がだらりと垂れる。代わりに耳を動かして音を拾うと、四方のお屋敷から楽しそうな声が聞こえてきた。太陽の位置から考えても、少しばかり散歩には不向きな時間帯。もう少し太陽が西に傾けば夕涼みに表に出てくる人もちらほらいると思うのよ。

「ああ、こっちだわ」

 ふふふっ、と楽しそうに再びお嬢様が歩を進める。ラウファはそれに何も言わず後ろに続いた。俯きがちなのは気のせいではないだろう。そしてまた、あたしに定期的な振動が戻ってくる。
 ……と言っても、今度はそう長くそれは続かなかった。お嬢様が立ち止まり、満足げに笑う。ラウファが止まり、何とも言えない表情で建物を見上げる。

「ここ?」
「ええ、そうよ」

 わななき声のラウファに満足げな笑みのまま、お嬢様はあっさりと頷く。その肯定にラウファがさらに体を小さくさせたのは気のせいではないと思う。……にゃんだか可哀想ににゃってきたのよ……。
 人間という生き物はどうしてこう、無駄に大きな家を建てたがるのか。別荘の平均的な規模がどのくらいかあたしは知らないけど、この大きさはただ掃除が大変なだけの気がする。あたしの視界にその全貌は入りきらず、完全に委縮してしまっているラウファは閉口したまま動かない。そしてそんなラウファに何か声をかけてやるべきかあたしが悩んでいる間に、我関せずと言った様子で呼び鈴を鳴らすお嬢様。お嬢様、あにゃたね……。呆れ果てるとはこのことで、開いた口が塞がらないとはこのことで、ぽかんとするあたしは相当間抜けな顔をしていただろう。りりん、と涼しげな音だけが場違いに響いた。
 そこから待つこと、数分。

「やあ、お久しぶりだ。お嬢さま」

 すらりと伸びた身長に、簡易ながらも豪奢な服に、ウェーブのかかった肩までの茶髪を一つに纏めて肩に流していて。お嬢様がその男に嫣然と笑う。つまり、出てきたのは、使用人ではなくて。

「ええ。久しぶりだわ、子爵」

 ……どうもこの屋敷の主らしい。のよ。

sideルノア

 屋敷に通され、とりあえずラウとアシェルを部屋に置いてきて……わたしは彼と面と向かっていた。

「きみの来訪はいつも唐突だ。……いや、構わないよ。全くもって構わない。元気そうで何よりだしね。調子はどうだい。お嬢さま」
「……あなたこそどうなのかしら? このご時世、金融はさぞかし儲かるのでしょう?」

 広いお部屋のど真ん中に置かれたのは、二脚の椅子と円形の小さな机。机の上には紅茶とケーキ。蜂蜜のポットに、角砂糖。茶葉の匂いと、甘いお菓子の匂いに、けれどわたしの心は休まらない。僅かに足の届かない椅子に腰かけてわたしは頬杖をついてにやにやと笑う目の前の子爵、エレコレに対してできうる限り無愛想に答える。けれど彼はそんな態度を気にも留めず肩を竦ませ、紅茶のカップを持ち上げた。

「まあまあかな。まあ、アタリだったことは確かだろうね」
「そう。なら良かったわ」

 わたしがここまで無愛想に、邪見に扱う人間は多分彼くらいのものでしょうね。そう、頭の片隅で確信しつつ、紅茶を流し込む子爵に倣ってわたしもまた銀色のスプーンで蜂蜜を掬って紅茶の中に混ぜる。バルコニーに繋がる大きなガラス張りの窓は解放されていて、風を部屋の中に招いていた。レースのカーテンが風に遊ばれている。ふっと視線を背けるわたしに、苦笑にも似た失笑は子爵から。かちん、とカップがソーサーに戻され音を立てる。

「素晴らしい。相変わらず、変わらないね。お嬢さま」
「ええ、言ったでしょう? あなたには恩があるけれど……わたし、あなたが嫌いなの」

 紅茶に口をつけ、よく味わってからそう切り捨てる。濃い味をしたお茶に、蜂蜜の甘みが程よく解けた。くすりと笑うわたしに、子爵の失笑は二度目。何が楽しいのか、ふふふっと笑みを漏らしながら頬杖をつき直した。

「残念。振られてしまったようだ。でもおれはきみが好きだよ。お嬢さま」

 とろんとした目はどこかこちらを見下すような、観察するような、面白がるような、そんな目。わたしはそれを無視して、紅茶をソーサーに戻す。ああ、なんて苛立たしいのかしら。だからわたしは――口で言う程ではないけれど――やはり彼があまり好きでなないの。彼ほど無骨で、奇特で、融通の利く貴族も少ないでしょうけれど。そして、こんな無愛想な態度が取れる程度には彼に心を許しているのだけれど。ああ。それもまた、気に入らないわ。

「あなたも相変わらず、変人のようね。ローチェ公も頭が痛いのではないかしら」
「ふふっ。言ってくれるじゃないか。ひどい言われようだ。ご心配頂かなくてもどうせ我が家の誰にも気にされてないよ」
「見捨てられているのね」
「失敬な」

 淡々と言葉を足すわたしにからからと笑う子爵。この方は本当に変な人だと、わたしは彼を見ながら再確認する。そう言えば面白いことがあったんだよ、とそう言葉を続ける子爵にわたしは少しだけ頬を緩めた。一口サイズにケーキを切り取り、口に運ぶ。舌にしつこく残る甘さは紅茶で中和させながら。涼しい風が幾度となく頬を柔らかく撫でる。

「ところでそうだ」
「何かしら?」

 彼の話を話半分に流し聞きしながら、お菓子を楽しんでいたわたしは彼の言葉に視線を子爵へと戻す。彼の瞳がにやりと歪んだ。ぐいっと前へ身を倒した彼の、髪と同じブラウンの瞳にわたしが映る。……良い予感なんてするはずがないでしょう?

「折角だ、きみの話を聞かせて欲しいかな。後見人として、支援者(スポンサー)として、純粋なる興味として、きみの行動は気になるね。ここに来た理由も知りたいところではあるし。なにより、一体あれは何なんだい? きみは一生誰も囲わないと思ってたんだけど」
「……ラウのことを、言ってるのかしら?」
「そうそう。珍しい生き物を連れているなあと、吃驚したよ。おれはきみも相当珍しい生き物だと思っているけれど」

 にやにやと、新しい玩具を見付けたような顔で視線を天井辺りで彷徨わせる子爵にわたしは少し表情を硬くした。それを子爵に悟られないように、できる限り自然に紅茶を口に運ぶ。けれど。

「きみがおれに会いに来てくれるなんて、その原因はあれだろう? お嬢さま」
「……」

 ぷいっ、とわたしはあからさまに顔を背ける。結わえた三つ編みが、わたしの首の動きに従って宙を泳いだ。彼ほど無骨で、奇特で、融通の利く貴族も少ない。そして、恐ろしく勘の良い人も。

「だから、わたしは、あなたが嫌いなの」
「それでも、おれはきみが好きだけどね」

 不満顔のわたしに、彼はにこりと微笑んだ。

sideラウファ

 屋敷に通され、部屋に通され、ルノアに一体ここはどういう関係でどういう屋敷なのかとかそういう諸々の説明を聞こうとした。
 した、のに。

「久しぶりだから、少しお話してくるわ。ラウはアシェルと休んでて頂戴」

 いつものようにふわりと笑って、スカートの裾を膨らませながら踵を返して、

「え、ちょっと。ルノ」

 ア、と言ったころにはもう戸は閉まっていた。別に鍵がかかっているわけではないけど、どうにも開けるのは憚られて僕は手を伸ばしかけたまま固まる。アシェルがやれやれと首を振り、それがつい十分ほど前のこと。

 僕はだだっ広い部屋の窓の傍で、いや部屋の隅っこで一人小さくなっていた。

 この部屋の探索をし尽くしたアシェルはちょっと他も見てくるのよ、とか言って出掛けてしまった。行かないで、と止めたのにアシェルはそれを無視。楽しそうに尻尾を振りながら出て行ったアシェルは心底ひどいと思う。溜息が、漏れた。
 誰もいなくなってしまった部屋で、改めて膝小僧を抱える。お願いだからもう勘弁してくださいと。落ち着かない、落ち着かない。全然落ち着かない。ルノアもアシェルも帰ってくる様子がない。ふかふかの絨毯に、無駄に豪華な椅子に、天蓋の付いた広いベッドに。羽ペンと羊皮紙と燭台が置かれた机は漆が塗られてあるのか、艶がある。本棚には綺麗に本が並べられていて、埃一つ落ちている様子はなくて。どれもこれもなんだか触れるのは許されない気がした。
 ぼーっと天井を仰ぐ。近くに誰もいないのか、やけに静かだ。窓から入ってくる風だけがかすかな音を作るけど、それ以外は本当に静かで、それが嫌で、僕はこういう雰囲気が嫌いなんだなと頭のどこかで理解する。落ち着かない。こんな豪華な部屋、落ち着かない。じっとしていると落ち着かない。でもうろうろしてるのはもっと落ち着かない。少し考えて、結局僕は顔をそのまま腕に埋(うず)める。いいや、このまま寝てしまえ。
 それは、落ち着かないなりの、解決法だった。


「ねえ、ラウ。起きて頂戴」


 その声が聞こえたのは、僕が寝入って何分後の話なのだろう。
 僕は、目を開けた。

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2013.8.28  23:27:55    公開
2013.9.26  23:36:02    修正


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