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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

3‐3.智者の警告

著 : 森羅

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sideルノア

「遅いわ」
《いい加減愛想尽かされちゃったんじゃにゃいのよ?》

 首を傾げるわたしに、腕の中のアシェルが欠伸を噛み締めながらそう言う。そうかしら? ラウ、怒ってしまったのかしら? 空中を飛び交うマトマの量は先程に比べてずいぶん減って、代わりに水場に水を求める人の数が増えている。けれどもそこに見知った顔は見当たらない。右手を頬に当て、もう一度彼の姿を探す。おかしいわ、やっぱり見当たらない。……一体どこに行ってしまったのかしら? 日も、幾分か傾いてしまったのだけれど。

「アシェル」
《何(にゃに)にゃのよ?》
「ラウ、どこに行ってしまったのかしら?」
《……あたしが知るわけにゃいと思うのよ……。そのあたりで休んでるんじゃにゃいのよ?》
「……そうかしら?」

 訝しげな目でわたしを見上げるアシェルに首を傾げて見せる。コーラルの髪が肩に流れる。わたし、今、どんな顔をしているのかしら? どんな顔をすべきかしら? わたしを見上げたまま、固まっていたアシェルが小さく息を吐き出した。細い瞳が探るようにこちらを値踏みする。

《お嬢様、あにゃた……》
「何かしら?」
《そんにゃ不安そうな顔するにゃら、少しはラウファのことを気にかけてあげたらどうにゃのよ?》
「あら、わたし、そんな顔をしているの?」
《にゃ……っ?》

 驚くようなアシェルの声。けれどわたしはアシェルのことなんてほとんど見ていなかった。ぼんやりとした形を保った抽象画のような視界。あら、そうなの。わたし、そんな顔をしているの? 不安そうな自分の顔を頭に思い描く。
 そうなの、わたし、そんな顔をしているの? そんなひどい顔をしているの?

《ど、どうしたのよ……?》
「どうしたのかしら」

 アシェルの慄くような声と表情にわたしは首を傾げて微笑む。どうしたのかしら。“わからない”わ。だって“わからない”んですもの。でも、“こういうもの”なのよ。ええ、そうだわ。それだけなの、だから仕方がないわね。わたしはそのままの笑みでアシェルに話しかける。アシェルにこれ以上の追及を許さない。

「アシェル」
《何(にゃに)、にゃのよ……?》

 わたし、そんなに驚かせるようなことをしているかしら? いいえそうね、しているのかもしれないわ。顔を引きつらせるアシェルにわたしはくすりと笑う。瞳が瞼の中に融けた。そうしなければアシェルに何かを見透かされてしまいそうで。

「ラウを探しに行きましょう。どこかで迷子になっているかもしれないわ」
《……いいのよ》

 何を言っても無駄だと承知の上かそれとも興味を失ったのか渋々アシェルが腕をすり抜けて石畳の上に飛び降りる。毛並を整える様に一回身震い。それからわたしを振り返った。そんなアシェルに微笑み、軽く頷く。さあ、どこから探そうかしら。

「ルノアちゃん」

 行きましょう、そう言いかけてそれを留めるのは変わったアクセントの声。足が止まった。昨日出会った青年を思い出し、わたしは声の方へと振り返る。下した髪が豊かな曲線を描く。視界の端に、昨日と同じように笑う彼の顔が目に入って、それから。

「……まあ」

 わたしはつい、目を見開く。足元でアシェルも驚いたような声を上げた。遠心力から解放された髪が今度は重力に従って首筋を撫でる。けれどそんなことに今は関心を持てない。悪戯が成功したような笑みを向けるエルグの、その肩に担がれているのは紛れもなく探し人であったから。驚きに数度瞬きするわたし。けれど、それを愉快そうな目で眺めるエルグはわたしの驚きなど知ったことではないと言わんばかりに言葉を続けた。一つに纏めた唐茶色の髪を揺らせて。にっこりと、有無を言わせない表情で。

「ルノアちゃん。ちょっと、付きおうて?」

 エルグの言葉にアシェルが、威嚇するように鳴いた。

sideアシェル(エネコ)

 町外れに向かって、歩くあたしたち。特別会話はなく、先頭にラウファを担いだ『それ』が、真ん中にお嬢様が、最後にあたしがそれぞれ続く。エルグというらしい『それ』の言葉をお嬢様は実にあっさりと快諾した。先程の、あの不安で不安で仕方がないといった表情が何かの冗談であったと思えるほど。
 ……あれは何(にゃん)だったのよ?
 先程のお嬢様の表情を思い出しつつあたしは首を傾げる。不安という感情はまだいい。勿論、あたしにそう見えただけという可能性もあるけれど、あの破天荒なお嬢様にもヒトの心が残っていたかと安心したくらいだ。問題はその次。あれは一体何なのだ。心底不思議そうな顔で、少し驚いたように放った言葉は“あら、わたし、そんな顔をしているの?”。
 自分の表情に自分で気づいていないような言葉。少しぼんやりと遠くを見ていた目はどこかラウファのそれと重なる。それはまるで、

――自分にそんな顔(ひょうじょう)が出来るということを知らなかったよう、

《にゃぶにっ》
「あら、アシェル。ちゃんと前を見なきゃ駄目よ」

 回想と思考に意識が飛ばされ過ぎていたらしい。鼻に当たる感触にあたしは驚いてルノアを見上げる。ふふふ、と楽しそうに笑うお嬢様。頬が吊り上り、口角が上がり、少し目を細めて、楽しそうに、可愛らしく。それはいつもと同じ優雅な微笑。けれど、あたしはそれにつられることはない。先程の違和感が、先程のお嬢様の表情が、その笑顔を偽物に見せる。あたしはお嬢様から目を逸らして辺りを見回した。あら、という小さな疑問の声も無視する。いつの間にか街を少し出ていたらしく、後ろを振り返ると街と街道との境目が見えた。祭りに人が集中しているせいか人気はない。すっかりと晴れた青空にしんとした沈黙だけが場を覆っていた。

「エルグ。それで何の用なのかしら?」

 ぽつんと沈黙の中に生まれたのは鈴を鳴らすようなソプラノ。心地の良い、耳をくすぐるような声。そんなお嬢様の声に目の前の『それ』は苦笑した。肩に担がれたラウファは眠っているのか気を失っているのかピクリともしない。風に唐茶色の髪が棚引く。そして、『それ』は口を開いた。

「ルノアちゃん。君、この子とどういう関係? 知り合い?」
「この子?」
「これ。俺が今担いでるの」

 にっこりと、掴みどころのない表情で『それ』は肩に担いだラウファを担ぎ直す。お嬢様は『それ』の質問に是で答えた。こちらもまた、控えめで上品な類の微笑を作って。

「ええ。わたしの旅の同行人なの。あなたこそ、彼と知り合いなのかしら?」
「いんや? 残念ながら知らんよ。でも知ってる」
「……どういうことかしら?」

 飄々と。その表現が一番正しいだろう仕草で『それ』が答えるのにお嬢様は右手を頬に当てて困ったように首を傾げた。確かにその言葉の意味はあたしにも掴みかねる。“記憶喪失のラウファ”を知らない、という意味であればまだわからなくもないけど。だけど、あたしは今、『それ』の言葉なんてどうだったいい。それよりもずっと優先されるべきことが別にあるのよ。話も何も、その後からだ。

「そのままの意味やで?」
「わからないわ」

 茶化すような声、拗ねるような声。会話をお嬢様と『それ』に任せて、あたしはしばし思考。けれど、あまり凝った行動をする必要性が感じられないのでものの数秒で決断を下し、少し後ろに下がる。『それ』とお嬢様の間隔はいう程空いていない。つまりお嬢様のすぐそばにいたあたしとの距離もいう程ではないということ。幸い『それ』の注意はお嬢様に向かっているし、お嬢様でさえあたしへの注意を失っている。あたしの行動に気づいているのはお嬢様の腰についたボングリの中身(けものたち)だけだろう。

「俺はこいつ個人のことは知らんけど、こいつのことは知ってる。つまりそういうこと」
「……それは、ラウの翼のことを言っているのかしら?」

 足の裏に砂が纏わりつく。『それ』がお嬢様の言葉にぱらぱらと拍手を送る。ラウファがずり落ちそうになったのか、すぐに音は止んだけど。そして、あたしは砂を蹴り飛ばした。

「ご明察。鋭いね、ルノアちゃ……あぁあっ!」
「アシェル……っ?」

 あたしに気づいたらしい『それ』とお嬢様が驚愕を言葉にする。でももう遅いのよ。『それ』に飛びつく自分が狩りの表情を浮かべていたことをあたしは否定しない。

 にゃーお!

 その顔に向かって、爪を立て、一発。爪に残るのは皮膚を浅く裂く感触。

「ってえええ!」

 唐突な攻撃にふらつき、『それ』は悲鳴を上げた。短い空中遊泳を終えたあたしは『それ』のすぐそばに地上に足を戻す。砂が足の裏に食い込む。そういえば、ラウファを落としたら、危ないのよ。今更そんなことに気づくけど、結局『それ』が倒れ込むことはなかった。後ろから早足で近づいてくる足音を無視して、あたしはラウファを担いでいない手で顔を抑える『それ』を見上げる。

「アシェル、あなた、何をしているの?」
《『これ』は人間じゃにゃいのよ》
「人間じゃない?」

 落ち着いた、それでも疑問を含んだお嬢様の言葉にあたしは溜息交じりに答えた。全く、手間を取らせるんじゃにゃいのよ。未だ顔を手で押さえている『それ』を見上げてあたしは鼻を鳴らす。吊り上げられた『それ』の唇から犬歯が覗いた。そして、『それ』は顔から手を離し、顔を笑みの形に歪める。

「……あー、もう。そっかそっか。流石に獣の鼻は誤魔化せんかー」
《当然なのよ》

 全く残念ではなさそうな軽い口調にあたしは淡々と答える。けど『彼』は喉の奥を鳴らして笑っているだけ。ミミズ腫れと化した三本の縦ラインがどうにもニヒルさを打ち消しているけど。

「よっ、っと」

 そうして、数秒。彼の口から漏れるのは軽い掛け声。あたしたちから逃げるように、彼は真後ろ一足分を跳んで下がった。そしてラウファをその場に降ろし、“元の姿”に戻って、恭しく礼をする。

《ちぇーっ。バラすつもりはなかったんやけどなあ。……改めまして、お嬢さん。お話の続きを始めましょうか》

 淡白にも聞こえていた声色は深みのあるそれへと変わる。その姿は、まるで黒い狐か狼。豊富な黒の混じった朱髪は水色の水晶で纏められていて。頬を裂くように広がる口角。見下すように笑う瞳。あたしの口から零れるのは一つの種族名。

《……ゾロアーク》
《これは貴女への警告、とでもさせていただきましょう》

 舞台の進行役の様にゾロアークは胸に手を当てそう言った。

sideエルグ(ゾロアーク)

 この姿を晒すつもりは一切なかったのにな、と彼は内心で溜息を吐き出した。エネコの存在は彼にとって予想外でしかない。引っ掻かれた顔は耐えられないものではないにしろひりひりと痛むし、目の前のお嬢様が自分の姿に動転して話を聞いてくれなかったら本末転倒もいいところ。そうなれば踏んだり蹴ったりとはこのことで、自分にこの役を押し付けた片割れをぶん殴りたくなる。だがしかし、目の前の少女は特別動揺している様子はない。無論、驚いてはいるようだが、この奇妙な状況を楽しんでいるようなそぶりもある。わずかに綻んだ口元がその証明。コーラルカラーの髪が可愛らしく揺れる。

「……エルグは獣だったの? ということは昨日出会ったのは偶然ではないということかしら? それともわたしが昨日出会った『エルグ』とあなたは別なのかしら? いいえ、二人は共犯で、わたしと出会ったのも仕組まれていたということも考えられるわね」

 不思議そうに、楽しそうに、尋ねる声。ああ、やっぱり筋金入りの変わり者(もん)や。エルグは少女を通してどこか遠くを見ながらそう思った。楽しそうに、蕩けさせる表情。白い皮膚にほんのりと朱を得ている。だが、彼女のこの反応は彼にとって決して都合の悪いものではない。なぜなら“踏んだり蹴ったり”になる危険性が限りなく回避されたのだから。嫣然と笑う少女にエルグも顔を笑みの形に歪めて答える。声色を、『エルグ』のそれに戻して。

《さあ、それはどうやろ? 君が会った『エルグ』は俺かもしれんし、俺やないかもしれん。『エルグ』と俺が知り合いかもしれんし、俺が偶然そいつの姿形を借りただけかもしれん。君に出会ったのは偶然かもしれんし、あの売り子と俺が共謀していたんかもしれん。あの売り子こそが俺かもしれん。ただ、それを疑い出したら街中疑わなあかんなるで。というわけで、解釈はルノアちゃんのお好きにどーぞ?》
「まあ。それは素敵ね」

 くすくすと口元に手を当て笑う少女。その笑みにつられるようにエルグもまた獣の顔に微笑を浮かべる。彼女の足元でエネコが相変わらず威嚇の声を上げているのは無視した。ちらりと足元に目線を寄越す。寝転がったままの少年が目覚める気配は未だないが、あまり長く時間はかけられない。彼は自分が話の主導権を握っているうちに話を進める。ざらりとした舌で犬歯を舐めて、彼は続けた。風の音以外静かなその場に彼の声が落ちる。

《まあまあ、それは置いといて。お話の続きと行きたいんやけど、ええかな?》
「ラウの翼のお話だったわね。ええどうぞ」

 打てば響くように彼に答えるのは外見年齢不相応に落ち着いた、けれど幼さを含んだ声。ふわり、と彼女の赤毛が膨らみ、ドレスの裾が揺れる。大きなヘーゼルの瞳が極上の笑みを零す。ヒトを魅了する類のその表情にエルグはしばし閉口した。ゾロアークという種族の特性上、他の獣よりもよっぽど人間に近い生き方をしているだろうと彼は自負しているし、人間を“演じ”続ける中で、いつしか思考もヒトのそれに近くなっていると感じている。だからこそ、彼は目の前の少女の振る舞いに閉口せざるを得なかった。確かに並みの男ならばこの少女の表情に多少なりとも動揺するだろう。少女の顔に浮かぶ表情があまりにも無邪気で、綺麗で。そしてどこかしら妖美で。

「あら、どうかしたの?」
《いいえ、何でも。お嬢さん》

 少女の声に自分の本来の声質に声を戻し、彼は微笑む。ああそうだった、幼い少女の雰囲気に呑み込まれている場合ではない。エルグは内心で苦笑しつつ言葉を続ける。
 このお嬢さんに伝えなければならないのだから。自分達がどれほど危うい橋の上にいるのかを。

《まず貴女に確認したいのですが》
「なあに?」

 甘く、溶ける声。もう少し年頃になればそれはそれはさぞかし……。そこまで考えた時点でエルグは溜息を吐き出した。おいおい、俺は何を考えているのかと。俺は獣なのに、と。ぶるりと身を震わせるエルグの様子を不思議そうに見つめる彼女。エルグは居心地の悪さにその頬を掻き、自らを切り替えるために咳払いを一つ。

《単刀直入にお伺いしましょう。貴女は『これ』をどうするつもりなのでしょう?》
「ラウを?」
《左様にございます》

 芝居がかった仕草はできうる限り恭しく。その返答によってこちらが伝えるべきことも変わってくるのだ。きょとんとした無防備な表情で首を傾げる少女を正面に、彼は背筋を伸ばす。エネコが彼女を見上げる。そうして、少女は何でもないというように笑った。

「どうもしないわ」

 晴れ渡った青空を背景に少女が向けるのは自ら輝くような、強い笑み。返答に躊躇いは一切なく。エルグはそれに水晶と同じ色をした目を細めた。そうしてさらに問う。ざらりとした、生ぬるい舌を口の中で転がしながら。

《なぜ、『これ』を傍に?》
「さあ、それはわたしにもわからないわ。どうしてかしら? どうしてかしらね? でも、彼を見た時に、彼に付いて来てって言ってしまったの。それだけだわ」

 弾むような声で、楽しそうに、愛おしそうに。ただ、ほんの気紛れだったと、そう嬉しそうに少女は語る。わからないけれど、そう言ってしまったのだと。目を細めて、三つに編んだ一房の髪を揺らせて、今までエルグが見た中で一番楽しそうな表情で。だが、エルグはその様子に顔色一つ変えない。ただ、淡々と言葉を紡ぐ。

《結構。……ですが、お嬢さん。『これ』は、『化け物』でしょう?》

 エルグの言葉に少女の顔から笑みが消える。そして代わりに浮かぶのは微かに動揺が混ざった、絶望や失望にも似た表情。それを見て、彼は口を裂き嗤った。エネコの威嚇の声が大きくなった気がするが、エネコに場を譲る気はない。少女の表情を見下(みくだ)しながら彼は細く笑う。毒の言葉を、吹き込むために。

《人間ではないでしょう? 獣でもないでしょう? ならば『何』だと言うのです? 『これ』は一体何だと言うのです? 獣の力を持った人間? それとも人間の姿をした獣ですか? いいえ、そんな不自然な存在など“おかしい”のですよ。『これ』はどちらでもない。それを、化け物と呼ばずして何と》
「黙りなさい」

 凛と響くは少女の声。良く通る、威厳と気品を纏ったソプラノ。その声の主からはすでにあの零れるような笑みは消えており、エルグを射すくめるでもなく、睨むでもなく、ただただ強烈なまでに強い視線を向けている。瞬き一つしない、それは無表情にも近い顔つき。けれどそれに彼は臆しない。さらに目を細め、口元を歪める。謳うように続きを語る。獲物を仕留める瞬間の、恍惚としたそれで。

《……化け物と呼ばずして何と呼びましょう? お嬢さん。『これ』は》
「黙りなさい」
《ヒトではありませんよ。人間の、ヒトの皮を被った『異形』。貴女もわかっていらっしゃるはずだ》
「黙りなさい」
《なぜ傍に置くのです? こんな、得体のしれないものを。お嬢さん、貴女は》
「黙りなさい」
《聡明でいらっしゃるはずでしょう? その翼がなぜ自分に向かうかもしれぬと考えないのですか? 過信しておいでなのでしょうか? それとも物珍しいからでしょうか。傍に置けば、優越感が得られますか? それはそれで一興ではありますが》
「……黙りなさいと、言っているでしょう?」

 びくりと彼女の傍にいたエネコが体を痙攣させた。怖気が走ったように毛並を逆立て、得体のしれないものを見る目でその言葉を発した少女を見上げる。ひどく冷たく響く声。そこにあるのは威厳や気品ではない。ただの、憎悪。相変わらずの青を背景に浮かぶ笑みは、その憎悪ゆえに先程以上に艶めいていて、美しい。凄艶、という言葉が彼の頭に浮かんだ。

《……ほぅ》

 しかし自分に対して殺気に似た感情を向ける少女を前にエルグが放った言葉はただそれだけ。涼しげな表情に焦りの感情は一切なく、寧ろ何かを期待するように小さな笑みを獣の顔に浮かべる。その間にもたった数歩先で少女は機械仕掛けの木の実に手をかける。

「訂正しなさい。ラウは化け物なんかじゃないわ」

 淡々とした甘ったるい声と同時に響くは軽い、破裂音。赤に彩られた牙を持つ龍が主の声とは対照的に低い唸り声を上げる。それにエネコが静止の声を上げるが、髪を風に遊ばせたままの少女はそちらを見向きもしない。ありゃりゃ、とエルグは内心で苦笑いを浮かべた。敵対するつもりはなかったのだが、どうも完璧に彼女を怒らせてしまっているらしい。そんなことを考えている間にもオノノクスはその巨大な牙を躊躇なく振り下ろす。鋼鉄さえ切り裂くという獲物とその風圧が彼を襲い、朱色の髪がいくらか地に舞った。彼の真上で寸止めされた、牙。少しでも動けばこのまま真っ二つにされるだろう状態でエルグは口を笑みの形に裂く。薄い舌で口まわりを舐め、彼は“化け狐”なりの反撃に出ることにした。オノノクスの巨体が、お互いの姿を隠しているのも彼にとっては好都合。

「……ひどいなあ、ルノア。そんなことをして、僕に何するの?」
「琥珀!?」

 初めて聞く、少女の焦ったような声にエルグはにっこりと笑みを浮かべた。琥珀と呼ばれたオノノクスが主の声に後ずさりし、自由になった彼は“木炭のような色合いの髪”を弄る。オノノクスが退いたことでまた確認できるようになった少女の表情は戸惑いと驚きと怒りが混ざっていた。その姿で、その声で、こちらを見るなと言わんばかりに。

「ルノア。よく聞いてほしいんだけど」

 へらりと気の抜けたように笑い、言葉を続けるエルグに視線を彷徨わせていた少女の目線が真っ直ぐ彼へと移る。大き目の瞳を見開き、少し前のめりになりながら。

「あなた、いい加減に……!」

 少女の口を突いて出た言葉に戸惑いと驚きの色はなく、そこにあるのは純粋たる怒り。だが、それは先程までの感情を殺したような、怖気が走るような憎悪ではない。もっと俗で、感情的な怒り。尤も、彼女の口はそれ以上を語らず、はっとした表情で押し黙ってしまったのだが。エルグの表情は相変わらず揺らがない。性質(たち)が悪いとエネコが吐き捨てたのが聞こえたが、それに彼は笑って見せた。性質が悪い? 当然、自分は幻影だと。耳のあたりで白布が擦れる。

「ルノア」
「……エルグ、あなた趣味が悪いわ」
「……ま、そやね。それに関しては否定せんよ。挑発めいた台詞に対して謝罪もする。けどルノアちゃん、聞いて欲しいんや」

 憎悪ではなく、焦りではなく、あくまで始めと同じような口調と温度の言葉。どうやら多少落ち着いたらしい。砂の上に転がされたままの少年がかすかに呻き、『ラウファ』は少女の口調に肩を竦め訛りの入った声で答え、視線を寄越す。ちぐはぐな姿と言葉遣い。しかし彼は決しておどけているわけではない。微笑を浮かべつつも真剣味の籠った謝罪する彼にまた少しだけ少女の瞳が柔らかくなった。オノノクスが、ぼんぐりの中へと姿を消す。エルグは少しだけどうするか迷ったが、結局獣の姿に巻戻った。口内に籠った熱を吐き出し、舌を湿らせる。

《……改めて先程の非礼はお詫びいたします。ただ、これから話すことをお話しするか否かを決める為、お嬢さん、貴女が信頼に足るかどうか確認させていただいた次第です》
「あら、それでわたしは信頼に足りたのかしら?」

 わかりきったことをあえて尋ねてくる少女の顔にはどこか悪戯っぽい表情が浮かんでいた。エルグはその豹変っぷりに肩を竦め、続ける。ふと『エルグ』ならばこの少女の違和感について何か気づいただろうかと思ったが、所詮自分は『駒』だ。今はただ『エルグ』に踊らされていればいい。

《そうでなければ、お話しませんよ。……大分回り道してしもうたけど、こいつの翼の話や》
「何かしら?」

 興味津々、といった様子で瞳孔を大きくする少女に、エルグは大きく息を吐き出した。今から彼が言うことは、決して明るい話題ではない。『警告』だ。エネコが鋭い視線をこちらに送っている。彼は自分が担いでいた少年を一瞥した。

《こいつの翼、あんまり、使わせん方がええ。こいつを死なせたく……いや“殺したくない”んやったら》

 息を呑むにも足りないような、僅かな沈黙。

「……どういう意味かしら……?」

 怪訝な表情を隠さず見定める様にエルグを見る少女に、エルグは正面から向き合った。

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2013.6.14  16:55:39    公開
2013.6.22  19:18:57    修正


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