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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

3‐1.因果の交差路

著 : 森羅

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sideルノア

 まあ。
 左へ右へと視線が動く。楽しそうに跳ねる三つ編みはわたしの感情を表しているようで。人の往来は途切れることがなく、そわそわと落ち着かないような、活気が燻っているような雰囲気が街を覆っている。わたしの背がもっと高ければ見える景色が違うかもしれないけれど、わたしの身長からでしか見えない景色があるのだからそれはそれで素敵でしょう?
 港町から船に乗って、北上。対岸の港からさらに徒歩で丸一日北西に歩いた、小さいとも大きいとも言えないような街。特に名産もなく、かといって見物するようなものも特にない。特別発展している街でもなく、交易が盛んなわけでもなく、緩やかに時代の流れに沿って行っているような、そういう雰囲気を持つ街。そんな街を訪れたのは丸一日歩いた日を遡り二日前、船が着いた港でこの街のことを聞いたから。

《ルノア楽しそー》
「ええ、瑠璃。とても楽しいわ。なんだかどきどきするでしょう?」

 両の掌を合わせ、わたしは口元を綻ばせた。腰についたボングリから聞こえる声に弾んだ言葉を返し、目に入ってくる景色を楽しむ。あの街はこの時期ちょっとした祭を催すんだよ――港町で聞いた言葉が脳裏に浮かんで、わたしはふふふっと笑みを漏らした。娯楽が少ないこともあるんでしょうけれど、近隣の街から多少なりとも人が来る程度のお祭りではあるとのこと。確かに近隣の街から人が訪れる、の言葉通り人の密度は比較的高い。商売の勝負時なのかしら、多くの店が自らの店の前にスペースを作って商品を広げている。ああ、楽しみだわ。わたしの知らないことがここにはあって、それを知り得なかったはずのわたしがここにいる。
 それは『もしも』のお話。もしもわたしが選ばなければわたしはここにはいないでしょうし、港でこの街について聞かなければ通り過ぎてしまっていたかもしれないもの。だから、わたしが今ここにいることは、わたしが知らなかったことを知れるということはとても素敵なことで素晴らしいことじゃないかしら。

「ちょっ、お兄さん。もう離してくれん?……いや、だから」

 あら? 
 訛りの強い言葉が耳に残る。視線を向けると、声の主の青年はどうも客引きに掴まってしまったらしく、本当に困ったような笑顔をその顔に張り付いていた。セピア色の瞳が助けを求めて空を泳いでいる。瞳の色よりも多少明るい唐茶色の髪は後ろ髪を細く伸ばしてあるようで、うなじのあたりで一纏めにされていた。腰に届きそうな長さの括られた髪が“自分は今困っていますよ”と主張する。熱っぽく語る客引きは彼の服を掴んで離す様子がなく、訛りの彼は愛想笑いでそれを聞き流す。今日だけでも所々で見かけたその光景。やっぱり祭り前で商売時なのかしら。もう離してぇ、と嘆く声をくすりと笑いわたしはそこを通り過ぎようとした。

「あっ」

 ……あら。わたしは少し首を傾げて曖昧に笑う。わたしの視線を捕えるのは客引きに服を掴まれ熱弁を聞かされていたその青年。セピア色の瞳が輝いて確かに、笑った。

「あああ!!お待たせお待たせ!!」

 あら? 突然わたしを見て声を上げた青年に、客引きの手がつい緩む。その瞬間を見逃さず、脱兎のごとくわたしに近寄ってくる彼は人懐っこい笑みを浮かべてわたしを見下ろした。

「ごめんなー。ちょっと掴まってしもうてん。待たせてもたよな。ごめんな」

 すっ、とわたしの右手を握りわたしに視線を合わせて屈む彼の目が“助けてくれ”と告げる。数回瞬きをしてから、わたしはそれに微笑んだ。

「どこに行ったかと思ったわ。お兄ちゃん」
「……いやあ、ずっと掴まってしもて。お兄さん、悪いけど俺、妹の面倒見なあかんから!」

 ぽかんとする客引きにぱたぱたと手を振り、繋いだ右手をそのままに彼はわたしを連れていく。少しだけ小走りに、人ごみをすり抜けるようにして進む彼はその通りを抜けるまでに一度だけわたしを振り返って軽くウィンクして見せた。彼の背中を揺れる唐茶の髪を眺めながら、わたしはふわりと笑みを零す。コーラルの三つ編みが肩に触れて踊った。

 ああ、なんだか素敵な出会いじゃないかしら。

sideラウファ

 立ち並ぶ家々はあの時計塔の街の様な、けれども少し明るい煉瓦色かクリーム色。そしてまた、家の形も同様に良く似ていた。尤もあの時計塔の街のように近代化は進んでいないだろうし、寧ろどこかのんびりとした印象を受ける。牧歌的、で言葉の意味はあっているだろうか。今は祭りの時期だとかでそれなりに賑わってはいるけれど、『ケ』の日であれば多分もっと閑散としているんだろう。凹凸のある石畳が日の光を吸い込んで熱を持っている。僕なりに景色を楽しんでいると右肩でアシェルが不機嫌そうな声を上げた。

《あのお嬢様、毎回毎回一体どこに行ってるのよ?》
「さあ? 僕は知らないよ。でもルノアはルノアで街を見て回ってるんじゃないかな」

 相も変わらずルノアとは別行動。街に着くと自然とこうなるのは単純にルノアがふらりと行ってしまうからだ。きっとルノアはルノアで街を見物しながら楽しんでいることだろう。後で合流はできるし、特別に不満は感じていないので僕は何も言わない。ただアシェルはそれを不満に感じているらしい。どうも最近アシェルはルノアのことを嫌っているようなそぶりを見せる。あの船の中で何かあったのだろうか。僕が尋ねるとアシェルは、口をへの字に曲げて答えた。

《嫌ってるわけじゃにゃいのよ。ただ、正体が掴めにゃいのが気に食わにゃいだけにゃのよ》
「それをいうなら僕はアシェルのことも良く知らないけど」

 というより僕はルノアのことも良く知らないし、もっと言うなら自分のことも良く知らない。耳のあたりに垂れる白布の端を僕は指で弄る。
 僕の答えにさらに苛立ったのかアシェルはむっとしながら続けた。往来の靴音が軽快に響く。

《あたしのことはとりあえずいいのよ。あにゃたも勿論よくわからにゃいけど、あにゃたは“知らないから答えにゃい”だけだからまだいいのよ。あたしが気に入らにゃいのはあのお嬢様が“わかっているのに答えにゃい”ことにゃのよ!》
「……ルノアは探し物があるらしいよ」

 じたじたと短い脚で暴れるアシェルを宥めながら、僕はルノアの代わりに答えた。いかにも眉唾だと言わんばかりのアシェルがそれを反復する。

《探し物、にゃのよ?》
「うん。何をが探してるのか知らないけどね。なんだったかなあ。不老不死の薬だとか、そんな答えを貰った覚えがあるよ」
《あからさまに嘘っぽいのよ……。大体探し物があるにゃら、素直にそれを探せばいいと思うのよ! お祭りにゃんかを見に行こうとしにゃいで!! と思うのよ!!》

 じたじたじたじた。ぶんぶんぶんぶん。短いそれと尻尾がそれぞれ、僕の肩の上で暴れる。見ている分にはなんだか足と尻尾がそれぞれ個々の動きをしていて面白い。怒っていても、あまり怖いと思わないのがエネコという獣の特徴なのだろう。多分、彼女は彼女なりに本気で怒っているのだろうけど、どうにも笑ってしまう。こう言ったら彼女はさらに怒るのだろうけど、彼女の怒っている様子は『可愛い』と言うのだと思う。
 いらいらするアシェルを横目に僕は視線を街の様子へと戻した。穏やかで、牧歌的な街。僕はここを知っている? 知らない、知らない。きっと知らない。この光景に既視感を得ない。僕は一体誰なんだろう。僕の『探し物』は言うなれば僕自身だ。失くしてしまった僕の記憶。当然、当てなんてどこにもない。……ルノアも、なのだろうか。彼女の探し物も当てがない物なのだろうか。本当に不老不死の薬なんて探しているなら、そりゃまあ、当てがある方がおかしいだろうけど。……ああ、そういえば。ルノアを思い出すと同時に僕は一つ思い出したことがあった。忘れないうちに僕はそれをアシェルに伝えることにする。

「アシェル。聞いて欲しいんだけど」
《何(にゃに)なのよ?》
「僕、ルノアの言うこと聞いてやらないって決めた」
《……にゃあ?》

 何を言ってるんだ、と言わんばかりのアシェルの視線に僕は説明する。海賊船でのこと。その時にそう思ったこと。賑わう街の様子を横目に僕はアシェルに向かって再び宣言した。

「そういうわけで今度から! ……いや、せめて今度だけでもいい! ……僕は、ルノアの言うことを聞いてあげない!!」

 目標が下がったのはきっと気のせい。
 けれど、僕の一世一代の宣言にアシェルは僕の右肩を占領したままだれる。返ってくるのも詰まらなさそうな相槌だけ。挙句の果てには細い目をきゅっと伸ばして欠伸を噛み締める始末。小馬鹿にしているような態度に戦意を削がれつつ、僕は彼女にお伺いを立てた。

「……アシェル。もう少し反応があってもいいんじゃないって思うんだけど間違ってる?」
《……ふーんにゃのよ》
「何かそんなに不満?」

 そんな、あからさまな棒読みで答えなくてもいいんじゃないだろうか。
 どういう表情をすればいいかわからず、首を傾げる僕にアシェルは尻尾を振りながら言葉を繋ぐ。物珍しそうにアシェルを見る街の人が真横を通り過ぎた。

《あたしはあにゃたのその心意気や良しだとは思うのよ。お嬢様の狼狽える顔に興味がにゃいわけでもにゃいし。けど、あにゃた、実際問題あのお嬢様に逆らえるのよ?》
「う、いや。その……頑張ろうと思って」

 どこからどう見ても、というか自分で聞いても勝てなさそうな声。アシェルはそれに溜息で答え、視線を僕から離す。そしてさらに追い打ちを仕掛けてきた。

《普通は『頑張る』ことじゃにゃいのよ。ラウファには悪いけど、つまり。つまり、あたしは労力の無駄だと思うのよ?》
「……」

 アシェルの言葉は、酷い。酷いと言うか、惨い。けれど確かに僕はルノアの言うことに全て“是”で答えている。思い返しても“否”と答えた覚えがない。“否”と答えることをルノアは僕に許さない。いや、彼女は許さないんじゃない。要は“答えさせない”のだ。けど! 僕は頭の中で自分を奮い立たせる。アシェルに何と言われようと僕は今度だけはルノアの言うことを聞いてやらない。そう決めている。そう決めた。僕は彼女の使用人ではないのだ。そうアシェルに説明し、やっと彼女からまあ頑張ればいいんじゃにゃいのよ、というお言葉を頂く。しかしその言葉に対し、僕は奮い立つどころかどこか切羽詰まった焦燥感に襲われた。
 ……なんだろう、この追い詰められた感じは。考える事数秒、ああそうかと頷く。これはもう、後には引けなくなっているからか。自分で言い、アシェルに無理やり同意してもらった事柄に僕は、少なからず後悔しているのだ。黙りこくる僕にアシェルはまさか、というニュアンスで僕の顔を覗き込む。

《……まさか、ラウファ。あにゃた、もはや後悔してるのよ?》
「……うん」

 アシェルの視線がとても冷たい。祭りに盛り上がる街の熱気は僕だけを疎外する。からんと晴れた空から降り注ぐ太陽光でさえ、どこか僕に冷ややかだ。
 憐憫の二文字に満たされた双眸でアシェルは僕にこう言った。

《諦めたらどうにゃのよ?》

sideルノア

「助かったーぁ! のってくれてほんまに助かったわ。ありがとうな、おじょーさん」

 通りを抜けると着く、少し開けた場所は小さな広場になっていた。天幕を張ったいくつもの出店が軒を連ね、広場を囲む。中央のあたりでは何か催し物をやっているらしく、小さな人だかりが見て取れた。何をやっているのかしら? 気になるものでは勿論あったけれど、今はそれより。
 視線を横へずらすと、石壁にぐったりともたれて脱力する青年が襟首を掴んで首元に風を送っていた。唐茶色の髪が、彼の首筋に纏わりついている。安堵しきったその表情と軽い謝礼に、わたしは笑って言葉を返した。

「ええ、構わないわ。お祭りだからかしら。皆必死なのね」
「……さっきも思ったけど、おじょーさん、綺麗な言葉遣いやねえ。何? 王都とかで暮らしてた方? てか貴族?」

 はー、と感嘆が籠った言葉を吐き出し彼は上から下までわたしを眺める。あら、そんなに面白いものでもないでしょう? 驚愕の表情をそのままにわたしを見る彼が面白くてつい笑みが零れる。けれどそれを彼は別の意味で受け取ったようで、照れるようにはにかんだ。

「いや、申し訳ない。失礼やったな、まじまじ見てしもうて」
「あら、構わないわ。そんなに面白いものでもないでしょう?」

 くすりと笑うわたしに彼も釣られて笑う。うなじのあたりで軽く纏められた唐茶色の髪が彼の動きに合わせて踊った。歳は十代の後半ほどに見えるけれど、いくつなのかしら。けれど彼はわたしの視線に気付くことなく、楽しそうに周囲を見回すだけ。セピア色の瞳が、広場を横断する子供を映す。

「お名前を伺っても良いかしら?」
「うん? ……あああ! そうやね、こりゃ失敬。エルグって呼んでくれたらええよ。皆そう呼ぶし。ほんまにさっきはありがとう。助かったわ」

 人懐っこい笑みを向けて彼、エルグはわたしの名前を今度は問う。わたしがそれに答えると、エルグはええ名前やね、と歯を見せて笑った。
 その間にも人の往来が何度も目の前を横切り、街の雰囲気を塗り替えていく。今日が祭りの一日目だとそう宿の人が言っていたけれど、確かに良く見ればまだ飾り付けが終わっていないところも見受けられる。本命は明日と言うことだから問題はないのかもしれないけれど、明日までに仕上がるのかしら? そう思っている間にも祭りの係らしい女性が花を飾っていた。お祭りという状態に賑わう街。ああ、素敵。本当に来てよかったわ。小さなお祭りなのかもしれないけれど、わたしには十分。街の人たちが胸を躍らせ、顔を綻ばせているように、わたしもまた胸が高鳴る。傍らのエルグは動く気配がなく、かといってわたしに向かって話しかけてくるわけでもない。広場に視線を向け、目の前に広がる光景を楽しそうな目で眺めているだけ。そしてそのことに対して特に不満がないわたしも、彼と並んでその様子を見ていた。花が生けられ、女性が立ち去る。現れた色とりどりの花に、さっそく一人の子供が顔を近づけた。

「ルノアちゃん」
「……何かしら?」

 暫く自分が呼ばれたと気が付かなかった。今まで呼ばれたことのないその呼び方に、わたしは数度瞬きする自分に気が付く。エルグはというとそんなわたしを見てばつが悪そうに頭を掻いた。

「あ。この呼び方はあかんか。というかあれやな。この言葉遣いの時点であかんな、うん。いや、別に最初っから俺もこんな話し方やったわけやなくて、その、いろんなところ行ってるうちに色んな言語が混ざってこう……」

 しどろもどろに弁明するエルグの様子があまりに必死で、わたしは嫣然と笑う。わたしのそんな様子に気が付いたのかエルグはあぅ、と小さな声を漏らして髪の毛を掻き上げた。腰のあたりで揺れる髪の先端がぴょこぴょこと飛び跳ねる。ころころと表情を変えるエルグを見るのはとても面白いけれどわたしは彼に自分を呼んだ理由を尋ねた。

「それで、何のお話かしら?」
「え。……ああ。ルノアちゃん、君。この辺りの人、違うよね。どこから来たんかなって」

 あら。わたしを覗き込むエルグの目が少しだけ悪戯っぽく笑う。彼の目はそれを確信している者の、見透かしているような目。誤魔化して茶化してもきっと彼には意味がない。尤も、隠す理由も見当たらないのだけれど。わたしは彼の笑みに笑い返し、その問いに答えた。人垣から拍手が起こり、陽気な音楽が広場に流れ始める。

「ここから丸一日ほど南東に歩いた港の街から。その港には、船で北上して来たわ」
「ああ、成程ね。……失礼かもしれんけど、俺には君が良いとこのおじょーさんに見える。結構な距離やと思うんやけど何か理由でも?」
「探し物があるの」

 にっこりと笑って答えるわたしはこれ以上彼に踏み込んだ質問を言わせるつもりはなかった。人差し指を自分の口に当て、先程のエルグ同様悪戯っぽい目をして笑って見せる。彼はそれでしかと了承してくれたようで、一度だけ肩を竦めた。彼の視線が広場へと戻り、独り言のように彼は言葉を発する。聞こえてくる音楽は陽気というより歌うような旋律へと変わっていた。

「探し物かー。俺も探してるもんがあるんやけどねー」
「あら。何を、と聞いても構わないのかしら?」

 どこか遠くを見ながら、呟く彼にわたしは純粋たる好奇心から尋ねる。自分が答えなかったのだから、答えてもらえる可能性は零に等しいけれどそれはそれで構わない。彼はわたしの問いかけににやりと歯を見せ笑った。

「自分が言わんかったのに、俺には聞くかなあ……。まあええけど。でもうーん、そやねえ。あえて言うなら、過去の戻る方法とか?」
「……あら、素敵。わたしも欲しいわ」
「人間、後悔一つくらいは持ち合わせとうしね」

 おどけて答えるわたしに、彼もまたおどけて答えた。どうにも彼、エルグは掴ませてくれない。これが生きている時間の長さの違いかしら、それとも単に彼が賢しいか、馬鹿なのかしら。そんなことを考え始めた頃、ああそうや、と声を上げるのはエルグ。

「そう言えばルノアちゃん。君、このお祭りの由来って知っとう?」
「由来?」

 彼もどうやら、あまり『探し物』については突っ込まれたくないらしい。それはわたしも同じなので、ごく自然にわたしは彼の話に乗っかる。お祭りはお祭りなんじゃないかしら。そう思って首を傾げるわたしにエルグはどこか得意そうな顔で言葉を弾ませた。曲が終わったらしく、拍手の音と共に流れていた音楽が止まる。エルグは頭の後ろで手を組み、石壁に寄りかかり直した。

「せや。過去って言葉で思い出したわ。このお祭りな、ほんまは厄除の祭らしいねん。今更何人知ってるかは知らんけど、厄除と、まあ後は一応獣払いもやね。獣に食いもんを食い荒らされんように、疫病が流行らんように。そういう祭やってんけどな。まあ今はもう形式化してしもうてるけど、実際は結構えげつない祭でな」
「まあ、そうだったの?」

 それは初耳。是非知りたいと、続きを促すわたしにエルグは気分を害するかもしれないと前置きを入れたうえで続ける。

「簡単に言えば、この街中の悪魔や悪いもんってのを全部誰かに押し付ける。そうすることで街から悪いもんを追い出すんやね。誰かのせいにする、と言ってもええ。尤もこの話もほんまかどうかは知らんけど。……その、なんか、気分悪い話でごめんな。ああもう、俺! 女の子に話す話やないやろ!!」
「……」

 最後の方、かなり歯切れの悪いエルグに、わたしも苦笑いしか返せなかった。本当かどうかわからない話を気にするのもどうかと思うけれど、さすがに少しだけ気分が落ち込む。“悪いものを押し付けられた”人だか獣だかがどうなるか、それはなんとなく察しがついた。そして、そう考え始めてしまうと目の前に広がる祭りが別のもののように見えてしまう。……いいえ、そんなこと……ええ、気にしても仕方がないわ。

「起源が嘘かほんまかわからんくても、形は残る。その証明がこの祭りや。俺の話は形に理由を与えた結果かもしれんし、ほんまにそれが起源なのかもしれん。ま、それは祭りだけの話やないね」

 それがわたしに向けられた言葉なのか、判断が付き損ねたわたしは彼を見つめたまま黙る。広場に向けられたエルグの目はどこか遠くを見ていた。けれどすぐにその表情を翻し、エルグはわたしに視線を戻してにっと笑う。拍手の代わりに人だかりからは歓声が巻き起こる。音楽は止まってしまったけれど、代わりに何かやっているみたい。大道芸かしら。

「祭りって不思議なもんやねえ。俺、ずっと東の方まで行ったことがあるんやけど、そこでは獣を祀っとった。ここのあたりじゃ考えられんね。面白いと思わへん?」
「それは是非見てみたいわ」

 エルグの話にわたしは素直に声を上げる。獣を祀るなんて、なぜかしら? 獣は大体、害のあるものとして扱われるのに。機会があればぜひ見てみたいわ。
 顔を綻ばせるわたしにエルグもまた頬筋を緩める。もたれていた石壁から背中を離し、伸びを一つ。真っ青な空にはいくつかの綿雲が泳いでいた。

「是非見てみたらええと思うよ。言葉違うから、苦労するかもしれんけど。この祭りもさっき気ぃ悪くするような話してしもうたけど、今は唯のマトマ投げと鬼ごっこみたいになっとうから、気にせんと参加したらとええと思うし」
「マトマ投げ? 鬼ごっこ?」

 本当に知らなかったわたしは首を傾げる。肩にかかった髪が少し膨らみ、三つ編みが流れる。二日目が本番だとは聞いていたけれど、これがお祭りじゃないのかしら。そんなわたしの様子に知らんかったんか、とエルグは驚きつつも嬉しそうに説明してくれる。そしてその話が終わりかけた頃エルグは唐突に、それはもう突然に顔色を変えて空を仰いだ。

「あっ!」
「え?」

 今度のエルグはさっと血の気の引いた表情。客引きに掴まっていたあの時よりさらに焦っているような。そして彼はわななき声で呟く。

「あいつ、待たせて……」
「あら」

 彼、連れがいたのね。ラウのことを思い出しながら、わたしは固まる彼を覗き込む。わたしはまだ時間があるけれど、彼はもう時間切れのよう。わたわたと足が動きかけ、足の動作に付いて行っていない手が空を泳ぐ。頭を振り、尻尾の様な髪がぶらぶらと揺れた。

「ごめん、ルノアちゃん。俺、行かな! ほんまに、助かったわありがとう。えっと、まあうん、祭り、楽しんでな!」
「ええ。ありがとう。あなたも」

 わたしの声が聞こえたか否か、彼は道の凹凸に躓きながら人の中に消えていく。結局最後まで彼はわたしに彼という人間を掴ませてはくれなかった。
 軽く溜息を吐き出し、それでも貴重な話が聞けたからと、わたしは再び祭り見物に戻るべく広場へ足を向ける。

《ルノア……》

 微かに、本当に微かに聞こえた瑠璃の声をわたしは聞こえなかったことにする。彼の話の中で、一番記憶に残った言葉。それは、祭りの起源でもマトマの話でもない。勿論それはそれでとても素敵なお話ではあったのだけれど。

 ――過去に戻る方法、とか?

 わたしは、誰にも見咎められないように肺から酸素を追い出した。

sideエルグ

「やー、遅なってすまんかったなあ。お待たせお待たせ」

 へらへらとした笑みをそのままに彼はこれ以上なく不機嫌そうな自らの連れに手を振った。相手はきっと怒っているだろうとわかってはいたが、今更エルグに走る気はない。実にゆったりとした足取りで祭りに色めき立つ人々の隙間を縫って青年に近づく。左頬を怒りに引き攣らせ、腕組みをして仁王立ちするその“待たされ人”の青年は開口一番にこにこ笑うエルグに対して怒鳴り散らした。

「ふらっふらっふらっふらっ、飛んでいきやがって……! エルグ! てめえに付き合うこっちの身にもなれッ!」

 言葉の節々に怒りを込め、エルグに向かって声を張り上げる青年。その姿は目の前でへらへらと笑うそれと瓜二つであった。瞳の色も、髪の色も背の高さも、声の高ささえ。全てが鏡から抜け出したような二人の姿形はきっと本人たち以外は見分けがつくまい。それほどまでにその二人はよく似ていた。今にもエルグの襟首に掴みかからんばかりの“エルグそっくりの青年”の言葉をエルグは左耳から右耳へと聞き流し、おどけるように答える。

「俺、空飛んだ覚えはないなあ」
「……ここでてめえの寿命終わらせてやろうか……?」
「いやーん。ひどぉ」

 ふるふると怒りに両手を握りしめる青年にあくまでへらへらとふざけたような言葉を返すエルグ。それなりの賑わいを見せる人の波の中、一纏めにされた唐茶色の髪が馬の尾のように揺れる。エルグは笑みを消すことなくまあまあと彼を宥めて、その肩を軽く叩いた。客引きたちの声が互いに負けまいと、張り上げられる。太陽は高く、まだ日は長そうだ。そっくりな影法師の片割れが躍るような足取りで石畳を踏んだ。

「そう怒らんといてぇな。飴ちゃんでも買ったるから。折角のお祭りやのに、楽しまなあかんで」
「エルグ! 俺は、てめえの、せいで、楽しく、ねえんだよ……!! 飴玉ごときで誤魔化されれるか!」

 怒り心頭。ついに青年の拳が真正面に立つエルグに向かって放たれ、しかし空を切る。唐茶色の“尾”が、空に弧を描いた。

「お土産も買おぉな。な、エルグ」

 歯ぎしりする“待たされ人”――『エルグ』の斜め後ろで、先程まで正面にいたエルグが呑気な声を上げる。『エルグ』は握りしめた拳を解いて、大きく息を吐き捨て体勢を戻した。その瞳にはまだ幾分かの怒りを残していたが、とりあえず彼は落ち着いたようだ。うなじのあたりで一纏めにした唐茶色のそれを手で払い退ける。それを確認したエルグはうんうんと満足げに頷いて出店の通りへと足を躍らせ、『エルグ』は黙って彼の後に続いた。

「お土産、何がええかなあ。食いもんの方が喜ぶと思う? なあ、エルグ」
「俺の知ったことかよ」
「そんな詰まらなさそうな顔せんといてぇな」

 どうでもいいと言わんばかりに答える『エルグ』に、エルグはむぅと口を尖らせる。行き交う人をうまく避けながら、人の流れに沿って屋台や店を吟味するエルグに対して『エルグ』は詰まらなさそうな目を寄越すだけ。吐き出した溜息は祭の熱気の中に融けて消えた。太陽の照り返しが彼の目を焼く。人の流れは緩く、進みも鈍い。道はすし詰め状態とまではいかないが、元々細い道であったこともあり多少込み合っている。人ごみが嫌いな『エルグ』はふらふらと消えてしまうエルグだけではなく、こちらにもげんなりせざるを得なかった。

「過去に戻る方法かあ」
「あ?」

 唐突に、わけのわからないことを言い出す片割れに『エルグ』はドスの利いた声で答える。前を行っていたエルグは彼に歩調を合わせ、ぱたぱたと右手を振り、笑った。

「面白くて可愛い女の子に会ってきたんよー。あの子、何者(なにもん)やろうね。なんか、なんとなく、俺と同じ感じがした」
「……エルグ。てめえ、一回頭殴ってやろうか? 正気に戻れるかもしれねえぞ?」
「やめたってえ」

 『エルグ』の台詞に頭を庇い、前へと逃げるエルグ。その様子に遊びに来たんじゃねえぞ、と『エルグ』は盛大な溜息を地面に向かって吐いた。目に入る道は光を受けて鈍くてかっている。がやがやと騒がしく賑わう通り。ああもう帰りたい、と彼は心からそう思う。

「エルグ」
「あん?」

 名前を呼ばれて視線を戻すと、振り返っていたエルグと目が合い『エルグ』はつい目を見開く。その顔は狐のように目を細め、薄い笑みを零していた。すっと背筋が伸びるのを感じる。しかし『エルグ』のそんな様子に気づいてか否か、彼はすぐに前に向き直った。そして視線は前を向いたままに、自分の生き写しである青年は声を弾ませて謳う。いつの間にか彼の手には飴玉の袋が握られていた。

「この世界、偽物を、本物を演じているんは誰やろね? 俺かな、お前かな、あの子かな? それとも全部偽物やから、嘘が本当になるんかな? どこまでが作り話でどこまでが真実やろな?」

 くるりと右足を軸に一回転。唐茶の髪が円を描き、太陽に明るく映える。笑顔の仮面を張り付けたエルグが飛び跳ねるように身を躍らせ靴を鳴らした。口元を吊り上げ無邪気な様子で、しかし中身は伴わず笑うエルグに『エルグ』は静かに尋ねる。

「……エルグ。てめえ、何考えてやがる?」
「そうやねえ」

 んー、と空を仰いで考え込むエルグのその仕草はわざとらしくいかにも、といった風だ。おどけた態度に苛立つ『エルグ』だがそこは堪えて彼の返答を待つ。そして『エルグ』が今日何度目かの溜息を空に逃がした頃、エルグは彼を振り向きこう答えた。

「何も考えてへんよ? 少なくとも、今は」

 ぽいっ、と『エルグ』の口に放り込まれる飴玉。口の中に飛び込んで来たやたらと大きいそれもごもご転がしながら彼はエルグに言葉を吐き捨てる。

「今は、かよ」

 『エルグ』の台詞にエルグはにこりと笑うだけ。

 強烈なほど甘い飴玉はまだ、彼の口の中で転がっていた。

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2013.4.29  22:19:24    公開
2013.8.27  14:21:36    修正


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