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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

2‐4.世界はきっと偽物だから

著 : 森羅

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sideラウファ

 ぐわん、と船が大きく波を打った。

「瑠璃……」
《なーぁにー、ラウー》

 衝撃波にも似た揺れが大分収まってからそう呼ぶと、聞こえるのは無駄に明るく呑気な声。そんな瑠璃に僕は渋面を隠せない。折角ある程度水気が抜けたはずの服にまた大量の飛沫が降り注ぐ。瑠璃の首から手を離し、僕はすっかり囲まれた……いや“綺麗にど真ん中に着地した”自分の状況を嘆く。僕らを囲む人たちも殺気立っていると言うよりはむしろ“呆気にとられている”が認識として近いだろう。僕だって彼らと似たような心境だ。どうしてこんな……。いや合理的ではあったんだろうけど。
 とりあえずこの船の甲板に使われている敷板はなかなか丈夫らしく、僕と瑠璃が着地しても敷板を突き抜けずに済んだ。うん、よかった。尤も今重要なのはそこじゃない。瑠璃から降りて、甲板に足を下ろすと水が引いていく感覚が足を襲う。瑠璃、あの、あのさ。確かに、うん。確かに間違ってはいないけどさ。

 この登場の仕方はひどいんじゃないだろうか?

 無言でそう訴える僕なんて見向きもしないで甲板にいる人たちに愛想を振りまく瑠璃。頭から水を被って雫を滴らせながら、狐につままれたような彼らの顔に苦笑いを足せばもれなく僕の表情と似たものになるだろう。そりゃそうだ。突然起こった大波に乗って、ラプラスと人間が甲板に上がっているなんて普通誰も予想しない。僕自身、そんな登場なんて予想してない。気まずい沈黙が続く前に僕は口を開いた。えーっと。あの。

「えーと、あの船諦めてくれない、よね……」
《ラウーぅ、そんなもので諦めるなら最初から襲ったりしないよー?》

 それもそうか。瑠璃の的確な返答に返す言葉が見つからず苦笑いが浮かんだ。晴れていたはずの空にはいつの間にか灰色の雲がかかっている。ぱらぱらと降ってくるそれは氷雨。我に戻ったのか、僕たちを侵入者とみなして構える海賊たち。なんだか最近こんなことばっかりの気がする。気のせいじゃないと思うんだけど。

《あははー、戦闘開始ー》

 瑠璃がそう哄笑すると同時に空中に現れるのはいくつもの氷の礫。氷塊は個々が回転し、瑠璃と僕を守るように宙に踊る。ぼんやりとそれを眺めながら頭の中で指折り数える事なんと三度目か四度目。よし、決めた。今度は、今度こそはルノアの言うことなんて聞いてやるものか!

《ラウ―、ぼーっとしてたら危なーい》
「え?」

 心の中で固く固く誓っていると、間延びした瑠璃の声に僕の意識が現実に戻った。ああそう言えば。僕の体との距離、あと数センチの所をものすごいスピードですり抜けて行った“植物の種”に僕は頬を掻く。風圧に白布が後ろに流れた。

 ……ルノア、やっぱり君ってひどいと思うんだけど?

sideルノア

《何(にゃに)か良いものでも見えるのよ?》
「どうかしら?」

 アシェルの問いかけにわたしは窓から視線を外してアシェルに笑みを向けた。随分大人しくなった乗客たちは泣き疲れもあるのだろうけれど眠っている人もちらほら見受けられる。ぐったりと空ろな表情をしている人も数名。アシェルはそんな周囲を一瞥した後、ぶるりとその体を震わせた。

《にゃんだか寒くなってきたのよ》
「ええ、ほら。アシェル、少しずつ降り始めたみたいよ。ラウはどうしているかしら?」

 窓から見える真っ黒な雲をアシェルに見せ笑うわたし。アシェルはそんなわたしに呆れたようにやれやれと溜息を吐いた。

《あにゃたがけしかけたのにそれはにゃいと思うのよ……。少し心配でもしたらどうにゃのよ?》
「心配?」

 心底不思議に思って、わたしはそう返す。一体何を心配することがあるのかしら? 首を傾げるわたしにアシェルは苛立たしげな顔をした。への字に曲がった口が押し殺したような声を吐き捨てる。

《あにゃたって本当に何考えてるのかわからにゃいのよ。ラウファのこと、どうでもいいとでも思ってるのよ?》

 アシェルの表情は硬く、難しい顔をしてわたしを見上げている。ぎしりと床板が軋む音がした。スカートの淵を正し、わたしはアシェルに言葉を返す。船の揺れが大きくなり、黒雲から降り注ぐ雨に氷が混じり始めた。リズミカルに雨が水面を叩く。

「アシェル。あなた、結局のところ何が言いたいのかしら?」

 足を両手で抱き、膝に頭を押し付け、わたしは微笑んだまま彼女に問う。窓から入ってきた小雨が髪を濡らした。寄せては返す波の音。揺れる船に居心地の良さはないけれど、まるで嵐の中を彷徨っているようで胸が高鳴る。ああ、なんだか舞台の一幕みたいじゃないかしら。

《あたしはただ同行者のことくらい知っておきたいと思ってるだけにゃのよ。……言い方が悪いかもしれにゃいけど、あにゃたは不気味にゃのよ。ラウファはラウファで得体が知れにゃいけど》

 あら。アシェルの言葉にわたしはくすくすと笑みを漏らす。そうかしら。わたし、不気味かしら。いいえそうね、そうかもしれないわ。でもそれはいけないことではないでしょう?
 怪訝そうな顔のアシェルにわたしは微笑みながら言葉を続けた。

「そうね、そうかもしれないわ」
《気を悪くしたにゃら謝るのよ》
「いいえ。どうして? でもアシェル。なら付いてこなくても構わないのよ。それはあなたの自由だわ。そうじゃないかしら?それに、初めの質問に答えるけれど、ラウはきっとそう簡単には死なないわ。なら心配する必要なんてないでしょう? それに今回はあの子たちのお付きをやってもらいたかっただけだもの。大丈夫よ、あの子たちはラウを護るわ」
《……あの時、甲板から捨てたボングリなのよ?》

 渋々と言った様子で口調を少し緩めるアシェルにわたし含みのある笑みをもって肯定した。生産量も流通量も認知度も圧倒的なほど低いそれは、機械による大量生産が未だ成っていない貴重品。そしてそれに住むのは水に棲む獣たち。ここはあの子たちの独壇場。船を止めるくらいわけないわ。
 わたしの説明に納得したのかつい、と目を逸らして窓の外を眺めるアシェル。わたしはそれに微笑み、その頭をそっと撫でた。霰(あられ)がさっきよりも大きな音で波を打つ。

「ふふふ、ラウはきっとわからないでしょうね」
《何(にゃに)を、にゃのよ?》
「あなたがわたしを『不気味』だと言った意味よ」
《……謝るのよ》
「あら、どうして? 謝らなくても構わないわ。あなたがそう感じたのだから、わたしはきっと不気味なんでしょう。ねえ、アシェル。わたし、世界は綺麗だと思うのよ。それを見てみたいわ。見ていたいわ。それだけでは駄目かしら?」

 繰り返し繰り返し、アシェルの毛並に沿って撫でていた指を払ったのはアシェルの首の動き。こちらに向き直ったアシェルは探るような目でわたしを見ていた。わたしはそれに小首を傾げてわずかに口角を吊り上げ優美に笑ってみせる。首の動きに肩にかかった髪が弧を描いて膨らむ。ねえ、アシェル。

「どう行動しても、どう思っても構わないと思うの。それはアシェル、あなたの自由だわ。そしてわたしの自由だわ。今も、これから先も。違うかしら? あなたも自由に生きてきたのではないかしら?」
《……にゃるほどにゃのよ》

 右耳を揺らしながら静かに息を吐き出して、アシェルはそう言う。納得してくれたのかしら? まっすぐこちらを見るその細目にわたしも目を細めて笑った。さあ、そろそろ行きましょう。ゆっくりと立ち上がるわたしにアシェルが従う。氷の欠片が木枠の隅に張り付いていた。大分温度が下がったようで、肌寒さに腕を抱く人が何人か見受けられる。肩にかかった髪を後ろへと流し、わたしは真っ直ぐ窓から対角線上にある壁を目指して歩く。歩みを進めるたびに軋む板。今度は何を、という視線がわたしを見るけれど、そんなことに興味はないの。わたしはその壁を背もたれに蹲るその人に向かって口角を僅かに吊り上げる。少しだけ首を傾げて、瞳の色を肌の色に融け込ませて、楽しそうに、そして優雅に。

「よろしかったら、そこ、退いてくださらないかしら?」

 不気味? そんなこと構わないの。ええ、構わないわ。だって“わかっている”もの。

sideラウファ

「うわあ!」

 とてもわかりやすい驚きの声を上げて、僕はその場を飛び退く。ずしん、という音が背中に響いて、振り返ると甲板に穴が開いていた。……ええっと……。苦笑いで閉口する僕に瑠璃がけたけたと笑う。

《ラウー、上手に避けてるー》
「……避けなきゃ死んでると思うんだけど……」
《じゃあその調子でー頑張ってー。瑠璃は瑠璃で忙しーい》

 氷盾があまり機敏な動きができない瑠璃を護る。吐く息はいつの間にか白く凍り、皮膚には鳥肌が立っていた。瑠璃から発せられた冷気が船を覆って、氷の息吹が甲板や獣を凍りつかせる。薄い霧が、少しずつ視界を奪っていた。氷の雨は止む気配がなく、甲板に当たっては砂利のような音を立てる。僕は瑠璃の傍にまで戻ってから言葉を発した。

「楽しそうだね」
《楽しいよー。ラウはー楽しくないのーぉ?》
「……楽しいの? これって」

 かなり危険な状態の気がするんだけど。
 曖昧に笑う僕に瑠璃はにんまりと笑った。とてもとても楽しそうに。それはルノアとは違うけれど紛れもない『嬉』。氷の盾が誰かの放った矢を弾く。瑠璃の表情は恐怖を感じているようではない。どうしてだろう? どうしてなのかなあ。これはルノアと同じ? 瑠璃がこの状況において優位に立っているから? ルノアは自分が不利でも笑っていそうだけど、瑠璃はどうなんだろう? 瑠璃もルノアと同じように自分が絶対的不利の状態でも笑うのだろうか。それとも恐怖するのかな。
 やっぱり人の反応はその時々で違いすぎて、よくわからない。パターンを覚えきるなんてできるはずがない。こうだろうなとわかることも勿論あるけれど、それは“大雑把な一般的な反応”であって少しその反応の域を超えてしまうと僕にはさっぱりわからなくなる。楽しそうだとわかってもそれが“どうして”なのかわからなくなる。僕はどうしてわからないんだろう。他の人はどうしてわかるんだろう? でもきっと。

 これは、“おかしい”んだろうね。

 凍傷にかかりそうなくらい真っ赤に腫れ上がった腕が瑠璃を指差し、獣へと指示を飛ばす。飛び出してくる獣の吐く息は白く、口の中は白と対照的に赤い。突進で氷盾を突き破ったその獣はしかし瑠璃の放った水流に弾き飛ばされ、不運な誰かに激突する。薄霧の中に吐息が融けた。決して耐えられない温度ではないけど、冷気に動きが鈍る。
 この温度に唯一平気そうな――寧ろいつもより元気そうな――瑠璃は確かにこの状況を心底楽しんでいるようで、その表情から笑みが離れない。ルノアのそれとはまた違うけれど、口元を歪め細く開かれた瞳は妖艶で、壮絶な凄味を持っていた。瑠璃に躊躇いは、多分、一切、ない。

《んんー。瑠璃は楽しいよー? 玻璃はーこういうの好きじゃないけどー。瑠璃は、好き》
「死ぬかもしれないのに?」
《ならその状況でー、恐怖してないラウは何ー?》

 にんまりと笑う瑠璃に僕は相当惚けた顔をしただろう。予想外の言葉にけれど納得する。ああ、そういえば僕はこの状況を恐ろしいとも楽しいとも思っていない。危険だとわかっているのだから、本来怖がるべきなのに。獣が襲って来ようが、矢が飛んで来ようが、凶器を向けられようが、怖いとは思わない。楽しいともあまり思わないけど。

「……怖がるべきかな?」

 “普通でありたい”が故に僕はぽつりと瑠璃に問う。霰が袖から露呈している皮膚に容赦なく降り注ぎ、その度にひりひりとした痛みを伴う。怒声が響く。水を被った白布を含めた衣服は僅かに凍り始めていた。獣の牙が、爪が、瑠璃の氷に阻まれ水流に押し流される。人間の武器も届かない。この場の主は瑠璃のものだ。呑気な声が僕に答える。

《怖くないのにー怖がらなくてもいいとー瑠璃は思うよー》
「……瑠璃、僕には全く現実味が湧かないんだ」

 不思議そうな顔で僕を見下ろす瑠璃に僕は曖昧と笑う。怖い、怖くない。楽しい、楽しくない。これは、それ以前の問題だ。僕はこの事態に“現実味が一切持てない”。

「だって、僕は自分が誰かすらも忘れてしまって覚えてないのに」

 それは薄っぺらな感情なんだろう。偽物の心なんだろう。
 他人がなぜ喜ぶのかわからないなどと。なぜ怖がるのかわからないなどと。自分がどうすればいいのかわからないなどと。
 ルノアが笑うのを綺麗だと思う。けれどそれに僕は状況を当てはめることでしかその笑みの理由を理解できない。しかもそれが“多分そうだろう”なのだ。大まかにはわかるけれど確信は持てない。なぜ笑ったの、と尋ねなければ何が面白かったのかわからない。分かっているふりをして、わかっているつもりになることはできるけれど、僕にはわからない。僕自身のことも、誰かのことも、この世界のことも。自分にわからないことも。だって僕は忘れてしまっている。『僕』のことも、『僕』が見ていたであろう『世界』のことも。
 凍りついた白布の代わりにルノアが押し付けてきた飾りが腰で揺れる。蜂蜜色の飾り石、これを『僕』は何色として見ていたんだろう? 僕と同じ色で見ていたのかな。

「怖い怖くない以前の問題だよ、これは。ただ」
《わかんないだけーって?》

 言葉を先取りした瑠璃が悪戯っぽく笑う。僕は数度瞬(しばたた)いてからこくこくとそれに頷いた。僕は自分を知らないから。覚えていないから。だから全部、嘘に見える。この世界も、何もかも。だから怖くなんてないんだよ。楽しいことは楽しいと思うけれど。でもそれも全て夢を見ているようなんだ。全てが曖昧でどこか実感を持てない。“本当のこと”が何であれ、僕はそれを本物だと言い切ることができないのだから。

「僕の世界は嘘ばかりなんだ」

 そっかあ、と納得したのかしていないのかよくわからない言葉を残して瑠璃は僕から視線を外す。少しの間だけ瑠璃の目が遠くを見ていた。寒さに動けなくなっている人が数人いるようで、薄霧の向こうに座り込む影が見える。何度も冷水を被ったことを考えれば当然だろう。

《……もー、玻璃ったら遅ーい。瑠璃が全部終わらせちゃうよー?》

 先程まで顔に張り付いた艶のある表情とは想像できないほど呑気な声が甲板に響いた。前ヒレがばたばたと不満げに甲板の板を叩く。打って変わって子供っぽいその仕草に僕は彼女の首のあたりをさすると、ぬめりとした皮膚の感触が手を放した後も残っていた。

《ラウー、ちょっと、警戒よろしくー》
「え?」
《瑠璃、帆柱壊すからー。その間警戒しててー。多分そろそろ……》
「瑠璃?」

 突然言葉を切って空を仰ぐ瑠璃を僕は見上げる。彼女の背景で空の色は鉛色。けれど、霰の勢いは大分弱くなっている。固まってしまった瑠璃は、けれど次の瞬間弾けるように檄を飛ばした。

《ラウ! 掴まるの!》
「え、あ」

 何? そう問う時間を誰も与えてはくれなかった。反射的に瑠璃の甲羅を掴み、次の瞬間には船首が何かに激突したらしく木の砕ける音が耳に反響する。瑠璃がこの船に着地したのと同じくらい派手に船が揺れる。いくらかの悲鳴が聞こえた気がするけど、そんなことに気を使っている余裕は僕になかった。ふわりと体が宙に浮く。胃がおかしくなりそうな感覚。その瞬間、僕は笑っていたのか、泣きそうだったのか、もう覚えていない。

《いっきまあーす!》

 瑠璃の元気な声が遠くで聞こえて、水を打つ音が耳元で響いた。

sideアシェル

 遠く響くは穏やかな旋律。
 喉の奥を震わせ、あたしは唄う。船全体に届くように。

 一体どこまでうまく響かせることができるかはわからないけど、この船の伝声管には蓋がないみたいだからまんべんなく行き渡ってくれるはず。あたしの隣にいた男性から微かな寝息が聞こえ始めた。そういえば耳を塞いでって言い忘れてたのよ。
 あたしが押しこめられた物置部屋で見つけたのはこの伝声管。船中に張り巡らされたこれはあたしにとって十二分な武器になる。催眠作用を持つこの歌声を出すのは得意と言えば得意なのだから。伝声管と歌、組合せば何ができるか想像に難くない。お嬢様もあたしの意図するところはすぐにわかってくれたみたいで、今は多分、部屋の隅に戻って耳を塞いでいはず。あたしは後頭に目がないから正確なところは分からないけど。すぅ、と息継ぎを挟む。さてもう少し、にゃのよ。

 耳に入ってくるいくらかの寝息を伴奏に、あたしは伝声管に向かって子守歌を歌い続けた。

sideラウファ

「……寒い」
《風邪ひかないでよー》

 穏やかになった水面を滑るのはそっくりな姿をした二匹の水獣。瑠璃の背中で氷の解けた白布を解き、水分を絞る。ばさりと落ちてきた消し炭色の髪が皮膚に張り付いた。どっぷりと濡れた服に涼しい風が走って、僕はくしゃみを漏らす。本来ならば気持ちいい風なんだろうに、とんでもなく寒く感じる。後ろを見れば、船首の潰れた船が立ち往生していた。結局帆柱は壊していないけど、あの船はもう進めないだろう。船首が壊れてることを考慮から外しても、目の前に氷の橋が架かっているから。
 僕は潰れた船首の下へと目線を移す。船首を潰した氷は融けたのか水に沈んだのか見当たらないけれど、水底あたりから凍らせたという太い氷橋はあの海賊船をきっちり巻き込んで凍っている。あの船は少なく見積もっても一、二時間は立ち往生を食らうだろう。

《玻璃ー、時間かかり過ぎー》
《ごめんなさい、姉様。ですが、この川幅の川を凍らせるのは大変だったので……》

 剥れる瑠璃に玻璃と呼ばれた水獣、ラプラスが申し訳なさそうに言葉を返した。僕は視線を船から外し、色以外はそっくりな二匹に目を向ける。静と動。この二匹の姉妹を表すのにこれほど似合う言葉はない。
 気性の激しく、あっけんからんとした傍若無人な姉、『瑠璃(るり)』。穏やかで大人しく、姉を諌める妹、『玻璃(はり)』。よくもまあここまで真逆の姉妹ができたものだと僕は感心するしかない。髪を掻きあげて水滴を払う。

《お疲れ様です、姉様。ラウ様》

 小さく笑う玻璃がその長い首を軽く下げた。水晶を表す『玻璃』の名の通り、瑠璃に比べて玻璃は皮膚の青みが薄い。瑠璃が海の青なら玻璃は空の青。水色にも近い色だ。穏やかな笑みに僕も言葉を返す。

「……玻璃も」
《ありがとうございます》
《ラウー? 瑠璃はー、瑠璃はー?》
「瑠璃も」

 半ば無理やり言わせたそれにそれでも瑠璃は十分だったようで、ぱっと嬉しそうな笑みを咲かせる。感情表現がはっきりしているのも瑠璃だ。玻璃は起伏があまりなく、慎ましい。瑠璃の背中の上で脱力する。特別何もしてないけど、疲れた。見上げた空は青い。動けない船が遠ざかる。

《早く前の船追いつきましょう。どうなっているかわかりませんが、ルノア様が待っていらっしゃいます》
《あっ、そっかあー。あの船にも賊が乗ってるんだっけー。ルノアは心配しなくても死んでなさそうだけどー。あははー》
《姉様》

 瑠璃の言葉を玻璃が諌める。それくらいで反省する瑠璃ではないけど、ぺろりと舌を出して黙った。玻璃はそれに溜息をついてスピードを速める。彼女たちのヒレを透明色の水が覆い、また引いていく。ゆらゆらと僕たちを上下に揺らす波。なんとなく思いついて右腕を横に動かして脱力すると、人差し指と中指が水を切った。飛沫が掌に飛ぶ。瑠璃のスピードに腕が水の上を引き摺られて行く。人差し指と中指の爪の間に水が通り、なんだか爪が痺れる。冷たくて不思議な感覚。多分きっと初めての感触。僕は笑った。

 これは『本当』で『本物』なのかなあ。

sideルノア

「あら。お疲れ様、ラウ。それから瑠璃、玻璃」

 第一声、そう笑うわたしにラウはどうも形容しがたい顔をしていた。呆気にとられているとも、笑っているとも、顔を引き攣らせているともいえるような。あら、一体どうしたのかしら?

「……一体、何があったのか教えてくれる?」
「ええ。勿論よ。だからラウも教えて頂戴」

 暫くしてようやく口に出したラウの言葉にわたしはぱんっ、と手を合わせて晴れやかな笑みを零す。小さな三つ編みが、嬉しそうに踊る。ええそう、是非聞いてほしかったの。
 ラウが差し出した瑠璃と玻璃のボングリを受け取り、わたしはアシェルと顔を見合わせ笑う。眠らなかった他の乗客の手も借りて縛り上げた数名の海賊が床に転がっている。眠ってしまった彼らはもうしばらくの間、目覚めることはないわ。船が進む。まだわたしの知らない街に向かって。今度は何があるのかしら。楽しいことがあるのかしら。でもまずは。

 さあ、どこから話そうかしら?

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2013.4.6  14:01:25    公開


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