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アクロアイトの鳥籠

著編者 : 森羅

0‐1.嘘吐き少女の探し物

著 : 森羅

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「お兄ちゃん」

 とても甘ったるい声が、眠っていた僕の耳元でそう囁いた。目を開けると彼女が僕に向かって微笑む。寝ぼけ眼に映るのは移動式テントの屋根というか天井。色はカーキとも小麦色とも言い難い色で、僕ら二人には広すぎるくらいに広い。ぱらんぱらん、と何かがテントに当たるような音は砂の音だろう。ここは砂漠、いや規模を考えると砂丘だろうか。
 あれ、どうしてこんなところにいるんだっけ、と思考すること三秒。思考が繋がった。そうだ、街道に沿って歩いていたら彼女が隊商(キャラバン)を見付けて次の街まで一緒に……一緒に……。

「お兄ちゃんってば」

 あ、いや違う。そうじゃない。状況はもっと深刻だ。甘い声に僕は現実を思い出す。やっと焦点の合った目で僕は彼女に視線だけを寄越した。

「寝ぼけてるの?お兄ちゃんったらお寝坊さんね」

 大抵の、通常の感覚を持った男ならばその一言できっと彼女の虜になるだろう。
 彼女の声はそのくらい甘く、聞いていて心地良い声なのだ。媚薬と言うものを僕は見たことも試したこともないけれど、そういう感覚に近いのかもしれない。だがしかし。少し考えて僕はそれを無視した。ごろん、と仰向けから彼女に背中を見せる形に向きを変える。

「ねえ、お兄ちゃんってば。お兄ちゃん」

 そんな僕の態度に腹を立てたのか、彼女は少し不貞腐れた声でそう僕の体を揺すった。繰り返される甘い声が僕の脳内に角砂糖の如く融けていく。僕は上半身を起こし、せいぜい嫌そうな顔をして彼女を見下ろした。

「……僕は君の『お兄ちゃん』になった覚えはないんだけど」
「あら、嘘つきね。お兄ちゃん」
「いやだからぐえっ」

 溜息と共に吐き出した言葉は皆まで言えなかった。胸ぐらを捕まれ、僕は反射条件のように口を閉じる。とっさに彼女の腕を振り解こうとして、生暖かい吐息が耳たぶを撫でた。近すぎる吐息に僕は、動けない。

「お兄ちゃん、でしょう?」

 纏わりつくような甘い声。官能的と言っても良い。蕩けんばかりに甘美で、花の如く芳しい。それは他者の思考を全て奪うまさに麻薬。だが、しかし騙されてはいけない。この声は、フェイクだ。罠だ。いやしかしそうわかっていても抗うことは難しい。僕は本当に何か、彼女に薬でも盛られたんじゃないだろうか。そんな思考が頭に浮かんでしばらく固まった後、今度こそ彼女を引き剥がす。楽しそうに笑う彼女。視線を外して僕は一息ついた。

「……何か、用?」
「ええ。用なの。お兄ちゃん、わかってるかしら?わたしたちが今、細い一本橋の上で寝てるってこと」

 何が楽しいのか弾むような声で彼女はそう笑う。勿論、僕はちっとも楽しくない。当然だ。今僕らがいるのは、例えるならとても細くて脆い小枝の上……いや、飢えた狼の巣の中に転がり込んでしまったと言う方が状況説明は適切か。笑えと言う方がどうかしている。
 笑う彼女が異常なだけだ。

「……わかってるよ。でも、じゃあ君は僕にどうしろって言うのかな?」
「あら、別にどうかしろなんて言わないわ。お兄ちゃん」

 零れ落ちるのはやはり心底楽しそうな声。鈴の音のように高いソプラノ。無邪気で、けれども何か画策しているような悪戯っぽい笑みがその顔に浮かんでいる。この危機的状況下で、だ。そしてそれは僕の耳と目がおかしいわけではなく、十人中十人がそう答えるだろう。けれども彼女は自分の幸運を信じて疑わない。自らが引き寄せる『運』は彼女を絶対に裏切らない。彼女はただ、望めば良いだけだ――“わたしを助けろ”と。

 この世に運命と言うものがあるのなら、彼女はそれに愛された。
 この世に運命と言うのもがないのなら、彼女は自らそれを創りだす。

「言っておくけれど、僕は悪くないからね。この件に関しては全般的に君が悪い」

 ただ、それだけの話だ。

「あら、ひどいわ。お兄ちゃん。妹が可愛くないの?」

 喉を震わせた声が、潤んだ瞳が、僕に訴える。だがしかし、これに甘い返答を返してはいけない。それは間違った選択だ。この数日で骨身に染みて彼女について色々と学んだ僕は白けた視線を彼女に送りながら答える。

「『可愛い妹』なら考えるけどね。僕に妹はいないはずだし、『可愛い妹』は兄を下僕扱いしないよ。足蹴にもしないし、胸ぐらに掴みかからない。そうそう、盗賊の巣に僕を巻き込んでそこで一泊しようなんて考えない」
「そんなのただの愛情表現じゃないの、お兄ちゃん。それにひどいわ。わたしだって最初からここがそんな隊商だなんて知ってたわけじゃないもの」

 どうだかね、と僕は小さく呟き肩を竦める。だが僕の冷たい視線にも彼女は屈しない。ひどいわひどいわと繰り返してヘーゼルアイを潤ませる。その攻撃に僕が彼女に屈しそうになるけれど、ここで折れるとぼくが死ぬ確率が跳ね上がるので折れないことにした。

「で、いつまでその『兄妹』設定を続けるつもりなのかそろそろ聞いてもいい?」
「それにわたしみたいな可愛い妹がお兄ちゃんにもいたかもしれ……やあね、お兄ちゃん。だってテントの外で皆お待ちかねみたいなんだもの」
「……あぁ、そうみたいだね……」

 きゃっ、と(芝居掛かった可愛らしい仕草で)体を小さくして楽しそうに笑う彼女。それに僕はもう返す言葉がない。刹那、テントの縁がはためいて四方から押し入ってくるのは隊商ご一行、訂正盗賊の皆さん。ぎらぎらさせた瞳にすっかり取り囲まれてしまった。座ったまま僕は隣にいる彼女に尋ねる。

「で。僕は何もしなくても良い?」
「そういう冗談は面白くないわ。女の子は守って頂戴」

 女の子?誰が?そう言いたいのをぐっと堪える。彼女はまだ楽しそうに笑ったままだ。自分には害が及ばないと、そう知っている。彼女が望めば、この状況でも彼女は傷一つ負わないと。それは僕が守らなくても。運命がというものあるならそれが彼女を守るから。

「音楽がないのが残念だわ。折角のお祭り騒ぎなのに。いえ、舞踏会と言う喩えの方が詩的かしら?協奏曲に、幻想曲、遁走曲?……小夜曲はちょっと違うかしら?」
「どっちでもいいしどれでもいいよ。阿鼻叫喚は君にとって音楽なのかい?」
「やあね、お兄ちゃん。そんなわけないじゃない」
「だから、いつまで僕を『お兄ちゃん』って呼ぶつもりなのか教えてくれる?」
「気に入ったのよ。楽しいでしょう?」

 余裕。彼女の言動はそれ一つに尽きる。周りの状況など全く考慮に入れない会話にしびれを切らした盗賊が一人、ゆらりと彼女に歩み寄るのを認識しても彼女はただ楽しそうに笑ったまま。無邪気に、気ままに、堂々と。
 彼女は動ける癖にわざと動かない。彼女の腰についたカラクリ仕掛けの球体、彼女の忠実な獣たちに助けを求めようともしない。ただ、堂々と突っ立っていた。そうしている間にも盗賊の男は接近、手に握った獲物を躊躇いなく振りかぶる。長いような短いような二秒の猶予。彼女の口が鈴のような音色で言葉を奏でる。

「殺しちゃだめよ」

 風が、その場を駆け抜けた。

  *

「あらあら残念。やっぱり彼らも知らないのね」

 砂を被り始めた荷の一つ、その上に腰かけて彼女はあまり残念ではなさそうにそう呟いた。こおぉ、と音を立てて風が流れる。砂埃が舞い、テントがはためく。うめき声を攫って行く。倒れ伏すのは十数人の盗賊衆。誰ひとり死んではいないはずだけれど、二、三日はおとなしくする羽目になるだろう。合掌。
 盗賊たちの荷物――多分、どこかに売り飛ばす予定だったのだろう盗品――を漁り倒した彼女に僕は複雑な気持ちになる。大きな水色の宝石を夜の闇に透かして見惚れる彼女に僕は呆れと共に問いかけた。やっぱり盗賊さんたちに合掌。

「君は一体何を欲しているのか、僕は未だよくわからないんだけど」
「あら、前にも言ったじゃないの。あなたは物覚えが悪いのね。不老不死の薬よ」

 実にあっさりと悪びれる様子もなく、寧ろ不思議そうに僕を見ながら嘘を吐く彼女。
 とても楽しそうに笑いながら、当たり前の様な口調で。僕はそれに笑わない。

「……本当は?」
「ええ、本当は万能の薬なの」
「……本当は?」
「もう、分かってないわね。女の子の秘密は暴かない方が素敵なのよ。覚えておきなさい」

 そう言って笑う。くすくすくすくす、含みのある綺麗な笑みで。
 僕はそれに肩を竦ませることで対応した。

 ……それを許してしまう僕も、きっと、同罪だろうから。

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2012.12.12  21:52:53    公開


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